case6.裁きの炎

case6-1 『雪降る街』



 帝城の謁見の間にて、青年は過去最大の畏敬の念に襲われていた。


 至って平凡な容姿をした青年、彼の名はロン・オルコット。

 とある事件に関わった結果、警察官から第三皇女直轄特殊部隊の一員になった変わり種だ。

 しかし、オルコットの特殊部隊生活は異動初日からクビの危機になっていた。


 原因はオルコットを見下す女性だ。

 恐ろしく丁寧に編み込まれたミルクティー色の髪、淫魔に匹敵する美貌と肢体を持つ絶世の美女。

 この世でエマとノノを好き勝手に出来る唯一の存在。


 帝国第三皇女オリヴィア・シャルベール、その人であった。


 豪奢な椅子に腰掛け、脚組みをするオリヴィアはオルコットを興味皆無の瞳で睨みつける。


「ほう、この凡骨を妾の配下に入れろと?」


 脳を揺さぶれるような甘く、背筋を凍らせるように冷たい不思議な声色。

 オリヴィアのひと声でオルコットは緊張で全身が硬直してしまう。冷や汗が吹き出て、喉が干上がり、今すぐに水分が欲しくなった。飲んだところですぐに吐き出しそうだが。


 それとは対照的に、エマは肩をすくめながら友達と話すようにオリヴィアに苦言を呈する。


「入れろ、ではなくもう入ったんですよ」

「不許可じゃ。妾は認めんぞ」

「認めるのなにも、上層部ではすでに可決されているんです」

「はっ、老骨どもの決定なぞ知るか。『コルニクス』は妾が認めた者以外は決して入れん」


 頑としてオルコット加入を認めないオリヴィア。

 第三皇女直轄特殊部隊の全権を握っているのは言うまでもなくオリヴィアだ。

 それ故に人選は完全に彼女の独断である。

 オリヴィアが気に入れば受け入れられ、気に入らなければどんな優秀な人材でも拒絶されてしまう。


 現に、皇帝が超優秀な軍人数名を部隊に編入させ、威厳と戦力を持たせようとしたが、好みではないという理由だけでオリヴィアは一人残らず編入を認めなかった。

 そんなこともあって、第三皇女直轄特殊部隊は創設から今日に至るまでエマとノノの二人だけだったのだ。


 溜め息をつくエマはふと気になり首をかしげる。


「ちょっと待って下さい。コルニクスって何ですか?」


 よくぞ聞いてくれた、と言わんばかりにオリヴィアは豊満な胸を揺らし、見るからに上機嫌になった。


「貴様らの部隊名じゃ。第三皇女直轄特殊部隊だと長く味気ないからの。特別に妾が考えてやった故に有難く受け取れ」

「ただ考えたかっただけでしょう。はぁ……コルニクスですか。まぁ、いいんじゃないでしょうか」

「ふん、芸術性の欠片もない貴様にはこの高尚な名を理解出来ないらしい。良き名だと思うだろう、ノノ?」

「は、はひぃ!」


 心底どうでもよさそうなエマの態度に、オリヴィアは面白くなさそうに鼻を鳴らしてノノに同意を求める。

 ずっと黙っていたノノは急に話を振られて肩を跳ねらせる。


「えっと、その、洗練されていて凄く良いと思います。短いので呼びやすいし、耳に残るので覚えやすいかなと」

「当然じゃな」


 ノノの感想にご満悦のオリヴィアを呆れたような顔でエマは眺め、話をオルコットの件に戻す。


「では、オルコットさんの加入は認めないと」

「無論」

「私とノノちゃんが懇願してもですか?」

「くどい! どこの馬の骨とも分からん奴なぞ捨ておけば良いだろう。なぜ肩を持つ?」

「こういう事態になったのは私が原因ですから。露頭に迷われるのは寝覚めが悪いんです。ほら、オルコットさんも固まってないで何か言ってください」


 肘で横腹を突かれて、オルコットは我に帰る。それから必死に言葉を探すも、オリヴィアが──第三皇女様がすぐ近くにいるプレッシャーで全く頭が回らない。


「え、えっと……こんなに間近でオリヴィア様を見れて光栄です」


 話の筋から逸れた感想を述べてしまうオルコット。

 聞いていたエマは素で「はぁ?」と大きな声をあげた。

 声色には素っ頓狂なことを言っていることに対して、オリヴィアを見たことのどこが光栄なのか分からないという二重の意味を含めていた。


「しっかりして下さいよオルコットさん。このままだと部隊から除名されますよ」

「いや、それは困る! オ、オリヴィア様、どうか俺の入隊を認めて下さい!」


 オルコットは全身全霊、渾身の気持ちを込めて頭を下げた。

 エマもノノも同様に頭を下げる。

 それに対して、オリヴィアは長いまつ毛に縁取られた瞳を細め、


「貴様に興味なぞ微塵も無い。疾く失せろ」


 と、冷たくあしらう。


 オルコットの心中は意外なことに殆ど荒れていなかった。

 寧ろ、納得している部分もある。

 一国民である自分に、皇女様が興味を持つわけがない。

 分かりきったことをただ再認識させられただけ。

 次の就職先をどうしようか考え始め出した時、エマがオリヴィアに噛み付いた。


「すでに私とノノちゃんはオルコットさんをコルニクスの一員として迎え入れています。貴女が認めるかどうかなんて関係ありません」

「随分と強く出たな、死神風情が」


 オリヴィアが怒り交じりの瞳でエマを睨みつける。

 対抗するようにエマも金色の瞳を鋭くする。

 二人が放つ悍ましい程の威圧感にオルコットは死の恐怖を感じる。

 どちらかが一歩でも動いたら殺し合いに発展しそうな雰囲気──、


「まあまあ、二人とも落ち着いてください」


 ──を一気に緩和させたのはノノの一声だった。


「お互いの意見をただぶつけても平行線ですし、ここは純粋にオルコットさんの実力で判断するのはどうですか?」


 オリヴィアの怒りがおさまっていき、ノノの提案に耳を傾けた。

 やはりノノの魅了は強力だ。傲慢で自我が強靭、他者の干渉など頑として受けないオリヴィアにも一定の効果を与えるのだから。


「一度オルコットさんの実力を見ていただければ、きっとオリヴィア様も納得してくれると思います。それに優秀な人材をここで切り捨てるのは、コルニクスにとって大きな痛手になるかと」


 不安そうに言葉を紡ぐノノをオリヴィアはジッと見つめて、やがて加虐的な笑みを浮かべた。


「貴様の憂慮する表情は蜜の味よの。良いだろう、その蜜に免じて貴様の戯言に乗ってやろう」

「あ、ありがとうございます!」


 ノノが話し出した途端にオリヴィアの態度が緩和して、とんとん拍子に事が進んだ。

 今度からオリヴィアを説得する時はノノに任せようとエマは思った。



×××



 帝国北部に位置するデボンレックス。

 一年を通して雪が降り続ける街だ。そのためか街全体が冬眠しているかのように静かな印象を受ける。

 因みに酒類消費量は帝国内ぶっちぎりの一位である。


「うぅ、寒いです……」


 呻くような声をこぼして、ノノは自分の身体をさすった。

 今日のノノはいつものメイド服ではない。もこもこのセーターの上に厚手のコート。長めのスカート、首にはマフラーを巻き、完全防寒状態となっていた。


「ノノちゃんは寒いの苦手ですもんね。とはいえ、相変わらずこの街は狂ったように寒いですね」


 白い息を吐きながら街の感想を述べるエマ。

 白を基調とした服装はいつも通りだが、羽織っている漆黒の外套はファー付きの防寒仕様だ。


「どうしても我慢出来なくなったら、エマ様を抱きしめて暖をとってもいいですか?」

「我慢なんてしなくていいんですよ。はい、ぎゅー」

「エ、エマ様ぁ~」


 抱き合ってイチャイチャする二人。

 そういう性癖の者が見れば眼福モノ、鼻から大量出血の光景だが、オルコットの視界には微塵も入っていない。

 それもそのはず。


 今回の活躍次第でオルコットの今後の人生が大きく変わる。言ってしまえばターニングポイントだ。


「どうしてこんなことに……。あの時、エマを撃たなければ……今頃ラグドールで……」

「過去を嘆いても仕方ありませんよ」

「この現状を作った元凶に言われても何にも響かねぇ」

「それは責任転嫁では? 元々はオルコットさんが私たちに捜査協力を依頼したんですよ。その結果、オルコットさんは私の額を撃ち抜いたんですから」

「うわぁぁ! そうだった! なんてことしてくれたんだ、あの時の俺!」


 頭を押さえて過去の自分を恨むオルコットを、エマは呆れたように眺めていた。



×××



 事件現場は今は使われていない倉庫だった。

 倉庫前では大勢の警察が白い息を吐きながら、忙しなく動いていた。


 日常と非日常の境界線として機能している黄色いテープを潜り、エマたちは非日常に躊躇なく飛び込む。


 エマたちに気付いた一人の刑事──大柄で腹が大きく出っ張った熊みたいな男だ──はのしのしと近寄り、手を差し出した。


「待っていたよ。君が有名な『死神』か……思ったよりも小さいんだな」

「よく言われます。皆さん、どんな化物を想像しているんですかね?」


 握手を交わして、互いに自己紹介を始める。


「エマ・ムエルテです」

「ノノ・オリアン・クヴェストです」

「二人は帝国の有名人だからよく知ってるよ。けど、君は知らないな」


 そう言って熊みたいな刑事は首を傾げる。

 オルコットは姿勢を正して名乗る。


「ロン・オルコット。最近この部隊に加入したんだ」

「そうなのか、若いのにすごいな。私はアッラン・サロライネン、ここの現場責任者だ」

「よろしくお願いします、サロライネンさん。早速ですが現場を見せてください」


 サロライネンに案内されて倉庫に入る。

 屋根には大きな穴が空いており、屋内だというのに雪が積もっていた。

 しかし、中心だけは雪が全て溶けており、代わりに真っ黒に焦げた遺体がそこにあった。吹き抜けているから換気はされているはずなのに、嫌悪感を掻き毟る醜悪な臭いが鼻についた。


「わぁ! 焼死体ですか! 久しぶりにテンション上がってきましたよ!」


 心底楽しそうにエマは焼死体の元に駆け寄り、しゃがんで話しかけ始める。まるで街で偶然出会った友人と話すくらいのな感じで。

 その光景を目の当たりにしてサロライネンは眉を顰めた。


「遺体見てあんなにはしゃげるもんかね?」

「あはは……あれはエマ様の性癖なので、お気になさらないで下さい」


 苦笑いを浮かべながらノノは断りを入れる。

 オルコットはというと、楽しそうに遺体に語りかけるエマの姿を懐かしく思っていた。


 サロライネンがスーツの裏ポケットから手帳を取り出して、情報を提供し始めた。


「被害者はユーグ・プーレ。ドラッグの売人だ。推定死亡時刻は今日の深夜。恐らくは生きたまま火を付けられたようだ。暴れ回った痕跡がそこらかしこにある」

「かなり残酷な手口だな」


 オルコットは怪訝な面持ちで手帳に情報を書き込んでいく。


「燃焼促進剤も使っているから、犯人はよっぽど火が好きなんだろうな。他にも四件ほど似たような事件が起こっていてね。我々は同一犯と睨んで捜査を行なっている」


 相槌を打ちながら真剣に話を聞くノノ。その健気な姿にオルコット、サロライネンの両名はついつい見惚れてしまう。

 遺体に夢中で話を聞いてなかったように見えたエマだが、突然声を上げて立ち上がった。


「ちょっと待って下さい。それって普通の連続殺人事件ですよね?」

「普通の連続殺人事件ってなんだよ」


 オルコットは首を傾げる。

 連続殺人事件に普通など存在しない。それ自体が異常の塊なのだから。

 しかし、エマはさっきまでの上機嫌はどこへやら、明らかに面倒くさそうな顔をしていた。


「普通は普通ですよ。犯人が至って普通の方法で犯行を行う。それを解決するのは地元警察や帝国捜査局の役割で、私たちの役割ではありません」

「話が見えないな。何が言いたいんだ?」

「私たちの専門は魔術絡みの事件なんです」


 魔術などの神秘よりも銃火器の現実的な力が発展している帝国において、魔術絡みの事件の解決率は極めて低い。

 理由は至って単純で魔術への理解が無いからだ。


 それを補うためのエマたちである。

 依頼は全てオリヴィアを通してきているので、必然的に彼女の興味を惹く事件、つまり魔術絡みが大半なのだが今回はなぜか違う。

 オルコットの加入試験を兼ねているからか。


「そりゃそうかもしれないけど、ここで放棄するなんて俺は許さないからな。人の命がかかっているんだ。それと、俺のクビも」

「連続殺人犯をのさばらせるほど私は寛容な性格してません。ただ、少し気が抜けただけです」


 肩をすくめるエマを一瞥し、オルコットは現場を満遍なく見渡す。

 その様子を見て、エマは言う。


「では、オルコットさんはここをお願いします。私は検視局に行って、他の遺体を確認してきます」

「ああ、頼んだ。ここが済んだら被害者遺族にも会ってくる」

「私は警察署に行って、関連事件の調査資料を調べますね」

「お願いします、ノノちゃん。それでは、また後で」


 エマたちは事件解決へと各自行動を始めた。



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