case10-6 『一触即発』
エマはノノとの約束通り朝方にホテルへやって来た。
しかし、ノノはエマを見た瞬間に気を失ってしまった。倒れそうになる彼女を支えたオルコットも顔を引き攣らせていた。
それもその筈。
今のエマは誰がどう見てもボロボロだった。天使のような美しさだった容姿は無数の傷と腫れで酷いことになっている。垂れ下がってピクリとも動かない左腕は折れており、服装も至るところが汚れ破けていた。
凄まじい戦闘が繰り広げられていたのだ、とオルコットは容易に想像が出来た。
彼の意識はエマが右手に握っている縄の先に向いた。
縄で手足を縛れて拘束されている少女。
気を失っているようで身動き一つしない。
「その子がロア・ラーゲンフェルト?」
「えぇ、かなり手こずりましたけど」
「相当の手練れだったんだな。そんな怪我を負っているエマは初めて見たよ。とにかく手当てしよう」
救急箱を借りた後、泊まっていた部屋へ。
ノノをベッドに寝かせる。
エマはソファーに深く座り大きく息を吐く。
オルコットは救急箱を開き手当ての準備を始めた。
脱脂綿に消毒液を付けながら、
「なぁ、ノノちゃんを起こした方がいいんじゃないか? 治癒魔術ならすぐ治るだろうし」
「いえ、寝かしてあげてください。一睡もしていないですよね、ノノちゃん、オルコットさんも」
小さく息を吐いてから、痛みを訴え続ける左腕に意識を向ける。
「それにノノちゃんの心配を蔑ろにした罰です。この痛みは私が背負うべきものです」
オルコットはエマの意思を尊重して、手当てに専念することにした。
「滲みるから少し我慢してくれ」
エマは頷き、オルコットに全てを任せる。
その手付きは随分と慣れており、適切な処置を進めていく。
手当てが完了した時、エマはどう見ても大怪我人だった。左眼は絆創膏で覆われ、額を始めとした至る箇所に包帯が巻かれている。左腕は三角巾で固定されていた。
「無様な姿だな、エマ・ムエルテ」
複数人用のソファーに横にされているロアが包帯だらけのエマを見ながら口端を小さく上げる。
オルコットはロアの方へと向かう。
「君も手当てしよう。話はそれからだ」
「ロアに近付くな! うっ……」
吠えるロアだが走る痛みに表情を歪めた。
焦るオルコットは軽く触診をして、右腕が折れていることを突き止める。
「折れてるじゃないか! エマ、彼女の拘束解くぞ!」
「構いませんけど気をつけてくださいよ」
ロアの手を縛っていた縄を解くオルコット。
すると、ロアは左手から魔力の糸を伸ばしてソファーの側に置いてあったバルバトスを動かそうとする。
だが、
「ゔぅっ……」
『契約』による負担の余韻がロアを蝕む。
止まっていた筈の鼻血が再び溢れ出す。
「お、おい! 大人しくするんだ!」
暴れるロアに細心の注意を払いながら、必死にオルコットは動きを封じようとする。
エマをここまで追い詰めた相手だ。ある程度の怪我は止むなしと思ったが、意外にもロアの抵抗は弱々しかった。
「離せ! ロアに触れるな!」
「俺だって女の子相手に手荒なことはしたくない! でも、怪我は放って置けないだろ! その鼻血だって明らかに異常だ!」
「黙れ黙れ! エマ・ムエルテの取り巻きはロアの敵だ!」
信じられないくらい激怒しながら暴れ散らかすロアを懸命に止めるオルコット。流石に不憫に思ったエマは助け舟を出す。
「その方はある意味では貴女の同志でもありますよ」
「どういうこと?」
幸いなことにロアは耳を傾けてくれた。
憎悪を抱く相手の言葉など一語たりとも聞く気はないというスタンスでなくて助かった。
「オルコットさんは私に関わったせいで人生が狂ってしまったんです。前の居場所には居られなくなり、今は第三皇女の享楽に私たちと共に付き合わせられる日々を送っています」
ロアは長いまつ毛を瞬かせながら、オルコットの方へ視線を向ける。だが、眼は合わせない。
「そうなの?」
「言い方はアレだけど間違いではないな」
苦笑いをしながらオルコットは肯定する。
ロアの表情に怒り以外の感情が浮かんだことを見逃さなかったエマはたたみかける。
「それにオルコットさんは私の頭に銃弾を撃ち込んだんですよ。パーン、と音がしたと思ったら脳味噌ぐちゃぐちゃに掻き混ぜられて……あれは中々に面白い体験でした」
自分の頭を突きながら楽しそうに話すエマに対してオルコットの表情は渋い。
ロアの心を開こうとして話しているのは分かるが、オルコットの傷も開いていることを理解して欲しいところだ。
「あの化物を撃ったの?」
「まあ、事実だよ」
「怒り? 憎しみ?」
「その時エマが間違ったことをしようとしていたんだ。俺はそれを止めるために引き金を引いた。そこに感情は無かったかもしれない」
オルコットの口から発せられた答えにロアは呆気に取られた。
「大義のためなら『死神』すら撃つの?」
「過ちを犯そうとするなら誰であろうとも全力で止める。──もちろん『死神』でもだ」
「そう」
ロアの抵抗する力が弱まった。
どうやらオルコットには少しだけ心を許したようだ。しかし、警戒心は依然として強い。僅かでも不信感を感じたら心の扉は完全に閉じられてしまうだろう。
オルコットは早速手当てを始める。
「俺が出来るのは応急処置だけだ。エマも君もこの後病院に行こう」
「この程度の怪我、シトリーを使えば簡単に治癒出来るのに……。忌々しい」
ロアは恨めしそうにエマを睨みつける。
その視線を愉快そうに浴びながら、
「では、そのシトリーとやらを使えばいいのでは?」
「お前のせいで召喚出来ないんだ!」
「あぁ、その両腕に刻んである魔術刻印って召喚術式ですか」
それまで外套によって隠されてきた両腕にはエマの言ったように術式が刻まれていた。
腕はそれ単体では意味の無さない術式になっていた。
両腕が揃って初めて召喚術式になるようだ。
「両手を合わせてから魔力を流すことによって始めて術式が発動出来るって仕組みですか。なるほど、いざという時、腕を切り落としてしまえばどこかに隠してあるソロモンシリーズは死守出来るというわけですね」
召喚術式手順を回りくどい方法にしている理由をあっさり見抜かれてしまい、ロアは不愉快そうに舌打ちをする。
「というか何体ソロモンシリーズ所有しているんですか。姿が見えなかったものそうだとしたら最低三体。やっぱりソロモンの直系の弟子だったりします?」
「お前にだけは死んでも教えない」
「つれないですね」
「黙れ」
一連の会話を聞きながら手当てをしていたオルコットは苦笑した。
意外と仲良いように思えてしまうのは気のせいだろうか。
×××
応急処置を終えてから少し経ってからノノが目覚めた。──それにより新たなトラブルが発生する。
彼女が起きてから真っ先に気にしたのはエマの容態だ。すぐに治療の体勢に入ろうとするがエマは拒絶。先程、オルコットに話した意思を伝える。
普段、エマの意思は尊重しているノノだが、今回は引き下がらなかった。
結局、話は平行線のまま。オルコットが仲裁に入らなければ延々と続いていただろう。
少し落ち着きを取り戻したノノはロアと対面する。
相手のことは一応は知っているが話したことはない。
ムエルテ家に仕える使用人として正しい行動を、という理念の元でノノは完璧なカーテシーをして自己紹介をした。
「初めまして、エマ様専属使用人のノノ・オリアン・クヴェストと申します。以後お見知りおきを」
ノノの非の打ち所がない所作を目の当たりにした者は大抵が感嘆するか、見惚れてしまう。
しかし、ロアは嫌悪に顔を歪めて舌打ちをする。
ノノの魅了を以ってしてもロアを籠絡することは出来ない。
「どれだけ礼節を身につけても本性を隠せると思うな……狂信者が」
「…………傷を診せてください。治療します」
表情を硬くしながらも治療のために近付こうとするノノを、ロアは右腕を大きく振って拒絶する。
「お前はこの世で二番目に嫌いな存在だ。その顔、見るだけで反吐が出る」
「私も貴女のことは許せません。事件の参考人なので対応しているだけです」
ロアが嘲笑する。
それから憎悪を滾らせた瞳でノノを睨みつける。
「許せない? 大切な存在を殺した相手にその程度の感情しか抱けないの?」
「────っ」
「お前の大切な存在は殺しても生き返る化物だ。どうせ生き返る、と心では安堵しているんだろ?」
「貴女に私の何が分かるんですか!? エマ様が傷つくたびにどれほど心を痛めているか、己の無力さに怒りを覚えているか! 知った気になるのはやめてください!」
涙を滲ませて怒りをあらわにするノノ。
スカートの裾を握りしめ、拳を震わせている姿を見てエマがロアに冷たい殺意を向ける。
「私のことはいくら罵っても構いませんが、これ以上ノノちゃんを愚弄するなら……二度と口を聞けないようにするけど?」
信じられないくらい低い声色にオルコットの背筋が凍りつく。
それは『砕かれた美貌事件』の時を彷彿とさせた。つまり、本気で怒っている。
「なら、狂信者を道連れにしてやる。大切な人が居なくなった世界で絶望に苛まれながら、どうしようもない罪悪感に押し潰されればいい」
一触即発の空気。
仲裁役に回ることが多いノノも今回ばかりは……。
この最悪な空気を変えるために行動をしなければ、とオルコットは胃の痛みを感じながら行動を起こす。
「と、とりあえずさ、まずは病院に行こう。な?」
必死に絞り出した声は上ずっていた。
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