case10-8 『追憶への序章』



 オルコットとロアが警察署にやって来たのは、エマとノノが到着してから二十分後だった。

 病院で別れる前と変化があった。

 ロアは外套を羽織っていた。フードを目深に被り、他者の視線に自分の顔が晒されるのを拒絶している。


「すまない。顔を隠していないと落ち着かないっていうから少し寄り道してきた」

「──っ。いちいち言うな!」


 遅れた理由を報告して、ロアに怒られるオルコット。

 二人の距離がほんの少し縮まっているように見えるのは気のせいだろうか。


「構いませんよ。綺麗な顔立ちしているので隠すなんて勿体無いと思いますけどね」

「お前に褒められて、この顔が余計に嫌いになった」

「貴女が嫌いな分、私が好きになりますよ」

「気持ち悪い」


 声色の節々から漏れ出す憎悪の気配を感じてエマは楽しそうに頷く。

 彼女の隣にいる白縹しろはなだ髪の少女の表情は浮かない。


「よお……って、一日で何をどうしたらそうなるんだ?」

「彼女から話を聞こうとした結果です」


 煙草を咥えてやって来た壮年の刑事──ラジスラフはエマの怪我を見て驚きを露わにする。

 エマは肩を竦めて、視線をロアへと誘導した。

 ラジスラフは屈んでフードの奥にある顔を見て、驚きのあまり咥えていた煙草を落とした。


「お前さん、ロア・ラーゲンフェルトか?」

「その声……あの時の刑事」


 興味示したロアが顔を上げる。フードを脱いでラジスラフと向き合う。が、目は相変わらず合わせない。


「大きくなって、随分べっぴんさんになったな。欲を言えば絆創膏無しの顔が見たいものだ」


 軽い口調に苛立ったのか、ロアは眉間にシワを寄せる。

 

「パパとママの事件から逃げた奴が、まだのうのうと刑事をやっているなんて思わなかった。この恥知らずが」

「耳が痛いな……」


 ロアの辛辣な物言いにラジスラフは一瞬表情を曇らせるが、すぐに苦笑いを浮かべながら頬を掻いた。

 空気が露骨に悪くなるのを感じていたオルコットはロアに苦言を呈した。


「全方位に喧嘩売るような真似は身を滅ぼすからやめた方がいい。思うところはあるだろうけど、ここにいる全員が事件解決っていう方向を向いているんだ」

「ロアの人生はもう終わってる。今さら身が滅びても何も感じない。それに事件解決なら、そこの死神を殺して終わりだ!」


 指差されたエマは小さく溜め息を吐いて肩を竦めた。

 もうそろそろいい加減にして欲しい、といった面持ちをしていた。


「まずその前提から考え直してくれませんかね? 貴女の事件って十年前ですよね? 私は三歳ですよ。家の外にすらロクに出れない子どもが、どうやってラムキンまで行って見ず知らずの人を殺すんですか? そもそも三歳の時は殺人嗜好ではありませんし」

「この男と同じことを言って……」


 ロアは奥歯を噛み締めながら、忌々しそうにオルコットの方を見た。

 睨まれたオルコットは咳払いをして話を本題へと持っていく。


「とにかく彼女から話を聞こう」


 場所を会議室へと移し、それぞれが椅子に腰掛ける。

 オルコットはスーツの内ポケットから手帳を取り出して、メモを取る準備を始める。


「では、事件当日の事を教えてください」

「それはお前が一番よく知っているだろ」


 テーブルを挟んでエマを睨みつけるロア。

 エマは呆れたように椅子にもたれかかって、ノノの方に顔を向けた。


「このままでは埒があかないのでアレお願い出来ますか?」

「承知致しました」


 ノノはスッと椅子から立ち上がり、反対側に座っているロアの元へと移動する。

 怪訝な表情を浮かべるロアの隣にゆっくりと腰かけて、ノノは白縹しろはなだ色の瞳を向ける。


 ノノに至近距離で見つめられるというのはそれだけで癒しの効果がある。さらに加えて『魅了』によって心が幸福に包まれ、高揚してしまい、蕩けてしまう。

 まさに魔貌である。


「何だ? その不細工な顔を見せるな」


 しかし、ロアは嫌悪に顔を歪めて視線をすぐに逸らす。

 ノノは若干眉を吊り上げる。

 誹謗中傷が原因ではなく、これまでの態度全てだ。

 ムキになったノノはロアの顔を強引に掴んで視線を強制的に合わせる。


「私の眼を見てください」

「離せ! 狂信者が気安くロアに触るな!」


 怒鳴るロアを無視して、ノノは彼女の瞳を凝視する。

 それからゆっくり、とてもゆっくりと言葉を繰り返す。


「私の、眼を、見て」


 すると、徐々にロアの抵抗が弱まっていく。その表情には先程までの怒りは無くなり、少し惚けていた。

 ノノはグイッと顔を近付けて、ロアの耳元でゆっくりと囁いた。


「私の声を聞いていると、少しずつ身体の力が抜けていきます。身体の力が抜けると、心が段々と落ち着いていきます。もしかしたら既に深く落ち着いているのかもしれません。まるでゆりかごに揺られているような心地良さに貴女は包まれていきます。それは、とても穏やかでゆったりとした気持ち良さではありませんか?」


 すると、ロアは力無く椅子にもたれかかる。瞳は虚空を見つめていて、先程までの暴れようが嘘のように大人しくなった。

 その様子にオルコット、ラジスラフの二人は驚きを隠せない。


「ラーゲンフェルトの嬢ちゃんはどうなったんだ?」

「俗に言う催眠状態ですよ。あんなに敵意剥き出しにされていては聞きたいことも聞けませんからね」


 エマの説明を聞いてラジスラフは関心の声を零しながら煙草に火を点ける。


「こりゃすげぇな」

「本当に何でも出来るんだな」

「いえそんな……まだまだ至らない点ばかりです」


 オルコットはノノの新たな一面を目の当たりにして驚愕し、賞賛の声を漏らす。

 ノノは謙遜するも褒められてたのは素直に嬉しかったようで少し頬を赤らめる。


「さて、大人しくなったところで話を聞きましょうか」

「こんな状態で話せるのか?」

「問題ありません。催眠療法とかあるくらいですから」


 エマは少し前のめりになり、ロアに問いかける。


「事件当日のことを聞かせてくれませんか?」

「………………」


 無言。

 不思議そうに首を傾げて、エマは再度問いかける。


 無言。

 念のためにもう一度問いかけてみる。


 やはり無言。

 三回の試行によりエマは納得したように溜め息を漏らした。


「この人、潜在意識下でも私を拒絶しているようですね」


 本当にそうなのか確認のためにオルコットに適当な問いかけをしてもらう。

 すると、ゆっくりと夢うつつな口調で答えを返した。


 そういうわけで質問役をオルコットにして事件の話を聞こうとするが、先程と同様に無言を貫く。

 どういうことなんだ、と疑問符を頭に浮かべていると……。


「あー、あれですか。私がいるから事件のことも話したくないと。もう、大分面倒臭いんですが」


 エマは諦念したような口調で不満を漏らす。

 椅子にもたれかかり限界まで脱力させて面倒臭いというのを全身で表している。

 完全にやる気をなくしている。


「分かりました。話を聞くのはやめましょう」

「じゃあ、どうするんだ? 彼女の証言は諦めて別の方から捜査を進めるか?」

「それも有りですが、彼女の記憶は重要な手がかりです。話が聞けないのなら、実際に見ましょう」

「どういうことだ?」


 困惑するオルコットに対して、エマはニヤリと笑う。


「記憶を見るんですよ。追体験すると言ってもいいです」

「そんなこと出来るのか?」

「ノノちゃんにかかれば造作もないです」


 オルコットはノノに視線を向ける。

 彼女はあわあわしながらも肯定する。


「その、造作もなくはないですが、一応は可能です」

「というわけでオルコットさん見てきてください」

「俺が?」

「ええ、私、ノノちゃん、ラジスラフさんは一応当事者なので彼女から拒絶されてしまいます」


 今回の件との繋がりが最も薄い──だからこそオルコットは強力なカードになるのだ。

 オルコットの表情は浮かない。


「人の記憶を勝手に覗くのは気が引けるな……」

「過去の呪縛にとらわれた彼女を救えると思えば少しは気が楽になるのでは?」

「まぁ……そうか。うん、そういうことにしよう」


 エマの口車にあえて乗り、彼女の記憶を覗くことを決意する。


「それで、どうやるんだ?」


 オルコットの疑問に対して、ノノが手を差し出す。

 そういう彼女のもう一方の手はロアと繋がっていた。


「私がお二人を繋ぎます。オルコットさんも催眠状態に入ってもらいますね」

「分かった」


 差し出された手を握り、オルコットは椅子に深く座る。

 ノノは催眠をかける前に呟く。


「ちゃんと診てますから。もし危険だと判断したらすぐに引き上げますね」

「ああ、任せるよ」


 オルコットはノノに信頼の笑みを見せる。

 これまで近くで見てきたから分かる。ノノは間違いなく優秀だ。出来ることの多さでは他の追随を許さない。



×××



 ノノの催眠誘導によってオルコットの意識は現世から遠のいていく。


 徐々に────。

 ゆっくりと────。

 心地が良く────。

 遠のいていく────。


 そして────。

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