case10-10 『協力という名の利用』



 記憶の追体験を終えたオルコットは警察署内の休憩スペースで暫しの休息を取っていた。

 手に持っているコーヒーは殆んど減っていない。

 ぼんやりと天井を見つめるオルコットの脳裏に巡るのはロアの過去だ。


 壮絶の一言しか出てこない。

 年端も行かない少女が背負うにはあまりにも重く苦しい現実だ。きっと、今も彼女は背負いきれていない。だから、憎悪の炎に身を投じて現実の痛みを誤魔化しているのではないだろうか。


 その盲目的な憎悪もエマとの接触によって揺らぎ始めている。

 ロアの精神はすでにどうしようもなく擦り切れているのは、重過ぎる問いをしている時点で明らかだ。

 エマの存在はある意味では精神的支柱になっていた。それが無くなりかけているのだ。

 正直、いつ壊れてもおかしくない。


「大丈夫ですか?」


 舌足らずな可愛らしい声によって、オルコットの思考は中断する。

 目の前にはエマがいた。包帯や絆創膏だらけの姿はやはり慣れない。


「正直、結構キツい」

「ノノちゃんが制御して精神同調は最低限にしてあったんですが……。すいません、危険な役をやらしてしまって」

「俺以外だったら、あの子に拒絶反応が出るかもしれなかったんだろ? 適材適所だ」


 オルコットはコーヒーを一口飲んでから、エマを一瞥する。追体験を経て多くの手がかりを得ることが出来た。その中で信じられないことを感じたのだ。

 言おうか言うまいか迷ったが、何らかの手がかりになると思い情報共有をする。


「ラーゲンフェルト夫妻を死に追いやったのは女だ。でさ……似ているんだよ」

「似ているとは?」

「エマとその女がとにかく似ていたんだ。あの子がエマを敵対視する理由が今なら分かる。別人、絶対にエマじゃないと断言出来る。なのに、雰囲気っていうのか? そういうのが恐ろしいほどに酷似しているんだ。正直、今こうして向き合っていると、実はエマが犯人じゃないのかと錯覚してしまうくらいに」


 濡羽色の毛先を弄りながらエマは興味深そうな表情を浮かべた。真犯人と同一視紛いの認定を喰らって気を悪くする素振りは微塵も無い。


「私のこと憎いですか?」

「いや、全く。そのミイラみたいな姿は見慣れないから早く全快してもらいたいと思っている」

「精神汚染はされていないようですね。なら、犯人は本当に私と似ているんでしょう。それか、私が犯人に似ているか」

「どちらにせよ、早く捕まえないとな。これ以上被害者を増やすわけにはいかない」


 オルコットは一気にコーヒーを飲み干して、カップをゴミ箱に捨ててから頬を叩く。

 気合い十分といった表情でエマと共に会議室へと戻った。



×××



 会議室に戻って、オルコットの目に最初に飛び込んできたのは不機嫌そうなロアだった。

 いや、彼女は終始不機嫌だ。笑う姿はきっと映えるだろうに見ることは恐らく叶わないだろう。

 ロアはオルコットを睨みつけた。


「覗き魔の変態」


 放たれた一言はオルコットの心に傷を負わせるには十分過ぎる鋭さをしていた。


「悪かったとは思っている。本当だ。事件に関すること以外は絶対に口外しないし、忘れるようにする」

「お前の言葉を信じるより頭を射抜いた方が手っ取り早い」


 冗談とは思えない発言にオルコットは冷や汗をかく。

 本当にやりかねない危うさが少女にはあるのだ。

 

「責任は私にありますから、オルコットさんを責めないであげてください」

「お前は元凶、狂信者は共犯、この覗き魔は実行犯。全員に罪があるぞ」


 相変わらず噛み付いてくるロアに疲れたのか、エマは会議室の扉に視線を向けた。


「そんなに私たちと居るのが嫌なら帰ってもらって結構ですよ」

「は?」

「情報はオルコットさんから聞くので。あぁ、治療費はこちらが負担するので気にしないでください」


 淡々と話すエマの声を掻き消すかのようにロアがテーブルを勢いよく叩いた。


「帰れって言っているのか? 勝手に連れてきて、勝手に人の頭の中を除いて……帰れだと? ふざけてるのか?」

「貴女には事件の話を聞きたかっただけです。抵抗したのは貴女ですよ? 素直に協力してくれればすぐに終わったのに」

「ふざけるな! お前に利用されるだけされて帰るなんて絶対に嫌!」


 エマが困ったように首を振る。


「では、どうすれば満足なんですか?」

「お前たちの持ってる情報を全て寄越せ」

「それは無理です。捜査権を持たない一般人に捜査で知りえた情報は教えられません」

「お前──っ!!」


 怒りに身を任せて立ち上がるロアを取り押さえようとオルコットが反射的に動く。

 だが、エマの次の一言でロアは動きをとめる。


「そこで提案です」

「提案?」

「ロアさん、私たちと共に事件を解決しませんか?」


 ロアは呆気に取られた。

 いや、ロアだけではなく、オルコット、ラジスラフもエマの提案が斜め上だったことに思考が停止した。

 ただ、ノノだけは表情を変えなかった。


「お前たちと? 死神、狂信者、覗き魔、腰抜けの嘘吐き共と? ふざけるな馬鹿げてる」

「待ってくれ、エマ。それはいくらなんでも……大体、さっき捜査権が無いって言ったのはエマ自身じゃないか」

「その点は問題ありません。私たちの部隊……コルニクスでしたっけ? ここに一時的に所属させます」

「そんなこと出来るのか? 急な人員補充なんて」

「この部隊の指揮権、人事権など全ての権限はオリヴィアが保有していますから問題ありません。彼女から許可も得ています」

「何でもありだな……この部隊は……」


 それはロアとの戦闘中の時。

 実はミーミルに二つの言伝を頼んでいたのだ。

 一つは限定解除の申請。

 もう一つは、ロアの部隊加入の承認。

 今回の事件にラーゲンフェルト家が絡んでいることを知った時点でエマはロアを捜査に参加させようと考えていた。

 こちらの制御を無視して暴れる可能性は極めて高いが、全く目の届かないところから再び襲撃されるよりはマシという判断だ。

 危険な物は近くで監視していたい。


「ロアさん、逆に考えてみてください。貴女が私たちを利用するんです」


 エマの言葉を頭の中で反芻しながらロアは暫し考え込む。敵である者と協力しなくてはいけないという屈辱と捜査に加わることによって得られる莫大な恩恵を天秤にかける。

 そして、


「いいか、ロアは協力するわけじゃない。ロアはお前たちから得た情報を利用するだけだ。馴れ合う気は毛頭無い」

「それで結構。では、楽しく情報共有しましょうか」


 共有された情報を精査しながら、エマは毛先を弄りながら渋い顔を浮かべる。

 特に悩ませているのはロアの過去で明らかになった敵の強大さだ。


「ラーゲンフェルトさんが勤めていた海運会社が事件に深く関与している可能性は極めて高い。とはいえ、イリネイ・シトニコフさん、マイヤ・ジョーミナさんの事件との関係は不明。……この海運会社について何か情報はありますかラジスラフさん」


 話を振られてラジスラフは白髪混じりの後頭部をさする。どう見てもバツが悪そうで、何か言いにくいことがあるのは自明だった。


「あー、その会社のことなんだがな……」


 歯切れが悪いラジスラフに苛立ちを隠せないロア。

 今にもキレて飛びかかりそうな少女を止めようとオルコットは腰を椅子から僅かに浮かせる。


「その前に昼飯にしないか? 腹が減っちまった」


 当たり障りのないことを言いつつ、ラジスラフは紙に書いた文字をエマたちに見せた。



『ここでは話せない。敵は内部にも潜んでいる』



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