case5-2 『奪われた面貌』
魔導図書館にやって来たエマは、寄り道せずに真っ直ぐと目的地である『錬金術科研究室』に向かう。
今回はノノが居ないのに加えて、授業中だったこともあり生徒たちに絡まれることなく、いとも簡単に辿り着けた。
室内はこの前来た時と同じ、もしくはそれ以上に散らかっていた。
「少し掃除したらどうですか」
エマが苦言を呈すると、大量の物が置かれた机に向かい執筆していた美女が手を止めて、顔をエマに向けた。
「あら、こんな短期間でまた来るなんて。引きこもりは卒業したの?」
無造作にまとめた銀髪に緑色の瞳。不摂生なくせにスタイル抜群の錬金術師──ユニ・アルケミア。
眼鏡をかけているのでいつもとは印象が異なる。机の上に置いてある灰皿には大量の吸殻が積まれていた。
論文でも書いていたのだろう、とエマは推測。
「引きこもっていられるならそうしたいです。周りがそれをさせてくれないんです。魔導図書館にだって本当は来る気無いんですから」
「おいおい、それ講師の前で言う? それにアンタも一応は在籍しているんだから暇な時は講義に出なさいよ」
エマは言われて自分が魔導図書館に在籍している生徒の一人だと思い出した。と言ってもオリヴィアによってあらゆる課題や単位獲得は免除されているので、ただただ在籍しているだけである。
「妹と引き換えに姉は勤勉なんだけどね。辺境伯の激務もこなして無遅刻無欠席、成績も最優。おまけに超美少女ってどういうことよ?」
「お姉様は正真正銘の天才ですから」
才能と努力と美貌にブーストをかけまくった結果、『妹は姉を世界で一番愛さないといけない』などという奇妙奇天烈な思想を持ち、単純に性格が悪くなってしまった姉を思い浮かべてエマは苦笑い。
「世の中って不公平よねぇ。ていうか聞いてよ、マナに『
「あぁ……よっぽどのことがない限り『
嫌い過ぎて錬金術を一切勉強しなかったエマは、錬金術の基礎的な部分をぼんやりと知っているだけ。他の生徒の方がよっぽど詳しいだろう。
因みにマナの方は嫌ってはいるが恐ろしく造詣が深い。その証明となるのが、窮極の錬金術『
ユニはがっくりと肩を落とした。
「垂涎モノの錬金術がすぐそこにあるのに御預けを食うなんて拷問でしかないわ……。というか、錬金術の名家のくせに嫌いって勿体ないったらありゃしない」
「私の分までお姉様が研鑽してるからいいんです。天才で思い出しましたけど、イヴちゃんはどんな様子ですか?」
イヴは数ヶ月前にラグドールで起こった『ホムンクルス事件』の中心にいた幼女で、現在はユニの元で暮らしている。
ユニは椅子から立ち上がり、ソファーに腰掛けた。
口に咥えていたタバコに火を点けて紫煙をくゆらせ、最高と言わんばかりの表情で口元を緩めた。
「圧巻の一言ね。ちょっと教えればすぐに吸収するし応用力も十分にある。クラスでもすでに人気者になってるわ」
「そうですか。それなら安心しました」
「もう少ししたら授業終わるから会っていく?」
エマは首を横に振った。
「会いたいのはやまやまですが、事件を早期解決しないといけないので。今度、会いに来ます」
「やっぱり。また錬金術関連? いいや、わたしのところに来たのが答えか」
「確定した訳では無いですが、意見を聞きたくて来ました」
「なるほどね。どんな事件なの?」
本題に移り変わり、エマは事件の概要を掻い摘んでユニに説明した。
説明が終わる頃、ユニは二本目のタバコに火を点けた。
「──それで、錬金術で顔を変えることは出来ますか?」
「出来るか、出来ないかで言えば……出来る」
ユニは口から紫煙を吹き、渋い表情を作る。
出来るとは言っているが裏があるようだ。
「ただし、理論上の話になるわ。錬金術は簡単に言えば物質の組み換えをしているの。例えば……」
ユニは吸殻が入っている灰皿を指差す。
「現実的に見るとこの灰皿の中には灰と吸殻があるだけ。でも、抽象的に見ればタバコを形作っていた物質が存在しているということになるの」
口にタバコを咥えたまま、ユニは自分の指にインクを付けて灰皿を中心に魔法陣を描いていく。
「────」
呟いた瞬間に魔法陣が輝き出して、灰がひとりでに舞い始めその姿を変化──再構築していく。
やがて輝きが収まると、ユニの指と指の間に真新しいタバコが挟まっていた。
「とまぁ、こんな感じ。で、逆も然り」
火も着けてないのにタバコはみるみるうちに灰になっていく。
「錬金術の基礎は物質構造の把握。アンタの物質創造能力と比べれば使い勝手の悪い代物よ」
「なるほど。では、人体の構造を熟知していれば顔を変えることも可能という訳ですか」
「一応はね。でも、人体への錬金術は確実に失敗するわ。どの論文を読んでも成功の二文字は存在しない。非科学的な意見になるけど、人間が自らの手で人間を再構築するのは禁忌──踏み入ってはいけない領域なのかもしれないわ」
人間には決して越えることの出来ない領域がある。
領域に到達してしまう恐れがあるならば世界から消されてしまう。例えばエマの父親がそうだ。彼は踏み込み過ぎた結果、逃れられない死が確定してしまったのだ。
仮にその領域を越えてしまったら、それはもう人間ではない。
世界の理から外れた『何か』になってしまうのだ。
「では、魔術の方では?」
「不思議なことに、魔術で顔を変える方法はいくつかあるのよね。整形と同じ類になるかしら」
「具体的に方法は?」
エマの質問にユニは腕を組んで難しい顔をする。
「急に言われると出てこないなぁ」
「では、調べてもらえませんか? 報酬はカートンで」
「乗った。でも、アンタがタバコ買えるの? どう見ても……」
「カートン分のお金を渡しますよ。ミーミルちゃん」
エマが名前を呼ぶと、テーブルに積まれた書物の上に淡い紫色の瞳が特徴的な黒猫が現れた。
「なにこの猫……本当に猫なの? なんか構造がおかしい気が……」
「私の使い魔のような子です、可愛いでしょ。何か分かったらこの子に伝えてください」
「分かったわ。期待して待ってて」
×××
すっかり日も暮れた頃、ノノとオルコットは被害者たちの身辺調査を終えて、警察署に戻るところだった。
オルコットは手帳を眺めながら、成果ゼロという現実に顔を顰める。
「駄目だ。全員多少なりとも火種は持っているけど決定的なものがない。それに交友関係内に魔術、錬金術を使う人物がいない」
ある程度予想していた結果だが、疲労感はどうしてもついてくる。
今日の帝国で魔術絡みの事件など滅多に起きない。身近な代物や銃が用いられるのが殆どだ。魔術の認知度は年々下がっていっているのが現状だ。
「顔見知りの犯行で無いのは固まりましたね。では、次は事件が起こった日時について考えるのはどうですか?」
ノノが上目遣いでオルコットに尋ねる。
メイド服から覗く白い胸元に視線が吸い込まれそうになるのを必死に堪えながらオルコットは答えた。
「発生時期ってことか。それは一週間前、その後の犯行に規則性は無い。ターゲットを見つけたらすぐに襲っているのか……」
「以前にこのような事件はありました?」
「いや、こんな奇妙な事件は無かった」
指先を唇に添えながら考えるノノ。たったそれだけの単純な行動でも果てしなく魅力的に見えてしまう。
淫魔とは凄まじい存在だ、とオルコットはノノを眺めながら改めて思う。
「簡単に考えてみたんですけど、犯人はラグドールの人では無く、一週間前にラグドールにやって来て犯行に及んでいるなんてどうですか?」
「なるほど、可能性は十分にありそうだな。一週間前から滞在している人物を洗い出してみるか」
「私も手伝います」
「あ、ありがとう」
思わず照れて視線を逸らすオルコット。
視線をノノに戻した瞬間、背筋に冷たいものが走った。
フードを目深に被った巨躯がノノを背後から襲おうとしていたのだ。大きく広げられた手には魔力が込められている。
「危ない!」
反射的にオルコットは巨躯に向かって体当たりを繰り出していた。
突然のことで何が起こったか理解できないノノは、視線をオルコットたちに向けるも身体は固まっていた。
揉み合うオルコットと謎の巨躯。
巨躯の方は意外にも力が無く、警察官として鍛えているオルコットの敵では無かった。
だが、巨躯の魔力が込められた手がオルコットの顔を掴んだ瞬間に形成は逆転された。
「ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ────ッ!!!」
絶叫を上げて苦しむオルコット。
耳をつんざくような悲鳴は根源的な恐怖を喚起させる。
しばらくして巨躯はオルコットを引き剥がして、街の中へと消えていった。
「オルコットさん!」
ノノが慌てて近寄ると、オルコットは顔面を押さえながら呻き声を零す。
「か、顔が……顔が熱い……どうなって……」
治癒魔術をかけようとするノノだが、オルコットの顔を見た瞬間に絶句した。
そこにオルコットの顔は無かった。
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