case10-14 『孤独の終わり』



 第三皇女オリヴィア・シャルベールの公表によって世間に知れ渡ったエーギルラーン社の不祥事は帝国全土を震撼させる大事件となった。

 警察や財政界のトップ、貴族など大きな権力を持つ者たちの関与も疑われており、その点について報道陣がオリヴィアに問いかけると、彼女は「如何なる権力者であろうと我が帝国で悪虐を行ったのであれば等しく罪人。然るべき鉄槌をくれてやる」と答え、支持率を更に上げた。

 メディアが躍起になって事件の新情報を探している中、事件解決に深く関わった者たちはラムキンの病院で入院生活をしていた。


 とある病室にはエマとノノが隣同士仲良く入院していた。

 エマは無数の裂傷と打撲、左腕の骨折、右大腿部の刺傷。新しく出来たのは脚の一箇所のみだが、かなり深くまで刺してしまった上に四人を引き摺りながらの下山という無茶のせいで深刻な状態になっている。

 神経を傷付けていたら一生歩けなくなっていたかもしれない、と医師に説教を受けてしまった。


「まぁ、これでしばらくはオリヴィアの我が儘を聞かなくて済みますね」


 怪我を口実にダラダラする気満々のエマ。

 流石のオリヴィアでも怪我人を駆り出すなどという常識外れな行動はしないだろう。


 エマは隣にいるノノに身体を向けた。

 上体を起こしてぼんやりと毛布を見つめているノノ。見るからに気持ちが沈んでいるのは、体調の問題だけではないようだ。


「ノノちゃん。話をしましょう」


 エマの声に反応したノノは白縹しろはなだ色の瞳からポロポロと涙を零した。

 予想外の流れにエマは動揺した。


「大丈夫ですか? どこか痛いんですか? 看護師さん呼びます?」

「いえ、違うんです。違うんです……」


 自分の奥底から溢れ出してくる感情を堰き止め切ることが出来ずに、ノノは顔を手で覆いながら泣き出してしまう。

 どうしようもない感情を嗚咽混じりに吐き出す。


「私は、彼女が……ロア・ラーゲンフェルトがどうしても許せません。一度はエマ様を殺し、二度目は重傷を負わせました。到底許せる行いではありません。しかし、エマ様は……いいえ、オルコットさん、ラジフラスさんは今回の事件を通じて彼女の事件も解決するために全力を尽くしていました。それなのに私は……全力を尽くしたかと聞かれれば頷くことは出来ません」

「ノノちゃん」


 溢れ出る涙を何度も拭うノノ。私情で捜査に尽力出来ない自分の愚かさを、醜さを嘆き、憤っている様に見えた。

 彼女はこれまでに溜め込んでいた不安を口にした。


「ただでさえ力不足で何も出来なくて、足ばかり引っ張ってエマ様に傷ばかり負わせてしまっています。……そんな自分が情けなくて、悔しくて、許せない」


 大粒の涙を流すノノをエマは優しく抱きしめた。

 温かく、柔らかで深い愛に満ちた抱擁にノノの心に溜まっていた澱みが浄化されていく。


「この傷も、これまでの傷も全て私の責任です。気に病むことはない……と言っても、ノノちゃんは気に病んでしまいますよね。でも、これだけは覚えておいてください。負った傷以上にノノちゃんは私を癒してくれています。生まれた時から、身体も、心も。ノノちゃんが居てくれなければとっくの昔に壊れていましたよ」


「エマ様」


「それに今回だってノノちゃんが助けてくれなかったら全員死んでいたかもしれないんですよ」


 ノノが入院している理由は麻薬の過剰摂取による麻薬中毒だ。今は峠を越したが、一時は危篤状態にまでなっていた。

 しかし、彼女以外に麻薬中毒になっていた者は居なかった。

 なぜかと言うとノノがフリティラリアに気付かれないように他の四人に魔術による解毒を行っていたからだ。


 ノノの魔術が無ければエマは覚醒が出来なかった。脱出する手段も無く、頭がお花畑のまま五人仲良く焼死体という可能性も十分にあったのだ。

 ノノが取った行動は全員を救ったと言っても過言ではない。

 

「適材適所ですよ。私は死を撒き散らすことしか出来ない破壊者。それに比べたらノノちゃんの方が出来ることは圧倒的に多いです」

「そんなこと……」


「それと、ロアさんの事は許せないままでいいと思いますよ。嫌いな人の一人や二人居るのは不思議な事ではありませんし。無理に仲良くする必要もないかと。まぁ、原因そのものが言っても説得力無いと思いますが」

「そ、そんなことありません!」


 ようやく落ち着きを取り戻したことを確認して、エマはゆっくりと離れる。

 ノノは赤らんだ瞳を拭う。力は宿っており、今後の行動に支障は無さそうだ。


 エマは深く頭を下げた。

 ノノも深く頭を下げる。

 それは殆ど同時だった。


「今回は相当心配をかけてしまいました。本当にごめんなさい」

「私こそ、私情に飲まれてしまい軽率な振る舞いをしてしまいました。大変申し訳ありませんでした」


 互いに謝罪をしてから顔を上げる。

 前のような重苦しい雰囲気は綺麗になくなり、いつも通りの心地良い雰囲気が二人を包んでいた。



×××



 エマたちの病室から少し離れた病室にはロアが入院している。

 本来はエマとノノと同じ病室だったが、ロアが心底嫌がり暴れる寸前だったので急遽個室を与えられた。

 他の患者とも衝突する可能性を考慮した病院側の配慮である。


 彼女の病室には来客者が二人。

 オルコットとラジスラフだ。彼らはノノのおかげで麻薬のダメージは皆無。軽い検査を受けただけだった。


 男二人は気まずそうな面持ちをしている。その理由は彼らの背後に座らされているバルバトスだ。本物の人間と間違えてしまってもおかしくない程に精巧な造形。本当に見られている気がして落ち着かないのだ。

 ホテルに放置されていたバルバトスを持ってきて、そこに座らせたのはオルコットなのだが、座らせた時と現在の身体の向きが異なっている。

 ロアが操って動かしたのだろう。


 無感情な視線はなるべく意識しないようにしつつ、ラジスラフが白髪混じりの髪を掻きながら苦笑いを浮かべる。


「お嬢ちゃんたちが揃いも揃ってベッドの上なのに、男共は至って健康とはバツが悪いもんだ」

「男だ、女だ、下らない。そんなことを言うために来たなら帰って」

「挨拶に来ただけだから言われずともすぐ帰るさ。今の署内はジジイの手すら借りたい状況だからな」


 肩を竦めるラジスラフ。

 今回の件に関与していた警察職員は相当な数だったらしく、ラムキン署の運営はギリギリとのこと。世間からの風当たりも強く、これからさらに辛い立場になるだろう。


「身から出た錆だ。まあ、俺としては目の上のたんこぶが綺麗に無くなったから好きに動けてありがたいけどな」


 ラジスラフは立ち上がってロアに深々と頭を下げた。


「いきなり何?」

「十年……あまりにも長い時間だ。俺は結局、お嬢ちゃんとの約束を守れなかった。本当にすまなかった。そして、事件解決に協力してくれたことを心より感謝する」


 ロアの表情が揺れる。

 大きな瞳に薄っすらと涙が浮かび、咄嗟に顔を背ける。

 そして、十年共に苦しんでくれていた刑事に一言だけ告げた。


「──ありがとう、刑事さん」

「────っ。ああ」


 ラジスラフは小さく頷き、オルコットの方に顔を向ける。

 オルコットは立ち上がって手を伸ばす。

 強く握手をする。


「お世話になりました」

「こっちこそ」


 オルコットをジッと見てから、ラジスラフは力無く笑う。


「やっぱり青いな」

「え?」

「気楽にな」


 肩をポンポンと叩いて、ラジスラフは病室を後にした。


「で、覗き魔はいつまでいるの?」


 ロアは剣呑な口調でオルコットに問いかける。

 早く帰れ、と全身で表現している。


「俺もすぐに帰るよ」


 ここに来たのはバルバトスをロアに渡すためだ。

 オルコットも決して暇な訳ではない。オリヴィアの指揮下で今回の後処理に走り回っているからだ。

 病室の扉に手をかけたところで、オルコットは振り向いてロアに問いかける。


「あの女を追うのか?」


 ロアの両親を殺した下手人への復讐は果たしたが、元凶、黒幕であるフリティラリア・アルビオンは取り逃がした。

 彼女の復讐はまだ終わっていないのだ。


「当たり前のことを聞くな」

「止まる気はないんだな……」


 彼女の復讐に燃える瞳を見て、オルコットはある決意を固めた。

 それを伝えるためにオルコットは扉から離れて、ロアの前に立つ。


「決めたよ。俺は君の復讐を諦めさせる」

「……何を言っている?」


 それはあまりにも自分勝手な決意。

 偽善的で独善的だ。

 それでも、オルコットは目の前の少女を放っておくことが出来ない。


「我慢ならないんだよ。妹たちと同じくらいの子が復讐に取り憑かれて、人生を台無しにするのが」

「お前に何が分かる!? この決して消えない怒りが、憎しみが、悲しみがどれほどロアを苦しめ、縛り付けているか!」

「ああ、分からないな」

「だったらロアに構うな!」

「残念だけどな、世の中はそんなに冷たくないんだよ!」

「────っ!?」


 オルコットはロアを指差して宣言する。


「孤独は終わりだ。覚悟しろ、ロア・ラーゲンフェルト」



×××



 今回の後日談。

 帝城の謁見の間にて。


「ほほう、此奴がソロモンシリーズの人形遣いか」


 丁寧に編み込まれたミルクティー色の髪、淫魔すら慄く美貌と肢体を持つ合わせる美女──帝国第三皇女オリヴィア・シャルベールは、ロアを頭の先からつま先までじっくりと観察し、どこか楽しそうに呟く。

 フードを剥がされて顔を晒され、おまけに両手を拘束されているのでロアの機嫌は最高に悪い。


「ジロジロ見るな。気持ち悪い」


 皇女相手にも怯まないロア。

 反抗的な態度も一興といった具合に、オリヴィアは笑みを深める。

 その様子を眺めているエマ、ノノ、オルコットの三人は苦笑いだ。

 品定めを終えたオリヴィアは軽快な足取りで階段を登り、豪奢な椅子に腰掛けて脚を組む。


「申し分ない美形、磨けばさらに輝く余地まで残してある。何よりもソロモンシリーズを操る特異性。気に入ったぞ。喜べ人形遣い、妾の寵愛を授けてやる」


 それは、ロアの第三皇女直轄特殊部隊コルニクスの正式加入を意味した。

 普通の帝国国民だったら感涙に咽び泣き、万雷の感謝を紡ぎ続ける程の一大事。

 しかし、ロアは普通とはかけ離れているので心底不愉快そうな表情を浮かべた。


「こんな部隊に身を置くなんて反吐が出る」

さえずれ、囀れ。今日だけは如何なる戯言も目を瞑ってやろう」


 豊満な胸を揺らしながら笑う皇女。

 その揺れ具合で相当ご機嫌だということが分かる。帝国に巣食っていた巨大犯罪を叩き潰せた上に素晴らしい人材まで手に入ったのだ。不機嫌になる要素が無い。


「まぁ、貴女も色々と思うことはあると思いますが、その内慣れますよ」

「気安く話しかけるな」

「誤解は解けたんじゃないんですか?」


 気軽に話しかけてくるエマを睨みつけるロア。


「お前とアイツは同じ存在だ。だからロアはお前のことが心底嫌い。そんなのを狂信してる奴も嫌い。覗き魔の偽善者も嫌い。そいつらを纏めている奴も嫌い。──全員嫌い!」


 ロアの怒号が謁見の間に響き渡った。

 同情の余地はある。

 なぜなら、彼女にとっては最低最悪の環境に身を置くことになってしまったのだから。



×××



ー帝国軍第三皇女直轄特殊部隊コルニクスー


《所属士官》

・エマ・ムエルテ

・ノノ・オリアン・クヴェスト

・ロン・オルコット


《新加入》

・ロア・ラーゲンフェルト


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