第13話「connect」
「優くんのお部屋だー」
来栖湊は辺りを見渡して関心を示す。
四畳。入口の対面に出窓があり、左側の壁に沿うようベッドが占有している。右側には押し入れとその戸を半分遮って趣味の偏った本棚。その隣には台に乗った小型のテレビ。中央には背の低いテーブルが置かれ、足下にはカーペットが敷かれていた。
押し入れの中には衣服が散乱し、テーブルの上には飲みかけのペットボトルとゲーム機のコントローラーが適当に置かれたまま。
招く準備が出来ていなかった事を後悔しつつも、今更取り繕うのも恥ずかしくて優は堂々としたそぶりを装った。
改めて思えば、この部屋に家族以外の者が踏み入ったのは小学校ぶりだ。
優が玄関を開いたのは無論特訓のためではなく、危険を回避するため。あの男がうろついている間は匿っていた方が良いだろうと判断したのだ。
リビングでも良かったが、帰って来た家族と鉢合わせになるのは気まずいので、プライベートルームへと案内した。
来栖湊は、物珍しそうに本棚や押し入れの中を覗いている。彼女に合わせて、優も動かざるを得ない。
……一体、いつまでこのままなのか。
見つめる先。右手。と重なる自分ではない左手。
離すタイミングを完全に見失い、体温はすっかり同じになっていた。それでも明確に感じる他人の柔らかさが、気恥ずかしさを纏わせる。
そこに心地良さがあるのも否定は出来なかったが。
「ねえ、今日の特訓も、いつもと同じ?」
急に振り向かれドキリとするも、そのおかげで我に返る。
……今日は、特訓じゃない。
気づけば躊躇も薄れていて、優は首を横に振った。
「……その前に、話をしたいんだ」
「話?」
とりあえず立ったままでは落ち着かないとベッドへ座らせる。急いで布団だけ端に追いやって。マットレスの上。手を繋いでいるから優も隣に座った。
来栖湊の顔を見る。想像以上に近く、視線はすぐにさまよってしまった。
「ちゃんと、知っておきたいと思ったんだ。えっとその、お前、のこと」
どう名前を呼んでいたのかとっさに思い出せなくて、歯切れ悪く代名詞に頼る。
「私の事?」
短く頷き、先ほどの襲撃者の顔を思い浮かべた。
「さっきみたいな事も事前に知っていれば、俺が守れたかもしれない」
「守ってくれるんだ?」
無意識に出た言葉を取り上げられ、優はうっと詰まった。
格好つけたかと恥ずかしくなり、返答を避ける形で話を進める。
「ま、まずはさ、なんで叔父さんなんかに付きまとわれてるんだ?」
自分への質問に切り替わって、来栖湊は「うーん」と宙を眺めながら考え始める。
「何でだろうね? えっと、叔父さんがロリコンだから?」
ズレた回答は、まるで危機感を覚えているようには聞こえない。
実際、彼女は出会いがしらに蹴り倒していたのだから、自己防衛の術は持っているのだろう。それでも、と優は、自分が何かすべきだという責任感に駆られていた。
「きっかけみたいなものは、なかったのか?」
「きっかけかー。一緒に暮らしてたことはあったよ。あ、その時にがばって来られたんだよねー。まあ何とかして逃げたんだけど」
ニコニコと、まるで自慢するようだ。
……がばって来られた。
つまりは襲われたという事だろう。しかもそれは家庭内で起きたというのだ。
想像力のない優は、思った疑問をそのまま尋ねていた。
「お、親は助けてくれなかったのか?」
来栖湊は相変わらず、あっけらかんと答える。
「いなくなったから、叔父さんの家に住んでたんだよ」
一瞬、優の思考は止まって、それから慌てて巡らせる。
……いなくなった? それはどういう風に? 何が原因で?
詳細を知りたくなって、でもすんでのところで口を閉じた。これ以上はいけないと、不足した常識が主張していた。
人との関わりが少ない優には、自分以外の家庭と言うものに極端に疎い。どこまでがセーフラインなのかも分からない。故に千差万別を想像出来なかった。
「い、今はどうしてるんだ?」
当たり障りのない問いしか選べない。地雷を踏まないように大きく大きく迂回する。
例え、目の前の少女が気にした風でなくとも。
「一人暮らしだよ。叔父さんの件でおじいちゃんがお金を出してくれたんだ」
その答えに優はなぜか安心していた。予想内だったからかもしれない。ちゃんと自分の目でも見えたから、少女も現実として捉えられる。
「そう、だったんだな」
そこで、優は質問を止める。自分から切り出したのにも関わらず、心が抵抗を訴えていた。
きっとこれは自己保身だ。
自分がどれだけ恵まれているのか。それを思い知りたくなかったのだ。
知ってしまえば、自分の弱さが目に付くから。
優が黙っていると、来栖湊はその俯いた顔を覗き込んだ。
「なんで、急に守ってくれるなんて言ったの?」
瞳に浮かぶのは純粋な疑念。必要ないのに、とかそう言った嫌味のようなものは感じない。
それを探ろうとしている時点で、自分の心はどれだけ醜いか。
「……俺には力があるから」
結局はそうやって嘯くしかなかった。
拳を握ろうとして、けれど繋げられている事に気づき脱力する。
「きみが力を使うとこ、見てみたいな」
……俺だって見てみたいよ。見られるものなら。
優は心の中で自虐的に笑った。
さっきからどんどん惨めになっている事は十分に理解している。それなのに、落下を止められないでいた。
……上手く行かない。
成功像も浮かばないくせにそう嘆く。
その時、右手が持ち上げられた。
握られているその手。まるで視線を誘導するようにその結び目は、彼女の胸元へと運ばれる。
「ねえ」
釣られた優を待っていたように、来栖湊は口を開いた。
「私、優くんの事好きだよ」
にこり、と何の恥じらいもなく。
彼女は明瞭に告白した。
「えっ……あっ……?」
その心の内は予想していたはずだった。それでもまともな言葉を発せない。
そんな優へと、来栖湊は更に吐露する。
「ずっと前から、優くんの事ばかり考えてたんだよ」
過去を振り返るように胸の奥を見つめて、そしてその視線はすっと上へ向く。
多々良優。向かう相手に、彼女は首を傾げた。
「優くんは、私の事、好き?」
「え、いやその……」
優はまたも言葉に詰まった。
その瞳にはまるで引力でもあるみたいに、逃れる事を許さない。引っ張られているのに、心臓の方は押し潰れそうな感覚があった。
答えは知っている。自覚している。でも、言葉にするのは躊躇われた。
なぜか。
恥ずかしいから? 知られたくないから?
……分からない。
優はどこまでも中途半端だった。何かが違うと察しながらも、正しいと判断出来なければ結果として流されてしまう。
だからそれも、間違いだったのかもしれない。
「……好き、だとは思う」
絞り出すように。
外へ出したそれを、再度胸の中に探す。それ以外にあるはずもない。確信する。
まだ一か月と経っていない関係性ではあったが、彼女との時間は優にとって、誰とも代えがたいものだった。
一緒にいるのが楽しかった。
これからも一緒にいたい。
ハッキリとした想いがあるはずなのに。
なのに、胸の中には違和感が残っている。疑う自分がいる。
そんな揺らぎを必死に否定するよう、優はまくし立てた。
「か、顔がタイプだっ。それに声も良いと思うっ。あとっ、せ、性格もっ。一緒にいててなんというかっ、心地良いって言うかっ!」
「そっか」
来栖湊は優の告白を受け止めて、そしてグイっとその身を更に寄せた。
「それじゃあ、しよう?」
繋いでいた手を離して。
より奥を求めて、男の胸板に手を当てる。
「な、なにを……っ?」
分からないわけがなかった。それでも、漠然とした表現に猶予を求めた。
「性行為。セックスって言った方が分かる?」
明らかにされた瞬間、頭は真っ白になったが、目の前の少女は回答を欲する。
「嫌?」
「そ、そそそそんなことはない、けど……」
「けど?」
「けど…………」
続かなかった。
急すぎるとか。経験ないからとか。そんな気分ではないとか。
色々浮かんだ。でもそれは、逃げているとしか思えなかった。
さっきからずっと格好悪い。その自覚が胸を縛る。
両想いなのは確かめ合った。なのになぜ逃げる?
それに、自分にだってその欲はあるはずだ。なら……。
優は消え入るような声で、自分の発言を取り消した。
「何でも、ない……」
すると、来栖湊はにっこり微笑み、優の襟もとへ手を伸ばす。
直前、優は目の前の少女が魔女だということを思い出していた。
魔女は男を誘惑する。それは何のためだったか。
けれどそんな疑惑は、首筋に触れた体温ですぐに消え去った。
「きみの、好きにしていいから」
「い、いいのか……?」
「うん」
「え、えっとじゃあ……あれっ?」
「ふふ。自分で脱いだ方が早いね」
「ご、ごめん……」
「いいよ、続けて」
「…………。えっと」
「きみのは私が脱がすね」
「あ、ああ」
「ねえ、どうかな?」
「う、うん。その、良い」
「好き?」
「……好き、だ」
「どうしても良いよ?」
「えっと、じゃあその……」
「うん、どうぞ」
「…………………」
「夢中だね」
「いやっ。えっとでもその、湊、だから」
「名前で呼んでくれた」
「よ、呼んでよかった、か?」
「うん。私だって優くんって呼んでるよ?」
「……そうだな」
「私からしても良い?」
「え、ああ。その、大したもんじゃ、ないけど」
「へー、こんなのなんだね」
「あ、ああ。……っ」
「気持ちいい?」
「え、うん」
「入れてみる?」
「け、けど、その、ない、けど……」
「私は大丈夫だよ?」
「いや、でも、さすがに……」
「私は優くんの事、好きだから。どうなっても良いよ?」
「え……あ、お、俺も好きだっ」
「じゃあ、来て?」
コクリ、と促されるままに頷く。
魔女とは破滅の象徴だ。
誘惑された男は悲惨な運命に陥る。
彼女達はいつだって、我欲のために全てを翻弄した。
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