case9-4 『画中の天女』
翌日。
ホテルの部屋にノノとオルコットがやってきた。
身支度を済ませたマナは二人の成果を聞き終えると、狂気的な笑みを浮かべた。
その笑い方に既視感があったオルコットは、思わずエマの方を見てしまう。
エマはノノに髪をとかしてもらっている最中だ。
「推測通りでした?」
「ええ、何から何まで完璧にね。もう興味が失せたから帰ろうかしら」
肩をすくめるマナに、オルコットが噛みついた。
冗談なら見過ごしたかもしれないが、マナのそれは本気の声色だとオルコットは感じたのだ。
「ちょっと待って下さい。それは自分勝手過ぎませんか? ノノちゃんや俺に調べるだけ調べさせて、結果が分かったら放棄するなんて」
反抗的な態度に対して、金色の瞳が鋭さを帯びる。
マナが発する圧力にオルコットは怯みかけるが意地で耐える。
「この私に意見するなんていい度胸ね。何様のつもり?」
「エマたちの仲間として辺境伯に苦言を呈しているだけです」
「仲間? エマを撃ったくせによくそんなことが言えるわね」
何度もその件を引き合いに出されて、癇に障ったオルコットはマナに言い放つ。
「その件は既に片が付いています。処罰は受けましたし、エマとも和解しています。それに、この際だからハッキリ言わせてもらいますが、あの時にエマを撃った判断は今でも正しいと思っています。現場に居なかった辺境伯にとやかく言われる筋合いはありません」
マナは凄まじい形相でオルコットを睨みつけた。口を開こうとするが歯を噛み締めて何も言わずに、部屋から出て行ってしまう。
我に返ったオルコットは、とんでもないことをしてしまったのではないかと焦り出す。
その様子を見ていたエマとノノは、
「オルコットさん凄いですね。お姉様相手に啖呵切るなんて」
「はい、マナ様に真っ向から物申した方は初めて見ました」
「もしかして不味いことした?」
真っ青になるオルコット。
エマとノノは揃って首を傾げた。
「まぁ、大丈夫ですよ。お姉様は心が広いですから」
それからしばらくしてマナは大きな袋を持って戻ってきた。
だが、その袋は少し小さかったようで中身が顔を出していた。──デフォルメされたエマとノノの顔だ。
それは、ホテル内に併設されてるショップに置いてあった大きなエマ、ノノのぬいぐるみだ。
マナのよく分からない行動に堪らずエマが問いかける。
「お姉様、一体何を?」
「この子たちが買って欲しそうな目で見てくるのがいけないのよ。全くぬいぐるみになっても私に甘えてくるなんて困ったものね」
呆れたように肩をすくめたマナは、袋の中を漁って小さな紙袋を引っ張り出してオルコットに突き出した。
「え?」
「受け取りなさい」
言われた通りにオルコットは受け取って、中身を確認した。入っていたのは小さいエマとノノのぬいぐるみだった。
「えっと、これは……」
「卓越した情報収集能力、私相手でも自分の意見を突き通す胆力。エマの近くに男が居るのは業腹だけど、アンタの能力と意志はエマの力になると判断したわ。要は少しだけ認めてあげたってことよ、ロン・オルコット」
オルコットの表情が一気に明るくなった。
マナが小さなエマとノノのぬいぐるみを指差しながら、ぴしゃりと言い放つ。
「いい? 前にも言ったけどエマに不埒な行為を働いたら絶対に許さないから。かと言って欲求を完全に禁止するほど私は冷酷ではないわ。特別にそのぬいぐるみのエマを愛でることだけは許可してあげる。ついでにノノも同様よ」
「は、はぁ」
困惑しているオルコットを見ていたエマがくつくつと笑い、ノノは苦笑いを浮かべていた。
×××
エマたちはシャンティリー美術館に向かった。
犯人を捕まえるための準備をするためだ。
準備といっても外した贋作を元の場所に戻すだけだが。
ともあれ準備を済ませれば、後はその時が来るのをただ待つだけだった。
×××
閉館後のシャンティリー美術館。
昼間のような賑わいが幻覚とも思える程に静寂に満ちていた。
あらゆる美術品も一日中、人の目に晒された疲れを取るように沈黙している。
それ故に、音はよく響いた。
靴音。
さらにもう一つ。車輪が回るような音だ。
やがて、音は止まる。
靴音を奏でていた犯人が目的の場所に辿り着いたのだ。
その瞬間、明かりが灯った。
突然のことに動揺する犯人に対して、エマたちは一切の動揺を見せなかった。
当然だ。
エマ、ノノ、オルコット、マナ、そしてミラナは犯人が来るまでずっと館内で息を潜めていたのだか。
ミラナは犯人を見て、多少の動揺をした。
「館長。どうして貴方が?」
館長は黙秘を貫く。
それに対してエマは館長の隣、車椅子に座らされた包帯の少女を一瞥する。
「彼女が動機ですよね?」
「…………その通りです」
館長は観念したように頷いた。
状況がいまいち飲み込めていないミラナが困惑の色を見せる。彼女に理解してもらうためにエマが語り始めた。
「彼女は館長さんの妹さんです」
「妹?」
「はい。かなりの美人だったようで、地元でも有名だったらしいです。しかし、美人故に彼女は悲劇に見舞われてしまいました」
ミラナは包帯に覆われた館長の妹を見て、察して顔を青くした。
その顔色の変化に気付きつつエマは続けた。
「数年前、学生だった彼女は下校途中に同じ学校に通う男子生徒に酸をかけられたんです。なんでも告白を断られた腹いせにやったそうです。男子生徒からすればその場限りの憂さ晴らしだったかもしれませんが、彼女は一生消えない傷を負ってしまいました」
言葉を区切って、エマは館長を金色の瞳に捉える。
「そして、その男子生徒が昨日遺体となって発見されたフランクさんです。彼は画家を目指していましたが、目に見えた活躍はしていませんでした。しかし、つい最近彼にはパトロンが付いていたようです」
「パトロンは私です。そうです、私がアイツを……あのクズを殺しました。アイツはカロラの人生を滅茶苦茶にしました。そんな奴がのうのうと生きているなんておかしいじゃないですか。だから、殺したんです」
言い逃れはする気がないようで、館長はあっさりと自分の罪を認めた。
このまま解決に向かいそうな雰囲気にミラナが待ったをかける。
「待って。これは殺人事件の話よね? これと贋作の件がどう関係しているのか全く分からないわ」
「ちゃんと繋がっているんですよ。ここからはお姉様が説明します」
エマはマナにバトンを渡す。
しっかりと受け取ったマナは金髪を優雅に払って話を始めた。
「まず、エマが私の所に持ってきた贋作。それには違和感があったわ。それでノノに調べてもらったら、あることが分かった。絵に描かれている女性の脚の部分に術式が刻み込まれていたわ」
「術式? それは魔術ということ?」
「おっしゃる通りです、ミラナ様。けど、術式はあからさまに不完全だった。美術館に展示された計七枚の贋作、不完全な術式。そして、なにより無数にある作品からその七枚を選び、あえて展示したか」
館長はモノクルを布で拭きながら、自身の計画が明かされていくのをただ聞いていた。
「ポイントは二つ。一つ、選ばれた作品はどれもが女性単体であること。二つ、展示されている位置。これに贋作の枚数を考慮したら、何をしようとしていたかは明白よ」
マナは天に向かって指を伸ばす。
「贋作に組み込まれた術式は身体の部位にあった。星々は人体の部位に置き換えることが出来る。── つまり、貴方は天体を利用した魔術で妹に新たな肉体を与えようとしたのね」
館長は一切の否定をせずに首肯した。
それは、マナの推理が完璧だった証明でもある。
「その通りです。きっかけはあの男が画家を目指していることを偶然にも知ったことです。その時、私はあの男への復讐とカロラの人生を取り戻す、その両方を同時に行える計画を立てたんです。片方は達成出来ましたが、もう片方は失敗のようですね」
マナは大きく溜め息を吐き、同情の面持ちで館長を見つめた。
妹を持つ身として館長の気持ちが分かってしまったのだ。
仮にエマが何者かに危害を与えられ一生の傷を負ったら、マナはどんな手を使ってでも加害者を見つけ出し地獄に叩き落すだろう。そして、あらゆる方法でエマの傷を癒そうと奮闘するだろう。
だからこそ館長を糾弾する。
「贋作に組み込まれた術式はお粗末もいいところ。誰かの入れ知恵か、文献で知ったかは知らないけど、あのまま使っていたら妹は死んでいたわよ」
「そ、そんな……私は……」
「魔術は見様見真似で出来るほど簡単な物じゃないわ。もっと安全な方法を選ばなかったの?」
館長は膝から崩れ落ちた。それから這うように妹であるカロラを抱きしめた。
「どの医療機関に行っても手遅れだって言われたんです。それでもカロラの顔を、人生を取り戻したかったんです。だから……だから、魔術に……しかし、私は危うくカロラの命まで……」
「貴方、私たちに捕まって幸運よ。警察なら捕まえてお終いかもしれないけど、私たちはその先を与えてあげるんだから」
「それはどういうことですか?」
首を傾げる館長。
「妹を治せる治癒術師を紹介するわ。法外な報酬金を提示してくるけど、それに見合った腕を持っているのは保証するわ」
マナの言う治癒術師のことはエマも知っているし、何度か会ったこともある。
ノノの姉が仕えている貴族の臣下だ。王国で宮廷魔術師の称号を持っていたが剥奪された異端児だ。
色々と問題がある人物だが、その治癒能力は超一流なのは確かだ。
マナは館長とカロラに近づき問いかける。
「後は貴女の覚悟の問題よ」
カロラはひび割れた唇を懸命に動かす。
今にも消えそうな掠れた声。
たった一言を述べるだけでも時間を使う。
マナは決して急かしたりせずに、その一言を待った。
「もと、の、生活に……お、兄ちゃん、と、暮らしたい」
「大丈夫、貴女なら必ず成し遂げられるわ」
マナはカロラの包帯に包まれた頭を優しく撫でた。
×××
それから数日後。
エマは再び閉館後のシャンティリー美術館を訪れていた。
館内をふらふらと歩いていたが、ある美術品の前で立ち止まる。
丁度そこにはもう一人。
エマはその人物、ミラナに向かって話しかけた。
「これは本物なんですよね?」
「えぇ」
目を皿のようにして画を観察するが、やはりエマには贋作との違いはさっぱり分からなかった。
「すり替えられた本物も全て無事に戻って来た。やっぱり貴女たちに依頼して正解だったわ」
「私は今回何もしてませんよ」
暫しの沈黙の後にミラナが質問してきた。
「館長の妹さんは治りそうなの?」
「顔はともかく、身体の方は完全にとは難しいかもしれませんが、日常生活なら問題なく送れるようになると思います。まぁ、その前に過酷なリハビリが待っていますからね。乗り越えられるかどうかは彼女次第ですね」
「そう」
呟くミラナの横顔は安堵に緩んでいた。
たった一人の国民に対して、ここまで共感する皇子、皇女は恐らく彼女だけだろう。
傲岸不遜のオリヴィアは言わずもがな、他の者にも一癖も二癖もある。共通しているのは我が強く、協調性の欠如。はっきり言ってろくでもない。
次期皇帝としてミラナを推したい。が、現実的でないのが悲しい。
エマは思い出したように話題を切り替えた。
「そういえば、今回の件はミラナ様の予想通りでしたよ。犯行の裏に何らかの組織が関与していた可能性が浮上しました。美術品を一人で全てすり替えるのは現実的ではないですからね。組織については館長は黙秘を貫いているようですが」
ただ、館長の取り調べの中で何度も『あの方』という謎の人物が出てきたらしい。
エマが取り扱った事件のいくつかに登場している『あの方』。
それがどういった人物かは全く分からない。
「それと一つ。ミラナ様は贋作を見抜けなかったって言ってましたが、それは誤りです。あの贋作はミラナ様が気付いたその日にすり替えられてたようです」
「そうなの?」
「はい、館長がそう供述したようです。ミラナ様の審美眼は確かなものですから自信持って下さい……って、皇女様に言うのは無礼ですかね」
つまり、今回の一番の貢献者はミラナである、そうエマは思った。
ミラナはくすりと笑う。
「もしかして、それを言いに来てくれたの?」
「さぁ、どうでしょうね」
「オリヴィアお姉様より先に貴女を見つけたかったわ」
笑みを浮かべて言うミラナに対して、エマは肩を竦めた。
「仮に第三皇女より先に出会っても、ミラナ様とは距離を置きますよ」
「なぜ? 私のことが嫌い?」
少し悲しそうな顔をするミラナ。
エマは首を横に振って、羨望の混じった笑みを向けた。
「貴女は眩しすぎます。近くにいると眼が眩んでしまうんですよ」
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