case10-5 『死神と人形遣い』
エマの身体から溢れ出す禍々しい魔力を目の当たりにしても怯まなかったロアの精神力は賞賛されるべきものだ。
しかし、その精神力の根幹にあるのが憎悪という点は非常に痛ましい。
ロアは長年の研鑽、多くの経験によって培われた至高の糸遣いでバルバトスを操る。弓を構え、矢をつがえて、弦を引き絞る──一つ一つの動作が本物の人間以上に洗練されていた。
魔力を込めた一矢が放たれた。
さらに続けて矢が射られる。連続投射は痛みや疲れを知らない人形だからこそ出来る芸当だ。
迫る矢に対して、エマは怯むどころか獰猛に笑う。
体勢を低く構えてから一気に駆ける。
凄まじい速度で空を切る矢と矢の間を潜り抜け、ロアを大鎌の刃圏へと引き摺り込む。
「──っ」
ロアの体感では一瞬の出来事だった。
先程とは比べるのも馬鹿らしくなる程にエマの速度が上がっている。
彼女の動体視力では闇夜に妖しく輝く金色の残像しか捉えられない。
エマが大鎌を構えるより前に、ロアはバルバトスを操りつつその場から離脱。
直後に大鎌が半円を描く。もし、判断が一秒遅れていたらロアの胴体は二つに割かれていただろう。
ロアは大鎌の振り終わりにタイミングを合わせて、エマの頭へ矢を放つ。
しかし、放たれた矢は突如出現した漆黒の刃によって切り裂かれてしまう。
それはエマから迸る魔力が形を成した代物。
まるでエマの意志とは無関係に自立して動いているようだ。
「化物が」
「異常者、殺人鬼、化物……さっきから散々な言いようですね。結構傷付いているんですよ? これでも女の子なんですから!」
エマが勢いよく振り向いて跳躍。その反動で道路に亀裂が刻まれる。
物理法則を無視しながら未だ滞空中のロアへと襲いかかった。
「…………っ」
身動きは取れず、前方には大鎌を構えたエマ。
もう数秒経てば命を刈り取る刃がロアに届いてしまう。
その僅かな時間の中でロアは生存への活路を模索する。
──バルバトスで大鎌の一撃を受ける?
ソロモンシリーズは人形とは思えない程に堅牢だ。並の打撃、銃撃、魔術では傷つくことはまず無い。
しかし、エマの攻撃は耐え切れない、とロアの直感が警鐘を鳴らしている。
バルバトスの損失は余りにも大き過ぎる。
かといって、残存魔力の全てを防御に回したとしても受け切れる保証は無い。
もし駄目だったら全てが終わりだ。
「……ぐっ」
ロアは下唇を噛み締めながら、左手を右側へと勢いよく動かす。
その瞬間、エマは真横からの衝撃によって攻撃を強制的に中断させられる。
エマは空中で体勢を整えてから街灯の上に華麗に着地した。
それから壁に張り付くバルバトスに抱きかかえられているロアを見て、納得したように声を溢す。
ここまでの戦いの中でいくつか疑問をエマは持っていた。
一つは矢の爆発。
他の矢はいたって普通の代物だったのに、その矢だけはなぜか爆発した。しかも、エマの都合が悪い瞬間を的確に付いてきた。──まるでタイミングを合わせたかのように。
もう一つは銀色の筒だ。
それ自体が問題ではない。問題なのはそれが転がってきた方向だ。
ロアが居た方向とは全く違うところから来たのだ。
奇妙な事象が数回起こっている。
ロアが何かしているのは察していたが、具体的なことは何一つ分かっていなかった。
しかし、横から喰らった衝撃がエマに答えを与えたのだ。
「私の認識が甘かったです。貴女の人形遣いとしての腕は一流ではありません……超一流でした」
「………………」
「いや、本当に驚いています。まさか、二体同時に操っていたとは」
人形を動かすというのはかなり難しい技術だ。それを人間のように動かすには非常に長い年月と過酷な鍛錬、そして才能が伴う。
ただでさえ難しい操作を必要とする人形を戦闘に用いる者は極少数だ。
その者たちでも一体操るのが限界。
仮に一体以上を操るとしたら、脳の処理が追いつかず、指の動きが致命的に悪くなりまともに人形を動かすことが出来なくなり戦闘にならないだろう。
要は一つの脳で複数の身体を動かしているようなものだ。
それをロアはやってのけているのだ。
化物はどっちだ、とエマは思う。
二体目がどこにいるかは分からない。
何らかの術式か霊装、はたまた人形の性能か──姿を隠す術を持ち合わせているようだ。
「伏兵を見つけたら何だ? ロアは痛くも痒くもない。けど、お前はどうだ?」
ロアが巧みに指を動かすと、バルバトスが壁から手を離し地面に着地する。
それとほぼ同時にエマの背後で爆発が起こった。
瞬時に展開された魔力による防御で衝撃を防ぐ。発生した爆風に緩やかな曲線を描く濡羽色の髪が激しく揺れた。
「あぁ、確かに一理ありますね」
ロアが二体の人形を操っている。
その事実を認知したことによって、エマはロアだけではなく伏兵の人形にも意識を割かなければいけなくなった。
不可視の存在への警戒。
そして、ロアの対処。
これら二点の同時並行処理はかなりのストレスだ。
これが長時間続けばエマの思考力は確実に鈍り、致命的な隙が生まれる可能性が高くなる。
それ以前にすでにかなりの体力を消耗してしまっている。魔力はともかく枷を一つ外したからといって体力が増えたり戻るわけではないのだ。
自分の命にロアの憎悪が手をかけていることを感じて、エマは興奮で身悶える。
己が死に直面して脳内麻薬が止めどなく溢れ出して、麗しの容姿が恍惚に緩み、下腹部が熱を帯びる。
「あははははははははは────っ! 本当に最高です貴女は! もっと、もっともっと殺意を私に向けてください! その眼──殺意剥き出しの眼に見つめられたら、どんどん気持ち良くなっちゃいます! んっ、あはぁ、どうしましょう? どうしましょう? 頭蕩けておかしくなっちゃいそうです!」
完全にハイになったエマは街灯から跳躍。
空中にて瞬時に氷槍を創造。その数は両の手で到底数えきれない。
そして、一斉投射。
凍える死が無感情に天を覆う。
「この変態の異常者が! 絶対に殺してやる!」
無数の氷槍が生み出す威圧感を跳ね除けて、ロアは殺意の赴くままにソロモンシリーズを操る。
伏兵として活用していた人形の操作を放棄して、全ての指をバルバトス操作に費やす。
「拘束解除、炉心稼働制限解除、自動制御機能凍結、神経接続、伝達情報同期」
それは戦闘用として造られたソロモンシリーズに搭載された機能──『契約』。
これにより制限されている本来の性能を引き出すことが出来る。加えて擬似的な神経接続によってより精密で複雑な動きを再現することが可能となる。
その代償として使用者は肉体に多大な負担を負うことになる。
この瞬間、ロアとバルバトスは同一存在へと定義された。
彼女の指の動きは魔力で編まれた糸を伝い、バルバトスは弓を構える。
つがわれた矢には莫大な魔力が込められていた。
ロア自身の魔力に加えて、バルバトスの炉心から生み出された魔力も加算されている。
その総量は計り知れない。
「──射ち滅ぼせ、バルバトス!!!」
本来の性能を解放したバルバトスの強固な骨格によって、限界まで引き絞られた矢が勢いよく放たれた。
天へと昇る矢は帯びた魔力によって更に加速し、光の尾を作り出す。
それはまるで流星のようだった。
降り注ぐ氷の槍が一瞬にして砕け散った。
氷結の殺意など意に介さずに流星と成った矢が一直線にエマへと翔る。
刹那、音が消えた。
矢に圧縮された魔力が一瞬にして膨れ上がり、臨界点に達した直後に轟音と共に大気を激しく揺らす衝撃がミヌエットを席巻した。
発生した爆風によってフードが剥がれ、ロアの容姿が露わになった。
顔には大量の汗が滲み、大量の鼻血が止めどなく溢れ出している。
それを拭うことすら放棄してロアは忌々しそうに空を見上げていた。
「これでも……まだ……」
爆煙が晴れて出現したのは何重にも展開された魔法陣だ。それが纏う魔力は心が浄化されそうな程に神々しく、澄み切っていた。
「──
絶対守護聖壁。
エマの唯一持ち合わせている防御魔術であり切り札の一つである。
エマは自由落下でロアとの距離を詰める。
「今のは肝を冷やしましたよ! 最大出力の
「じゃあ、死ね!」
エマが振るう大鎌を回避して、ロアはバルバトスを操り矢を射る。
直後、激しい頭痛が彼女を襲う。
鼻血も止まらない。
これが『契約』による代償なのは理解していたが、解除する訳にはいかなかった。
「ゔぅぅ──!!」
「あはぁ! その苦痛に歪んだ表情も素敵ですね! 私、貴女の事がどんどん好きになっていきますよ!」
心底楽しそうに大鎌を振り回すエマ。
しかし、彼女は何かに躓いて転倒する。その拍子に大鎌も手放してしまう。
躓いた物の正体はロアが一時的に操作を放棄した人形だ。姿形が見えないのでエマは完全に虚を突かれた。
ここぞとばかりにロアはバルバトスで攻撃を仕掛ける。──弓は使わずに人形の身体のみで。
エマが体勢を整えるより前にバルバトスの蹴りが入る。
「ぐっ」
恐ろしい程の反射神経で一撃を受け切るエマだったが、いつの間にか横にいたロアの拳が顔面を撃ち抜く。
仰け反ったところにバルバトスの強打が入る。
すかさずにロアの強化された打撃が飛んでくる。
一心同体としか言いようのない寸分の隙もない連携攻撃にエマは反撃の糸口が見つからずに、ただ殴られ続けた。
これ以上ないくらいに腫れ上がり殆ど視界が潰れた左眼、頭部からの出血で顔半分が真っ赤に染まる。
「くたばれ、エマ・ムエルテ! 死んでパパとママに償え!」
涙を滲ませるロアの拳によって、エマの左腕が折れた。
痛みを無視して身体を強引に捻って、遠心力を乗せた肘でロアの右腕を砕く。
「あ゛ぐっ!」
その瞬間に僅かな隙が生まれたことをエマは決して見逃さない。
掌底でロアの顎を撃ち抜こうとする。が、ロアの反応が一瞬早く顎を掠める程度になってしまう。
「あ……ぇ……」
しかし、それこそがエマの狙いだった。
ロアは脳震盪を起こして、身体が動かなくなり膝から崩れ落ちてしまう。
魔力の糸も編めなくなったことにより、『契約』も解除されてしまう。
繋がりが消えたバルバトスが力なく地面に伏せた。
肩で息をする血塗れのエマは、動けなくなってもなお憎悪の炎を瞳に灯し、唸り続けるロアを見つめながら、
「ロア・ラーゲンフェルトさん、捜査に協力してもらいますね。因みに拒否権はありませんよ?」
と言ったのだった。
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