case11-2 『青いプライド』
心地良い風に濡羽色の髪を揺らしながらエマはベンチに座り、さっき購買部で購入したミルクティーを飲みながら目の前に広がる風景をぼんやりと眺めていた。
綺麗に舗装された路、丁寧に植えられ色鮮やかな花たちが咲き誇る花壇、噴水から噴き出す水は太陽の光を反射して爽やかな輝きを放っている。
清涼感溢れる空間を行き交うのは制服に身を包む学生、魔導図書館に所属している魔術師たちだ。
もし、死神なる存在になっていなかったら、当たり前のようにここで勉学に励み、友達を作り、行事や部活に心血を注ぎ、もしかしたら恋愛をしたり──燃えるような青い春を謳歌していたのかもしれない。
「いや、有り得ませんね」
否定が口から零れ落ちる。
前提が違う。
エマ・ムエルテという存在はこの世に産み落とされた瞬間から異常者だった。元来備わっていた異常性と捩じ込まれた『死』が奇跡的に適合した結果が『死神』だ。
『死神』であるから存在できている。
そうでなければ、恐らく最悪の殺人鬼として世間を恐怖させ、警察から一生逃げ続けた末に捕まって死刑か、誰にも気付かれずに醜く死んでいただろう。
「それも有り得ませんね」
殺人鬼になる可能性は限りなくゼロだ。
理由は言わずもがな、ノノの存在である。
結局のところ、ノノがムエルテ家に仕えている時点でエマは闇堕ちせずに最高の人生を歩むことが約束されているのだ。
「ノノちゃんに会いたいな」
独り言を呟いた時だった。
二人の女学生がエマに声をかけてきた。身長や体型、若干化粧をしている点からみて高等部の学生だろう。
「もしかしてエマちゃん?」
「えぇ、そうですよ」
質問に対して頷くと、二人は歓喜の声を上げる。あまりにも甲高いので悲鳴にしか聞こえない。
耳を塞ぎたくなるが両手が塞がっていたので我慢する。
「私たち大ファンなの! ここに在籍しているのは知ってたからもしかしたらって思ってたけど、本当にエマちゃんに会えるなんて思ってなかった!」
「生のエマちゃん可愛い過ぎ! 握手していい!? あと、サインも!」
「私にも! 私にもちょうだい!」
はしゃぎまくる二人にエマは若干困惑してしまう。
「分かりましたから、少し静かにしてくれませんか?」
苦言を呈するが、既に遅い。騒ぎを聞きつけた人が徐々に集まってきてしまう。──これは非常に怠い展開だ。
ファンサービスならいくらでもするが、場所が魔導図書館となるとファンではない別の何かも集まってきてしまうのだ。
「エマ・ムエルテ! 俺と勝負しろ!」
例えばこういうの。
長身の筋肉オバケが机と椅子を持参してやって来た。椅子にどかんと座り、エマの前に勢いよく置いた机の上に右腕を乗せる。
「これ、何させる気ですか?」
「瑞穂ノ国に伝わる力比べの一つ腕相撲だ。俺は鍛え抜いた身体に強化術式を付与することにより、この学園で最強の腕力を獲得したんだ」
周りに集まっている学生たちがざわつき始める。
耳に入ってくる断片的な単語を繋ぎ合わせると、彼は高等部三年、俗に言うエリート組の一人らしい。心底どうでもいい。
「もしかして腕相撲しろって言ってるんですか?」
「当然! 学園の猛者は倒し、残る強者はお前だけだ。死神を捩じ伏せたとなれば拍も付くだろう?」
「冗談ですよね? この細腕とその丸太みたいな腕。勝負する前から結果見えているじゃないですか。嫌です、やりたくないです」
「単純な腕力なら俺の圧勝だろう。だが、強化術式込みでは分からないだろう? お前の姉であるマナは中々に手強かったぞ」
急に姉の名前を出されて、エマは若干反応する。
「お姉様が?」
「ああ、同じクラスでな。多少苦戦したが俺が勝った」
ほんの僅かだが興味が出てきてしまう。
マナは自ら戦うタイプではないが、強化だろうと完璧に使いこなす。天才すら捩じ伏せた力とはどのようなものか。
腕まくりをしてエマは机の上に右腕をゆっくりと置いた。
「良いでしょう。お姉様の敵討ちです」
その瞬間、学生たちの歓声が吹き荒れた。あまりの熱意と注目度にエマは少し恥ずかしくなってしまう。
「そうこなくてはな」
筋肉オバケは獰猛に笑う。
互いの手を握りしめて、スタートポジションにつく。
いつの間にかレフリー役まで湧いて出てきた。
「レディ……ファイッ!!」
試合開始の合図と同時にエマは魔力による身体強化を、筋肉オバケは術式による身体強化を行う。
「うおおぉぉぉぉぉぉ────っ!!!」
「………………」
全身の力を腕に集中させて咆哮する筋肉オバケの姿は側から見ればかなり滑稽であった。彼の行動自体が問題ではなく、対象相手であるエマとの差があまりにも異なるからだ。
エマは特に叫んだりもせずキョトンとしていた。気の抜けたような表情をしているにも関わらず、腕は微動だにしない。
エリートと言われているだけあって強化術式の質は確かに良い。学園の中なら上位だと言えるだろう。──ただし、それはあくまでも学園内、エリート間における話だ。
太い腕に血管を浮かび上がらせて、顔を真っ赤にして叫び続ける筋肉オバケにエマが少し呆れた口調で囁く。
「貴方、お姉様をダシに使いましたね? エリート如きの貴方に天才であるお姉様が負けるはずがありません」
「うぐぅぅぅぅぅぅ──!!!」
「聞いてない……」
エマは溜め息を我慢して、ワザと自分の腕を机の方に持っていく。露骨にならないように適度に調節し、徐々に押されているような演出をする。
仮にマナも戦っていたとしたら同じことをしたのだろう。自己顕示欲が強い相手は誤って勝ったりしてしまうと粘着してくる可能性がある。
相手のプライドをへし折って刹那の優越感と引き換えに付き纏われる方を選ぶか、相手に勝利の優越感とプライド増大の糧を与えて今後を快適に過ごすか。
エマは迷わず後者を選ぶ。
ちらりと観客の学生たちを見る。
筋肉オバケに対して憐憫の感情が大多数を占めている。彼、彼女たちはエマが手加減をしていることを完全に見抜いているのだ。
困ったことになった。
周りが察しているということは当事者は絶対に気付いている。
その状態でワザと負けたら状況はより悪くなってしまう。
──でも、どっちみち魔導図書館には来ないのだから勝っても問題ないのでは?
そう思い始めた時だった。
「なんなのこの騒ぎは!」
可愛らしくもあり、知性を感じさせるよく通る凛とした美声が響き渡る。
瞬間、騒いでいた学生たちが一斉に静まり返り、同時にエマと筋肉オバケに通じる道ができあがる。
小柄で華奢な体躯が纏う高貴で気品溢れる雰囲気は圧巻の一言だ。絹のような美しい金髪をなびかせ、歩いているだけで大勢の視線を集めてしまう圧倒的存在感。
黒いカーディガンを羽織り、スカートから伸びる脚線美は黒いタイツで秘匿されている。
「公共の場で何をしているのあなた…………たち…………」
「こんにちは、お姉様」
愛しの姉の制服姿が自分と似ていたので、なんやかんや姉妹だなぁ、としみじみ思うエマ。
対するマナは予想外の事態に処理が追いつかない。大抵のことは卓越した頭脳によって処理、対処することが可能だが、こと妹のことになるとポンコツになってしまう悲しき天才。
今回も例に漏れず。
制服姿の妹が同じクラスの筋肉オバケと腕相撲をしている、それを理解した途端にマナは気を失ってしまった。
「お、お姉様!?」
エマは腕相撲を放棄して、倒れたマナを介抱しにいく。
内心では突如登場して気を失ってくれたマナに感謝しかなかった。
×××
マナをベッドに寝かして、しばらく寝顔を眺めてから養護教諭に後を任せて保健室を出る。
出た先には筋肉オバケが待ち構えていた。
「マナは?」
「問題ありません。少し疲れが溜まっていたみたいです」
「そうか」
「それでどうして待ち伏せてしているんですか? もう腕相撲はしませんよ」
すると、筋肉オバケは勢いよく頭を下げた。勢いによって発生した風によって濡羽色の髪が揺れる。
行動の一つ一つが豪快で少し危ない。
「済まん! 腕相撲は建前だ。実はお前に頼みたいことがある。今後の俺たちの学園生活に関わる重要なことなんだ」
ロアの案内役から逃げたというのに、別のところで面倒ごとが舞い込んでくる。もしかしたらそういう星の元に生まれたのかもしれない。
とはいえ、マナの寝顔を堪能できたのはある意味では筋肉オバケのお陰なので、
「はぁ……別に話くらいならいいですけど」
「本当か! 感謝する! 早速だがついてきてくれ」
と、言われて筋肉オバケに連れて来られたのは男子寮だった。
男子寮の敷地一歩手前のところでエマは立ち止まる。
不思議そうな面持ちで筋肉オバケは振り返る。
「どうした?」
「どうしたもこうしたも男子寮じゃないですか。こんなところに連れ込んで一体なにする気ですか?」
「変な誤解をするな。死神として帝国最凶なのは激しく同意し、尊敬もしているが、女としては何の魅力も感じない。俺は胸と尻がデカい女が好きだからな」
「あーはいはい。身体でしか判断できないところとか筋肉オバケさんっぽくてとても良いと思います」
「筋肉オバケ?」
不機嫌に頬を膨らませながらエマは男子寮の敷地内に入る。
しばらく歩いた先に飛び込んできた建物は見るからにお金がかかっていた。寮というよりは屋敷だ。
貴族用の寮なのだろう。ここに来る途中に見たこれといった感想が出てこない建物は一般生用というわけだ。
寮に入り、ロビーに行くと数人の男子生徒が待っていた。
それぞれソファーに座ったり、窓の外を見ていたり、マグカップを持っていたり──共通点は容姿が良いこと、とんでもなく高いプライドを持っていることだろう。
ここにいる全員がエリート組と呼ばれる生徒なのは確認するまでもない。
「おいおい、こんなちんちくりんが辺境伯の妹で帝国最凶の死神なのかよ? ありえねぇ」
悪態を吐くのは、正統派イケメン。
ただし、性格は最悪。
「そんな言い方はやめようよ。とっても可愛らしいじゃないか」
擁護するのは、柔和イケメン。
こういうのは陰で女性を殴っている。
「容姿なんて関係ない。実力があればな」
知的メガネイケメンが普通のことを言う。
自分頭良いですよ、と全身から漂わせている。
「俺、大ファンなんだよね。後で握手とサイン貰っていい? あ、パンツもちょうだい。今履いている黒タイツでもいいよ?」
ただの変態。
その場にいる面子を一通り確認したエマは小さく息を吐いて、筋肉オバケに向かって言う。
「ここにいる全員を殺せばいいんですね?」
「違う。コイツらは同志だ」
「では、あの変態だけは殺しましょう。帝国女性全員の敵になる可能性があります。今のうち殺しておいた方が今後の悲劇を減らせます」
「とりあえず話を聞いてくれ」
筋肉オバケが一人用のソファーをエマに差し出す。
彼がこの五人の中では比較的まともな性格をしていることを理解した瞬間だ。
ソファーに座り、エマは問いかける。
「それでエリートが雁首揃えて何を頼みたいんですか?」
その問いに答えたのは正統派イケメンだ。
「ある奴を完膚なきまでに叩き潰せ」
「は?」
「彼は平民なのに僕たちに逆らった挙句に顔に泥を塗ったんだ」
「あー」
「あろうことか公衆の面前でな。おかげで我々の威信は地に落ちた」
「………………」
「しかも、ソイツ、女の子いっぱい侍らせているんだよ。ずりぃ〜。俺、貴族だし成績も超優秀なのに女の子が全然寄ってこないんだ。こっちから行ったら逃げられるし」
「貴方は然るべき場所で矯正された方がいいです」
「名前はブルクハルト・ヒルパート。つい先日、高等部に転入してきた男だ。なぜか知らんがアマリア・パーテロ嬢と良好な関係を築いている。その他にも色んな女と親しくしている」
筋肉オバケから対象の情報を聞いたエマは我慢できずに吹き出してしまう。
あまりにも面白く、滑稽な五人に笑いが止まらない。
「つまりあれですか? 色んな女の子と良い感じになっている転校生にボコボコにされたから、私にその人をボコボコにしろと? ちょっ、やめてください、お腹痛い」
馬鹿にするエマにプライドの高い五人が苛立ちを露わにする。
ひとしきり笑ったエマは滲む涙を指で拭いながら、
「はぁあ、面白いですね。叩き潰すかどうかはさておき、貴方たちのプライドをへし折った人がどんななのか興味は湧いてきました」
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