第5話 死んでも守ると決めた女が浮気相手と心中するらしい
君は浮気をそんなに軽いことだと考えていたんだな……! 信じられないよ、僕は!
でも、これではっきりした。はっきりしてしまった。
「君が浮気をするという未来は間違いないんだ……! 君はそういう女だった……この子の言うことを僕は百パーセント事実として信じる……!」
「い、いや、だからね、愛一郎」
「ママ、それと、パパも。聞いてください。実はまだ話し終わっていないことがあって……確かにママの言う通りなんです。ママが浮気をするというだけの理由で、わたしはタイムスリップしてきたわけじゃありません」
「だから何だよ! その他の些細なことなんてどうでもいい! 寝取られ以上に重大なことなんてこの世にはないんだよ!」
「ママは、死んじゃうんです。浮気が原因で……」
「え? 私が、死ぬ……? な、何で!?」
「何でかは、大人たちがわたしにちゃんと教えてくれなくて……でもたぶん、浮気相手の人といっしょに……ってことだと思います……」
「し、心中ってこと!? 私が浮気相手と!?」
「しんじゅう? って言い方はわからないですけど……とにかくママは死んでしまったんです……だからわたしはタイムスリップしてでも浮気を防がなくてはいけなくて……」
「そんな……っ」
愕然とする蒼依。そんな幼なじみの美少女は僕を見上げ、
「で、でも! 私は浮気なんてしない! だって冷静に考えて、私は世界一、愛一郎のことを愛していて、他に好きな人なんていないもの! だから大丈夫よ! 私もあなたも愛朱夏も! 誰も不幸になんかならないわ!」
「してるだろ! 浮気! 未来から来た娘がそう断言してんだから!」
「それはたぶん、已むに已まれぬ事情があって……って、知らないわよ、未来のことだもん! 何でやってもいない未来の浮気の言い訳をしなきゃいけないのよ!? 今の私は当然浮気なんてしたことないし、好きな人はこの世に一人しかいない! 十年間ずっとあなたに一途よ! 自分が浮気をするだなんて思えない! その上で未来人からこんな話を聞いて、浮気なんて選択、すると思う!?」
「何を……言ってるんだ、君はさっきからずっと……!」
「は? え、私何か間違ったこと言ってる……?」
本当にダメだ、こいつは……。僕が十年間信じてきた愛はなんだったんだ……。
「浮気する可能性というものが一毛でも存在してる時点で浮気だろ! 未来で浮気するなら君はもう浮気してるんだよ! 既に寝取られなんだよ!!」
「は……はぁ? 何を言って……だからその未来を変えようって話してるんじゃない、さっきからずっと! 浮気しない未来を作れば、浮気していないでしょう! 誰も寝取られていないでしょう!」
「寝取られるパラレルワールドが一つでも存在しうる時点で僕は生まれたときから寝取られてるんだ! 寝取られエンドのルートがたった一つでも用意されてる時点でそれはもう寝取られ鬱ゲーなんだよ! 規制されろ!」
「変な哲学やめて! 一から百まで意味が分からな過ぎる!」
「だから君は既に二股女だってことだよ! この先一度も浮気しなかったとしても、生まれたときから浮気してるんだ!」
「理不尽!」
何でわからないんだ……! 君が、あの君が、何で……!
蒼依は肩で息をして呼吸を整えた後、
「大体、そんなことを言ったら、あなただって同じじゃない。というか、あなたの理論なら、世界中の人が一人の例外もなく生まれた時から浮気していることになるわ。誰だって、未来のことを――生涯浮気しないことを――証明なんて出来ないんだから」
「…………っ!」
「何度でも言うけれど、私だって浮気なんて一切するつもりないわよ。したいとも思わないわよ。したくないわよ。この時代に未来の浮気相手がいるなんて言われても全く心当たりがないわ。でも、未来のことに対して『絶対』なんてないの。そんな実在もしないファンタジーな二文字に勝手に縋って安心するのも安心させるのも、極めて不誠実だわ。実際に私は未来人によって、絶対が絶対でないことを明かされてしまった……九十九パーセント浮気なんてしないはずなのに、一パーセントの反例を挙げられてしまったのよ……それは未来の私が悪いけれど……でも逆に言えば、愛朱夏がそれを伝えに来てくれたおかげで、その一パーセントも極限まで小さく潰せるじゃない! 今度こそ私は――九十九・九九九パーセント以上――浮気なんてしないわ!」
「――……君が、言ったんじゃないか……っ」
「は……?」
「どんな事情があってもどんな形であってもお互い浮気は絶対許しちゃいけないって、君が僕に言ったんだろ! 十年前、結婚の約束をしたときに!」
「え……」
「僕はその約束をずっと守ってきたんだ! 君だって、あの尊い約束を胸に僕と愛し合ってきたんじゃないのか! なのに何で少しでも浮気が許容される余地があるような言い方を――」
「…………」
「……は……?」
目の前の美少女は冷や汗をかいて、目を泳がせまくっていた。気まずそうに苦笑いを浮かべていた。
「蒼依、君、まさか……」
「ごめんなさい……覚えていないわ、そんな約束……」
「――――」
「だって、仕方ないじゃない……そんな幼い頃のことを細かくは……もちろん結婚の約束をしたことははっきりと覚えているわ! むしろそっちの印象が強過ぎて、おまけのようなことまでは……。その後、お父さんに連れ去られそうになったり愛一郎に助けてもらったりで、混乱していたというのもあるし……。そもそも浮気をしないなんていうのは本来モラルとして当たり前なわけで、そんな殊更強調するようなことでも……」
何で……何でこいつは……!
僕はあの約束こそが僕らの絆の証だとさえ思っていたのに……! 何があっても一途であることが愛の絶対条件だと、あんなに必死な瞳で僕に教えてくれたのは君じゃないか!
モラルなんかじゃない。恋人だから浮気しないんじゃない。永遠に浮気なんてしないと確信できる相手だから恋人になれるんだ!
それなのに、それなのに……!
君は僕とは違ったんだ。僕と愛を誓い合った蒼依じゃない。別の生き物だ。共に生きていける人間じゃない……!
「とにかく今はそんなことよりも未来を変えるためにどうするかが重要でしょう! 浮気なんてする気が全くないのは何度も言っているけれど、それでも今から一か月の間に何か私達の思いもよらない出来事が起こったというのが、愛朱夏がいた未来なのは確かで……だから、でき得る限りの対策はしましょう! 浮気なんてしてしまう可能性を限りなくゼロに近づけるために!」
目の前の女は、必死の形相で僕に縋りついてきた。歪んでいてもどこまでも綺麗なその相貌が、僕に鳥肌を立たせる。
本当に、理解不能な存在だ。
「何で僕がそんなことをしなきゃいけないんだ……」
「は?」
理解不能なものを前にしたような目で見上げてくる、美女のような化け物。その意思疎通の困難さに背筋が寒くなる。
これ以上、まともに話してなんかいられない。
「未来が変わろうが関係ないって言ってるだろ。そんなことは僕にはもう、いや初めから、意味がなかったんだ」
「何言って……未来が変わらなかったら私が死んでしまうのよ!?」
「知らないよ、そんなの。もう君とは終わりだ」
「なっ――」
「別に君にとってもそれで問題ないだろ。僕との関係が終われば――厳密には僕の中では何も終わってないんだけど――とにかく僕と別れて結婚もしない時点で未来は変わってるんだ。君が他の誰と付き合おうと問題にはならないだろ。心中なんて選択になるわけがなくなる。死なないで済むじゃないか」
「そういう問題じゃないでしょう! 私はずっとあなたのことが好きなの! 別れたくなんてない! それに……それじゃあ、愛朱夏はどうするのよ!? 私達を救うために未来から来てくれた娘を、生まれなかったことにするつもりなの!?」
「――――っ」
蒼依の悲痛な叫びで、その存在を思い出す。
僕の娘を名乗るその未来人は、僕と蒼依の間でおろおろとしていた。
「あ、あの、パパ、ママ、ごめんなさい、わたしのせいで……でも二人には仲良しでいてほしいです……パパ、どうかわたしのお話を――」
「うるさいっ! このDQNネームがッ!」
「「ええー……」」
ドン引きする二人に背を向け、僕は勢いのままにまくし立てる。
「そんな意味不明な名前なんて僕は自分の娘につけない! どうせお前の父親は僕じゃないんだ!」
「パパ……」
「パパって呼ぶな、売女の娘!」
僕はそう叫んでアパートを飛び出した。
実際にあの子が僕の実の娘なのか、浮気相手の子なのかはわからない。でも、本能的なものなのか、強い繋がりを感じてしまうのも事実で。やっぱり、僕が蒼依と別れるという選択をすることでこの世に誕生しなくなってしまう可能性が高いのだろう。
そう知ってしまうと、どうすればいいのかわからない。
もう、頭がグチャグチャだ。
蒼依が浮気していた。それだけでもう失神しそうだっていうのに、このままじゃ蒼依が死んでしまうとか、それを避けるために蒼依と別れれば愛朱夏が生まれなくなるとか、そんなことまで考えなくちゃいけないなんて無理な話だ。
クソっ! 何で僕を裏切るビッチとその娘のことなんかで僕がこんなに……っ。
「蒼依……っ、何で、何であの約束を……っ!」
僕たちの絆そのものである誓いを未来で破って、あまつさえ忘れていたなんて……!
十年前、約束を交わしたときのあの蕩けるような熱い瞳と、ついさっきの気まずそうに僕から逸らされる冷えた瞳。その落差を思い浮かべた途端、僕の体からフッと力が抜ける。
「うっ……」
気づいたときには、膝から崩れ落ちていた。血の気が引いていく感覚。今の今まで怒りという感情で何とか誤魔化してきたが、本当はそんなものよりも僕を支配していたのは絶望だ。
寝取られていたんだ、最愛の人を。蒼依は僕だけのものなんかじゃなかった。
「蒼依……っ、うぅ……蒼依……っ」
ダメだ。これ以上、この現実を直視しちゃいけない。蒼依の隣にいたら僕は壊れる。彼女が死んでしまうかどうかの前に、僕がもう――
「泣いてる場合じゃないでしょ……?」
「――――」
そっと背中を撫でられて、とっさに振り替える。
申し訳程度に舗装された田舎道。傍らに佇む自動販売機だけが僕たちを照らしていた。
涙で顔を濡らす僕を見つめて、穏やかに目を細める愛朱夏の微笑みは、どん底に沈む僕なんかよりも、何故だかずっと寂しそうに見えた。
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