第24話 あぅ

「……え……」「あ、愛一郎っ!?」

 目を見開いて呆然とする本物蒼依。駆け寄ってくる偽蒼依。僕の右手に突き刺さったままの本物ナイフちゃん。お前だけは偽物であってくれよぉ!!

「痛ぇ……っ、痛いよぉ……! 血が出てるよぉ……! 死んじゃうよぉ……!」

「バカ! もっとやり方があったでしょう! そもそも私が薦めた手マン用の貞操帯をつけていればこんなことには……!」

「手マン用の貞操帯って何だ! ちょっと貞作のおっさん! 助けてくれ、僕のお手ってからお血っちが! 止血と救急車!」

 あ、痛い。大声出したらおててに響く。気絶しそう。でも気絶したらそのまま戻ってこられなくなりそう。

「ちょ、この子飛び降りようとしてる! 待ちなさい待ちなさい!」

 朦朧としながら声の方を見やると、窓から身を乗り出す妹を姉が羽交い絞めで押さえつけていた。

「離して、ママ――じゃない、離せクソ姉! 何であんたはそうやってわたしと愛一郎の愛を邪魔するんだ!」

「ていうかここ二階だから! 難しいわよ死ぬのは!」

 いや何かこいつだったら意図的に頭から打ち付けにいって死ねるような気がしてしまう。そのくらい、覚悟が決まっている。いや、覚悟というか、そういうものなのだ、蒼依にとっては。僕を裏切った以上、死ぬのが当たり前だと当たり前に考えている。

「離さないからね、絶対! 私はあなたと愛一郎と、三人で生き続けてやるんだから!」

 激しく抵抗する妹を、必死で取り押さえる姉。本来であればその台詞に感動していたところだったろうけど、こっちも死にそうだからそれどころじゃない。

 それなのに、それどころじゃない自分の手ですら、それどころじゃないと思えてくる。何よりもまず、蒼依を――大切な恋人を、守らなくちゃいけない。

「……待ってるからね」

 僕へのその視線で、今度こそ、彼女が何をするのかが先にわかった。舌を噛みちぎるつもりだ。それで死ねるものなのかはわからない。ちょうど救急車呼んだとこだし。でもやっぱり、こいつなら意地でも死んでしまうと思える。

 それに、どうせ生き残るんなら、今度こそ三人でおいしいご飯を食べたいじゃないか。まぁ僕が箸を扱えるのかはわからないけど。

「好きだ、蒼依」

「――――」

 というわけで、僕は蒼依にキスをした。口を塞いでやった。何か口をモゴモゴし出した気がするので舌を入れてやった。やば、僕の舌ごと噛みちぎられる、と思ったがそんなことはなかった。なされるがままといった感じで僕に舌を預けてくれた。れろれろれろ。

「うわぁ……この絵は犯罪的ね……相手、見た目十二歳の少女よ? 写メっとこうっと……ああ、やっぱりアイフォンにしておくべきだったわね」

 姉蒼依がドン引き顔で携帯を構えていた。高画質で残そうとするな。

 だいたい、別にキスくらい八歳のときにしているのだ。これでこいつの不意を突いて自殺を止められるなら安いものじゃないか。

 問題は、この後も継続してこいつの動きを止める方法だが……

「ファーストちゅー……愛一郎と、きちゅ、ちちゃった……」

「は?」

 唇を離すと、蒼依は目をトロンとさせて、蕩けるような吐息を漏らしていた。ていうか下からも何か漏らしてやがる気がする。抱き合ってるときに僕のズボンにまで染みてきた。

 端的に言うと、蒼依はイっていた。

「何でキスでイっちゃうんだよ。逝かれるよりはマシだけど……ていうか、え? ファーストキス? って……僕と君は十年前のあの夏にキスしているじゃないか。ま、まさか……忘れたっていうのか!? そ、そんな……っ、そんなの裏切りじゃないかッ!!」

「やめて、愛一郎。解決しそうだった話をまたややこしくしないで。というより、まぁ……たぶん、この子は本当に初めてだったと思う。十年前にあなたとキスをしたその蒼依って、私だから。それは本当に私がしたやつだから」

「え。……あっ、そうか、考えてみれば確かに……」

 偽蒼依の言う通りだ。十年前、あの約束をしたのは確かに本物蒼依だったけど、キスをしたのは蒼依を父親から助けた(と僕が思い込んでいた)後だった。目が覚めたら蒼依が看護してくれていて、その雰囲気に任せてキスをしたんだ。つまり、蒼依はもう入れ替わっていた。本物蒼依と僕はキスをしていない。

「きちゅ……しゅごい……っ、こんなに幸せなん、て……っ! わたし裏切ったのに……っ、ダメなのにっ、早く愛一郎と死ななくちゃ……っ」

 ていうか一番チョロいのはこいつだったのか。まぁそりゃそうか、あのひと夏の出逢いだけでこんなにヤンデレ拗らせてるくらいなんだから。

「いやいや死ななくていいって。許すって。だからその、な? 僕も君を裏切ってしまったわけだけど……本当に申し訳なかった。どうか殺さずに許してもらえないかな?」

「それは、ダメ……愛一郎はわたしといっしょに死ななきゃダメなの……早く、死の……? いっしょに、死の?」

 くそぉ、全然チョロくなかった。頭逝ってるこの瞬間に付け込んでやろうと思ったのに、やはりそう甘くはないか……くっ、こうなったら!

「まぁまぁそう焦るなって、蒼依」

「んにゅ……っ!」

 イキ顔のまま死のうとする蒼依の動きをキスで封じ込める。舌を入れてやるとビクビクっとし始める。よし、やっぱり。死のうとし出したらキスで拘束すればいいんだな。

「あ、こら。ダメじゃないか愛朱夏、またお漏らしなんかして。おしおきしちゃうぞ?」

「パパぁ……ごめんなさい……わたし悪い子なの……お漏らししちゃうくらい、ちゅーが幸せなんて知らなかったの……裏切ったのに死にたくなくなっちゃったの……」

「仕方ないなぁ、愛朱夏は。よし、特別に死なないでいいぞ。愛朱夏はずっと生きるんだ。おしおきのちゅーだけで許してやろう」

「……っ! ダメっ! パパとちゅーしたら、もっと愛一郎を裏切っちゃうことになっちゃう! パパと浮気中だけど、ちゅーだけは愛一郎だけのものなのっ」

 めんどくせぇ。何なんだその律義さは。まぁ元々そういう設定にしたのは僕らの方か……。

「はぁ……。これで今度こそ一件落着ね。でも、愛一郎……」

 心配そうな面持ちの姉蒼依。その気持ちもわかる。大変なのはこれからだ。

 元々は、僕と蒼依という夫婦と娘の愛朱夏という疑似家族設定を作ることで、パパとの浮気を認めた愛朱夏と生きていけるのではないかという算段だった。偽蒼依とも付き合い続けることができて姉妹丼、間違えた、二股、じゃない、一石二鳥だ。ただし、これをしばらくは、最悪一生、続けなければいけないというリスクもあるのだが。

 そしてそこまでしても尚、蒼依の自殺願望を完全に止めるのは難しそうなのだ。こいつが死のうとする度に、僕はキスによってそれを食い止めなければならない。しかもその際にはパパとは別人格である、本物蒼依の恋人・本物愛一郎に戻らなくてはならないわけで。

 複雑すぎてもはや意味がわからない。僕は偽蒼依・本物蒼依の両方と付き合いながら、偽蒼依の夫と愛朱夏のパパ役と本物蒼依の恋人の愛一郎役を使い分けなければならないのだ。

 ていうかもしかして、愛朱夏がパパと浮気してるとかいう揚げ足取りなんかせずに初めからキスさえしておけば、もう少し単純な話になったんじゃないのか……? くそぉ、偽依にせいがこんな作戦思いつくから……これじゃ僕の右手は貫通され損じゃないか。

 ……ん? 右、手……?

「ね、ねぇ愛一郎、本当に大丈夫なの、その手? そろそろ死んだりしない? あ、救急車来たわね」

「あぅ」

 赤く染まった串刺しお手てを再確認した瞬間、僕の意識は完全に途切れたのだった。

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