case9.画中の天女
case9-1 『皇女の依頼』
シャンティリー美術館。
帝都最大の美術館であり、観光客にも大人気のスポットである。観客動員数は世界第二位を誇り、古代文明から始まり全ての時代の美術品が余すことなく所蔵されているとも言われている。
美術品だけではなく、美術館自体も芸術作品であり慧眼な有識者から賞賛を浴びている。
しかし、シャンティリー美術館が脚光を浴びるようになったのはここ数年での話だ。それどころか数年前は取り壊しの話が出るほど経営不振だった。
その危機を救ったのが帝国第五皇女ミラナ・シャルベールである。
彼女は芸術をこよなく愛する少女で、シャンティリー美術館が無くなるのが我慢出来ずに再建の指揮を執ったのだ──という旨の案内パンフレットを片手にエマはノノと帝都を歩いていた。
「五番目は芸術好き、ですか。いいですね、真っ当な趣味を嗜む人は好感が持てます」
「だから今回の依頼はすんなり受け入れたんですか?」
「そうですね。それにあんなに真っ直ぐな目で見られた引き受けるしかないですよ」
そう、今回の依頼主はミラナ・シャルベールである。
なんでも美術館の警備強化に魔術を使用と考えているらしく、一応魔術の専門家であるエマとノノにアドバイザーになって欲しいとのことだ。
ミラナのあの健気で真剣な姿は未だに脳裏に焼き付いている。
どこぞの傲慢姫とは大違いだ。
目的地に辿り着くと館長とスタッフ数名がエマたちを歓迎してくれた。
挨拶を交わして、館内を軽く案内してもらうことに。
閉館後ということでどこか物寂しい雰囲気が漂っている。靴音が響いては空気中に溶けて消えていく。
普段は見れない美術館の一面を楽しみながら、エマとノノは美術品を堪能する。
「我々一同、本当に感激しています。帝国にて知らぬ者は居ないと言っても過言では無いお二人に指導して貰えるとは」
館長が見え透いたおべっかを並べる。口髭を伸ばしモノクルを着け、しっかりとしたスーツを着た姿はいかにも芸術詳しいですよ、と言っている。
エマは適当に返事をした。
お世辞を言われたところで何一つ響かない。そんなのは発言者が少しでも気に入られようとする下らない戯言。そこに心というものは存在しない。
それなら、応援に行った地域の警察に皮肉を言われるほうがまだ気持ちが良い。
ざっと案内が終わったところで、一つの美術品の前にて話を始める。会議室で話すより、実際に美術品に対して魔術を使ってみたりしての方が分かりやすいだろうと判断したからだ。
「さて、まず初めになんですが、この中で魔術について少しでも知っているという方はいますか?」
問いに対して館長やスタッフはそれぞれ顔を見合わせてから首を横に振った。
概ね予想通りの結果だ。
仮に知っている者が居たら驚きを露わにしていたいただろう。
「分かりました。では魔術についての基礎を軽くですが教えます。と言っても、私では無くノノちゃんがですが」
「はい! 少しでも分かりやすくお話ししますので、皆さんよろしくお願いします!」
弾けるような笑顔に完全に籠絡された館長たちは、ノノの言葉を一言一句聞き取ろうと耳に全神経を集中させた。
ノノが説明をしている間、エマは美術館を散策することにした。
全部は見れないだろうが、見える範囲で現状の警備体制を把握しておくつもりだ。──というのは建前で単純に暇潰しだ。
エマの審美眼はお世辞にも良いとは言えない。パッと見て凄さ分かるような絵画や彫刻は素直に感動出来るが、
「単なる落書きにしか見えないんですよね」
と、展示されている抽象画の前で呟く。
こんな落書きより噴き上がる鮮血や零れ落ちる臓物、人が死に直面して初めて浮かべる表情の方がずっと美しい、とエマは思う。
実に歪んだ性癖。
それこそ異常者である証明だろう。
「でも、見方によっては素晴らしい芸術作品なのよ」
声が響き、エマは振り向く。
そこに居たのは、エマとたいして歳の離れていない少女だ。
淡く優しいミルクティー色の髪は丁寧に結えられおり、穏やかさの中にも確固たる信念が宿った瞳は大きくて丸い。
美しく整った顔立ちは幼さを残しながらも、清廉で凛としている。
女性らしさが垣間見え始めてきた肢体。着ている淡い桃色のドレスが良く似合う。
「ミラナ様」
帝国第五皇女であり、今回の依頼主であるミラナ・シャルベールその人だった。
「様は付けなくていいわ。オリヴィアお姉様のことを陰で呼び捨てにしているみたいに、私も呼び捨てで構わないわ」
「彼女は一応私の上司になりますから悪態も吐きたくなります。ですが、ミラナ様にそのような無礼を働くのは気が引けます」
「そう。ちょっと残念」
歳が近いということもあり、ミラナはエマと仲良くしたがっている節がある。
それ自体はありがたいことだが、ミラナにはいつまでも清廉潔白な精神を持って欲しいと願っているため、深く関わらないようにしている。
控え目にいってエマの精神はぐちゃぐちゃのどろどろに歪んで汚染されているので悪影響を及ぼす可能性は大いにあるのだ。
「それで、ミラナ様はこんな夜に美術品鑑賞ですか?」
問いに対してミラナは首を横に振り、エマを見つめる。
「いいえ、実は貴女たちに追加依頼をお願いしたくて来たの」
「追加依頼、ですか。言ってくれたらこちらから伺ったのに。しかも……いえ、何でもありません」
一人で訪れたのかと思ったが、どうやらそうではないようだ。
目視は出来ないが複数の気配を僅かに感じる。ちゃんと護衛は付いているようで安心した。それも相当な手練れだ。
エマの知っている皇族は単独行動をしがちだから感覚が麻痺していたが、本来なら護衛はちゃんと付けるものだ。
「それで何を頼みたいのですか?」
ミラナは表情を曇らせる。
憐憫といってもいい表情でエマが見ていた抽象画に視線を向けた。
「美術品は見る人によって様々な様相を見せてくれるわ。この絵もそう。エマからすれば落書きに見えるけど、芸術に多少の心得がある人からすれば印象深い代物になるの。…………ついて来て」
エマは言われるがままに、ミラナの後をついて行く。
少し歩き、別の絵画の前に立ち止まった。
それは一人の女性が木漏れ日の中、木に背中を預けて読書をしている絵だった。
題名は『木漏れ日の隙間で』。
それを眺めるミラナの表情が徐々に変わっていく。
形の良い眉がつり上がり、怒りが瞳に灯っていく。
この絵のどこにミラナをここまで感情的にさせる要素があるのか、エマにはさっぱり分からなかった。
「私には、本物の作品への冒涜にしか見えないわ」
「冒瀆?」
「この絵は贋作なの」
ミラナの告白にエマは反応に困る。
贋作と言われても、何も響かない。絵画が本物か贋作がなど至極どうでもいい。
しかし、ミラナにとって大問題だというのは表情を見れば嫌でも分かる。
「では、なぜ飾られているのですか?」
「恥ずかしい話、今日に至るまで私含めて誰も贋作だと気付かなかったの。それ程まで精巧に模写されているの。とても個人の技量でどうにかなるレベルを超えているの」
「つまり、組織の犯行と」
「それを確証に変えたいから調べて欲しいの」
大きな瞳に真剣な輝きを満たしながら懇願する第五皇女に対して、エマに断るという選択肢は存在しなかった。
それに組織の仕業だとすれば、状況によっては血が流れるだろう。
最近はご無沙汰だったので、これで殺人嗜好の衝動を思う存分に発散出来るかもしれないという期待に胸が踊った。
「分かりました。あの、その贋作預かってもいいですか?」
「構わないけど、なぜ?」
「私の知る中で最も芸術への造詣が深い方に意見を伺いたいので」
その日は、警備強化の依頼をしっかりとこなしたエマたち。
贋作の件の調査は翌日からとなった。
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