第14話「wake up」
夏の姿はまだ遠く、夜は冷え込んだ。
右手を中心に熱が広がっている。それは、今の方がより熱かった。
「あそこだよ。私が借りてる部屋」
来栖湊が指を差す。四階建てのアパートだ。壁の塗装が黄色く、やけに目立った。
多々良家からここまで徒歩で二〇分。優は宣言通りに彼女を守るため、家まで送り届けている。
道中の会話は少なかった。警戒していたからか。気恥ずかしかったからか。
関係性を実感したくて、優はとりあえず口を開く。
「叔父さんは、いなかったな」
「今度来たら守ってくれるんだよね?」
「ああ。出来るかは分からないけど、頑張る」
自信はなかった。それでも決意はあった。
二人が並ぶと、少しだけ優の方が背は高い。僅かな上目遣いで、来栖湊は微笑んだ。
「優くんなら出来るよ。優くんは特別だから」
「特別、か……」
とっさに否定したくなったが、その衝動は呑み込んだ。
彼女は自分を信じてくれる。認めてくれる。そういう面が好きで、自分も彼女に好きでいて欲しい。
でもそれだけじゃなくて、ちゃんと自分は知って欲しくて。
だから、中途半端に明かす。
「俺の力ってさ、人に貰ったものなんだ。いやまあ直接貰ったわけじゃないけど。その人の姿を見て、覚醒したというか。そんな感じ」
暗に自分自身が特別だったのではないと伝えたかった。でも期待はされていたくて、それ以上明確には告げられなかった。
案の定、隣の少女が気づいた様子はない。
「それって誰?」
「誰かは、知らない。中学の時に、目が合っただけの子なんだ。中学校の校門で、ずっと俺の方を見ている気がして、それで、俺は力に目覚めた」
来栖湊を見る。歩く動作に合わせて、夜に吸い込まれそうな黒髪が揺れている。
ふとその時、あの女の子の髪ととてもよく似ている気がした。と言っても、黒髪と言う印象だけなら、多くの人と共通する。
それでも強く感じたのは、今まさに重ねようとしたからだろう。
「今なら、湊から力を貰えそうだ」
その結論は強がりだった。本当に言いたかったのはそうじゃない。
それでも関係を続けたくて、威勢を張ってしまう。格好つけてしまう。
「俺は、いつまでも湊の味方でいるよ」
ぎゅっと手を強く握った。繋がりを意識する。張りぼてを身にまとっていても、それだけは忘れないように刻み付ける。
「嬉しいな」
いつも通りのにこやかな笑みで、彼女は言った。
そうやって話しながらも歩みは進んでいて、気付けばアパートの玄関口まで着いていた。借りている部屋は一階らしい。
手が離れる。
途端に寂しくなった。ずっと浸っていた温もりが当たり前に思い始めていて、こうも簡単に去っていくのかと感傷が触れる。
優は、繋がれていなかった左手を挙げた。
「じゃあ、またな」
「うん、また」
手を振ると、来栖湊は早々に部屋へと戻っていく、五つある内の一番奥だった。
バタン、と扉が閉まるのが聞こえて、優も踵を返す。
そうして一人になって、先ほどまで別の体温に包まれていた右手を見下ろした。
「力か……」
手の平にも。両眼にも。胸の奥や頭の中にも。
信じている自分が、見つからない。
わだかまる自尊心はいつの間にか発散されていて、別の感情が居座っている。
満たされてしまった。だから、これ以上何かを求める気になれない。
強い自分を。縋った夢想を。
なんとなくもう、どうでも良くなっていた。
明確な区切りが、自分の人生においてようやく付けられる。
……でもせめて、彼女を守れる力は身に付けないと。
それは今までとは違う。もっと現実的なもの。
筋肉とか。金銭とか。目に見えるもの。
将来を見つめ直して、優は自宅までの道を進んでいく。住宅の明かりはどこもついていて、横切れば子供の騒ぐ声が聞こえた。
そろそろ見知った屋根が見えてくると思ったところで、唐突にポケットの中から電子音が流れ始めた。
「電話……?」
単一な音楽。一度は荘厳なものだったが、初期設定に改めたもの。
ポケットから取り出すスマートフォン。その番号を知っているのは、家族と強引に聞いてきた樋泉ぐらい。家族には一言言ってから家を出ているから、樋泉の方だろうか。
そう思ったが、画面を見れば非通知だった。
間違い電話かとそう考えるのが妥当だ。
でもなぜか、妙な胸騒ぎがする。
その正体を確かめたくて、優はスマートフォンを耳に当てた。
『起きて』
応答直後に語り掛けられる。声はやけにくぐもっていて、男女の判別もつかない。
「誰、だ?」
『目を覚まして』
その内容はまるでモーニングコールのようだった。今は夜だが、行う者もいるだろう。親しい仲なら、一方的になってしまうのも理解出来た。
しかし。
そうではないと、根拠のない直感が訴えている。
ついさっき捨てたはずの夢想が、また芽吹きそうになる。
「お、おい。聞いてるのかっ? 誰だって言って、」
『あなたには力があるから』
背後に、気配を感じた。
頬を汗が伝う。鼓動が早まる。真っ暗な闇が、あらゆる事象を想像させる。
恐る恐る振り返った。
これまで歩いてきた道。街灯がポツポツと点在する道路。
その中で、パッパッ、と一つだけ点滅する街灯があった。
照らすのは、一人の少女。
「!?」
背丈は優とそう変わらないように思う。少し離れているから正確には分からない。
何より優の目を奪ったのは、その恰好だった。
真っ黒な髪で顔を隠して。セーラー服を身にまとって。
じっとこちらを見て、覗く口元が弓なりになる。
あの時のように。
呼び起こされた過去。中学校二年の記憶。
間違いない。あの時の少女だ。
優は確信して、しかしなぜ今現れたのか分からずに立ち止まる。
途切れていた声が、また耳元に届いた。
『ねえ、もう一度』
「お、お前は誰な——」
その瞬間だった。
『——————‼』
形容しがたい、耳をつんざく音。
あまりに不快なそれに、優は思わずスマートフォンを耳から離した。それから戸惑ったように画面を見る。
——プーップーッ。
通話は終わっていた。結局誰かも分からず。
「なあ、お前の仕業、か……」
優の問いかけは途中で消えた。手元から上向けた視線は、宙を空振りする。
視線の先。そこには誰もいない。
街灯が、点滅している。
光と闇。
移ろうように。裏返るように。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます