case11-4 『テディベアの友好』



「マナもそうだけど、どうして才能ある若者はわたしに力を見せるのを頑なに拒むのかしら」


 その行動が理解できないと苦言を呈するユニ。左頬には真っ赤な手形が付いているが、特に気にする素振りを見せることなく淹れたコーヒーを口にする。


「お前の迫り方が気持ち悪いからだ。……マナって誰?」

「高等部三年、マナ・ムエルテ。超がつく天才、現役の辺境伯でエマの姉」

「……この世で一番要らない情報が頭に入った」


 返答を聞いた瞬間にロアは質問したことを後悔して舌打ちをする。

 苛立つ口調にユニは思わず笑ってしまう。


「エマのこと本当に嫌いなんだ」

「頭がおかしくなるくらい嫌い。なにか悪い?」


 ユニは机に腰を乗せながら首を横に振る。


「好き嫌いなんて個人の感情だから善悪なんて無いわ。個人的にはアンタがエマのことを嫌いのままでいてほしいと思っているわ」

「……なんで?」


 思わず聞き返してしまう。

 ユニはエマと良好な関係を築いているにも関わらず、ロアが抱く悪感情を肯定してる。

 どういう考えなのか気になった。


「嫌いだからこそ冷静な思考で判断できる。仮にエマが誤ったことをしていたとして、周りがその行動を肯定したとしても、きっとアンタは否定して止めようとするでしょ?」

「息の根を止める」

「それは飛躍しすぎ。イエスマンで周りを固めた経営者が愚策を打ち出したとして、その後の会社がどうなるかわかるでしょ? 要は抑止力になりうるってこと」

「………………」


 ロアの脳裏に会社の悪事を告発しようとした父親、それを支えた母親の姿が浮かぶ。

 二人は娘の将来のために会社の在り方を否定した。

 その行動は紛れもない正道だ。

 しかし、二人には巨悪に立ち向かう力はあったが、敵をねじ伏せる力を持ち合わせていなかった。


 己が定めた道を歩むには、大切な人を守るには力が必要だ。

 だが、二人にそんな力を持つ必要は無かった。

 争いとは無縁な幸福に満ち溢れた人生を約束されていたはずだから。

 

「お前は死神に抑止力が必要だと思っているの?」

「必須ね。強大な力にはそれ相応のリスクが付き纏うからね。エマ・ムエルテの抑止力はノノ一人で十分だけど、死神の抑止力はいくらあっても安心できないもの。どんなに力を拘束したって、人質を盾にしたって人間如きじゃ、神を縛り付けることはできない」


 片目を閉じて「でも」と呟き、


「──殺すこと、造り出すことはできるかもしれない」


 ユニは不敵な笑みを浮かべる。

 それは法、倫理観、人間性──あらゆるモノを投げ捨てて窮極へ至ろうとする純粋な魔術師だけに許された狂気だ。


「お師匠はエマさん嫌いなの?」

「ん? ああ、違う違う、エマは好きよ。それに、あの子が死神に成ったことには素直に感謝している部分もあるわ」

「感謝? 何言っているの?」


 ロアがフードの奥から睨みつける。

 鋭い視線に晒されてもユニは表情を崩さずに銀色の髪を掻き上げる。


「だってエマが勤勉な真面目ちゃんだったら、帝国どころか世界中で虐殺が日常になっていたわよ。ああいう性格だから第三皇女の下に収まっているわけだし」


「怠惰で間抜けな奴に感謝とか意味分からない。奴が存在しなければ起こらなかった悲劇はいくつもある」


「せっかくのオブラートを見事に破ってくれたわね。アンタの考え方も正しい。まぁ、考え方なんて人の数ほどあるからなんでも有りなのよ。無数の人間の思考が混ざり合って造られたのがこの社会だからね」


 中身が空になったマグカップを流しに置いて、ユニはデスクから眼鏡と資料を手に取って、


「今から会議なの。何か分からないことがあったらイヴに聞いて。ああ、飲み物は勝手にどうぞ。コーヒーしかないけどね」


 部屋を出て行ってしまった。


 突然、二人きりにされて沈黙が流れる。

 会話が無くてもロアは一向に気にする様子はない。会話という行為が好きではないからだ。

 しかし、先ほどからチラチラと様子を伺ってくる幼い少女は無言の時間をずっと気にしている。

 十分にも感じられる数十秒が経たのちにイヴが意を決して口を開く。


「お姉ちゃん、人形つかいなんだよね?」

「お前に頼まれてもソロモンシリーズは見せない」

「すごいお人形さんはいい。ちょっと気になるけど……」

「じゃあ、なに?」

「お人形さん、直せる?」


 修理のことを言っていると解釈したロアは「当然」と一言。

 ソロモンシリーズを整備、修理できる者はこの世に二人しか存在せず、そのうちの一人は生きているのか死んでいるのか不明だ。


 ロアの素っ気ない返答を聞いて、イヴはもじもじしながら言う。


「他のものも直せる?」

「まどろっこしい。早く言って」

「あのっ! 友だちの友だちを直して欲しいの!」

「…………あ?」


 唐突に突きつけられた無理難題にロアは呆気に取られてしまった。



×××



 ロアが連れてこられたのはイヴが在籍している教室だった。

 教室内に残っているのは数人。時間を確認しつつ、ロアは疑問を口にする。


「この時間は授業じゃないの?」

「今日は午前中までだったんだよ」

「会議か」


 いかにも学び舎らしいシチュエーションにロアは少しだけ懐かしさを感じてしまう。

 十年間、離れていた場所に思いもよらない形で戻ってきたことに違和感はある。この違和感はいずれ消えるのだろうか。


 イヴは席から動こうとしない女子生徒の元へ。

 ロアも後を追い、女子生徒が手に持っているものを確認して少しだけ安堵した。


 女子生徒がイヴに気付いて消えそうなほどに小さな声を出す。目元は赤くなり、泣いていたのが容易に想像できる。


「イヴちゃん」

「その子、このお姉ちゃんなら直せるかも」

「本当!?」


 一筋の希望を見たかのように女子生徒はロアに潤んだ瞳を向ける。

 その手にあるのは、綿が飛び出して頭と胴体が千切れそうになったクマのぬいぐるみ。

 友達の友達とはそういう意味だったのだ。

 とんでもない誤解をしていたことに気付いたロアの頬は恥ずかしさで赤らんでいた。だが、そんなロアを見ることができる者は教室内にはいない。


「見せて」


 短く優しさの欠片もない口調に、女子生徒は若干怯えつつ友達のために言われた通りにする。


 ぬいぐるみを受け取ったロアは注意深く観察する。素材、縫合方法、破損箇所、術式の有無──特に最後は念入りにだ。

 魔導図書館の生徒が持っている代物なのだから、どんなに無害に見えても油断はできない。

 といっても破損した時点で変化が無いのであれば術式云々の問題は限りなく解消されているのだが、ロアは慎重というか、用心深いというか、とにかく疑り深いのだ。


「この程度なら造作もない」


 近くの席に座って、制服の内ポケットから携帯用ソーイングセットを取り出す。

 まるでこの展開を見越していたかのように登場した代物にイヴは何度も瞬きを繰り返した。


「なんでそんなの持ってるの?」

「何かと役に立つから持ってるだけ。いちいち聞かないで」


 ソーイングセットを開き、使用する道具を手に取る。

 針の小さい穴に細い糸を一瞬にして通す。そして、そのままぬいぐるみの修繕を開始した。


 裁縫道具たちは窮極の使い手に操られることによって、真価以上の力を発揮するに至る。いまこの瞬間においては、何の変哲もない針は宝剣に匹敵する輝きを放つ。


 恐ろしいほどの手際の良さに、圧倒的な絶技にイヴたちは言葉を忘れてロアの指先に熱い視線を送り続ける。


 あっという間にぬいぐるみは本来の可愛さを取り戻した。どこが破れていたのか分からないほど完璧な修繕だ。


「ありがとう!」

「別に」


 感激しながら女子生徒は渡された友達を大事そうに抱きしめた。

 感謝に対して素気なく返事をするロア。──が、フードの奥に隠されている表情はいつになく柔らかいものだった。



×××



 ロアの少し前を歩くイヴは、エマに頼まれたこと──魔導図書館内の案内──を現在進行形で遂行している。

 教室を後にして、いま向かっているのは食堂だ。


「お姉ちゃん、すごかった!」


 静寂に包まれていた空気を破ったのはイヴの純粋な感想だった。

 突然の発言に、一定の間隔で廊下を踏み締めていた脚が止まり、ロアは怪訝な表情になる。


「急になに?」

「さっきの! ハリと糸がまるで生きてるみたいだった! すごいお人形さんもああいう風に動かせるの?」


 裁縫技術に感動したイヴの瞳はきらきらとした輝きを放ちながらロアを見つめる。

 先程よりも距離が近い。

 ロアが常に漂わせる『干渉してくるな』という無言の圧力も純粋な興味を持った少女の前では意味をなさないようだ。


「あれくらいの手遊びとソロモンシリーズを一緒にするな」

「そのすごいお人形さんを動かしてるお姉ちゃん見たいなぁ」


 ソロモンシリーズではなく操っているロアを目的としたイヴのおねだりにロアはほんの少しだけ心が揺れた。が、次の瞬間には己を恥じた。

 これから始まる学園生活にかなり浮かれていることを自覚して苛立ちを覚える。


「見せない」

「じゃあ、交換しようよ」

「は?」

「わたしがお話をお姉ちゃんにするの。そのお話が良いなって思ったらお人形さん動かすところ見せて」


 お話とは情報と言い換えていい。

 ただ欲しがるだけではなく交渉を持ちかけてきたことにロアは関心してしまう。

 錬金術──等価交換の概要を僅かでも理解しているから出てきた提案だろう。

 イヴが優秀なのか、あの変態が有能かは分からない。

 どちらにせよ、感情の赴くままに騒がないなら十分だ。


「つまらない話だったら絶対に見せないから」

「きょうみあると思うよ。だってすごいお人形さんの話だもん!」

「何?」


 詳細を聞く前にロアは過剰な反応を示す。

 彼女が興味を示す話題はほぼ無いと言ってもいい。それは十年という長い月日を復讐に捧げてきた代償に他ならない。


 お人形さん──ソロモンシリーズは復讐の十年間でロアが他者と紡いだ唯一の絆。

 話題に出された時点でロアが反応するのは確定路線だ。


「貴族ようの女子りょうがあるんだけどね、夜おそくにすごいお人形さんがあらわれるんだって」


「夜更かしした生徒としか思えない」


「そう思うよね。でも、見た人はみんなお人形さんって言うんだよ。見た目は人間だけど、動きがちょっとぎこちなかったらしいし、糸みたいのも背中についていたんだって」


「……………………」


 つまらない噂話、と切り捨てたいのが本音だ。

 乱雑に量産されている人形とソロモンシリーズの操作性は別物だ。凡人が数十年程度訓練したところで椅子から立たせるのすら困難だ。

 それほどまでに操作が至難の業なのだ。

 そもそもソロモンシリーズを操れる人間をロアは自分を除けば一人しかいない。

 だが、万が一ソロモンシリーズを操れる者が居たとしたら……。


「師匠はロア以外に弟子はいない」


 それは揺るぎない事実だ。

 つまり、その者は独学でソロモンシリーズを操るまでに至ったということ。

 有り得ない、と言いたいところだが、殺しても死なない化物がいる世界だ。

 可能性が僅かでもあるのなら──。


「確かめる必要がある」


 ふと視線を感じ、ロアはイヴを見る。

 にまにました表情を浮かべるイヴ。


「女子寮はどこ?」

「きょうみあったでしょ?」

「………………」

「交換条件はちゃんと守ってね、お姉ちゃん」

「分かってる。その前に噂の真相を確かめる」


 ロアの言葉にイヴは楽しそうな表情を浮かべ、小さな手をぎゅっと握る。


「なぞとき開始だね! お姉ちゃん……ううん、ロアたんてい!」

「それやめて」


 イヴに案内されて、ロアは女子寮へと向かった。


 


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