case7-4 『怨念の羽衣』



 夕陽もすっかり地平線に沈んだ時間帯。

 ロロは軍学校の敷地に一歩足を踏み入れた途端に違和感を感じた。

 数多の戦場を駆け抜け生き抜いて来た軍人としての直感が伝えている。


 ──ここから先は戦場だ、と。


 ロロの表情がみるみる変化していく。

 狼のように鋭い瞳には絶対零度を思わせる冷酷な戦意が灯り、ふっくらとした唇はキツく結ばれる。

 軍服の上からでも分かる美しく鍛えられた肢体からは純粋な闘気が溢れ出る。


「ノノ姉さん」


 愛する姉の名を呟き、ロロは軍学校の敷地を疾走する。

 目的地として定めたのは寮。確証は無いが直感が訴えているのだ。

 ロロは冷静沈着で論理的な評価を度々受けるが、それは些か異なる。確かに戦況を精査し、それに適した戦略を立てるのも得意だ。

 だが、ロロの真骨頂は異常なまでに鋭い直感だ。

 これまで難しい局面に立たされたことは幾度もあった。それを打破することが出来たのはロロが自分の直感を信じてきたからだ。それ故、ロロの直感は部隊で『天啓』とまで呼ばれている。


 順調に進み、寮までもう少しという所で多くの訓練兵たちがロロの行く手を遮った。


「貴様ら、そこを退け。私は急いでいるんだ」

「………………」


 訓練兵たちの反応は一切無い。

 いや、反応はあった。

 ある者は腰に差していた剣を抜き、ある者は訓練で使う銃をロロに向けて構えた。

 敵意を向ける訓練兵の瞳には光が一切灯っていない。


 ──犯人の策略か?

 

 早々に言葉での解決は無理だと切り捨てたロロは、帯刀している剣の柄に手を伸ばすが思い止まり抜くことを辞め、ゆっくりと肉弾戦の構えを取る。


 僅かな沈黙の後、訓練兵は一斉に動き出した。

 考えなしの特攻にロロは微かに嘆息する。

 次の瞬間、ロロの体術が猛威を振るう。

 訓練によりかなり鍛えられているであろう訓練兵の肉体に激しい衝撃が突き抜ける。それだけで操り人形と化した訓練兵は膝から崩れ落ちる。

 四方八方から襲ってくる訓練兵をなるべく傷付けずに一撃で昏倒させていく。それは将来がある訓練兵への配慮でもあった。


 ロロは銃を構えている訓練兵との距離を詰め寄る。

 発砲されるよりも早くロロは銃を奪い取り、訓練兵の鳩尾にグリップを叩き込む。


 いくら頭数を揃えても、実際の戦場を生き抜いてきたロロと比較すると地力があまりにも違いすぎる。

 単なる時間稼ぎなのかもしれない。


「小賢しい」


 舌打ちをしつつ、掌底を叩き込む。

 こんなところでまごついている時間はないというのに。

 僅かな思考をする暇も、息つく暇もなく、訓練兵たちが襲って来た──。


 が、訓練兵たちは弾かれたように一斉に吹き飛んだ。数十人が宙に舞う姿にロロは目を丸くした。

 ロロの仕業ではない。

 第三者の仕業──これ程の事を行えるのはロロの知っている限りでは数人しかいない。そして、この場に居るとなると該当者は一人のみ。


「はぁ……遅く、なりました……はぁ……」


 木に寄りかかり手のひらを伸ばす濡羽色の少女。相当急いできたようで、額から頬にかけて汗が流れ、顎から滴り落ちていた。

 苦笑いをしながらエマは言う。


「ロロちゃんの言う通り、体力付けた方がいいかもしれませんね」



×××



 エマとロロは寮の屋上へと来ていた。

 訓練兵たちを掃討している最中、屋上に人影を見つけたからだ。

 果たして、屋上には二人の人物がいた。

 一人はノノだ。


「ノノ姉さん!」

「ロロ? それにエマ様も」


 切羽詰まったエマとロロの様子に、ノノは事態が上手く飲み込めない。

 それとは対照的にもう一人の人物は諦め混じりの笑みを浮かべた。


「あーあ、楽しかった時間もここまでね」

「今回の事件、犯人は貴女ですね。カルラ・ロセアン──いえ、マグヌス・ヘルゲンさん」


 エマの発言にロロは僅かな驚きを顔に浮かべた。


「どういうことだ? カルラ・ロセアンは既に故人だ。それに目の前にいるのはどう見ても女性ではないか」

「そこまで難しい話ではありません。彼女は確かにカルラ・ロセアンです。ただし、肉体──憑代と言ったほうがいいですかね。依代はマグヌス・ベルゲンのモノです。彼女はマグヌス・ベルゲンの降霊術によって現界したカルラ・ロセアンです」


 降霊術はその名通り霊をこの世に降ろすことが出来る魔術だ。

 先の敵となって行く手を阻んでいた訓練兵たちは、マグヌスが制御できそうな霊を無理矢理入れられて操られていたのだ。


「そこは正解。じゃあ、呪術の仕組みも解けたんでしょ?」


 カルラの挑戦的な質問に、エマは頷く。


「えぇ、最初は困惑しました。ロセアン家は誰一人として呪術を使った痕跡はない。ロセアン家の他に呪術に精通した家系もない。現状、生きている人間に容疑者が居ないという困ったことになりました。なら考えられるのは故人の仕業。貴女は恐らく強姦された際に被害者に呪術を刻んだ。その後、家から一歩も出なくなったと聞きましたが、その間に呪術発動の準備を進めていたのではないでしょうか」


「正解よ」


「腑に落ちないのは自殺の件です。自分の命と引き換えに強力な呪術を発動する方法もありますが、それだと術者が死亡した瞬間に呪術が発動してしまいます。私の推測だと、自殺では無く他殺。予期せぬ死により呪術を発動する機会を失ってしまった。そして、どういう経緯を辿ったかは分かりませんが貴女はマグヌス・ヘルゲンを憑代に現界を果たし、呪術を発動したのではないでしょうか」


 カルラは「流石ね」と呟き、真相を語り出した。


「確かに私は、私を犯したアイツらを呪い殺そうとしたわ。ハイスクールも行かずに呪術に没頭したわ。でも、それが仇となったわ。没頭しすぎて周りが見えていなかった。その結果、私は死んだわ」


「………………」


「次に気がつくと、私は霊体としてマグヌスの前にいたわ。彼は降霊術で私を呼んだみたい。そこで私は彼に頼んだの。どうしてもアイツらを殺したいから、身体を貸してくれって。彼は快く貸してくれたわ。アイツらが軍に入ったって聞いて、私は軍学校の事務の職に就いて監視をしながら準備を進めたわ。やっぱり仕事をしながらだとかなり時間がかかったわ。かなりの年月はかかったけど、こうして無事に完遂出来て良かったわ」


 カルラの口調に後悔というものは一切なかった。

 寧ろ、達成感すらあった。

 その様子を観察していたエマは怪訝な面持ちだ。


「完遂したというのであれば、さっさと現世から消えた方がいいんじゃないですか? 完全犯罪になりますよ」

「………………」

「それともまだやり残したことでもあるんですか?」


 エマの挑発にカルラは歪んだ笑みを刻み、ノノを強引に引き寄せた。

 その行為に反応したエマとロロが感情任せに動こうとするのを、カルラが怒号で捻じ伏せる。


「動くな! 動いたらノノちゃんがどうなっても知らないわよ!」


 ノノを人質に取られてしまったら二人は手出しすることが出来ない。

 もし、そのことを織り込んでいたのなら、なるほどカルラはやり手だ。



「ごめんなさい、さっき完遂って言ったのは嘘。まだ計画の途中なの」

「計画の途中だと? ……まさか!」

「流石ロロ少佐、察しが良いわ。私の呪いはコイツを殺して初めて完遂するわ」


 そう言って、カルラが指差したのは自分自身、否、憑代となっているマグヌスだ。


「実はあの四人を手引きしたのはコイツなの。正確に言うとコイツは四人にいじめられていて、私と引き換えに自分のいじめをやめさせたのよ。それに、私を殺したのもコイツ。私が呪術を使おうとしていることに勘付いて、先手を打ったのよ」


「………………」


「コイツが降霊術で私を呼び出した理由はね、呪術を解除させるためだったの。だから私は四人を殺すまで身体を貸せ、そうしたら呪いを解いてあげるって言ったの。そしたら、あっさり身体を貸してくれたわ」


 上機嫌に語るカルラ。

 まるで自分に酔っているようで見るに耐えない。しかし、隙は全くないのでノノを助けるチャンスが訪れない。


「貴女の壮大な計画はよく分かりました。ですが、その計画にはノノちゃんはいないでしょう。解放してください」

「もしかして、私がノノちゃんを道連れにしようとしていると思っている? それは絶対にないわ」


 嘘偽りない断言にエマは多少困惑する。


「では、なぜ?」

「私がノノちゃんのファンだから。本当に好きなの。ノノちゃんの記事が掲載されている新聞や雑誌は絶対に買って読んでたわ。だから、会えた時は本当に嬉しかった。ロロ少佐やエマ様を足止めしてたのは、少しでも長くお話したかったから」


 捕らえられているノノは突然の告白に動揺する。


「カルラさん」

「やっぱりあの人の言う通りだった。最後に良い思い出が出来た……ありがとう、ノノちゃん。これからも大好きだよ」


 カルラはノノの頬に口付けをすると、ノノをエマとロロの方へ突き飛ばす。

 咄嗟にエマとロロは動く。もちろん、ノノを受け止めるためだ。


 しかし、それこそカルラの狙いだった。

 カルラは柵を乗り越えて、何の躊躇いもなく飛び降りた。

 僅かな無音の後に、何かが砕ける音が響き渡った。


 エマたちが下を覗くと、そこには初めて見る青年の亡骸があるだけだった──。



×××



 軍警が来たのはそれからしばらく後だった。

 事後処理のために駆け回る軍人を少し遠目からエマたちは眺めていた。

 因みにノノは念のため、検査を受けている最中だ。


「今回は完敗ですね。申し訳ないです」

「いや、真相を白日の元に晒してくれた。それだけで十分感謝している。それにだ、不審死の原因が呪術だと分かれば訓練兵も安心出来るだろう。私の方こそ、ついて回るだけで何の力になれなくて済まなかった」


 深々と謝罪するロロ。

 それに対して、エマは首をゆるゆると横に振った。


「謝る必要はありません。ここは私たちの戦場ですから。それより気になることがあります」

「なんだ?」

「カルラ・ロセアンが最後に言った、『あの人の言う通りだった』という部分。あの人とは一体誰のことだったのでしょうか」



 今回の事件は犯人死亡で決着がついた。

 エマの心に仄かな苦味と細やかな疑問を残して──。




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