case9-2 『結局似た者同士』
「なんだこりゃ……」
エマの実家であるムエルテ邸に足を踏み入れたオルコットは、あまりの広さに驚きの声を零す。
玄関一つとっても広く落ち着かない。オルコット家の玄関の何倍、何十倍だ。
それに使用人が出迎えてくれるという事実に現実感を失いそうになる。
オルコットはエマに向かって言う。
「こんなに広くて迷ったりしないか?」
「自分の家で迷子になる人がいますか?」
それはそうだ、とオルコットは馬鹿げた質問をしたと思う。
今回、ここに来た理由はエマの姉であり辺境伯でもあるマナ・ムエルテに会うためだ。
エマが知る限り、マナより芸術への造詣が深い者は存在しない。第三皇女オリヴィアも芸術に対する関心は高いがマナには劣っている。
マナの執務室へ向かう途中、件の絵画を運ぶオルコットの表情は少し固い。
その様子を眺めていたノノは揃って首を傾げた。
「オルコットさん、どうしたんですか?」
「これから辺境伯に会うと思うと緊張して」
エマは肩をすくめる。
「皇女に会っておいて、辺境伯に何を緊張するんですか」
「緊張するに決まってるだろ。相手は貴族なんだぞ、貴族」
「そういう風に思うから緊張するんですよ。同僚の身内に会うと程度に考えれば幾分かは楽ですよ」
「あ、ああ」
目的の執務室の前に来た一行。
エマはノックをしてから、返事を待たずに部屋に入っていく。ノノとオルコットも後を追い入室する。
オルコットは執務机で業務に勤しんでいた辺境伯に目を奪われた。
緩い曲線を描き肩まで伸びる金色の髪、知性溢れる金色の瞳。高貴さと気品の良さが溢れ出す麗しの淑女がそこには居た。
確かに姉妹とあって、二人の顔立ちは似ていたがオルコット的には辺境伯の方が好みだった。
マナは業務の手を止めて、ゆっくりとエマの方に顔を向けた。
柔らかな笑みは妹との再会を喜んでいるようだった。
「あら、エマにノノじゃない」
「ご健勝のようで何よりです、お姉様」
「メインクーンの件以来でしたよね、マナ様」
エマは軽く会釈をし、ノノは深々と頭を下げる。
マナは微笑みを絶やさずに立ち上がり、エマとノノの前に立つ。
「ご健勝? ええ、凄くご健勝よ。どこかの誰かのせいで戦争になりかけた件が無ければ、もっとご健勝だったわ」
笑顔に隠された激しい怒りを察して、エマは反射的に顔を逸らす。不思議とデジャブを感じるのは気のせいだろうか。
「な、なんでそのことを……箝口令は徹底されているはずでは……」
「ねぇ、辺境伯は国境地域の防衛を任されているのよ。戦争の可能性が極僅かでも浮上したら情報が来るに決まってるじゃない。しかも、戦争の引き金に指をかけたのが身内となれば尚更ね。ね!?」
「…………」
ぐうの音も出ないとはこういうことを言うのだろう。
いつもは飄々としているエマも、今回ばかりは罰の悪そうな表情をしている。
「アンタ頭おかしいんじゃないの!? 被害請求ならまだ百歩譲って分かるわよ。でも戦争って! 何なの? 私を過労死させたいの!? 本当に本当に本当に迷惑ばかりかけて! もう、大嫌い! 三回くらい死んで生き返りなさいよ!!!」
「お、落ち着いてくださいマナ様。あの件に関しては私に責任があります。なので……」
「当たり前のこと言ってんじゃないわよ! 今回はノノも同罪よ!」
烈火の如く怒り狂うマナの激しい口撃に、エマとノノは無言を貫く。
小一時間の怒鳴り続けた末、ようやく怒りが収まりかけたマナは、それまで棒立していたオルコットを睨みつけた。
オルコットは蛇に睨まられた蛙のように硬直してしまう。
「ロン・オルコットね。
「あ、あの……」
先程の怒り狂うマナがフラッシュバックして、うまく言葉が出てこない。
人生終了の四文字が脳裏に過る。
しかし、マナはオルコットに対して微笑みを向けた。
まさかの対応に呆気に取られるオルコット。
「貴方のおかげで戦争を未然に防げたと聞いているわ。辺境伯として、帝国国民の一人として感謝を述べるわ」
「い、いえ……そんな……」
「それでエマを止めたのね。ちょっと見せてくれないかしら?」
マナは拳銃を指差す。
本当はおいそれと渡していいものではないのだが、逆らうことが出来ずにオルコットは拳銃をホルスターから抜き渡す。
興味深そうに拳銃を観察するマナ。
「へぇ、結構重いのね。錬金術ばかりでこういった銃火器には触れてこなかったから中々面白いわ」
すると、マナはいきなり銃をリロードをし、安全装置を解除して銃口をオルコットに向け、なんの躊躇いもなく引き金を引く。
甲高い音がムエルテ邸に響き渡る。
連続して奏でられる銃声。
空になった薬莢がマナの足元に次々と落ちていく。
やがて、いくら引き金を引いても弾が出てこなくなったのを確認すると、マナは座った瞳でオルコットを睨みつける。
「………………」
オルコットには一発足りとも被弾していない。
全て、彼の横顔スレスレを通過し、執務室の扉に穴を開けていた。
大量の冷や汗をかきながら、オルコットはマナを呆然と見つめる。
オルコットだけではない。
流石のエマ、ノノもマナの奇行に多少は驚いたようだ。
「次、私のエマに危害を加えたら全弾、アンタの脳味噌に撃ち込むから」
「はい……申し訳ありませんでした」
拳銃をオルコットに押し付けて、マナは執務机の椅子に腰掛ける。
「それで、私に用ってなに?」
「実はですね」
先程までの出来事など一切無かったかのようにエマとマナは話を始める。
幻覚でも見ていたのかと錯覚するオルコットだが、絨毯の上に転がっている多くの空薬莢が現実だと教えてくれていた。
少しでもまともな人と思ったのが間違いだった。
あのエマの姉なのだから、どこか狂っていてもおかしくはない。
「──ということで、お姉様に意見を聞きに来た訳です」
「ふぅん、それはつまり私を頼りに来たってことで良いのよね?」
少し前まで怒り狂っていたとは思えない程、マナは露骨に上機嫌になる。
エマは「もちろんです」と肯定し、
「私の知る限り、芸術関係への造詣が深いのはお姉様ですから。どうか知恵を貸してくれませんか?」
「エマも妹としての立場を理解出来てきたようね。良いわ、まずは作品を見せてみなさい」
「ありがとうございます。オルコットさん、テーブルに作品を」
エマの言葉で我に帰ったオルコットは慌ててテーブルの上に絵画を乗せて、包んでいた布を取り払った。
マナは絵画の近くに来て、金色の毛先を指先で弄りながら注意深く観察する。
「ゴルドール・ラッソンの『木漏れ日の隙間で』ね。なるほど、贋作にしては良い出来じゃない」
「因みになんですけど、これは本物とどこが違うのですか?」
「女性の肌の色合いや作者のサインがほんの僅かに違うのよ」
「そうなんですか。特にサインなんて、よくそんな細かいところ気が付きますね」
マナは大きな溜息を吐き、呆れたように首を振る。
「芸術に理解の無いのはこれだから。芸術品は作者のサイン含めて芸術なのよ。その辺は今度じっくりと教えてあげるわ」
「お姉様が教鞭を振るってくれるなんて凄く嬉しいです」
感情皆無の棒読みで受け流す。
興味の無い分野の話を聞くのはどうにも眠くなってしまうから勘弁願いたいところだ。
しばらく贋作を眺めていたマナは、ふとした疑問を口にした。
「贋作ってこれだけなの?」
「これ以外の作品については触れていないので何とも。なぜ、そう思われるんですか?」
「単なる直感。この作品には違和感があるのよ。これ一枚だけじゃ不完全に見えてしまうの。ノノ、この絵調べた?」
急に振られて、ノノは少しあわあわしながら首を横にする。首の動きに合わせて
「いいえ。調べてはいません」
「なら調べてちょうだい。もしかしたら違和感の正体が隠れているかもしれないから」
「はい! 承知致しました!」
気持ちの良い返事に満足気なマナは、エマに視線を向ける。
「エマは私と来なさない」
「美術館へ?」
「そうよ」
「お姉様も捜査に参加してくれるんですか?」
「ええ、興味が出てきたから。それに学業や執務ばかりだと退屈してしまうもの。息抜きよ」
事件を息抜きと言えるマナの肝の座りようには一目置いてしまう。
しかし、強力な助っ人であることは変わりない。
「あ、あの、俺は何をすれば?」
一人、役割を振られていないオルコットが恐る恐る手を挙げた。
マナの興味無さそうな視線がチクチクと彼の心を痛める。
「そういえば居たわね。何が得意なの?」
「えっと、情報収集には多少の自信があります」
マナは「そう」と素っ気なく呟き、執務机に転がっていた万年筆を手に取り紙の上を走らせる。
その紙をオルコットに差し出す。
「アンタは贋作者を探しなさい。ここに書いてある場所に行けば多少なりとも情報は得られるはずだから」
「はい!」
紙を受け取ったオルコットは気合を入れて、執務室を飛び出す。
その様子を眺めていたマナは腕を組んでエマとノノに対して言う。
「あの駒使えなかったら承知しないわよ」
「大丈夫ですよ。オルコットさんは優秀ですから」
「あっそ」
「それとお姉様。人を駒扱いするのはどうかと思いますよ」
「私が直々に使ってあげてるのよ。感涙に咽び頭を垂れても全然足りないわ。それに害虫と同じ感覚で人を殺すアンタよりよっぽど優しいわ」
それも一理あるかもしれない、とエマは思いつつ、マナの外出準備を待つことにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。