case8.硝子の中の星々

case8-1 『囚われない関係』



 その日はとても穏やかな陽気だった。

 特に依頼も無く、エマはリビングのソファーに横になっていた。手持ち無沙汰を解消するために黒猫──ミーミルを触っている。その触り心地は極上の一言で、いつまで触っていても飽きがこない。

 撫でられているミーミルも喉をゴロゴロと鳴らしてご満悦だ。


 ソファーのすぐ近くでは、ロッキングチェアに座っているノノが編み物をしている。

 しかし、エマを見つめている時間が長いので殆ど編めていない。


「それにしても平和ですね、エマ様」

「本当ですねぇ。こんな日がずっと続けばいいのに。そうすれば可愛いノノちゃんをずっと見てられるんですけどね」

「やん、エマ様ったら。そんなに見られると恥ずかしいです」


 ノノは赤らめた頬を手で包み込み、魅力的な身体をくねらせているが満更でも無さそうだ。

 そんな彼女の姿に満足しつつ、エマはボヤき始めた。


「大体、私はこうして一日中だらだら過ごしたいんですよ。それなのにオリヴィアが次から次へと事件の調査を押し付けて。嫌がらせとしか思えないんですけど。誰が好き好んで事件の調査なんて……あぁ、一人居ました」


 エマの頭に浮かんだのは、正義感剥き出しの青年。


「そういえばオルコットさんは、オリヴィア様が取り上げなかった事件の資料にも目を通しているらしいですよ」

「はぁ〜、どんな生活を送ったらそんなに真面目になれるんですかね? まぁ、こちらの依頼もちゃんとこなしてくれているようですし、休みの日に何をしていようとどうでもいいでふ」


 凄まじき正義感と事件への熱意にエマは素直に感心した。

 これがさらに度を越せば聖人などと讃えられるのだろうか。


「しかし、これは狙い通りです。オルコットさんのような真面目な方がどんどん部隊に入れば、私たちの負担は軽くなる。つまり、楽が出来る……もっと、もっと人数を増やさないと」

「ああ……悪い顔しているエマ様も素敵です」


 なんてことを話していると、来客を告げるノックの音が聞こえた。

 この家に来客はそこまで珍しいことではない。来る者は大抵悩みごとを持っていて、解決してもらうために訪れる。

 つまり、安寧の時間はここまでということだ。

 がっくりするエマをたしなめてから、ノノは来客に対応する。


「今開けますね」


 扉を開けて最高の笑顔で出迎える。

 殆どの来客はこの瞬間、ノノの虜になってしまう。

 だが、今回は様子が違った。

 

 「ようこそ! あっ……え、え? あわわわわ……」


 ノノが信じられないくらいに動揺していた。言葉も紡げずに、ただあわあわしているだけだ。

 あらゆる礼儀作法、おもてなしの心得を熟知しているノノが来客一人にこうも動けなくなるとは。

 タダごとでは無いと思ったエマはソファーから起き上がり、来客の姿を目視する。


「げっ」


 その正体を理解して、エマは露骨に嫌な顔をした。


 扉の前にいたのは長身の老人だ。

 生き様を感じさせる白髪、老いてなお威厳と威圧感を放つ瞳。その肉体は老齢とは思えない程、瑞々しく引き締まった筋肉を纏っていた。

 その抑えきれない王気は、帝国をという超大国を統べるに相応しい者のみが放てるものだ。


 老人はニカリと歯を見せて笑う。


「来ちゃった」


 彼こそ、シャルベール帝国第九十九代目皇帝、ヴィチェスラフ・シャルベール。その人である。



×××



 ガチガチになりながらノノは、テーブルにティーカップを置き、ティーポットから紅茶を注ぎ入れる。

 それをソファーに堂々と腰掛ける皇帝の前に差し出す。


「ど、どうぞ」

「そんなに硬くなることはないだろう。儂とノノの付き合いではないか」

「で、ですが、相手が皇帝陛下だと思うと、どうしても……」


 相手は一国を統治する存在だ。緊張するなという方が難しいだろう。

 ノノの反応が普通なのだ。

 しかし、エマは──、


「全く、急に来られても困るんですよ。これから昼寝するつもりだったんですから」


 相手が皇帝だろうがお構いなしだ。

 あまりにも無礼な態度。下手すれば極刑すらあり得る蛮行だが。

 皇帝は豪快に笑い、エマの背中を叩く。


「やはり良いの、エマは! 儂に遠慮なく悪態を吐くのは今や貴様とオリヴィアだけだ。他の奴は顔色ばかり伺ってつまらんわい」

「ったく、痛いですね。乙女なんですから少しは手加減してください。悪態吐かれたいならオリヴィアに頼めばいいじゃないですか」

「それは嫌だ。だってオリヴィア怖い」

「はぁ?」


 馬鹿馬鹿しい理由にエマは首を傾げる。

 皇帝は人差し指同士を突き合わせて、子どものように唇を尖らせる。とても皇帝、老人とは思えない態度だ。


「オリヴィアの奴、先々代の皇帝に瓜二つときた。だからなのか強く言えんのだ。自分の娘なのにな!」


 大口を開けてゲラゲラと笑う皇帝。

 その様子にエマは呆れたように頭をふるふると動かす。濡羽色の髪が動きに合わせて揺れる。


「じゃあ、なんですか? 皇帝陛下はわざわざ罵倒されたいがために辺境まで来たと。とんだ変態野郎ですね。今すぐ退位したらどうですか?」


 一国の主人に向かって罵詈雑言を浴びせる主人を震えながら見ているノノの顔は真っ青だ。こうして意識を保っているだけでも表彰モノである。


「貴様らに罵倒されるのも一興だが、今日来たのは理由がある」


 真剣な表情を浮かべる皇帝。

 流石と言うべきか、表情一つで空間の雰囲気をガラリと変えてしまう程の存在感。

 恐らくは天性の素養なのだろう。

 これと同じ素養を持つ存在をエマの知っている皇子、皇女の中では一人しかいない。


 皇帝は荘厳な口調で訪問した理由を述べる。


「──儂とひと狩り行かぬか」


 しばしの沈黙。

 皇帝の言っている意味を理解したエマは言う。


「ノノちゃん、皇帝陛下がお帰りです。お見送りしましょう」

「待て待て待て、どうしてそうなるのだ!?」

「どうもこうもありませんよ。また貴方の趣味に付き合わせる気ですよね? しかも、よりにもよって狩り。面倒臭いのでお断りします」

「つれない奴よの。ノノ、貴様は儂と狩りしたいよな?」


 エマではラチがあかないと判断した皇帝は矛先をノノに向ける。

 ノノとて帝国国民。皇帝の誘いは断れるわけがない。


「も、ももももちろんご一緒させて頂きます」

「ほら、ノノはこう言ってるぞ?」

「それは卑怯では?」


 実質ノノを人質に取られたことにエマは不満顔で皇帝を金色の瞳で睨みつける。


「まあまあ、堅いこと言うな。それに貴様が儂と懇意にすればする程、帝国においてムエルテ家の力も強まるとは思わぬか?」

「そういうのやめてください。貴方だって、そういうしがらみが嫌だから政治とは無縁の私たちのところに来ているのでしょう?」


 エマの指摘に皇帝はハッとして肩を落とす。


「それもそうだったな。すまん、忘れてくれ」

「分かりました。ついでに言っておきますけど、お姉様の手腕でムエルテ家の力は十分過ぎる程ですので」


 実際、帝国におけるムエルテ家はかなりの力を持っている。辺境伯という地位にいるのが何よりの証拠だろう。

 マナは類稀なる才能で領地を大幅に発展させた。各貴族、さらに皇族とも太いパイプを持っているとの噂まである。

 加えて、エマの存在が大きい。帝国はもちろん各国にも異名が轟く実力を持ち、第三皇女のお気に入り、皇帝とも交流があるときた。

 政治力と武力、ついでに尋常ならざる美貌まで持ち合わせているムエルテ家は間違いなく歴代最強だ。

 

 未だに落ち込んでいる皇帝のしょぼんとした様子に、エマは折れることにした。


「分かりましたよ。狩りですね、狩り。やるからには全力を尽くしますよ」


 エマの承諾を聞くやいなや皇帝の王気が膨れ上がる。綺麗に並んだ歯を見せながら豪快に笑う。


「おお! やはり貴様は話の分かる奴だ! よし、エマ、ノノ! 狩りに行くぞおおお──っ!!」


 まるで戦に出陣するかの勢いで拳を天井に挙げる皇帝。それとは対照的にエマは軽く腕を挙げ、ノノは恥ずかしそうに小さく拳を挙げる。



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