case7-2 『軍人になりきれない者たち』
「長いことこの仕事をしているけど、こんなに綺麗な遺体は滅多にお目にかかれないよ」
そう言うのは担当検死官だ。かなりの高齢で顔はシワだらけで頭髪は白一色。優しい目をしている。
「そうなんですか?」
オルコットの質問に、検死官の老人はゆっくりと首肯する。
「ここは軍事都市だから。運ばれてくる遺体は大抵酷い有様だよ。顔の判別が出来ないのは日常茶飯事、五体満足の遺体を見る方が珍しいね」
「なるほど」
神妙な面持ちでオルコットは頷く。
祖国にその身を捧げて命尽きるその瞬間まで戦う軍人には敬意しかなかった。
その敬意の対象にオルコットは現在なっている。特例措置で軍人──非公式だが──になったことに後ろめたさが無いといったら嘘になる。
だが、なった以上は責務を務めることを遵守する、という覚悟は持ち合わせていた。
オルコットは検死官とやり取りを数回交わした後に、遺体見聞をしているノノの元へ。
真剣なノノの横顔があまりにも綺麗で数秒の間見惚れてしまってから、我に返って声をかける。
「なにか分かった?」
「はい、やはり目立った外傷はありませんし、毒物の反応もみられません」
オルコットも遺体を確認した。
軍学校での訓練中に出来たであろう擦り傷はあるが、本当にそれだけだ。
あまりにも外傷が存在しない遺体。
「じゃあ、やっぱり魔術なのか?」
「そうですね……ただ確証が欲しいので、少し時間を下さい」
「分かった」
オルコットが承諾すると、ノノはにっこりと笑ってから遺体の上に手をかざす。すると、ノノの手から淡い光が放たれる。
「調べている間に、オルコットさんにご遺体と魔術に関するお話をしてもいいですか?」
「もちろん。そういうのを勉強するためについて来たんだから」
オルコットはジャケットの内側からメモ帳を取り出す。
「では。エマ様と私は以前、今回のような外傷の全くないご遺体と遭遇したことがあります。ご遺体は女性の方でした。ですが、とても亡くなっているようには見えなくて眠っているようでした。しかし、彼女は確かに亡くなっている。それなのに外傷はどこにも無く綺麗な状態でした」
ノノの語り口はやけに心地良く、とても遺体の話をしているとは思えなくなった。
これは彼女の魅了だからこそなせる技なのかもしれない。
「そう、あまりにも綺麗過ぎたんです。それこそエマ様が違和感を抱くきっかけでした。ご遺体の女性のことを調べていくとあることが分かりました。彼女は幼い頃に火傷を負ってしまい、その跡は決して消えるものではないということでした。しかし、ご遺体にはどこにも火傷の跡はありませんでした」
「それって、どういうことなんだ?」
「謎はエマ様が見事に解明してくれました。女性のご遺体は彼女の旦那さんの魔術によって修復されていたのです」
「修復!?」
「はい。触媒を対象の破損箇所に組み込み修復する、錬金術の応用です。旦那さんは死の傷を修復によって消してしまえば蘇ると思い込んでしまったのです。ついでに生前、女性が悩んでいた火傷の跡も消したんです。旦那さん言ってました、『あいつが目を覚まして鏡を見たらきっと飛び上がるほど喜ぶだろう』と。その後、犯人はエマ様の活躍により逮捕、旦那さんも犯人蔵匿及び証拠隠滅の罪で逮捕されました」
なんともいえない結末だった。
妻を蘇らせようと善意で動いていた旦那。だが、彼のせいで事件解決が遅れたのもまた事実だ。
「魔術は傷付けるだけではなく証拠まで隠蔽することができます。なので魔術絡みの事件の時には多角的な視点で観察を意識すると解決に近付けると思います」
「多角的視点、か。ありがとう、しっかりと頭に入れておく」
メモ帳に書いた多角的視点の単語を丸で何度も囲んだ。
それが終わると同時くらいに、ノノが放っていた淡い光も収まる。
ノノの表情を見る限り、思い浮かべていた仮説は確信に変わったようだ。
「やっぱり……」
「何が分かったんだ?」
「私が調べていたのは残滓です。何らかの魔術によって亡くなったのであるなら、必ず魔術の残滓が残ります」
「残滓」
「このご遺体に残った残滓は異常に澱み濁っています。ここまで酷い濁り方をする魔術はそう多くはありません。そして、ご遺体の状態を鑑みるに考える魔術は一つ──」
ノノは一旦区切り、魔術の名を口にする。
「──呪い、呪術です」
×××
エマとロロは軍学校の広大な敷地に足を踏み入れ、事件現場である寮へと向かっていた。
正面に見える無骨な造りの建物は軍学校の本館、隣の少し平べったい建物は体育館だろう。寮は裏手にあるらしく、正面から入ってきたエマたちにはまだ目視できていない。
無数の訓練器具が置かれているグランドでは、教官の罵声を浴びながら走り込みをしている訓練兵の姿があった。
「見た感じ厳しそうですね、訓練というのは」
「体力と精神力、戦闘技術を鍛え上げるのが目的だから厳しいのは確かだ。ここを耐えられない奴は戦場に出ても壊れるか殺されるだけだ。そういう意味では、ふるいにかけていると言ってもいいだろう」
「なるほど。やはり軍人さんは凄いですね」
濡羽色の髪を指先で弄りながらエマがしみじみと呟くと、ロロは言う。
「エマさんも軍人ではないか」
「形式上、ですよ。実際は単なる私兵ですから。何にもしないで軍人だなんて、ちゃんと訓練を積んだ方たちに申し訳ない限りです」
「最初から切れ味の良い刃なら研ぐ必要は少ない。ただ、体力はつけた方が良いかもしれないな」
ロロのアドバイスにエマは苦笑する。
体力の低さはエマの最大の弱点だ。長期戦に持ち込まれて追い詰められたことも少なくない。
とはいえ、エマに改善する気はない。自分の実力への傲りとかではなく、単純にやる気がないのだ。
談笑を交えたり、訓練兵たちに囲まれて質問攻めに遭ったりしつつ、エマとロロは寮へ到着した。
先に行く旨を伝えておいたためか、寮に校長や上級教官などの軍学校で権力を持つ者たちが待ち構えていた。その後ろには発見者であろう訓練兵たちが背筋を伸ばし直立していた。
彼らは拒絶的ではなく寧ろ逆──来るのを待ち望んでいたかのように歓迎してくれた。
挨拶を交わした後、校長はエマとロロを交互に見る。
「『死神』の異名を持つ貴殿と帝国筆頭戦力の一人である少佐にお目にかかれて光栄だ。そういえば、エマ様のお連れの方は見えませんが」
「彼女は遺体確認に行ってます。もしかして会いたかったですか?」
「いえ、彼女がファンのようでね」
「校長!」
校長の隣にいた女性が顔を真っ赤にする。随分と若いが秘書なのだろうか。
そういえば、彼女が先程からロロをチラチラと見ていたのは気のせいではなかったようだ。
「そういうことですか。ノノちゃんなら後で来ますから安心してくだい」
「本当ですか!? あっ、すいません。こんな大変な時に……」
「大変な時だからこそ癒しは必要だと思いますよ。癒しにおいてノノちゃんの右に出る人はいません。そうですよね、ロロちゃん」
話題を振られてロロは「そうだな」と頷く。
「ノノ姉さんの笑顔ほど癒しになるものは、そうは無いな」
「実の妹から太鼓判頂きました。っと、話はここまでにして事件検証と行きましょうか」
校長と教官たちは職務に戻り、その場にノノファンの女性と訓練兵が残った。
エマとロロは被害者が使っていた部屋を一つずつ観察していく。
四つ目の部屋を確認している時にロロはある共通点を見つけた。
「見てくれ。ベッドの柵、壁の至る所に掻き毟ったり、噛み付いた痕跡がある」
「これは相当苦しんでかは死んだようですね」
「さっきの部屋にも似た痕跡があった。これは一体どういうことなんだ?」
豊かな胸の下で腕組みをして眉間にシワを寄せて悩むロロ。その表情はかなり険しく、見るものが見れば威圧的だ。現に訓練兵たちは怯えている。
「まぁ、死因はノノちゃんたちが解明してくれるでしょう。ちょっと話良いですか?」
「は、はい!」
エマは訓練兵たちの方に顔を向けた。
急に呼ばれて彼らは背筋を伸ばし意味もなく敬礼をする。
「殺された彼らはどんな人物でした?」
「はい! 正直言って真面目な訓練兵ではありませんでした。訓練も適当に流し、態度も粗悪だったので教官によく呼び出されていました」
「なるほど。では、それ以外に共通点とかありました?」
訓練兵は少しでも力になろうと真剣に記憶を掘り起こす。少ししてから思い出したように顔を上げる。
「そういえば、全員同じ地区の出身と言っていました」
「へぇ、そうなんですか」
その情報を聞いて、エマの毛先を弄る指が止まった。
ひと通りの捜査を終えたエマとロロは、ノノとオルコットの合流を待つことにした。
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