case8-2 『硝子の中の星々』



 特別危険区域セイシュルワ。

 辺境地の一画に存在する広大な土地で、土壌が異常なまでに渇いているため作物は育たたず、さらに歪んだ地脈の影響で瘴気が土地一帯に蔓延しているので強力な魔獣が生息している。

 一時期は開発計画もあったが、計画はすぐに頓挫。その時の名残が廃墟として今も残っている。


 皇帝はここにエマたちを連れてきた。

 そして、今回の目的について語る。


「──『昇天酒』。これが儂が狙っている幻の逸品、正確にいうならばその材料だ」

「…………。材料集めでこんな所に連れてきたんですか?」

「おうとも。材料はここに生息している『酒乱蛇』の毒だ。面白いことにな、ソイツの毒は酒の成分とまっことに近く、それを獲物に流し込み、酔わせたところをガブリといってしまうのだ」

「じゃあ、蛇狩りってことですか」


 案外簡単な話だとエマは思った。今までの無茶振りに比べたら、蛇の一匹や二匹くらいなんてことない。


「そういうことになるな。だがの、ここからが難しいのだ。酒乱蛇は二十種類おってな、昇天酒は全種類の毒を適切な量、順番で調合しないと完成しないのだ。加えて、毒には儂らにとって有毒な成分もあるため解毒もせねばならんのだ」


 速攻で前言撤回。

 超絶面倒くさい手順を聞かされて、露骨に嫌そうな顔をするエマをノノが一生懸命に皇帝から隠す。


「それなら、解毒と調合は私にお任せ下さい。戦闘においては役に立てないので」

「おお、そいつは助かるぞノノ。貴様の技量ならきっと最高の昇天酒を作れるはずだ」

「は、はい! 頑張ります!」


 まだ緊張気味のノノが勢いよく返事をする。そんな様子も愛らしい。まぁ、結局のところ何をしても愛らしいのだが。

 ようやく表情を元に戻したエマが皇帝に言う。


「とにかく蛇を沢山狩ればいいのは分かりました。それで調合手順が書かれた紙──レシピとかはあるんですよね?」

「ない」

「は?」

「そんなものはない。だからこそ幻の逸品なのだ」


 もう、エマは大きな溜め息を吐くことしか出来なかった。

 今すぐ帰っていいか、という言葉を我慢したのを褒めて欲しいものだ。



×××



 酒乱蛇は普通の蛇と比べて凄まじく巨大という点を除けば、見た目は至って普通の蛇と変わらない。

 なかなかの強さを誇り、並の兵士なら十人がかりでやっと倒せる程だ。


 酒乱蛇が限界まで口を開き襲いかかってくる。小娘一人を丸呑みするのは朝飯前と言わんばかりだ。鋭い牙には毒が滴っていた。

 エマはひらりと躱して、手に持つ巨大な大鎌を連続して振るう。

 妙に光沢のある鱗に線が走り、そこから鮮血が吹き出し、やがて酒乱蛇の胴体が輪切りになっていく。

 酒乱蛇は自分が斬られたことを理解していないまま、大口をだらしなく開き絶命する。


「もう少し昂らせてくれたら良いんですけど」


 手応えの無さに辟易としながら、エマは持っていたビンを取り出して牙の下へ。ぽたぽたと毒が溜まっていく。この作業もすこぶる退屈で気を抜けば寝てしまいそうだ。


 退屈しのぎにエマは酒乱蛇と楽しそうに戯れている皇帝を眺める。


「ゴラァァァァァァァァァァァァ──ッ!!」


 雷が間近に落ちたかのような豪快な雄叫びを上げる皇帝。

 その頑強な全身からは凄まじい王気が迸り、膨張し血管が浮き出る筋肉はとても老人のそれではない。


 閃光の速度で皇帝は酒乱蛇との距離を詰める。豪快に酒乱蛇を掴み、強引に胴体を引き裂く。千切れた断面からは赤白い繊維のような物がほつれ、鮮血が滲んでいた。


 さらに別個体の懐に潜り込み、強く握りしめた拳を顎に向けて突き上げる。

 しかし、殴る瞬間は見えない。殴った結果──酒乱蛇の頭のみが宙に上がり、勢いよく荒地に落ちる。

 砂埃が舞い上がり収まったあとには酒乱蛇の頭部だけが残った。


「緩い、緩いわ! 我が血肉を滾らせるには些か足らんぞ!」


 信じられない速度で酒乱蛇を倒していく皇帝。その姿にエマは感動すら覚えた。


「はぇ〜、『剛賢帝』とはよく言ったモノですね。……ていうか、私要らなくないですか?」


 結局、エマと皇帝合わせて二百匹近く倒したところで一旦切り上げ、廃墟にて調合を始めることにした。



×××



 ボロボロのテーブルの上には無数のビンが置かれていた。その一つ一つにラベルが貼られており、ノノの丁寧な文字で酒乱蛇の種類が書かれてある。

 因みに既に解毒済みだ。ノノは仕事が早い。


「さて、問題はここからですよ。調合手順が分からないとなると手の付けようがなくないですか」

「とりあえず作ってみぬか?」

「そうですね。奇跡的に作れるかも知れませんし」


 適当に調合してみた一回目。ノノが主体となり、残り二人はああでもないこうでもないと野次を飛ばす係だ。

 やってみると意外にも楽しいモノだった。

 やがて出来たのは特に目新しさもない透明な液体だ。

 

「ほら出来ましたよ。試しに飲んでください」

「ちょっとエマ様、いきなり皇帝様に飲ませるのは」

「いやいや、ノノちゃん。ここは言い出した人が飲まないと始まりませんよ。それに私は飲めないですし、ノノちゃんに飲ませて万が一があったら困ります」

「私より皇帝に万が一あってはいけないのでは!?」


 ノノの絶叫を掻き消すかのように皇帝は大笑いして、試作品を手に取る。


「確かにエマの言う通り! ここは言い出しっぺの儂が第一陣を務めなければならぬというものよ!」


 皇帝は試作品を一気に飲み込む。

 口の中で液体を転がして、喉に流し込む。

 喉元過ぎさり余韻を味わった後、皇帝は眉間にシワを寄せて、


「うむ、不味い」

「ですよねぇ。やっぱりレシピが無いと始まりませんね。あっ、そうだ」


 何か思い至ったエマはミーミルを呼び出す。

 脈絡もなく出てきた淡い紫色の瞳をした黒猫を皇帝は興味津々で見つめる。


「ほほお、これまたけったいな生き物だ。いや、生き物なのか?」

「にゃあにゃあ、エマ。このでっかいジイさん何者にゃ? 只者じゃないのはわかるにゃ」


 ミーミルを撫でまわしながらエマは問いに対する答えを適当に返す。


「ただの大きなお爺さんですよ。ところでミーミルちゃん、ちょっと頼まれてくれませんか?」

「うにゃ」


 耳打ちされたミーミルは、すぐさま消えてしまう。


「あの猫に何を頼んだのだ?」

「オルコットさんに昇天酒のことを調べて欲しいという旨を伝えました。彼ならもしかしたら見つけてくれるかも知れません」

「なんと! オルコットなる奴は諜報に長けているのか」

「えぇ、我が部隊の期待の新顔です」

「新顔とな。オリヴィアが貴様ら以外を……にわかには信じがたいが。今度会わせてくれ。どんな奴か見てみたい」

「いいですよ。オルコットさんに伝えておきます。皇帝が会いたがっているって」


 そんなのを聞いたオルコットの反応が容易に想像できた。

 ガチガチに緊張しすぎて機械仕掛けのような動きをして、心臓が口から飛び出るかもしれない。

 光景が脳裏に浮かんで、エマはくすりと笑う。



×××



 戻ってきたミーミルはしょぼんと耳を垂らし、首をふるふると振った。


「その様子だと収穫は無しみたいですね」

「うにゃ、オルコット曰く『いくら探してもそんな酒の情報は出てないな。名前が違うんじゃないかと思って、色んな酒のことを調べたけどやっぱり無かった。蛇を酒に漬けた蛇酒というのはあったけど。ごめん、力になれそうにはない』ということにゃ」


 エマの期待にオルコットは応えることが出来なかった。

 とはいえ、エマに落胆の色はない。

 世の中上手く行くことなど早々無いのだ。


「もう、こうなったら全通り試すしかないですね」


 そこからは試行錯誤の連続だった。

 毒には限りがあるために一回の調合には僅かな量を使う。目安としては大さじ一杯分だ。

 作ればその都度試飲をして失敗を確認する。

 それがずっと続く。

 当然、酒の試飲なので酔いが回ってしまう。

 途中から試飲し始めたノノが潰れてしまったのは、夜の帳が降りるころだった。


 ノノが魔術で体内のアルコールを分解している間、エマは荒地を散歩していた。

 隣には皇帝も居た。ノノよりも飲んでいるのに意識ははっきりとしていて、足取りもしっかりしていた。


「なかなか上手くいかんな。やはりレシピが無いと難しいか」

「………………」


 太い腕を組んで首を傾げる皇帝と歩みを止めたエマとの距離が開く。

 皇帝は後ろを向いて声をかける。


「おう、どうしたエマ」

「もう十分でしょう。そろそろ、今回の意図を教えてくれませんか?」


 エマは指先から毛先を離し、金色に輝く視線で皇帝を射抜く。

 皇帝は観念したような笑みを浮かべた。


「バレておったか。いつからだ?」

「最初からですよ。ついでにノノちゃんも気付いていますよ。昇天酒なんて元々存在しないのか、レシピは知ってるのに知らない振りをした──そのどちらかは分かりませんが。私の推測としては後者ですが、当たってます?」

「こうも筒抜けとなると存外に恥ずかしいの。分かった、全て話すゆえノノの元へ戻ろうぞ」


 赤らんだ頬を掻きながら皇帝はエマから目を背ける。

 皇帝は踵を返して、調合場となっている廃墟に戻る。

 すでにノノは回復していた。エマと皇帝の様子を見て全てを察したノノは少し安堵した。


「それで、話してくれるんですよね?」

「作りながらでも良いか」

「もちろん」


 皇帝はテーブルの前に立ち、調合を始めつつ言葉を紡ぐ。


「今回、貴様らを連れ出したのは儂のわがままだ。まあ、いつもそうなのだが。実は先日、儂の友が死んだのだ。奴とは若い頃から苦楽を共にし、切磋琢磨した間柄だ。奴との一番の思い出が昇天酒造りだったのだ」


 全く迷うことなく皇帝は調合していく。

 昔を語る表情は楽しそうで、懐かしさに溢れていた。


「若造で力も無かった儂らにとって酒乱蛇はまっこと強敵であった。一匹屠るのに命辛々だったわい。材料を集めるだけでも何十日もかかったの。それから調合となって、これこそ時間がかかった。完成した時には儂らはそれは酷い有様だった。風呂も入ってなかったからのあり得んくらい臭かったわ」


 昇天酒なる幻の酒はあっという間に完成した。


「エマ、すまんがグラスを創ってくれぬか。もちろん三つだ。反論はさせぬぞ」

「分かりましたよ」


 エマが創ったグラスに昇天酒が注がれていく。

 あまりにも透明度が高く、グラスに入っているのかすら分からない。

 皇帝はコップを持ちながら外に出る。エマとノノも後を追う。


 すっかり闇が深まった世界。

 しかし、見上げると億千万の星々が輝いていた。中には星が高密度に集まり、まるで川のようになっているところもあった。


「儂はこの景色を見ながら、今は亡き友を思いを馳せながら新たな友たちとこの酒を飲みたかったのだ」


 それは皇帝の純粋な想いだった。

 純粋な想いをわがままだなんて不粋なことは決して言わない。

 エマとノノは目配せをして、二人で皇帝のグラスにグラスを合わせた。


「貴方の亡き友に献杯、そして私たちの友に乾杯」


 二人の台詞に皇帝は驚き、台詞の意味を理解すると歯を見せて豪快に笑い、昇天酒を一気に飲む。

 エマたちも飲む。


「うほお! やっぱり美味い!」

「あっ、美味しい」


 皇帝とノノはあまりの美味に感激の声を上げる。

 一方、酒の味が一切合切分からないエマは、何とも言えない味に顔を顰める。


「やはりエマには酒は早かったようだな!」

「むぅ、否定は出来ません」


 酒の味は全く分からなかったが、今日という日がしっかり思い出に残ったのは確かだ。



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