case9-3 『二人だけの時間』



 エマとマナの姉妹よりひと足先に帝都に戻ってきたオルコットはメモに書かれてある住所へと向かっていた。

 鼓膜には未だに銃声の余韻が残っている。

 オルコットの口から溜め息が零れた。


「エマもオリヴィア様も辺境伯も癖が強いんだよな。ノノちゃんみたいに優しかったら天国なのに」


 きっと周りから見たらオルコットの立場は羨ましいのだろう。

 全員もれなく美女で高貴な身分。同じ空間に居て、同じ空気を吸っているのが名誉だと言い張る過激派もいるかもしれない。

 しかし、そこに彼女たちの性格が考慮されていない。


 かたや、良識人の皮を被った殺人嗜好者。

 かたや、超絶傲慢で人を人として見ているのか怪しい皇女。

 かたや、人に向かって真顔で銃をブッ放す貴族。


 それぞれが性格破綻者だ。

 エマにはそれなりに慣れたが、オリヴィア、そして先程初対面をしたマナは、オルコットの精神を容赦なく削り取っていく。

 壊れないで済んでいるのはノノのおかげだろう。


 結果的にノノへの好感度が上がる結論が出たところで、オルコットはメモに記されていた住所へ辿り着いた。

 これといって特徴がある訳ではない普通の建物だ。

 室内の壁には様々な絵画が飾られている。

 広間に進むと、数十人の男女がいた。年齢にはバラつきがあり、ある者はキャンパスに向かい、ある者はスケッチブック片手に模写をしている。


 オルコットが話を聞くと、ここは画家を目指す者たちが集うコミュニティのようだ。

 確かに贋作者の情報を集めるなら、多くの画家の卵が集まるここは最適解になりうる。

 疑問なのは、ここの存在をなぜマナが知っていたのかということかだ。


「ここ最近、いつもと様子が違う人は居た?」


 いくつかの質問の後に、この質問を投げると複数の人が同じ名を挙げた。


「そう言えばフランクが最近羽振りが良さそうだったよな」

「そうそう、それで私気になったから聞いてみたの。びっくりしちゃったんだけど、パトロンがついたって」

「本当かよ!? まぁ、アイツは絵の才能があったからな」


 手帳にメモをした後に、オルコットは言う。


「今日フランクは来ている? 来ていたら話を聞きたいんだけど」

「しばらく来てないですね。住所知ってますけど」

「教えてもらえると助かるよ」


 住所をメモにしっかりと書き込んで、コミュニティを後にする。



×××



 フランクの住んでいる場所は、かなり年季の入ったアパートの一室だった。

 立地条件のせいか薄暗く、湿ったような陰気な雰囲気がある。

 階段を上がっていって、一番奥の部屋の前に立ちノックをする。

 反応はない。


「留守か?」


 何気なくドアノブに触れて捻ると扉が開いた。

 その瞬間にオルコットの顔つきが変わった。

 刑事の勘というヤツかもしれない。

 携帯していた拳銃を構えて、慎重に部屋の中に入っていく。


 その先の光景を見たオルコットは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。


「おいおい、冗談だろ」


 ベッドの上。

 フランクとおぼしき二十代の男性が、服を真っ赤に染めて絶命していた。



×××



 シャンティリー美術館。

 マナは後ろで手を組みながら、満足げな表情で美術品を眺めながら館内を巡回している。

 その後をくっついて歩いていたエマは美術品そっちのけで、肩の上に乗っている黒猫ミーミルからの報告を聞いていた。


「お姉様お姉様」

「ちょっと静かにしなさい。今大事なところなのよ」

「美術鑑賞よりこっちの方を優先して欲しいのですが……」


 エマの苦言に、マナは大きくため息を吐く。


「どうせ贋作者が殺された、とかでしょ?」

「まぁ、その通りなんですが。正確には贋作者候補です」


 肯定を聞くとマナはもう一度大きなため息を零してから肩をすくめる。

 まるで予想通りだと言わんばかりの様子だ。


「贋作者はソイツで確定よ。このタイミングで無名の画家が殺されるなんて偶然にしては出来過ぎ。偶然でなければ必然よ」


「なぜ無名の画家と断言出来るんですか?」


「アンタ馬鹿? それなりに活動している画家を使ったら簡単に足がつくのは明白。それなら無名の画家を使う方が合理的でしょ。それに無名よ? 大金をチラつかせるなり、パトロンになるとか言えば面白いくらいに従順になるわ」


 特に反論するところもないので頷く。

 しかし、エマの関心はすでにそこにはなかった。

 金色の瞳でじっとりと見つめていると、マナは頬を微かに緩める。


「なに? 私のことが好き過ぎてついつい熱い眼差しを向けてしまうのは分かるけど時と場所を弁えなさい」


「そういうつもりではないんですけど。……お姉様、今回の件、もう既に犯人が分かっていますよね?」


「ええ、アンタから話を聞いた時点で分かったわ」


 あっけらかんと言うマナに対して、エマは特に何も言うことはない。

 今回の件も純粋な捜査協力ではないのは百も承知だ。

 仮に犯人は誰だと聞いても答えは帰って来ないだろう。

 言っていたではないか、マナは『息抜き』と。


「お姉様の目的は絵の謎を解くことですよね? 犯人なんて分かったところでどうでもいい」

「分かっているじゃない。犯人が誰かなんて興味ないわ。興味があるのは動機よ」


 マナは多少の沈黙の後にエマに言う。


「あの男に追加調査を頼んで」

「オルコットさんです。名前くらい覚えてあげてくださいよ。それで何を……いえ、分かりました」


 エマはミーミルに追加調査の内容をオルコットに伝えるようにお願いをしてから、いつの間にか先を行っているマナを追いかけた。


 美術品鑑賞を楽しんでいるだけのように見えるが、マナはちゃんと捜査をしている。

 かなりの時間をかけて館内を一周した頃にはすっかり閉館時間になっていた。

 

「それでお姉様、違和感のある絵は見つかりました?」

「六枚あったわ。どれもが贋作ね」

「六枚もあったんですか? どれがどれだかさっぱりでした」

「アンタの鑑識眼の低さには頭が痛くなるけど、今は置いといてあげるわ」


 マナの判断で贋作はそのまま展示しておくことになった。


 美術館を出た二人を夜の帝都が歓迎した。

 今宵は屋敷には戻らずにホテルに泊まることになった。

 ホテルへと向かう道中、マナはパンフレットを眺めながら歩く。見ていたのは館内マップのところだった。


 内なる世界で思考を繰り返すマナ。

 こうなってしまうと外部の情報は完全に遮断されてしまう。なので、道路に飛び出したり、人にぶつからないようにエマが手を繋ぎ誘導する。


 エマは物思いに耽るマナの顔が特に好きで見つめてしまう。

 マナは色んな顔を持っている。

 貴族としての顔。

 雇用主としての顔。

 優等生としての顔。

 姉としての顔。

 どのマナも美しく、強く、優雅だ。


 しかし、浮かべているのは『素の顔』なのだ。

 あらゆる肩書きを放棄した、ただ一人のマナがそこにいる。

 そして、素を見せるのはエマの前のみ。

 マナが一番輝いている瞬間を唯一堪能出来る。──エマだけの特権だ。



×××



 マナがようやく言葉を発したのは、部屋を借りてソファーに腰掛けた時だった。


「全く理解出来ないわ」


 漆黒の外套をハンガーにかけようとしていたエマの手が止まる。


「珍しいですね、お姉様が行き詰まるなんて」

「私が行き詰まる? アンタ、寝言は寝て言いなさい」

「では、分かったんですか? 犯人の動機も」

「ええ、全ての贋作を見た時に犯人が何をしようとしているかは予想がついたわ。その動機も。でも、それがどうしても理解出来ないのよ」


 マナは金色の髪を指で弄りながらソファーにもたれかかる。


「因みに犯人の動機はなんだったんですか?」

「一言で表すなら、究極の美ってところかしら」

「究極の美、ですか」

「あくまでも推測よ。ノノの解析結果とあの男の調査結果を聞かない限り断言は出来ないわ。まあ、完璧に合っているでしょうね」


 とんでもない自信だが、マナのこれまでの功績が嘘やハッタリでは無いと証明している。



×××



 熱いシャワーで疲れと一日の汚れを綺麗に流す。

 濡れた髪をタオルで拭きながら出てきたエマの視界にとある光景が映り込む。

 ベッドの上に座って、乾かした金髪を撫でながらそわそわするマナの姿だ。

 そのネグリジェ姿を写真に収めて売れば相当な利益を得られるだろう、とエマは思ってしまう。


「どうしたんですか?」

「別になんでもないわよ。ただ、枕がいつもと違うから……」


 珍しく言い淀むマナの様子にエマは首を傾げるが、少し考えたらあっさりと真相に辿り着けた。

 枕が云々など嘘である。


「もしかして、まだぬいぐるみが無いと寝れないんですか?」


 その一言にマナの頬が真っ赤に染まり、金色の瞳に涙が滲む。恥ずかしがってる姿はいじらしくて、とても可愛らしかった。

 

 幼い頃からマナは何かを握ったり、抱いてないと寝れなかった。子供の時はエマと一緒じゃないと寝れず、今はぬいぐるみが無いと寝れないのだ。

 因みに屋敷では、マナの誕生日にエマがプレゼントした大きな猫のぬいぐるみと毎日寝ている。


「そうよ! 文句ある? だって、寝れないものは寝れないのよ! しょうがないじゃない!」


「文句なんてとんでもない。そういう可愛いところもあるお姉様が大好きですから」


「そ、そう、当然の返答ね。私への愛を素直に述べたご褒美として、特別に一緒に寝てあげるわ」


 当然、マナが一緒に寝たいのは丸わかりなのだが、エマはあえて突っ込まない。

 エマはマナに抱きつく。温かくて、いい匂いがする。幼い頃から変わらない姉の感触に気持ちが落ち着いた。


「ふふ、本当に私のことが好きなのね」


 そう言って、マナは濡羽色の髪を優しく撫でた。

 麗しき姉妹の憩いの時間はゆっくりと過ぎていく。




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