第20話 寝取られるぐらいなら死んでほしい
「愛朱夏が、蒼依……? ど、どういう、ことだ……?」
目の前の光景を全く理解できない。愛朱夏が蒼依で、蒼依がしゅ、朱依? 双子? 何なんだよ、一体。
混乱することしかできない僕を見つめて、朱依と呼ばれた僕の恋人――蒼依が弱々しく語りかけてくる。
「ごめんね、愛一郎……私、ずっと嘘をついていたの……私は蒼依じゃない……本物の蒼依はこの子で、私は双子の姉の朱依……あの夏の日に入れ替わっていて、だから本当はあなたと結婚の約束もしていなくて……」
「――そ、そんな……蒼依……え、じゃ、じゃあ、もしかして君があの大切な誓いを覚えていなかったのも……」
「そう、みたいね……私は蒼依からもそんな話は聞いていなくて……この子にとって、あなたとの一番大切な約束だから、二人の胸だけに仕舞って、大事にしたかったのかもしれないわね……うふふ、でも良かった、私が忘れていたんじゃなくて」
「…………っ、蒼依……え? ていうことは、愛朱夏は……? そいつが本物の蒼依だっていうなら、愛朱夏はどこに消えたんだ……!?」
「……だから愛朱夏なんていないわ。初めから存在していないの」
「いやでもタイムマシンで」
「タイムマシンなんてないの。愛朱夏はいない。この子は本物の蒼依」
「本物の蒼依なら十八歳じゃなきゃおかしいだろ! 何でそんなガキんちょなんだ!」
「パパに何か薬漬け的なことされて成長遅らせられてるの! たぶん! さっきからどんだけ勘が悪いのよ、あなたは!」
「そんなの勘でわかるか! ていうか胸ぶっ刺されてるくせに何でそんな普通に喋りまくってるんだ、君は!?」
蒼依はナイフが突き刺さった胸から血を垂れ流しながら、流ちょうにツッコミまくってきていた。何なんだ、こいつ。不死身か。僕はこんな女をどうやって殺そうとしてたんだ。
ん?
ていうか、え?
じゃあ、つまり。タイムマシンは無くて。未来から来た娘もいなくて。よって、愛朱夏から聞かされた未来の話も全部嘘で。つまりは、要するに……
「浮気する蒼依なんて、どこにもいなかったってことなのか……?」
蒼依は、ていうか朱依は、まぁ蒼依でいいや。蒼依は、僕を裏切ってなんかいなかった……?
「そうだよ、愛一郎。朱依が未来で浮気するなんていうのは、全部わたしの作り話」
愛朱夏が、抑揚もなくそう言って、フラフラと立ち上がる――蒼依の胸から、ズルリとナイフを抜き取って。
「うっ――!」
「蒼依っ!」
「いや、うっ、じゃないから、このバカ姉。刺さってないから、胸になんて。別にどっちでもいいけど、何か硬いのに当たって刺さらなかったし。この血はパパの太ももから出たやつ」
「「は?」」
淡々と説明する愛朱夏と、状況をよくわかっていない僕と蒼依。いや僕はともかくお前はわかってろよ、刺された側だろ。
「あっ。そっか私、おっぱい用の貞操帯も着けていたんだった。ま○この方が痒すぎて忘れていたわ」
「おっぱい用の貞操帯って何だ!? だから妙に重かったんだな、お前!」
「だって愛一郎以外になんて絶対触られたくないじゃない。あ、鍵は渡しておいた一本でパイまん兼用だから安心してね? ま○こかゆい」
「何を安心すればいいのかわからないし、そんな用語はない。あとお前のま○こはもう少し空気を読め」
ちなみに太ももから大出血しているはずのパッパは脚を高く上げ、自ら完ぺきな止血を施していた。さすがサイボーグ学者。
「まぁ、バカ姉は放っといて、はい。そういうわけだから愛一郎。どうぞ」
「…………っ!?」
知らぬ間に、愛朱夏がすぐ目の前まで迫っていた。僕との距離20センチ。身長差30センチ。真っ正面から、光のない双眸で僕を見据え、ナイフの柄を差し出してくる。
「え、えと。どういう、こと……?」
「は? いや、だから。わたしが蒼依だから。あのバカ姉は蒼依じゃないから。だから、はい。早く。てかもう遅すぎるくらいだから」
淡々と、何事でもないかのように言ってくる愛朱夏。え、それって、つまり……
「僕に、蒼依を殺れっていうのか……!? 君が、自分を裏切った姉に復讐するために……!」
そうか、そういうことだったのか、初めから!
蒼依も既に全て悟っているのか、立ち上がって愛朱夏に訴える。
「待って、蒼依! 私に復讐したいのなら、それでいい! でも愛一郎を巻き込まないで! あなたが自分で私を刺せばいいのよ!」
愛朱夏の――本当の蒼依の目的は、初めからこれだったのだ。
自分を裏切った姉への復讐、つまり、姉を殺すこと。
そのために、未来人を装ってまで蒼依の不貞を僕に吹き込んだ。僕を使って蒼依を正史通り浮気させ心中に追い込み――って、あれ? それおかしくね? 正史も何も、本当は蒼依が浮気して心中する未来なんて存在しないんだから、僕に浮気を吹き込んだところで……まぁ、それはそれで、蒼依を貶めるっていう意味で復讐にはなるだろうけど……え、でも結局いまこうやって直接刺殺させるの? え?
「ホントに何言ってるの、あんたたち……。何でわたしが、バカ姉なんかに復讐なんて面倒くさいことしなくちゃいけないわけ?」
え? え?
「だ、だって! 私は大切な妹を裏切って、あなたのことを地獄に叩き落して……この十年間、ずっと私を恨み続けてきたのでしょう……? だったら――」
「勘違いしないで。あんたのことなんて、考えたことすらない」
「え……」
妹に伸ばした手を、弱々しく下ろしていく姉。同じ顔をした二人は、正反対の表情をしていて。
すなわち、困惑と悲しみで顔を歪める姉と、
「どうでもいいのよ、あんたのことなんて。産まれたときから、十八年間ずっと。好きでも嫌いでもない。愛したことも恨んだこともない。しいて言うなら……邪魔。うっとうしい。それだけ。ずっと」
「――――」
ただただ、何の感慨もなく言い捨てる妹。
「勝手に死んどけば? 勝手に罪悪感とか感じてるなら。妹のフリでもしなければ、どうせ誰にも愛されない人間なんだから。一人で勝手に死ねばいい。まぁ、双子として出来損ないの姉に最後に一つだけ教育してあげるとすれば、脇役ごときが破滅願望とか持つなってこと。悲劇のヒロインになんてなれるわけないじゃん、あんたはお姫様じゃないんだから」
視線すら向けられずに投げられた「教育」に、姉は言葉を失い、立ち尽くすことしかできず。
「愛一郎もさ、酷いよ、いくら何でも。どうして、そんな勘違いができるの? わたしが、大好きなあなたに、そんな無意味に手を汚させたりするわけないじゃんっ」
恋する乙女のように頬を染め、ただただ真っすぐと僕だけを見つめ、そいつは、いじけるように頬を膨らます。
そんなどこまでも可愛らしい仕草が、僕の全身に鳥肌を立たせて。
「じゃ、じゃあ何で、蒼依が未来で浮気しただなんて、そんな嘘を……」
「…………? そんなの決まってるじゃん。わたしに浮気されたと思ったら、愛一郎、すぐに自殺してくれるでしょ?」
「は……?」
しれっと。頬に指を当て。小首を傾げて。一般常識で諭すみたいに。空の蒼さを語るみたいに。
「浮気なんてされたらショックで死ぬしかないもんね。生きてる意味なくなるもん。その場でわたしをブチ殺した後、すぐに自殺してくれるはずでしょ。まぁ、わたしっていうか、実際は愛一郎がわたしだと思い込んでる別人ではあったけど。でももちろん、あなたが息絶える間際にちゃんと真実を伝えて、あなたが死ぬのを見届けてから即行でわたしも死ぬつもりだったよ? 当たり前だよね、もうわたし生きてる意味なくなっちゃったもん」
「ちょ、ちょ、ちょ……待ってくれ! え? 待ってくれマジで待ってくれ! 君は、僕を殺そうしていたっていうのか!? 未来人を装ったのも娘のフリをしたのも、嘘で蒼依を貶めたのも、全部僕を殺すためだったってことなのか!?」
「殺すって……そりゃ殺しはするけどさ、何か言い方酷くない? そんなトーンで言われたら、まるでこっちが悪いみたいじゃんっ」
「悪いだろ! 僕のこと殺そうとしてんだか――」
「先にわたしを殺したのはお前だろッ!!!」
「ら……ぇ――――」
「……あははっ、ごめんごめん、大声出しちゃったっ。でもさー、だってさー、愛一郎、なんか気が緩んでるのかなーって。もしかして倦怠期ってやつ? ダメだよ、そんなのー。言い訳にならないよーっ。約束は交わした瞬間から永遠に、絶対守られ続けなきゃいけないんだからっ」
「や、約束……?」
「『どんな理由があっても、どんな形であっても、わたしたちは絶対浮気禁止』! 十年前、この場所で、約束したもんね? ねぇ、愛一郎。何で、何で裏切ったの? 何でその女と、わたし以外の女と、付き合ってるの? ねぇ、ねぇ、ねぇねぇねぇ、ねぇ何で? 何で、何で浮気しているの?」
酷く充血した目で、口だけを笑わせて、鼻先同士がくっつく程に、そいつは僕に詰め寄って。
「……し、知らなかった……っ、知らなかったんだ、蒼依が蒼依じゃないなんて、」
「あなたはッ!!」
「――――っ」
「あなたはッ! 殺人をッ! テロをッ! 戦争をッ! 虐殺をッ! 知らなかったなんて言い訳で! 許すつもりなのッ!?」
「ぁ――」
それは、どこかで聞いたことのある言い回し。
「絶対は絶対。どんな理由もいかなる事情も考慮に値しない。知らなかったなんて言い訳は通用しない。夢だとしても許されない。妄想? 夢想? もってのほか。未来のことだからって関係ないし、パラレルワールドだからなんていう条件に情状酌量の余地はない。償いは不可能。死んで償うんじゃない。命よりも大切な約束が破られた時点で、生きていく意味なんて失われるの。ただただ死ぬしかないの。浮気した方も、浮気された方も。それが、愛が愛であるために、唯一残された救いなの」
「……ぁっ、…………ぁっ」
口が乾いて、喉が絞られて、まともに声が出てこない。
「浮気されたから、浮気相手の子供の成長を止めて母に似ないようにさせる? 気持ちはわかるけど、もっと良い方法なかった? 浮気したから、父の言いなりになって、娘を片方差し出して存在を忘れ去る? バカなの? どんだけ無意味で虚しいことしてんの? そんなことせずにさ、さっさと殺して死ねばよかったじゃんね、二人とも。ジャジャンっ♪ ここで問題です、愛一郎くんっ。何でわたしのパパとママは死ななかったのでしょう? 死なせなかったのでしょう? ちっちっちっちっちっち……ブッブーっ、時間切れ~っ! 正解は、本物の愛じゃなかったからでした~っ。愛し合っていたら普通に死ぬはずだもんね。はいっ、愛一郎っ! あなたは絶対、間違えないでね。間違えたりしちゃったら、未来の『愛朱夏ちゃん』が不幸になっちゃうだけなんだよ?」
凄絶な表情から一転、蒼依は、柔らかく微笑みながら、僕の手に優しくナイフを握り込ませてくる。
「……こ、これで、ぼ、僕が、僕、を……?」
「遅すぎるけどね。あなたは、未来の娘からわたしの未来での浮気を伝えられた時点で、即、死ななければならなかった。……ショックだったんだからね。愛一郎が、あんなに不誠実だったなんて……。その場で『蒼依』を殺して自殺するどころか、あなたは一旦、現実から目を逸らして逃げようとしたもんね? 蒼依と別れて『勝手に浮気でもしてろ、もう僕には関係ない』って、何それ? そんなの許されるわけないじゃん。だから『ママに復讐』なんて適当な口実こじつけてまで、『浮気されてる』って事実から目を逸らさせないようにしたんだよ? あなたがちゃんと自分の意思で、浮気に耐えられなくなって正しく死んでくれるまで、蒼依の浮気とは向き合ってもらわなきゃいけないからね。でもさ、ホントはそんなことが必要になること自体おかしいんだよ。わたしに浮気されたと知った時点で舌を噛み切って臓物を抉り出して首を吊って身体に火をつけて自殺しないなんて不誠実にも程があるじゃん」
「――――」
「うふふ♪ なんて、別に苦しめたいわけじゃないからね。でもこれで、愛一郎もわたしの絶望を身をもって体感できたでしょ? わたしたちの約束の尊さが、その意義が、本当の意味で理解できたよね? それを思い出してもらいたかっただけ。復讐なんかじゃないの。だから、はい。自分でこめかみでも首筋でも心臓でもご自由にブスーッってどうぞっ。すぐにわたしも行くからねっ。だって裏切られても大ちゅきなんだもんっ」
「……僕、が、このっ、ナイフ、で……?」
視界が、狭まっていく。
「だからそうだってっ。何で早く死なないの? あっ。それとも、もしかして……死ぬ前に、ちゅーしときたかったってこと? もーっ、愛一郎のえっち……でも、わたしも……。てかさ、この際、えっちまでしちゃっとく? わたし、こんな体だけど十八歳だしさ、」
「ちょっ、ちょちょちょちょっと待ちなさい、蒼依! あんたさっきから怖い顔で何を言っているの!? ていうか愛一郎を私に復讐させようとしてたって何よ!?」
「離せ、このバカ姉!! 脇役なんかにわたしたちの世界一尊い約束が理解できるわけないの!」
どこか遠いところから聞こえてくる、蒼依と蒼依が言い争っているような声。そんなこと、起こるわけがないのに。今、自分はどこにいる? どこに立っている?
――出来ないわよ、そんなの! やっぱりあなたはただ、復讐をしようとしているだけ!
――ふざけるなッ!! わたしたちの約束を、そんな言葉で矮小化するなッ!! あんたになんて、あんたらになんて、わかるわけがない! この腐った世界で、わたしと愛一郎だけがわかることなのっ! 二人だけがわかればそれでいいの!
――あなた、ほんとに何を言って……
――ねぇ、わかるよね、わかってくれるよね、愛一郎なら!
「…………っ」
遠のいていく意識が、胸元に感じる体温で、引き戻される。
いや、逆か? 戻ったんじゃなく……あのまま僕は、死んでしまったのか? 刺した? 刺された? それとも、気を失ってしまっただけ? これは、夢?
だって、今、僕の胸で泣いているこの蒼依は――
「絶対、あなたならわかって死んでくれる! 愛一郎だってそうだよね!? こんなのっ、だってっ、だって……っ!」
十八歳の、僕と十年間を共に歩いた蒼依でもなく。十二歳の、僕を十年間待ち続けた蒼依でもなく。
十年前のあの夏の日。僕と永遠の約束を交わした八歳の女の子が。全身を引きちぎられるような痛みに耐えながら――叫んでいた。
「寝取られるぐらいなら死んでほしい……っ!」
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