第4話「want」

「見せて、欲しい……?」


 優は息を飲んだ。要求に対して、ギクリと心臓が跳ねる音がした。

 この感覚は知っている。

 前にも、味わった。


『なら、おれらにも見せてくれよ?』


 思考を埋め尽くす過去。下卑た笑いがいくつも投げられ、特別を否定されていく。

 そして気付かされた。現実に戻された。


 こいつもおちょくって……!


 経験と重なり、怒りが湧いてくる。裏切られた気分だった。この魔女は本物ではなくても、共通するところがあると思っていた。その安い格好も、馬鹿な自分を釣るためだったのだろうか。

 しかし、彼女は違った。

 少なくとも、過去の奴らとはまるで。


「そう。きみが見ているものを、私にも」

「いっ!?」


 愛しいものにするように、来栖湊の左手が、優の右目を撫でた。

 とっさに閉じた瞼を冷えた温度がなぞる。目の下、頬に近い部分。意図しなかった小指がちょんとつつき、指先の熱が顔の半分を燃やした。

 優は体をのけぞらす事も出来ず、硬直して視線をさまよわせる。開く左目が収めるのは、間近まで迫った魔女の笑み。


 傾く前髪。まつ毛の一本一本。映され、そのまま取り込まれしまいそうな瞳。もみあげに、くるんとした生え始め。鼻骨のシルエット。唇の皺。顎から首へと伸びて、鎖骨。そこからは黒い布に覆われて、けれども見れば分かる膨らみが……


「ねえ、ダメなの?」


 下降していく視線を、来栖湊はしゃがんで見上げた。

 上目遣いにハッとなる優だが、望まれた物は渡せない。


「いや、その……」


 そもそも、持ってもいない。

 力なんて。特別なんて。

 他人と違うものが見えるなんて、むしろ優自身が求めていた。

 そうでありたい。もしかしたら、彼女も同じ想いなのかもしれない。

 もう一度正面から見つめる。整った顔立ち。見つめ合うだけでなんだか、居心地が悪くなる。そんな彼女が、優を見ている。

 あり得ない事じゃないか? 今こそが、特別なのではないか?

 だからその現実を、手放したくなかった。


「……今は、力が使えないんだ」


 見栄を張る。嘘をつく。偽って、取り繕って。自分を作り上げる。

 彼女と——魔女と繋がりたい一心で、優は以前のように虚言を吐いた。


「使えない? この前は、ショット、って言ってなかった?」

「そ、それはほらっ、あれが最後の力で……というかあれも、力が失ってたから、上手くきみを撃ち殺せなかったというか……」


 話しながら思いついた設定を付け加える。

 どこか不服そうな来栖湊はまた首を傾げる。


「どうすれば力が使えるようになるの?」

「え、えぇと……特訓?」


 その場しのぎ。後の事なんて考えていない。後ろめたさで顔を逸らす。

 だから、眼前の人物が一瞬にして希望を再燃させた瞬間を、優は見逃した。


「それじゃあしよう! 特訓!」


「はえっ?」


 想定外の提案にキョトンとする。しかし構わず、優の手を取って魔女はウキウキと目を輝かせていた。


「どんなことするのっ? 用意する物あるっ? 何でも手伝うよっ!」


 まくし立てる美少女に、優は顔を引きつらせた。

 適当に、決まってるだろ……。

 冷静な自分が呆れたように呟く。それはいつも、夢を見ようとする己自身に投げる声音だった。

 けれど、他人に現実を知らしめるには言葉を発するしかない。喉を震わせ、浮かんだ文字を違わず伝えるしか。


「あ……その……っ」


 それ以上は続かない。

 優は意志をハッキリ持てない男だった。自分が間違いだと思い知ってからその傾向はより強まって、他者を変えようとまで自身を貫けない。


「今すぐには難しそう? 準備がいるなら明日でも良いよ! 教室行くね!」


 魔女は、子供のようにはしゃいで優の手を握ったまま振り回した。

 他人の体温。遠ざけていたそれが心地悪くはなくて、口元が変に波打つ。

 優は結局、提案を無下に出来なかった。


 春。通りがかった公園。桃色の雲。

 舞い上がる、魔女。

 くすぶる期待はようやく終わるのか。

 どうやっても平凡な正しさに決着するのか。


 答えは分かり切っている。

 それでもこの時、辿り着く先に光が満ちている気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る