case5-3 『砕かれた美貌』



 警察署は身内がやられたということもあって雰囲気は最悪だ。殺気と緊張感が入り混じり、呼吸するのも申し訳なさそうになる。


 そんな署内でオルコットとノノは膨大な量の資料と向き合っていた。

 オルコットの顔面には痛々しく包帯が巻かれていて、ところどころに血が滲んでいた。おそらくは凄まじい激痛が絶え間なく襲っているのだろう。だが、彼は善意の炎に燃えた瞳で必死に資料を集めていた。


 その隣でオルコットの容態を逐一確認しながら資料に目を通すノノ。


 この資料──宿泊者リストや来場者リストなど──の中に犯人がいる可能性がある。

 しかし、犯人の具体的な情報は無い。

 そんな状態で特定するのは至難の技、不可能に近い試みだ。

 それでもオルコットは決して手を止めようとしなかった。


 被害者の立場になって初めて分かることもある。

 顔を奪われた──正確には剥がされたオルコットは、どうしようもない喪失感と激しい憤りを感じていた。


 個人を個人として確立させるのが顔だ。

 生まれた瞬間に授けられる大事な個性。

 成長とともに顔も変化していく。同じ変化はただ一つとして存在しない。


 唯一無二の自分だけの顔。

 それを個人的で身勝手な理由で奪い、剥ぎ取るなど断じて許される行為ではない。

 オルコットは奥歯を噛み締めて、


「──絶対に捕まえてやる」


 別の資料に手を伸ばすと、なにやら柔らかい物に指が触れた。

 なんだと思って、オルコットが視線を向けると猫がいた。

 全身真っ黒で淡い紫色の瞳だけが浮いて見えるような黒猫だ。


「なんでこんなところに黒猫が? というかいつから……」

「いきなり際どいところ触るなんて失礼な旦那だにゃ」

「うおっ、喋った!?」


 驚いた反動で立ち上がるオルコット。顔面に痛みが走り苦痛の声をあげる。

 次に反応したのはノノ。ただ、オルコットとは全く違うものだった。


「ミーミルちゃん!」

「にゃっす」

「その黒猫なんなんだ?」

「彼女はミーミルちゃん、エマ様の使い魔のような子です」


 ミーミルはぬいぐるみのような手を舐めながら言う。


「ユニから情報預かってきたにゃ」

「本当ですか! あれ、エマ様は?」


 ノノは辺りを見回すが濡羽色の髪の少女はどこにもいない。


「ご主人はのんびり屋だからにゃ、一足先にこっちに来たにゃ」

「そいつは助かる。情報を教えてくれ」


 オルコットに催促されて、ミーミルはユニから受け取った情報を開示する。


「一連の事件に使われているのは恐らく『顔宝転写』と呼ばれる、鉱物──例えば宝石などに対象の顔を封じ込めるといった内容の魔術にゃ。起源はとある国の王位継承が発端にゃ。その国では最も美しい者が王になるという仕来りがあってにゃ、王位を巡る者たちは王になるために美を追求したにゃ。初めの内は己の美を磨いていたが、ある時点から他者を突き落とす方へ捻じ曲がっていったにゃ。他者の美を奪って醜くしよう、とにゃ。その結果生まれたのが──」


「その『顔宝転写』ってことか。とことんふざけた魔術だ!」


「かなり特殊な魔術のようですから、使える者は限定されるのではないでしょうか。どうですかミーミルちゃん」


 感情的に怒鳴るオルコットに対して、ノノは冷静にミーミルに問いかける。


「ノノの言う通りにゃ。使えるのは王族の側近を代々務める一族──パーセル一族だけにゃ」


 オルコットの目の色が変わり、資料を掴み取りパーセルの家名を探す。

 心臓が高鳴り、感情が高揚していくのが分かった。

 そして──、


「あった……あったぞ! ポーラ・パーセル! こいつが犯人、こいつが俺の顔をっ!」

「オルコットさん、彼女はどのリストに載っていました?」

「あ、えっと……大手宝石店の経営者が開催する社交界だ」

「それはいつ?」


 オルコットは別の資料を漁り、「あっ」と声を漏らす。

 そして、ノノを見て答えを述べる。


「今日だ」



×××



 大手宝石店の経営者が所有する豪邸。

 その大広間は華やかに彩られていた。純白のテーブルクロスが敷かれた幾つもの丸テーブル。上には贅を尽くした料理と高級なワイン。

 集まった人々は、高級スーツやドレスを身にまとった上流階級の者たちばかり。

 数多の美を見てきた目は肥えに肥えて、そんじゃそこらのことでは感動しなくなっている。


 しかし、彼、彼女らは大広間に入って来た少女に一瞬にして目を奪われ、同時に溢れ出る感動で心を震わせた。


 感動の源泉は、胸元と背中が大胆に開いたドレスを着たノノだ。


 彼女の目的は社交界を楽しむためではない。

 目的はたった一つ、犯人を捕まえることだ。──自らを囮として。


 犯人が社交界に出席することを知ったノノは、主催者に頼み社交界へ飛び入り参加。主催者としても帝国の重要人物であるノノが出席してくれるのは願ってもない機会だった。

 ノノは交流をしつつ、犯人となる人物が話しかけてくるのをひたすらに待った。

 しかし、やって来るのはノノを口説こうとする者ばかり。


 対処方法は熟知しているがいかんせん数が多く、小一時間経った頃にはトイレに避難していた。


「少し休むだけ……少しだけ」

「そうよね。あれだけ言い寄られれば疲れてしまうわよね」


 ただの独り言だったのに、返答の言葉があったことに驚きを露わにする。

 その美しい女性はノノの背後にいた。


「あ……あの……」

「失礼、私はデボラ・ティナム。ずっと話したかったのに邪魔が多かったから、こうして後をつけて来たの。悪く思わないで」


 デボラがうっとりしながらノノの頬を優しく撫でる。

 柔肌に指が這う感覚がやけに気持ち悪く、悪寒が全身を駆け巡った。

 細い指が顎へと至ったところでデボラが呟く。


「あぁ、あなたって本当に美しいわ」

「そんなことは……」

「──その美しさ、奪ってやりたい」

「…………っ!?」


 疲労ですっかり感覚が麻痺していたことをノノは遅すぎるくらいに認識した。

 こんな明確な悪意を──ノノの魅了すら効かない悍ましい悪意を彼女は全身から臭わせているではないか。


 デボラの肩口から巨大な手が伸びた。

 それは、ノノの美しい顔を容赦無く掴んだ。

 突如、顔が引き剥がされるような感覚が襲う。


「う……あぁぁ……ぁぁ──!!」


 気持ち悪い、自分が自分ではなくなるような感覚には果てしない恐怖があった。

 被害者たちは、オルコットはこの恐怖を味わったのか。

 なんて酷いことを。

 なぜ、こんなことをするのか。

 一体なぜ!?


「あぁ、こんなにも美しい輝きを放つなんて。やっぱり、私の目に狂いは無かったわ」


 気付くとノノは床に横たわっていた。

 デボラは手に持った宝石をうっとりと眺めて、ノノをヒールで踏みつけ変貌した顔を覗き込んで嘲笑する。


「ふっ、良い顔ね。とっても醜いわ」

「醜い……のは、貴女の方です」

「は?」


 白縹しろはなだ色の瞳でデボラを睨みつけ怒りの言葉を紡ぐ。


「他の人の美しさを奪って、他の人が歩んで来た人生まで奪って……それを平気で行える貴女は醜い!」

「あなた、誰に向かってそんな戯言を述べているのか分かっているのかしら?」

「分かってますよ、デボラ・ティナム。あなたに言っているんです!」

「ああ、なるほど。王女である私への侮辱は我が国に対しての侮辱、正式に帝国に抗議します」


 すると、鈍く響く破壊音が炸裂した。

 何事かとデボラと従者であるポーラは音の方へと視線を向ける。


 そこにいたのは、緩い曲線を描いた濡羽色の髪と金色の瞳が特徴的な少女──エマ・ムエルテだ。

 彼女の拳は大理石の壁に深くめり込んでいた。


「──その足を今すぐ退けろ」


 足蹴にされているノノを見つめ、エマは激しい殺気を纏わせ、視線だけで殺しそうな鋭い瞳をデボラに向けた。

 あまりの殺気にデボラは言われた通りに足を退けた。


「………………」


 デボラはその少女を知っていた。とてもよく知っていた。


 帝国最強の存在。


 数多の戦場で多くの死をばら撒いてきた最凶最悪の化物。


 ──『死神』。


 死神は厳かに呟く。


「私はお前の国に宣戦布告する」

「は!? ほ、本気で言っているの!?」


 一国の王女に冗談でも宣戦布告など正気の沙汰ではない。

 公式でなくても大きな火種になるのは必至だ。

 しかし、エマは本気だった。


「お前は本気で私を怒らせた。殺すだけじゃ収まらない。お前の国を完全に滅ぼす」

「こ、個人的な怒りで帝国が動くなんてありえない」

「帝国? さっき言ったよね、私は宣戦布告するって」

「嘘……嘘でしょ……」


 エマはたった一人で国と戦争しようとしているのだ。

 デボラの一族が王族として君臨する王国は小国だ。超大国である帝国と比べれば弱小国としか言いようがない。


 だからといって国は国だ。

 一人で戦争を仕掛けるなど単なる自殺志願者だ。

 だが、エマ・ムエルテは圧倒的な力を保有している。──それこそ国を滅ぼす程の力を。


 デボラはようやく事の重大さを理解した。全身が恐怖で震える。自分のちょっとした憂さ晴らしの結果、国民全員の命、王国の未来を危険に晒している。


「わ、分かったわ。この子の顔は戻す……この街で奪った顔も全部戻すわ。ポーラ、今すぐ魔術を解いて」

「………………」


 デボラの持っていた宝石が輝きだすと、ノノの顔がみるみるうちに元に戻っていった。

 恐らく他の被害者たちの顔にも同様の現象が起こっているだろう。


「ほ、ほら、これで元通りよ」

「……………………」


 殺気は一向に治る気配が無い。

 エマは一歩一歩、デボラとの距離を詰める。


 主人の危険に対処するべくポーラがエマの前に立ちはだかった。

 巨大な手に魔力を纏いエマの顔を剥がしにかかる。

 だが、エマに触れた瞬間、


「あ゛? あ゛ぁ? あ゛ぁぁぁぁぁぁぁ──???」


 ポーラの身体が不自然に膨れ上がる。

 原因はエマが流し込んだ魔力だ。内側で蠢くエマの魔力を抑え込むことが出来ずにポーラは勢いよく弾け飛んだ。


 一瞬にしてトイレは赤に染められた。床に壁、天井──空間全てが細切れになった肉片と鮮血に彩られる。


「ひいぃぃぃぃ!!」


 従者の鮮血を頭から被ったデボラは膝から崩れ落ちて、エマから逃れるように後退する。壁に背がついても必死に逃げようとするデボラをエマが追い詰める。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいぃぃぃ…………」


 必死になって懇願するデボラ。


「絶対に殺す。確実に殺す。惨たらしく殺す。醜悪に殺す。殺す。殺す。殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す────」


 呪詛のように呟くエマ。瞳には死を纏い、激しい憎悪で全身を震わせていた。


 その時だった。


「警察だ! 全員その場で止まれ!」


 拳銃を構えたオルコットと警察数十人が一斉にトイレに雪崩れ込んできた。

 グロテスクな惨状に警官たちが絶句する中、オルコットだけはエマに銃口を向ける。

 今この場で最も危険なのはエマであることは明白だった。


「動くなエマ」

「邪魔しないで。今からコイツを殺す」

「気持ちは分かるが、とにかく落ち着け」

「うるさい、うるさい、うるさい! お前に私の何が分かる!? ノノちゃんを、私の理解者で唯一の親友を傷つけた! コイツを何千、何万回殺しても到底収まらない! こんな奴を産み落とした国も滅……」


 甲高い音がエマの怒号を強引にねじ伏せた。

 額を貫いた弾丸は頭蓋骨を砕き脳髄を掻き回す。呆気に取られた表情のまま、エマは受身も取らずに血の海に沈んだ。


×××



 事件の後処理を行なっている豪邸の外でオルコットは未だに震える手を眺めて苦い顔をした。

 拳銃を実戦で撃ったのは初めてのことだった。

 その初めてが捜査協力してくれていた少女なんて、幾らなんでも後味が悪い。


「オルコットさん、助かりました。あのままだったらどうなっていたか自分でも分かりませんでした」


 ただ、撃たれた本人が何事も無かったかのようにけろっとしているのが多少なりとも救いだった。


「いや、ミーミルだっけ? 待機していたらその黒猫が急に現れて」


 オルコットはエマの頭に乗っている黒猫に視線を向けた。


「ご主人ブチ切れだったからにゃ。ああでもしないと止められないと思ったにゃ」

「むぅ……反省はしています」


 そう言って、エマは治療を受けているノノへと顔を向けた。

 ノノはエマの視線に気付き、嬉しそうに手を振った。

 エマも微笑んで手を振り返す。


「なぁ、エマ」

「なんでしょう?」

「ポーラ・パーセルはどんな奴だった?」


 結局、オルコットは自分を襲ったポーラの素顔や性格は分からないままだ。

 その問いに対してエマは、


「ノノちゃんの足元にも及びませんね」

「エマ基準だったら誰でもそうだろ」


 オルコットは苦笑いを浮かべた。



×××



 今回の一件は両国の上層部の方で内々に決着がつき、関係者全員に徹底的な箝口令かんこうれいが敷かれた。


 帝国上層部はラグドール警察署所属のロン・オルコットの処遇に頭を悩ませていた。


 彼は事件に深く関わり、エマへの発砲も報告されている。エマは非公式とはいえ軍人に分類されている。彼女への発砲は帝国軍に対する明確な攻撃と言う者もいた。


 その一方で戦争を未然に防いだ勇敢な青年で、エマへの発砲も正当な理由があったから不問にするべきだという声もあった。


 結局、意見は一つにはまとまらなかった。


 すると、当事者であり被害者であるエマ・ムエルテがとある提案を持ちかけて来た。

 丁度良い落とし所が見つからなかった上層部はエマの提案を受け入れることにした。



×××



 ロン・オルコット。

 エマ・ムエルテへの発砲は不問とする。

 第三皇女直轄特殊部隊への転属を命じる。





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