第12話 ありがとうの思いをこめて

木曜日の20時前、夕食を家族と取っていると突然妻の携帯電話が鳴り始めた。妻の携帯電話が鳴るときは、大抵、老健に入所中の義父の具合が悪くなり、定期通院している総合病院への受診依頼のことが多いので、家族みんなが身構えた。電話を終えると、妻が悲しそうに言った。「おばあちゃんが先ほど亡くなったって、叔父さんからの電話」と。


私たち夫婦がお付き合いを始めたとき、その時点で義父側の祖父母はどちらも永眠されていた。私の祖父母も母方の祖母が認知症を抱えながら過ごしていただけで、残りの私の祖父母はすでに鬼籍に入っていた。


初めて義祖父母(というのか?)とお会いしたのは、結婚した後だったか?もう20年以上前のことだった。その時は義祖父は80代、義祖母は75歳だったと記憶している。その後しばらくして義祖父は亡くなられたが、義祖母はお元気で、高齢者施設に入所されていたが米寿、卒寿のお祝いをしたことを覚えている。義祖母の印象は初めてお会いしたころと全く変わらなかった。この数年は認知症が進み、人の認識も怪しくはなっていたが、義叔父が説明すると「ああ、そうじゃったか。孫がお世話になってます」と妻を気遣って挨拶をしてくださっていた。本当につい最近までお元気だったので、頭で理解しても、心は追い付かない。妻はもっと強くそう感じていただろう。


「金曜日がお通夜で、土曜日がお葬式かなぁ」と妻が口を開いた。普通の流れならそうなるだろう。う~ん、困った。金曜日のお通夜は、仕事が16時までなので、そこから出発すれば、何とか間に合うだろうと思うのだが、土曜日は通常勤務で、休んでいる先生方がおられるため、人数はギリギリ、私は午前の診察と、午後のワクチン外来担当で、変わってもらえる先生が人数的にいないため、仕事を休むことはできない。義叔父さんから連絡をいただいた時点では、「今後の予定は未定」ということだったので、とりあえず「金曜日にお通夜」の段取りで子供たちに当日の動きを指示、私自身も絶対に残業にならないように翌日の出勤時に各部署にお願いに回ることとして、妻に義叔父さんからの連絡が入るのを待つこととした。


金曜日はそんなわけで、出勤して朝の回診時に、各病棟に「妻の祖母が昨日亡くなったので、今日は時間きっちりで上がらせてください」とお願いし、薬剤課、在宅部、地域連携室にも「昨日、妻の祖母が亡くなったので、今日は時間きっちりで上がらせてください」とお願いし、仕事をした。この日は、新入院が二人、週に1回のカンファレンス、その後病院全体の勉強会が予定されていたが、スタッフの皆さんが気を遣ってくださり、仕事は極めてスムーズに進んだ。午後に妻からメールが届き、「お通夜は日曜日、告別式は月曜日になりました」とのことだった。事態は予想よりもさらに悩ましいことになった。


私は土曜日出勤の代わりに、月曜日に休みをもらって、週休2日、という医師としてはとてもありがたい待遇で働かせてもらっており、普段の月曜日はお休みなのだが、今度の月曜日は、市医師会から依頼された健診の診察業務が入っていた。病院内の都合であれば、最悪のことがあっても、病院内で調整をつければ済むのだが、市医師会となると、そう簡単にはいかない。土曜日以上に休めない仕事なのである。


金曜日、仕事を終え自宅に帰り、妻に「ごめん、月曜日は医師会の仕事があるから、これもどうしても休めない」と伝えたが、妻からは「どうせ、調整もせずに『無理』って言っているんでしょ」との言葉。いや、確かに調整はしていないけど、「調整」って言ってもどうするの?私がわざわざ休みを返上して出向するくらいだから、院内で調整しても出せる医者はいない。市医師会の事務局に伝えれば調整がつくの?何百人といる医師会の先生、その多くが開業されている先生で、わざわざこの仕事のためにご自身の診療所を休診してお見えになられているのに、さらに別の先生をいきなり休ませるの?というか、医師会に、開院の先生を強制に休ませて健診の業務をさせるほどの権力なんてないですから。でもそんな状況の中で、私が軽々しく「変わってほしい」なんて医師会に伝えたら、その調整のために事務局も、いろいろな先生方にも大変な影響が出てしまうから、そんなことはうかつに言えない。「私がCOVID-19に感染した」とか「濃厚接触者」となってしまった(たぶん濃厚接触者であれば、自院か、PCR検査のできる病院でPCRを行ない、陰性であれば仕事をすることになるかもしれない)というレベルのものでなければ、おいそれと市医師会の事務局に調整をお願いするわけにはいかない。ということをわかっているのだろうか?


妻は私に冷た~い目を向けてきたが、下手に調整をかけると本当にてんやわんやの騒ぎになるだろう。無理なものは無理である。下手に動かない方が人の仕事を増やさないで済む。


もし自分の両親が亡くなった時はどうしよう。その時は職場は休んでも、医師会の仕事が偶然入っていたら、その間は私がすべき葬儀の仕事は弟に代行してもらうだろう。自分の妻子が亡くなったら?さすがにそれは仕事をする気にはなれないし、その理由なら、ほかの先生方も多少理解はしてくださるだろう。


と、そんなわけで、冷たい視線の妻を横に、義叔父に「すみません。告別式はどうしても外せない仕事があるので、私は欠席させてください」とメールを送った。


そんなこんなで今日はお通夜、家族全員を車に乗せて、式場へ向かった。普段義叔父、義祖母のところに行くのは、休みの日の朝早めの時間なので道は混まないのだが、今日は日曜日の午後、普段なら1時間程度で走れる道だが渋滞していて、大阪から出るのに1時間以上かかった。渋滞の時のゴー・ストップの繰り返しに妻は弱く、車酔いをしてひどくしんどそうになった。ある程度渋滞を抜けたところで、コンビニで一時休憩。子供たちにアイスクリームを、そして妻には休憩を取ってもらい、再出発。その後は渋滞することもなく目的地近くまで進めたが、初めての葬儀場だったので勝手がわからず、少し時間を取ってしまった。


葬儀場に着くと、ちょうど湯灌の儀式を終える直前だった。義祖母はピンクの浴衣に包まれ、穏やかな表情で眠っているようだった。義祖母の年齢は数えでは100歳。満年齢でも99歳で昨年白寿のお祝いをしたはずである。先ほど述べたように、私の中の義祖母は、初めて会った時の75歳の印象そのままなので、もうそんなにお年を召されていたことに改めて驚いた。


お棺に蓋をして湯灌の儀式が終了、少しの時間をおいて、お通夜の読経、焼香が始まる。僧侶の読経の間、様々なことが心に思い浮かび、目を閉じて思いを馳せる。私が眠っている、と勘違いした長男が、ツンツンと肘で私をつついてきた(笑)。小声で「寝てないよ、大丈夫」と伝え、また眼を閉じて読経に耳を傾ける。


通夜が終わり、お棺の顔の部分を開け、私にとっては義祖母との最期のお別れの対面となった。「いろいろとお世話になり、ありがとうございました」と語りかけ、合掌。


長男は明日から学年末テスト、次男も授業を休みたくない、とのことで、妻だけ告別式に出席するため葬儀場にご親族と残ってもらい、私と二人の子供たちは帰ってくる予定だった。帰りにどこかで夕食を食べよう、と思っていたが、お通夜後の振舞があり、私たちもしっかり食事をさせてもらい、帰宅することとなった。私の明日の仕事は午前中だけなので、仕事が終わればすぐ式場に戻り、妻と合流するつもりである。


帰りは道が空いており、その道中の速いこと。私も二人の子供も好きなビートルズのCDを車内で流し、3人で歌いながら帰宅。次男は入浴して就寝。長男は勉強中。私はその横でこれを書いている。


おばあさん、これからも、妻を大切にしていきますから、ご心配なさらないでください。本当にありがとうございました。


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