第21話 野菜も切れる次世代アイフォン

 ――ちょっと! ちょっと愛一郎! いい加減しっかりしなさいよ!

 蒼依……?

 あれからどれ程の時間が過ぎたのだろうか。いつの間にかブラックアウトしていた僕の耳に、悲痛な呼び声が届く。

 この声の主は、どっちの蒼依なのだろうか? 本当は朱依だった蒼依? 愛朱夏のフリをしていた蒼依? それとも、あの夏の日の、僕の価値観を根本から覆し、僕の生き方を決定的に変えてしまった、八歳の蒼依? ……そんなわけないか、タイムマシンなんて、この世にはないんだから。

 でも。どの蒼依だったとしても。みんなどこかが歪んでいても。それぞれの真っ直ぐさで。どこまでも僕だけを愛してくれていて。そんな世界一清楚で一途な女の子の呼びかけを、気絶中だからなんて理由で無視できる男がいるだろうか?

 だから僕は、重い瞼を無理矢理こじ開け――

「あ、起きたわね」

 ド金髪クソデカフェイスペイント女がド至近距離で僕の顔を覗き込んでいた。

「うわああああああ誰だお前はああああああああ」

「蒼依よ! あなたの彼女でしょ! まぁ本当の名前は朱依なんだけれど……」

 そうだった。僕の彼女ぜんぜん清楚じゃないんだった。

 セルフブリーチ後でもツヤサラなその髪に、窓からの朱い日差しが反射して光る。あとクソデカピアスにも反射して光る。眩しっ。寝起きなんだぞ、こっちは。君はどんだけ体に金属くっつけるつもりなんだ。

 それはともかく、要するに。僕は蒼依のアパートのリビングで床に寝かされていた。時刻はまだまだ午前中。あれから数分程度しか経っていなかったようだ。

「ところで、蒼依。そのおっさんが何故ここに転がってるんだ」

「仕方ないじゃない。あの子から逃げるためにはパパの車に乗せてもらうしかなかったんだから。そもそもパパの方があなたよりよっぽど重傷なんだからね?」

 僕の傍らにはマッドサイエンティストサイボーグこと鈴木貞作が呻きながら自らの刺し傷を消毒していた。グロっ。

 実際、少しでもズレていれば死んでもおかしくなかったような怪我だ。相当苦しいのだろう、貞作はグチャグチャに顔を歪めて、

「本当に、お前が朱依なんだな……?」

「……そうよ。あなたの妻とその不倫相手から生まれて、どこにも届け出られずにあなたに引き取られ、八年間大事に大事に育てられた箱入り娘、鈴木朱依よ」

 皮肉たっぷりの返答に、貞作はますます絶望を深めたように項垂れ、

「これがあの女の娘なのかあああああああ!!?? ぜんっぜん紫依しよりじゃないじゃないかああああああああッ!! 何だその金髪!? 何だその格好!? 何なんだその顔の落書き!? ヤベェ男に染まりやがってえええええええええ」

「僕が染めたわけじゃない! 勝手に染まりやがったんだ!」

「まんこかゆい」

紫依しよりはまんこを痒がったりしないんだよおおおおおおおおおおお!!」

 内ももを掻きむしる娘を前に、太ももに拳を叩きつけて嘆く父。おいやめとけ、死ぬぞマジで。

「まぁでも、結果的にパパの希望通りじゃない?」

 鼠径部をポリポリしながら蒼依が続ける。

「ママとやり直すため過去に戻ろうとしていたわけじゃなかったのね。あなたの真の目的は、娘をママの姿に近づけないことだった。なら、これでいいじゃない。あの子を……あんな風にする必要なんてなかった」

 目を伏せ、下唇を噛みながら。あとあそこ掻きながら。シリアスな感じ出すときくらい我慢しろ。

「……あの女に似せないだけでは意味などなかろう。紫依しよりがまだ悪魔になる前、美しき天使だった頃のまま、永遠に俺の手元に置いておくはずだったのだ」

 天使……? 何言ってんだこのおっさん。もしや傷口から脳にまで細菌が……

「俺と出逢う前! 十八歳で処女を捨てる前の紫依を! 俺は取り戻したかった! あの女の裏切りは、俺と出逢う前から始まっていたのだ! 俺と出逢うのであれば、それまで処女を守り続けていなければならなかった!」

「…………っ!」「なに意味不明なこと言ってんのよ、この父親ぁ……」

「一度裏切る人間は何度でも裏切る……俺が不倫されたのも、元をたどれば紫依が非処女だったからだ……十八歳以降の紫依は悪魔だった。清楚ぶったあいつの顔を思い出すだけで吐き気を催すんだ……でも、あいつから何度も見せられた、かつてのアルバム……幼少期から高三の夏を迎えるまでの紫依の姿は本物の天使だった……俺はあの輝きを一生自分だけのものにしなければならなかったのだよ……」

 ゴミを見るような目で娘に見下ろされながら、哀れな中年男性は語り続ける。

 妻の不倫によって「目覚めた」鈴木貞作は、自らの理想を叶えるために、双子の娘のうち一人の出生を届け出ず、八歳まで姉の朱依を、八歳から十八歳まで妹の蒼依を監禁。自らのキャリアを投げ打って開発した成長抑制剤を十年間蒼依に投与し続けたという。(結果は中途半端に終わり、激しい副作用を伴いながら、成長を完全に止めることもできなかったわけだが。)

 朱依と蒼依の入れ替わりの段階で、偽装工作の協力者(蒼依の小学校の理事長夫人)と密談しているのを、小学生の万葉令和に目撃され、隠蔽ついでに彼を手駒として引き入れる。子どもの洗脳には自信があったようだ。自らの研究を、癌細胞のみにピンポイントで増殖抑制・細胞死を促す画期的な発明だと偽り、万葉を心酔させ操っていた。

 彼を派遣し僕に盗聴器を仕掛けようとしたのは、逃げた蒼依(愛朱夏)の様子を、倒れたままで探らなければならなかったからとのことである。日頃から彼女が苦しむ度に僕の名前を呻いていたことから、逃亡先の最有力候補として僕のもとが挙がったという。

 娘から仕込まれて飲み込んだ薬が成人男性としては低量だったことから数十時間で歩けるようになった彼は、村を訪れ愛朱夏を確保。既に秘密を知られてしまったであろう僕の口を封じるため、愛朱夏を使って僕を神社におびき寄せ――そこで彼女に刺された。逆に娘に利用されてしまったわけである。あいつは、父親襲来という予想よりも早く来てしまったタイムリミットに間に合わせるため、僕を呼び出し、死に至らしめようとしたのだ。

 ただし、僕と共に朱依が現れたことは父親にとっても妹にとっても予想外・計画外だった。

 つまりは、貞作にとって、初めから朱依は目的でも何でもなかったというわけだ。鈴木貞作は、朱依の現在の姿も居場所も知らなかったし、正常通り成長してしまう娘に興味などなかったのだ。

「……改めてゴミクズね、私の父親は……」

 父親の身の上話に、蒼依は心底呆れた様子を見せる……が、僕には理解できてしまった。彼の動機が、その思想が。いや、むしろ、中途半端だとすら思える。娘二人への虐待は到底許されないが、そもそもの話、それ以前の問題だ。

 あいつの言う通り、初めから、裏切りが判明した時点で、全てを終わらせてしまえばよかったのだ。

 愛朱夏――もう一人の、いや本物の蒼依が――誰よりも正しい。世界でただ一人、僕だけがその価値観を共有することができる。

 だからこそ、僕は――。

「でも、私も人のことなんて言えない。私だってパパの共犯者、蒼依を地獄に叩き落とした張本人だもの……。――でもっ! 蒼依……生きてた……っ、蒼依……っ!」

 妹の名を呼び、涙を堪えるように体を震わせる姉。自分には嬉し泣きする資格もないと考えているのだろう。

 しかし、当の本人にとっては、姉のそんな感情など取るに足らないものでしかなく。自分を虐待した父親を見下しこそすれ、本気の恨みを向けることもなく。全ての憎しみを喜怒哀楽を愛を恋を嫉妬を殺意を、ぶつけるべき相手はたった一人であって。

 そうだ。そうだった。こんなことをしている場合じゃなかった。世界で唯一彼女の思想を正しく理解し、世界で一つだけの誓いを彼女と結んだ僕は。世界でただ一人、裏切りを裏切りだと彼女に認めてもらえた僕は。その裏切りのけじめを、今すぐつけなくてはならないのだ。

「蒼依。楽しかったぞ、十年間――ありがとな」

「…………っ!? だ、ダメよ、愛一郎っ!」

 僕は彼女に制止されるより先にキッチンへ飛び込み、目についた包丁を取って刃先を喉に向け、

 向け。向け。向けて。

 …………よし。

 握り込んだ刃物で急所を貫くために、自らの喉に向け――、向けて……………………

「……………………」

「あ、愛一郎……?」

「……………………」

「刺さないのね? よかった、間に合わないかと思ったけれどめちゃくちゃ間に合った……刃先と喉の距離が腕の長さと同じくらいあるわ。こういう時って普通両手で握らない? もはや自撮りの距離よね、それ。なに? 刀身に自分を写しているの? それが次に流行るアイフォン? 電話も出来て野菜も切れるなんてすごく便利ね」

 ――いやこれ…………普通に無理じゃね?

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