第7話 生き抜いてでもブチ殺してぇ女
思考を中断させられる。
この世の終わりのように顔を歪める愛朱夏。語勢は弱々しいのに、そこに込められた悲壮な決意のようなものに圧倒させられてしまう。
復讐……? 蒼依に……?
「パラレルワールドでの浮気も許せないというパパの考えはわかりました。なら、そんなママを愛し続けるのが苦痛だというもの仕方ないと思います。だから、考え方を変えましょう。愛したりなんかしなくていいです。パパは復讐のためにママと付き合い続けるんです。愛していようがいまいが、パパとママが交われば、わたしは生まれることができるわけですから」
「そ、それが何の復讐になるんだよ……」
「未来を変えようとするママに協力するふりをして、未来を変えさせないように裏工作するんです。元の未来通り浮気をさせて、元の未来通り死なせてやるんです」
「――――」
この子は、何を言っている? いや、本当はもう、わかっている。その意図を。今の僕にとって、彼女の提案は、理に適ってしまっているから。
「復讐を目的に、糧に、生きがいにすれば、ママといっしょにいることができるはずです。そうやってわたしを生ませてください」
愛朱夏を誕生させることができて、かつ、蒼依といっしょにいても壊れないで済む方法。浮気される未来があっても耐えられる目的があればいい。浮気されること自体が手段となる目的を作ってしまうのだ。浮気されるんじゃない、僕が浮気させている――そう思い込めば、惨めさを誤魔化して精神を保つことができるかもしれない。
浮気されることを理由に復讐するのに、その手段として浮気させるなんて時系列も因果関係も何もかもめちゃくちゃだ――普通の人はそう思うのかもしれない。でも僕とあの頃の蒼依にとっては何も矛盾していないのだ。未来で浮気する可能性がある時点で既に浮気している。既に裏切られた。だから恨む。恨みを晴らす。未来での浮気を実現させることでそれが叶うなら、手段として用いる。合理的だ。
「もちろんわたしはママに死んでほしくなんてありません。でも、この世から消えてパパの娘じゃなくなってしまうのはもっと嫌です。だから……」
あの女を、僕こそが死に追いやれば――
「――――い、いや……っ! 不可能だろ、そんなの!」
ギリギリのところで我に返る。いろいろと無茶なことが多すぎる。
まず、強い目的があったとしても、蒼依の隣に居続けるのが地獄の苦しみであることには変わりない。程度の差でしかない。精神を保ち続けるなんて、どちらにしろ困難だ。
それに、
「だいたい、もはや蒼依を死に追いやるなんて相当難しいだろ。あいつも言ってたけど、浮気すれば死ぬ可能性が高いと知ってまで、その未来を変えずにまた浮気するなんてあり得ないよ」
まぁ浮気しなかったとしても既に浮気女なんだけどな、あいつは……!
「いえ。これはママにもさっき話しておいたんですが、未来はそう簡単には変えられないんです。わたしにも詳しいことはわかりませんが、おじいちゃんが言うには、ちょっとやそっと過去の行動を変えたところで、重大な結果――特に人間の死に関しては同じ形に収束してしまうそうなんです。ママの意識を変えるぐらいでは、未来は何も変わりません。どんなに強い意志を持っていたとしても、結局ママは浮気するでしょう」
「…………っ! あの女……!」
「個人の力で誰かの死を回避するためには意識レベルの変化では弱すぎます。もっと根本的に原因を排除してしまうくらいじゃないと……例えば、浮気相手の男自体を何とかしてしまえば、もしかしたら……。どうですか、パパ。逆に言えば、パパにはまだその選択肢も残っているんです。浮気相手を探し当てて、消して、ママに浮気をさせないという――」
「意味がない。何度も言ってるだろ。そんな男がこの世に一瞬でも存在してしまった時点でもう蒼依はそいつと浮気しているんだ。会っていようがいまいが関係ない。今さら消したところで僕と蒼依の関係はもう何も変わらない。裏切りは帳消しにならない。未来はやり直せない。不可逆なんだ」
「それならやっぱり、方法は一つしかありません。復讐してください」
「…………」
「未来から来たのにこんなお願いをすることになるなんて思いもしませんでしたが……未来を変えないでください。どうか未来を変えずにママと付き合って、ママの浮気を見届けて、ママを、殺してください」
涙を流しながらも決然と言い切る愛朱夏。その瞳には確かな覚悟が込められていて。
母親を救うために未来から来たというのに、そのせいで自分の存在が消える可能性が生まれ、そんな危機を回避するために結局母親を切り捨てる――苦渋と呼ぶのも生易しい決断をこの十二歳の女の子は下したのだ。
この子からすれば、こんなことになったのも全ては僕のせいだ。それでもその選択は、僕と共に生きていくためのものだった。蒼依と僕を比べて、僕を選んだのだ。
そんな、娘の決断を、父親である僕は――
「でも、そうですよね、パパにそんなこと、辛すぎますよね……パパが耐えられないというなら、私ももう諦めます。パパも、わたしと一緒にこの世から――」
「いや、わかった。愛朱夏の頼みなら仕方ない。……大切な娘を、守らないわけにはいかないからな」
「…………っ! パパ……!」
「でもこれは復讐なんかじゃない。そんなもの僕は望んでいない。いいかい、愛朱夏。復讐なんて無意味で虚しいものなんだ。あれは麻薬だ。復讐に魅せられた途端、人は人じゃなくなる。カタルシスなんて一瞬だけ。人間性を失って、嵌まれば嵌まるほど辛くなって、それなのに決してやめられない。二度と戻ってはこられない。タイムスリップなんかよりもよっぽど危険なものなんだ。そんなものに人生を惑わされてはいけないよ。蒼依が死んでしまうのは、復讐のせいなんかじゃない。ただただ、それが定められた運命だからだ。僕は正しい道を歩いて、お前を守っているだけなんだよ」
――父親である僕は、愛朱夏を復讐の口実にすることにした。あのクソビッチをブチ殺すための大義名分として利用することにした。
これで、浮気女を葬り自分の精神を安定させるための僕の行動は、完全に正当化された。こうするしかなかった。決して自分のためなんかじゃない。罪悪感に苛まれる必要なんて一ミリもない。
「パパ、ありがとうございます……ママのことは悲しいですけど、大好きなパパと生きていくためですもんね……」
「うんうん、そうだよ。だから愛朱夏は後悔したり自分を責めたりしないでいいんだからな? これは愛朱夏を守るためにパパが決めた道なんだ。愛朱夏は父親の大きな背中に背負われながら、たまにママをブチこ――諦めるための有益な情報を提供してくれるだけでいいからね」
「パパ……! 頼もしい……! わたし、頑張りますっ!」
優しく頭をポンポンしてやると、愛する娘はクシャッと目を細める。
よし、最善だ。
完ぺきではない。でも、絶望の淵で生き延びるための準備は整った。
這い上がれたりなんかしない。あいつが浮気女だった時点で、絶望に適応するほかに僕が生き残る道はない。
しかし僕は、その術を見つけ出した。喪失感に浸りながら寿命が尽きるまで心臓を動かし続ける権利を勝ち取ったのだ。
「よしよし、いい子だ、愛朱夏。これからもパパの言うことだけをよーく聞くんだぞ? まずは、そうだな。あの女にこれ以上似ないように肌は焼くなよ。あと髪を絶対切るな。いや、でもその黒髪ロングも、出逢った頃のあいつに似ていやがるな。出来るだけあの清楚ビッチから離さなければ……よし、金髪ツインテールにするぞ。明日以降、黒髪で僕の前に現れたら骨格が変わるまで顔をぶん殴り続けるからな。悪魔の面影を薄めてやる。パパが愛朱夏を守るんだ」
「わかりました、パパ! あ、でも一つだけ……」
「ん? 何か口答えかな? 娘が? パパに?」
「いえ、わたしがではなくて。これは、別の時代のパパに教えられたことなので、パパからパパへの伝言――口答えということになるんでしょうか……」
「さっさと言いなさい。パパは利口ぶるガキが世界で二番目に嫌いなんだ。次、回りくどい言い回しを使ったらグーでぶん守るからね」
「ごめんなさいですっ。でも顔以外なら、ぶん守っていいですよ♪ パパにぶん守られるの愛されてるって実感ができて幸せなので♪ よくぶん守られていたので♪」
「オラ、わかったならさっさと言え。ぶっ守るぞ」
僕が優しく拳を振り上げると、愛する娘は嬉し涙を指で拭いながら、
「はい♪ では、パパが言ってたんですけど――おしおきは、無意味で虚しい程よく効くんですよ、パパ♪」
あの女と同じ、どこまでも澄んだ声を弾ませた。
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