第15話「call」

「おいジャンケンしようぜ」「良いよ。あっち向いてホイもね」


 授業と授業の間。教材の準備やトイレを済ませた生徒達から気ままな時間を過ごし始めている。

 そんな中で優は、久しぶりに一人きりだった。


「……休み、か」


 教室の戸をしばらく眺めているが、思い浮かべる人物はやってこない。

 来栖湊は欠席だった。朝礼時、お節介な担任からそう教えられたのだ。

 昨日の件でもしかしたら風邪をひいたのかもしれない。女子は冷え性だって言うし。

 とは言え、真実は分からなかった。

 来栖湊は携帯電話の類を持っていないのだ。契約が面倒くさいのと今まで必要性を感じなかったからと言う理由らしい。

 そのため、体調を尋ねる事も出来ず、不安がモヤモヤと胸の中に積もってくる。


 ……放課後にでも家を訪ねてみるか。


 窓の外。優は昨日彼女を送った道を、見えないながらに見つめた。

 突然行って迷惑がられないだろうか。まあ、彼女に限ってそんなことはなさそうだけれど。それに自分達はもう恋人なわけで。いやでも……

 堂々巡りの思考を繰り返す。いつもならそんな様子を見てあの自称友人がからかうのだろうが、彼の席も今日は空いている。

 結局、優は一人で延々と頭を悩ませるのだった。




 放課後。


「……別に普通の事だ。そうだ、何も変じゃない」


 ブツブツと自分に言い聞かせる優は、目の前の扉を見つめた。

 黄色い外壁が目立つ集合住宅。一階。道路から見て一番奥。部屋番号は一〇五。

 そこは、来栖湊が借りているという部屋だ。表札はなかったが、昨日、彼女が入っていったのを確認したから間違いはないはず。

 何度も記憶と照らし合わせ深呼吸をし、それからようやく優は扉横にあるインターホンを押した。

 薄っすら呼び出し音が部屋の中から聞こえてくる。けれどそれ以外の音はしない。


 ………………。


 一分。心の中で数えてみたが、扉は開かない。

 念のためにもう一度押してみたが、結果は同じだった。


「病院にでも行ってるのか? あ、親戚の家という可能性も……」


 風邪で休んだのだとしたらあり得る。祖父は存命らしいから、看病をしてもらっているのかもしれない。一人暮らしの身で病気になれば不便は多いだろう。

 と、納得しかけたところで、不意に一人の男の顔がよぎった。


 やせぎす。欠けた小指。異常な執着心を宿らせた瞳。


 ストーカーの叔父。

 あの男が何かをしたのではと言う仮説が急浮上する。


 ……誘拐、とかないよな? そうじゃなくても追われているとか?


 嫌な想像はどんどん膨らむ。けれどそれを確かめる術はない。

 連絡手段はなく、親戚の家を知るわけもないし、病院に行って探したとしても相当な運がなければ巡り会えないだろう。

 他に、心当たりもない。


「俺、なんにも知らないな……」


 改めて、彼女についてあまりにも無知だと痛感する。


 ……これじゃあ恋人失格なんじゃないか。


 その称号は、既に優を支える柱になりかけていた。失えば、まともに立てなくなってしまうかもしれない。

 けれどどうしようもなかった。諦めて、楽観的な真実を願うしかない。


 ……明日、登校してくるのを待とう。


 そんな結論しか出せず、優は帰宅の道を進んでいく。

 そうして、ほとんど無心で歩いていた時だった。

 ポケットにしまっていたスマホが着信音を鳴らせる。布越しの震動が太ももに伝わり、優はすぐに取り出した。

 嫌でも思い出すのは昨晩の事。セーラー服の少女。シチュエーションも少し似ている。

 だが、画面に表示された名前は、今日欠席したはずの樋泉だった。

 非通知を期待していたわけではないが、肩透かしを食らった気分になる。

 ただまあ、ちょうど今は話し相手が欲しかった。不安を忘れたかった。

 優は歩きながら電話に応える。


「……もしもし、なんか用事か?」

『おー。特に用はないんだけどさー』


 呑気な風に樋泉はそう言った。

 ならばなぜかけてきた、と眉をしかめるものの、こいつなら暇と言う理由だけで番号を押しそうだなと考え、そのまま会話を繋げる。


「お前、休んでたのに元気そうだな」

『おお、元気だぜ! ビンビンだぜ! 見るか?』

「見るかっ」


 隙あらば下ネタを挟むところは相変わらずだ。お約束のツッコミに樋泉の声も嬉しそうにしている。


『はっはー。オレがいなくて寂しかったかー?』

「なわけないだろ」

『おいおい冷たいじゃんよー』


 優の反応に文句を言いつつも、ケラケラと笑う。そして声色はそのままに、樋泉は唐突に問いかけた。


『それはそうとお前、童貞卒業した?』


 優は思わずスマホの画面に目を見開いていた。


「なななな何でそれを!? いやっ、別にしたわけじゃないがっ!」

『めちゃくちゃ今、墓穴掘ったよなー?』


 あからさまな同様に、樋泉はまさに爆笑と言った感じで声を上げた。う、と優は己の言動を後悔しつつも、これ以上掘り下げられないようにと口を閉じる。


『散々思い悩んでたみたいだけど、ちゃんと決めたんだな』

「別に、決めたってわけじゃない……」


 そう言えば、背中を押すようなことを言われたなと思い出しつつ、褒め言葉に似たものを受けて優はより情けなくなった。

 自らが何かを成した達成感はまるでない。あの行為も誘われるがままだった。自分の意思があったかすらも疑わしい。

 と、昨日の一部始終が頭の中に浮かんで、途端に羞恥が襲う。こんな路上で何を考えているんだと少しズレたツッコミが自分に刺さる。

 誤魔化すために意識を逸らそうとすれば、ふと、電話の向こうから声以外の音が聞こえているのに気が付いた。

 一定のリズムを刻んでいるような、そんな音。


「なんか聞こえるけど、なんかしてるのか?」

『あー、まあそんなとこだ——ブフッ!』


 尋ねると、突然樋泉は堪え切れないというように噴き出した。


「どうした?」

『い、いやっ、こっちの話っ。気にすんなっ』


 声を震わせながら、何でもないと主張する。優は頭を捻りながらも、それほど詮索する事ではないかと、放っておいた。


『それじゃあ、そろそろ切るな。楽しかったぜっ』

「ん、ああ」


 通話が終わる直前、また樋泉が噴き出す声が聞こえた。

 ……隣にいる友人か誰かに笑わせられた、とかだろうか。

 推測を立て特に気にする事でもないな、と割り切る。

 そうして顔を上げた時、優の頭の中では昨晩の事がフラッシュバックした。

 丁度、昨日電話がかかって来た場所に立っていたのだ。

 偶然だろうが、ほとんど同じ位置だ。もちろん振り返っても少女はいない。ただ、日のある内は沈黙する街灯が佇んでいるだけ。

 その街灯の上には、まるでこちらを見下ろすように一羽のカラスが止まっている。


「力がある、か……」


 優はしまいかけていたスマホの画面をもう一度見た。真っ黒だ。しばらく待っても変わりはしない。

 それからスマホはポケットにしまって、ふと右手で銃を作ってみた。

 そして、街灯で休むカラスへと向ける。

 片目を閉じ、ゆっくりと照準合わせて。


「……ショット」


 銃口が跳ね上がる。カラスが飛び立った。

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