第6話 未来への復讐

「やっぱりこっちに逃げていましたか。ちなみにママはパパのお家の方を探しに行っています」

 そう言って愛朱夏は、自販機横にある色あせた木製ベンチに腰を下ろす。


「……アクエリアスでいい?」

 数分たって今さら号泣顔を見られたことが恥ずかしくなり、僕は誤魔化すように彼女から離れ、自販機に小銭を突っ込んだ。

「あ、いちごミルクってありますか?」

「うん……」

 ピンクと白のスチール缶を二つ購入して、片方を愛朱夏に渡す。そういえば蒼依も出逢った頃にこれをおいしいって言ってたっけ。二人は味覚まで似ているのかもしれない。

 隣に座り、僕もいちごミルクを呷る。久しぶりに飲んだが、かなり甘ったるく感じる。僕の味覚は遺伝してないのか、それともやっぱり僕の娘ではないのか……。

「この自販機、この時代にもあるんですね……わたしがいた時代と全く変わらないですよ、この村は」

 まぁ、だから一人でここまで僕を探しに来られたわけだしな。

「でも一つだけ違ったのは――わたしが知らなかったのは、あのアパートのことで……ママは今、あそこで一人暮らしなんですね……」

「まぁ、うん」

 東京生まれの蒼依とは、十年前のあの日以来、離れて愛を育んできた。と言っても、月に一回以上はこの村に遊びに来てくれた彼女と会ってはいたんだけど。

 今のように毎日一緒にいられるようになったのは、高校生になってから。蒼依が僕と同じ高校に入学して、あのアパートに引っ越してきてくれたのだ。それ以来、半同棲のような生活を送っていた。

「僕と一緒にいるためだけに、そこまでしてくれた蒼依が何で……っ」

 小学生の女の子の隣で、またもや僕は嗚咽を漏らしてしまう。情けない。少なくともこの子は僕のことを実の父親だと思っているのに。

 そんな僕の頭を、愛朱夏は小さな手のひらでポンポンと撫で、

「ママが、悪い女だからですよ」

「――え」

 反射的に見上げると、僕の娘を名乗るその少女は、突き刺してくるようなとても冷たい目をしていた。

「愛朱夏……?」

「わたしにとっては本当に素敵な母親だったんですけどね……ママもわたしを自慢の娘として可愛がってくれていましたし」

 そう言って、瞳に憂いの色を浮かべる。その人間味のある表情の変化に、何故だか僕は場違いな程にホッとしてしまった。

「でもパパたちに伝えたさっきの未来のお話は、実はだいぶマイルドにしたものでして……とにかく信じてもらうことが先決でしたから」

「え……」

 あれで、マイルド? あの聞いただけで人の命を奪うような呪いの話が……?

「あの浮気は『気の迷い』というレベルのものではありませんでした。ママは長年パパに隠れて、浮気相手の男とエッチなことをたくさんし続けていたらしくて…………その男の子供を妊娠したことが浮気がバレるきっかけでもありましたし」

「そ、そんな……っ!」

 なんて凶悪な話なんだ。再び意識が遠のいていく。血液が上手く回ってこない。このまままた倒れてしまいそうだ。

「逆に言えばわたしは、ちゃんとパパの子供の可能性が高いと思うんです。十四年後の未来のように、パパはそこには敏感なんじゃないでしょうか。何より、わたしは自分が間違いなくパパの実の娘だと感覚的にわかるんです。何の証拠もないですけれど……どうしても気になるのならDNA鑑定してもらっても構いませんが」

「うぅ……っ、やめてくれ、もう考えたくないんだ……これ以上そうやって具体的な情報を突き付けてこないでくれ……」

「でも……わたしは困ります。パパとママが子供を作ってくれないと、わたしが誕生しなくなってしまいます」

「それは……」

 この子からしたら当然そうだろう。その訴えを無視することは難しい。

 でも……!

「逃げないでください、パパ。現実から目を背けないでください」

「…………っ、ダメなんだ、これ以上蒼依のことを考えていたら僕は……!」

「でもそれが現実なんです。それに、どれだけパパがママを忘れようとしたって、そんなの不可能に決まってるじゃないですか」

 そうなのだろうか。やっぱり忘れることなんてできないのだろうか。一生恨んで呪って、それに伴って強まっていく執着心――そんな行く末は確かに想像できる。

 逃げることなんて不可能で、あいつは永遠に僕の心を蝕んでいくのだろうか。

「お願いです、パパ! パパとママが結ばれて子供を作ってくれなければ、わたしはどうなってしまうのかわかりません! たぶん、消えてしまうでしょう……わたしはパパの娘として生まれて、パパといっしょにいたいんです!」

 悲痛な面持ちで胸にしがみついてくる愛朱夏。こんな風に本気で僕を思って、危険を冒してまで逢いに来てくれた娘を見捨てることなんてできるのか?

「クソ……っ! どうすればいいんだよ……!」

 この苦しみに一生耐え続けるなんて、死よりもおぞましい拷問だ。でも、それに耐えてあの女と結ばれなければこの子は生まれなくなってしまう。

 浮気女との子どもなんて見殺しにすればいい? そうだ、冷静に考えればそうなんだ。

 それなのに、この子のことを見ていると、そんな選択肢は端から用意されていないかのように錯覚してしまう。とても他人とは思えないのだ。僕にとって絶対に切り捨ててはならない特別な存在なんだと本能が訴えてくる。

 これが血の繋がり、親子というものなのかもしれない。

 だからこそ、蒼依を許せない僕と対照的に、この子は家族を裏切った実の母親を本気で助けたいと思えるのだろう。

「ママに復讐することならできます……」

「――は?」

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