case10-4 『再来の憎悪』

case10-4 『再来の憎悪』


 ミヌエットの街を戦場とした二人だけの戦争は苛烈さを増していた。

 エマは大鎌を構えながら建物から建物へと跳躍を繰り返す。縦横無尽に飛び回る少女に重力という枷は存在していないようだ。

 その背後からは魔力が込められた殺意の矢がいくつも迫ってくる。

 身体を矢の方へと捻って、飛来してくる矢を大鎌で難なく切り落とす。


 矢が飛んで来た方向。

 人間と見間違えるほど精巧に作られた人形──バルバトスを操るロアも宙を駆ける。

 エマは金色の瞳を細めながらロアを観察していた。


「ソロモンシリーズを操る時点で分かってはいましたが、魔力操作が桁違いに繊細で丁寧ですね」


 これまでに人形遣いに何度か遭遇したことがあるが、その中でロアの紡ぐ魔力の糸は最も美しい。

 操作技量も間違いなく一級品。そうでなければソロモンシリーズなど操れない。

 加えて彼女は跳躍と着地の瞬間のみ脚を瞬間的に強化している。魔力消費を抑えるためだろう。

 戦闘中に的確に、瞬間的に強化を行うのは難易度が高い。それをさも当然のようにこなしているロアは間違いなく強者だ。


「となれば……ミーミルちゃん」


 エマは建物を飛び移りながら虚空に話しかける。

 すると、黒猫の使い魔が出現する。彼女は状況を瞬時に把握して驚きを露わにした。


「にゃ、にゃ! 戦闘中に何用かにゃ!」

「ちょっと頼みがあるんですけど」

「んにゃ、分かったから早く要件を言うにゃ。戦いは怖いにゃ」


 耳打ちをされて頼みを聞き受けたミーミルは次の瞬間に消失した。


「逃げるな!」


 ロアの怒号と共にバルバトスが矢を放つ。

 先程と同様に大鎌で矢を両断。

 その瞬間、真っ二つになった矢の辺りが光り輝き始める。


「────なっ」


 直後に耳をつんざくような音と共に衝撃がエマの身体を貫く。

 咄嗟に顔を腕で隠す。矢の破片が突き刺さった。

 威力自体は強くはないが体勢を崩すには十分だ。

 結果としてエマは着地予定場所から大きく逸れて建物の壁面にぶつかり、道路へと落下する。


 背中と腕に痛みを感じながら立ち上がろうとするエマへと再び矢が襲う。

 また爆発が起こる可能性を考慮して、エマは氷の防御壁を展開する。

 しかし、その選択は悪手だった。

 半円球の防御壁が完成しかけた時、エマは自身の足元に銀色の筒があることに気がついた。

 その筒に見覚えがあった。


「しまっ────」


 気付いた時には遅い。

 銀色の筒が激しく輝き出して、エマを包み込んだ。

 直後に氷の防御壁の内側から大爆発が起こる。

 弾け飛んだ氷の礫が建物や窓ガラスにコツコツと音を立てて当たる。

 渦巻く煙の中から飛び出したエマ。

 黒い外套は焼け焦げて、白を基調とした衣服は至るところが破れ、雪のように白い肌は火傷と裂傷によって汚される。


 エマは気配を感じて背後に視線を向ける。

 そこには攻撃の構えに入っていたロアがいた。バルバトスではなく己の肉体を武器としている。

 繊細で正確無比な魔力操作によって強化された脚がエマの身体を貫いた。


 深々と入った一撃。

 その衝撃はエマの華奢な体躯では吸収しきれずに、耐えきれなくなった肋が砕ける。

 苦悶の表情を浮かべながらなすすべもなく地面を転がる。


「はっ……はぁ……は、はっ……」


 立ち上がることも出来ずにエマは歩道の上でもがき苦しむ。

 肋が肺に突き刺さり、呼吸が満足に行えないのだ。

 まるで海の中にいるような感覚。

 どんなに求めても肺が機能していないので得ることが出来ない。


 殺意を宿らせた大きな瞳が苦しむエマを見下ろす。


「この程度で終わらないのは分かっている。死んでも蘇る化物……それがお前だ」


 ロアは自分が攻撃を与えた箇所を踏みつける。

 肋が肺の奥深くに侵入する。

 その痛みに呻きながらエマは何度も吐血を繰り返す。


「殺したら傷が治るの……なら死なない範囲で限界まで苦しめてやる。自分から死を選びたくなるくらいの苦痛を与えてやる」

「そ、それは……はっ、た、楽しみですね」


 エマの発言はロアの憎悪をさらに底上げした。

 これ以上ない程に激怒し、エマの胸ぐらを強引に掴んで強化した拳で何度も殴りながら叫ぶ。


「何なんだお前は!? パパとママだけじゃない……多くの人を殺しておいてヘラヘラとしていられる!? お前が殺した数以上に苦しんでいる人がいるのを分かっているのか!?」

「………………」

「お前を殺したいくらい憎んでいる。それと同じくらいこの国に住む人間も嫌いだ。こんな殺人鬼を慕っていて、偶像として消費している人間があちこちにいると思うと吐き気がする! 気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い────! 死神を肯定する人間は一人残らずロアの敵だ!」


 皮が剥がれ、エマの血で染め上がった拳。

 どんなに振り下ろしてもロアの中に燃え滾る憎悪の炎は一向に収まらない。

 それどころか、憎悪の対象はエマだけではなく帝国に住む人間全員になっている。


「なら、殺せばいいじゃないですか?」

「何?」


 血塗れのエマがつくつくと嗤う。

 その異常な光景にロアの拳が止まる。その一瞬、憎悪ではなく恐怖が彼女を支配したのだ。


「帝国に住む人間、全員殺せばいいと言っているんです」

「────っ!」

「貴女にとってお父さん、お母さんは国民全員の命よりも重いということですよね? なら、全ての命をご両親のお墓に捧げましょうよ。それくらいの覚悟ありますよね」


 冗談で言っていない。

 エマは……帝国の死神は本気でロアに提案をしているのだ。

 だからこそ、ロアは二の句が継げない。


「私は失敗したので貴女は成功することを祈っていますよ」

「お前は狂っている」

「貴女もでは?」

「────っ! ロアは……ロアはお前みたいな異常者とは違う!!!」


 ロアは拳を振り上げる。

 その瞬間、違和感に襲われた。

 違和感は疑問に昇華され、答えを導き出そうと頭が高速で回転を始める。


 ──なぜ、エマは普通に喋っている?

 ──先程までは呼吸するのすら苦しんでいたのに。

 ──何が起こっている!?


 答えに辿り着くより前に重い衝撃がロアの腹部を貫いた。

 勢いよく吹き飛ばされて、立てかけてあった看板に激突する。

 何度も咳き込みながら、視線をエマの方へと向けた。


 ゆっくりと立ち上がるエマの身体からは蒸気が立ち昇っていた。

 それに合わせてこれまで負った傷がみるみるうちに治癒していく。

 数秒の時を経てエマは完治し、見た目は戦闘前の状態に戻った。

 とはいえ、莫大な魔力を失ったのは確かだ。


 ロアは驚愕し、奥歯を噛み締めた。

 これまでの攻撃が全て無に帰した事実は少なからず精神的なダメージを与えていた。

 だが、その程度のことでロアの心は、憎悪は決して折れない。


「エマ・ムエルテ」

「ロア・ラーゲンフェルトさん。貴女は紛れもなく強い。なのでこちらも多少は本気を出しましょう」

「本気じゃなかった……? どこまでも人をコケにして」


 体勢を立て直して、バルバトスを構えるロア。

 その瞳には屈辱と憎悪が混在していた。


 それに対して、エマは首を横に振った。


「いえ、今までも十分本気でしたよ。簡単に説明すると私は上層部、オリヴィアによって力の制限をかけられています。で、先ほど第一段階限定解除の許可が下りました」


 ミーミルへの言伝は力の解放の許可だ。

 その返答が第一段階限定解除。

 つまり、第一段階の解除は現在行なっている戦闘のみ認める。現戦闘が終了した後に第一段階拘束を義務とする、ということだ。

 因みにこれを無視した場合、ノノ、マナの処刑が執行される。

 この縛りにエマは苛立ちと同時に上手い方法だと感心している。


 エマは小さく息を吐いて瞳を閉じる。

 意識は奥底に沈んでいき、やがて底へと辿り着く。

 目の前にあるのは数多の鎖によって完全に封じられた自分自身の影。

 その影に触れて、エマは解放の詠唱を唱える。


「──『我に宿し業よ、矮小なる檻から解き放たれる時が来た』」


 その瞬間、エマが纏う魔力が増大し、質が重く禍々しくなる。

 見た目に変化はない。だが、その雰囲気は明らかに異なり、別の存在へと昇華しているようだ。


「これが、死神」


 迸る魔力、威圧感にロアは総毛立つ。

 生命が持ち合わせている死の恐怖が目の前に立っている。

 今にも逃げ出したいという本能がロアを駆り立てる。

 傷も簡単に完治し、殺しても復活する存在と戦うことに意味があるのだろうか。

 もう諦めて逃げた方が懸命なのではないか。

 様々な負の感情が巡る。

 巡る。巡る。巡る。

 それでも、ロアはその場から逃げることはしなかった。

 嵐のように吹き荒れる負の感情の向こうに浮かんだ二人の姿。


「パパ……ママ……」


 最愛の二人。

 すでにこの世には居ない。

 死んだ。

 殺された。

 誰に?


 ──今、目の前にいる存在に!


 ロアの憎悪は本能すら飲み込む。

 全身を怨讐に委ね、燃えるような衝動を糧として死神と対峙する。


「絶対に殺してやる!」

「ええ、ええ! 来てください! その殺意を! その憎悪を! 全て私に注いでください!」


 死神は纏う死の気配を増大させ、死の象徴とも呼べる大鎌を創造して人形遣いに向けて凄惨な笑みを浮かべた。

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