第18話 蒼依

「おい、おいおいおいマジかよ……」

 その状況に、僕は我が目を疑ってしまった。こんなのアリかよ……。

 しかし、間違いなく僕以上に大きな衝撃を受けているのは、

「……パパ……」

 目の前の状況を見て、蒼依は呆然と立ち尽くす。

 神社の境内に駆け付けた僕と蒼依の前にあったのは、太ももにナイフが刺さったまま倒れる中年男性と、それを真顔で見下ろして佇む愛朱夏の姿だった。

 僕たちの存在に気づいたらしき愛朱夏がこちらを振り向き、悲しげな表情を作る。

「助けに来てくれたんですね、パパ……。ママまで……」

「あ、愛朱夏……? そいつは……鈴木貞作だよな? お前が、やったのか……?」

「はい……やはりおじいちゃんも未来から来ていたようでして、わたしを拉致しようと……ただ、年齢的なこともあって時間酔いしていたのか体も弱っていて、わたしの力でも抵抗することができました。動脈は避けましたから、心配はいりません」

「そ、そっか……」

 時間酔いって何だよ、というのは置いておくとして。こうなってくると愛朱夏の留守電がまるまる嘘ではなかったということになってしまう。蒼依の反応を見ても、いま眼前で苦しんでいる男が鈴木貞作であるのは間違いないのだろうし。僕から見ても、十年前にこの場所で会った男と目の前の男が同一人物だと充分思える。ただ、あれからちょうど十年分くらい歳をとった、四十代の痩せ男にしか見えないのだけど。

 もし愛朱夏の言うことが全て真実であるのなら、この鈴木貞作はさらに十四年分、歳をとっていなければならない。十四年後から来たというのだから当然だ。

 と、するとやっぱり、愛朱夏の発言には嘘も含まれていると考えるのが妥当で……

「でも実は、パパ。わたしもおじいちゃんから乱暴に扱われて、体中痛くて……骨が折れたりしているかもしれません……おぶって、もらえませんか……?」

 弱々しく言いながら、愛朱夏は膝を折る。視線でさり気なく、僕にメッセージを送りながら。

 ――早く、その女から逃げてください。

 そう、言っている。

 愛朱夏の考えでは、蒼依が貞作と組んで僕を殺そうとしているのだから、その意図もわかる。確かに、僕は逃げるべきだ。

「あ、ああ。愛朱夏、いっしょに逃げよう」

「ま、待って、愛一郎っ、ダメ」

 我に返ったように蒼依が僕の手を掴んでくる。

 蒼依の考えでは、愛朱夏が何かを企んで僕を誘い込んだのだから、迂闊に近づかない方がいいというのも当然の意見だ。なら、僕は愛朱夏を助けに行くべきじゃない。

 あれ? じゃあどうすればいいんだ?

 愛朱夏を信用する? 蒼依を信じる?

 でもやっぱりこの状況なら、さすがに蒼依を取るべきじゃないか? だって愛朱夏には不審な点が多すぎる。一方で、未来で裏切ると言ったって、今の蒼依が僕を殺すだなんてとても思えない。

 何といっても、この場所は僕と蒼依が大切な約束をした思い出の地だ。蒼依は忘れてしまったというけれど……でも、大切なこの場所で僕を裏切るだなんて、そんな風には思えない。思いたくない。

 僕は、蒼依を信じる。

「お願い、信じて、愛一郎……――約束でしょ? わたしも永遠に信じるから……助けて」

 切実な声音に、僕の足が自然と動き出す。全ての思考を掻き消すように、が、僕を突き動かした。

「愛一郎……!? 待って! ダメよ!」

 背中から聞こえる制止の声も、今は気に留めるつもりにすらなれない。

 僕は、へたれこむ愛朱夏のもとへと駆け寄り、

「田中のところの長男だな……! やはりお前か……っ、またもや邪魔を……!」

 貞作が呻きながらも、僕の足を掴んでくる。恨みがましく睨みつけてるそのくたびれた中年男性に僕も言い返す。

「邪魔なのはあんただろ。何が目的なのか知らんが愛朱夏は僕の娘だ。返してもらうぞ」

「あ、あしゅ……? 田中、お前、何を言って――」

「ありがとうございます、パパ! また守りに来てくれて! わたし、嬉しいですっ!」

 貞作の言葉を遮るように愛朱夏が抱き着いてくる。と、同時に貞作がまた激しい呻き声を上げた。ぎゅうっとしがみ付いてくる娘の体で見えないが、愛朱夏が彼の体を踏んづけているのかもしれない。

「ああ。なぜか僕もお前の言葉は疑い切れなくてな。これが血の繋がりってやつなのか……。ちゃんと話を聞いてやるから、これからこのおっさんも交えて真実を――」

「逃げてっ!!」

 ――――は?

 脇腹に走る衝撃。足がもつれる。そのままの勢いで、尻餅をついてしまう。

 突き飛ばされたのだ。「逃げて」という声の主に。つまり、蒼依に。

 え? いや逃げてって……もしかして貞作が何か隠し持って……? 死角から僕を狙っていやがったってのか!?

「てめぇ、このおっさん! いいかげん観念し……」

 地面を這って詰め寄ろうとした僕の目に、飛び込んできたのは。

 呆気に取られたように口を半開きにする鈴木貞作と、その目線の先――仰向けの蒼依に馬乗りになり、彼女の胸にナイフを突き立てる、愛朱夏の姿だった。

「……は……?」

 蒼依の胸からは、赤い液体が、明らかに本物の血液が、流れていて。

「なっ……ま、まさか、あの女、あの金髪が……朱依、なのか……?」

 傍らでは、おっさんが何やら唸っている。首位? 何の順位の話だよ、こんなときに。

 おっさんを無視して立ち上がり、足を踏み出す。何が起きているのか理解はできないが、とにかく蒼依を助けないと……!

「――――」

 本当に、こんなときに。

 どこまでも訳のわからない親子三世代だ、こいつらは。

 蒼依は、ナイフを握る愛朱夏を見上げ――慈愛に満ちた微笑みを浮かべていた。

「うふふ……これで、満足でしょう? あなたの復讐はこれで終わり。愛一郎は、何も知らなかったんだから」

「……邪魔、するな……」

 そんな狂気に満ちた笑顔の上で、十二歳の小さな女の子は声を震わせて。胸を刺された同じ顔の十八歳が、その髪を優しく撫でて。

「まんまと騙されたわ。私も知らなかったの、あなたが生きていたなんて。それに、『愛朱夏』、だなんて。私が愛一郎の子どもを授かったら、絶対そう名付けるもの……本当に何でもお見通し。さすが双子ね……久しぶり、蒼依」

「っ…………――――邪魔…………邪魔っ、すんなっ……この……――――邪魔すんなって言ってんだろっ出来損ないの分際でぇぇえぇぇぇっっっ!!」

 八歳の蒼依と僕の思い出の地に、十八歳の蒼依に「蒼依」と呼ばれた十二歳の少女の絶叫が、どこまでも虚しく響き渡った。

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