case11.失われた春を求めて

case11-1 『失われた春を求めて』



 事の始まりというのは、いつも何の前触れもなく唐突に訪れるものである。

 それが良い出来事か悪い出来事かは実際に経験してみないと分からない。

 しかし、エマにとって帝国第三皇女からの招集命令は悪い出来事の始まりだと断言できる。──訂正、面倒な出来事の始まりだ。


 これから一体どんな面倒な事を押し付けられるのだろうか、と露骨に萎えながら帝城の広大な廊下を歩き、謁見の間を目指すエマ。


 エマの隣には人影が一つ。

 一本三つ編みにされた茶髪、長いまつ毛に縁取られた大きな瞳が特徴的な少女──ロア・ラーゲンフェルト。フードによって秘匿されている美貌は不愉快の感情によって険しい。

 理由は言わずもがな。


「なんで私たちだけ呼ばれたんでしょうね」

「………………」


 会話を試みるエマに対してロアは拒絶を選択。

 いつも通りの反応なので特に何も思わない。

 この二人の間で会話というものは基本的に成立しない。ここにオルコットという緩衝材を挟む必要があるのだ。


「ところでオルコットさんの所での生活には慣れましたか?」


 現在、ロアはオルコットの家で生活している。

 というのも彼女は十年前に帰る場所を失ってからは、数年間は人形師ソロモンの工房に身を寄せて、その後はあちこちを転々とする根無し草状態だった。

 その現状に憤慨したオルコットは正義感を爆発させて自宅を提供したのだ。

 ロアは最初は断っていたが、正義の圧に耐え切れなくなり提案を渋々承諾した。


「確か妹さんが二人居るんですよね。仲良くなれました?」


 ロアが今日初めてエマの方に視線を向ける。

 そして、一言。


「黙れ」


 すぐに視線を逸らされて、今日初めての会話は終わった。

 因みにオルコットの妹たちは、ロアが漂わせる『近寄るな、構うな』という雰囲気を無視してゴリゴリに距離を詰めてくるのでロアはどうしたらいいのか分からなくて少し困っている。


 その後、特に会話もなく二人は謁見の間へ。


 果たして、帝国第三皇女オリヴィア・シャルベールが豪奢な椅子に優雅に傲慢に座って待ち構えていた。


「死神と人形遣いの分際で妾を待たせるとは。その愚鈍な肝を引き摺り出してやろうか?」

「急に呼び出された割には早い方ですよ。それで何用ですか?」


 面倒ごとは御免ですよ、と付け加えるエマ。


「下らん理由で治さずにいた傷も癒えた頃じゃろ。肥え太った貴様に適度な運動をくれてやる」

「別に太ってませんし」


 エマはくるりと一回転して、全身をオリヴィアに確認させる。

 ここ最近、ロア戦で負った傷を理由にまともに動かずにベッドやソファーでダラダラしていたが体型の変化は微塵もない。


「精神の話じゃ。元より愚鈍で間抜けなそれがこれ以上醜悪になったら目も当てられん」


 辛辣な罵倒にエマは怒りも悲しみもせずに肩を竦めす。というより少し肯定している。


「これ以上、お前らの耳障りな声を聞きたくないから帰る」

「戯言も大概にせよ。此度の招集、貴様が本命じゃ」

「は?」


 フードの奥で顔を顰めるロア。

 オリヴィアは豊満な胸の下で腕を組み、ついでに長い脚を組み替える。


「ロア・ラーゲンフェルト。貴様には魔導図書館への入学、及び一般教養の履修を命ずる」

「…………は?」


 ロアの表情が困惑に変化していく。

 その変化を横目で見ながらエマは自分が呼ばれた理由を概ね把握した。


「そう難しく考えるな。貴様が本来謳歌する筈だった青い春を妾がくれてやるというだけの話。存分に楽しむがよい」

「そんなの興味ない。余計なお世話だ」

「口を噤め人形遣い。妾の命令は絶対じゃ。如何なる理由があろうと拒絶することは許さん」


 殺意混じりの視線でオリヴィアはロアを睨みつける。

 しかし、ロアにその類いの脅しは通用しない。


「首を刎ねたければ刎ねればいい。そうすれば大嫌いなお前たちの顔を一生見なくて済む」


 オリヴィアの殺意に対して真っ向から立ち向かうロアの並外れた胆力に、エマは素直に感心する。

 すると、オリヴィアはどこか愉快そうに嗤う。


「妾の愛しき駒共は死に頓着が無くて脅し甲斐がないの。そうじゃ、貴様が命令を拒絶するならソロモンシリーズを全て没収する。加えて今後一切の接触を禁ずる」

「ふざけるな! ソロモンシリーズはロアの物だ!」

「貴様の物は妾の物。それ以前に貴様は妾の物、故に貴様の所有物は全て妾の物じゃ」

「わあ、まるで暴君の発想ですね」

「黙れ! 死神!」


 愉悦に浸るオリヴィアを睨みつけて、奥歯を噛み締めるロア。だが、拒絶の言葉は出てこない。

 命令を受諾したと判断したオリヴィアは指を鳴らす。

 すると、謁見の間に複数の使用人が現れてロアを取り囲む。


「なっ? 離せ! ロアに触れるな!」


 どんなに暴れても複数人に取り押さえられているのでなす術がなく、ロアは呆気なく連れて行かれてしまう。

 魔力の糸や身体強化を使わなかったのはロアの良心だろう。


「あれはどういった趣向ですか?」

「制服を新調するなら採寸は必要よな」

「オーダーメイドとは気合い入れてますね」

「元より礼服を作らせる予定だったから、そのついでじゃ」

「あー、なるほど」


 理由を聞いて納得する。

 不本意とはいえ皇女の部下になったのだから式典などの行事ごとには半ば強制参加だ。

 そういえば自分も作ったな、とエマはしみじみ思う。


「ところで一応聞きますけど私が呼ばれた理由はなんでしょう?」

「貴様には案内係を命ずる」

「だと思いました。分かりましたよ。というか、なんで私なんですか? ノノちゃんでもいいじゃないですか。生徒ではないですけど出入り自由になっているんですし」


 単純な疑問を投げかける。

 エマとロアの相性が最悪なことはオリヴィアも承知しているはず。ノノも良いとは言えないが、それでもエマよりは遥かにマシだ。


「ノノとオルコットは別件で妾が使う」

「別件とは? まさか、危ないことではありませんよね?」

「非力な淫魔と凡夫を選んでる時点で危険性は皆無だと理解せよ。貴様はノノのことになると視野が狭くなる。致命的な欠点じゃ、早急に治せ」


 エマはぐうの音も出ない。

 確かにノノが危険に晒される事態になった時のエマは周りが見えなくなる。

 こうしてオリヴィアの下に就くことになったのも、ノノを傷付けられたことにより激怒し暴走した結果だ。

 エマが暴走する度にノノが責任を感じることは知っている。


「……努力はします」


 口で宣言し、心で意識する。

 何度だってしてきた。

 だが、いざその場に立たされると衝動は膨れ上がり止められない。


 それほどまでにノノという存在は大きいのだ。



×××



 数日後。

 魔導図書館の敷地を歩くエマとロアの姿がそこにはあった。


 ロアはいつもの服装とは異なり、黒を基調としたブレザータイプの制服に身を包んでいた。青春真っ盛りの可憐な女学生という印象を受ける。──ただし、外套を羽織りフードを目深に被っていなければの話だが。


「可愛いのに勿体ないですね」


 と、小声で呟くエマはブレザーの代わりに白いカーディガンを羽織り、スカートから覗く脚は黒いタイツによって露出を抑えられている。


「入学手続きなどの面倒ごとは全て片付いているらしいので、とりあえずいつもお世話になっている先生に挨拶しに行きましょう」

「そんなの居るの?」


 実は魔導図書館に入ってからロアの態度がいつもより軟化している。フードの隙間から時々覗かせる表情には期待と感動が浮かび、心が踊っているようだ。

 この時、エマは初めて本来のロアを見たような気がした。


「えぇ、何度か捜査協力してもらっている方です」

「ふぅん、そう」


 校舎内に入って、目的地の道すがら施設の紹介をしていく。紹介する度にロアは素っ気ない反応をするが、それとは裏腹に瞳が興奮で輝いていた。

 もっと素直に喜べばいいのに、とエマは内心で思う。


 そんなこんなで辿り着いた目的地は『錬金術科研究室』である。

 部屋に入った瞬間に飛び込んでくるのは盛大に散らかった物の数々だ。来るたびに酷いことになっているのは気のせいではないだろう。

 凄惨な光景にロアは顔を引き攣らせていた。


「物には触れないで下さいよ。ここの住人が烈火の如く怒り狂いますから」

「それはちょっと言い過ぎ……って、うわっ、アンタどうしたのその格好?」


 ソファーに座っていた銀髪女性が緑色の瞳を丸くしながらエマを凝視する。


「そんなに驚きます?」

「驚くなって方が無理な話でしょ。ほら、驚いているのがもう一人」


 そう言う、ユニの隣には見覚えのある少女がちょこんと座っていた。少女はエマを見て驚いているというより、恐怖で身体を硬直させている。


「イヴがこの世で一番怖いと思っているものが来ちゃったわね」

「こ、怖がってないもん。……こんにちは」


 イヴと呼ばれた少女は肩で綺麗に切り揃えられた艶やかな髪を小刻みに振るわせて、陶器のような白い肌を青白くしながらエマに挨拶する。膝の上に置かれている小さな拳は固く握り締められていた。


「こんにちは、イヴちゃん。……どう見ても怖がられているんですけど。私、何かしました?」

「トラウマ刻んでおいてよく言うわ」


 呆れたように呟いてユニはスッと立ち上がる。

 大きく開いたワイシャツから見える胸の谷間、くびれた腰、タイトなスカートから伸びる脚線美──スタイルが良いという事実を目の当たりにする度にエマの頭には疑問符が浮かんでしまう。

 信じられないくらい不摂生な生活を送っているはずなのになぜ体型を維持出来ているのだろう、と。


 ロアに近付き、おもむろに匂いを嗅ぎ始めた。

 突然の奇行を理解できずにロアはその場で固まってしまう。


「これは、そうね……人形の匂い。ああ、なるほど。アンタ、人形遣いでしょ? しかも、複数体操れる」

「──っ」

「どう? 当たってるでしょ?」


 ユニは問いかける。

 未だに奇行の意味をを理解できずに固まっているロアに代わってエマが答えることに。


「その通りです。補足すると操る人形はソロモンシリーズです」

「えっ!? 嘘!? ソロモンシリーズって操れるの!?」

「彼女は操っていましたよ」

「余計なことを言うな、死神!」


 迫るユニを身体を仰け反らせて回避しようとするロアが吠える。


「コイツなんなの!? 嗅覚関連の術式かなにか知らないけど嗅ぐな! 気持ち悪い!」

「いえ、彼女のそれは単なる趣味です。匂いフェチってやつですね。色んな人の匂いを嗅ぎ続けた結果、術式や特質が解るようになったようです。凄いですよねー」

「気持ち悪過ぎる! ロアから離れろ!」

「つれないこと言わないで、初対面なんだから! ねぇ、ソロモンシリーズ見せて! 操っているところ見せて! もっと匂い嗅がせて! ああ! すっごい良い匂いする!」


 緑色の瞳を血走らせて詰め寄るユニに素直に恐怖を感じた。

 きっとここから長いだろうな、とエマは思い、苦笑いを浮かべているイヴに話しかける。

 声を聞いた瞬間に肩を震わせるイヴ。その姿にほんの少しだけ嗜虐心が疼いてしまったのは内緒だ。


「ロアさんのことはイヴちゃんに任せますね」

「え? なんで?」

「彼女に嫌われているんです。なので私以外の人に案内された方が素直に楽しめると思うので」

「そうなの?」

「えぇ、では後は頼みましたよ」


 オリヴィアに命令された事柄を全てイヴに押し付けてエマは部屋を後にした。



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