case4-4 『たった一つの予想外』
夜の帳が下り、街を覆う霧はいっそう濃くなって街灯の光は近くをぼんやりと灯しているだけだった。
静まり返った街中で響く音が一つ。
石畳みを踏みしめる靴音。音の間隔は短く、奏でている人物が急いでいることは容易に掴めた。
縦に巻かれた髪は歩くたびに揺れ、吐く息は乱れている。
ニンファは辺りを見渡し、身を縮ませながら目的の場所に向かっていた。
やって来たのは霊園。
昼間でさえ不気味なのに、夜となればもはや別世界だ。今にも死者が墓の下から這い出て絶望の咆哮を上げそうだ。
やっとの思いで辿り着いたのは、姉であるエッラ・ブルネッリの墓。
そこには先客がいた。
傷んだ髪に怪しく灯る瞳、病的にまで白い肌をした長身痩躯の青年だ。全身を真っ黒なコートに身を包んでいるため、夜と同化していて、そこに実在しているのか疑いたくなってしまう。
青年の名はカルム・ヴェーフェルス。死の商人であり死霊術師でもある。
「ニンファ・ブルネッリ、約束の期間はとうに過ぎている。どうなっているんだ? 随分と顔色が悪いな……実に良い」
「エッラにしてやられましたのよ! 術式とやらで私に報復しに来るんですの! このままでは殺されてしまいますわ!」
「報復の術式……。一般人では到底組める物では……まぁ、いい、それじゃあ、わざわざ準備する必要は無かったな。だが、せっかくだ」
「え? きゃっ──」
足首に違和感を感じたニンファが恐る恐る視線を移すと、血の気を失った冷たい腕がそこにはあった。掴まれた足首に爪が喰い込み、鮮血が滲んでいた。
ようやく辺りの気配に気がついたニンファは絶句する。
いたのは街の住人たち──エッラと特に仲が良かった者、ただしひとり残らず死んでいた。
亡者は憎悪と虚無の瞳で睨みつけながら、ニンファに纏わりついた。
冷たさと異臭に顔を歪めながら、ニンファはカルムを怯えた目で見つめた。
「貴方……なんてことを……」
「コイツらはエッラ・ブルネッリを慕っていた。生きていれば少しづつ想いは薄れていくだろう? 俺はその想いを尊重してやった──決して朽ちることのない、死という名の永遠をもってな」
「狂っていますわ……」
カルムは商売人の顔を見せながら、
「取引は絶対だ。用意出来ないのなら、お前が代わりを務めろ」
「そんな──」
ニンファは亡者によって、エッラの墓の前に掘られていた穴に突き落とされる。
全身に痛みを感じながら上を見上げると、亡者たちが覗き込んでいた。
『お前が、殺した』『エッラを』『なぜだ?』『なぜ殺した?』『どうして?』『あんなに、良い子』『答えろ』『お前が』『殺したんだろ?』
「やめて……やめてっ!」
呪詛のように紡がれる悍ましい声に、ニンファは耳を押さえて首を激しく横に振った。
「コイツらはエッラ・ブルネッリの死の真相を知りたがっていた。だから、あえて意識を一部だけ残してやっている。せめてもの慈悲だ」
カルムは呟き、無表情のまま事の流れを観察に徹することにした。
『答えろ』『答えろ』『答えろ』『答えろ』『答えろ』『答えろ』『答えろ』『お前が』『答えろ』『答えろ』『答えろ』『エッラを』『答えろ』『答えろ』『答えろ』『答えろ』『答えろ』『殺した』『答えろ』『答えろ』『答えろ』『答えろ』『答えろ』──────。
「あ゛ああぁぁぁ──! うるせえぇんだよ!! そうだよ、私が殺したんだよ! あのクソ女はずっと私を見下していた! 自分は何でも出来るからって! 憎くてしょうがなかったんだ! 殺した時はせいせいしたよ! それに死体を売れば金になるし、何よりクソ女は一生異常者のオモチャになる! 想像しただけで愉快な気持ちになったわ! あははは、あはははははははははははははは────!!」
あまりの変貌ぶりに亡者たちは一瞬戸惑い、そして自白したことを理解して、ニンファを殺すことを決意した。
緩慢な動きで亡者たちは土を穴の中に落としていく。ニンファを生き埋めにしようとしているのだ。
「やめろ! この底辺どもが! 私を誰だと思っている! やめろクソどもが!!」
土に汚れて、罵声を吐き捨てるニンファ。穴は深く、自分ひとりの力では到底登ることは出来そうにはない。
「お前たちは土遊びをしていろ。俺はエッラの死体を探してくる」
「──そうは行かないわ」
第三者の声にカルムは驚きを露わにする。その声の方向に顔を向けて、大きく目を見開いた。
二人の人影
金色の髪、金眼の美少女──マナ・ムエルテ。
濡羽色の髪、金眼の美幼女──エマ・ムエルテ。
カルムは頬を赤らめてそのうちの一人、エマに熱い視線を送る。初めて見せた人間らしい表情は親愛だった。
「あぁ……死の体現者! 我が愛! エマ・ムエルテ! まさかこんな所で出逢えるなんて!」
「本当に不愉快な人ですね。今日こそ殺します」
「素晴らしい殺気だ! そうだ、俺だけにその激情を向けてくれ!」
露骨にドン引きするエマ。
マナはカルムの異常な愛情表現を無視して言葉を続ける。
「カルム・ヴェーフェルスね。貴方には無数の事件への関与の疑いがあるわ。大人しく投降しなさい」
「さぁ、来い! 来てくれエマ・ムエルテ! その殺意で俺を貫いてくれ!」
マナの額に青筋が浮かび、全身から闘気のようなものが漂い始める。
「無視とは良い度胸ね……」
「あの冒瀆者は私が狩ります。お姉様はニンファさんをお願いします」
「私に指図するなんて何様? ……奴は生け捕りにしなさい」
「……分かりましたよ」
エマは嫌そうな顔をしつつ同意し、背丈より大きい鎌を創造しながら、カルムへと突進する。
一方のマナは必死に土を穴に落としている亡者たちに視線を向けて、嫌悪感を表しながら舌打ち。
「本当に穢らわしい。あぁ、全身が痒くなってきたわ」
すると、マナを目的を阻む者と認識した亡者たちはぎごちない動きで襲いかかってきた。
マナは懐から、淡い紫色の宝石が装飾された指輪を取り出して右手の人差し指にはめる。
そして、心底不愉快そうに呟く。
「最低最悪の気分だわ」
指輪──正確には宝石に向かって莫大な魔力を流し込む。
宝石は指輪から外れ、宙に浮いたかと思うと目が眩むほどの輝きを放ち、さらに増していく。
突然、大地がめくれ上がり意志を持ったかのように蠢き、輝く宝石を飲み込んでいく。
不規則に蠢いていた土や石、砂はやがて規則性を持って、ある形を創造していった。
造られたのは女性だ。
地面まで伸びる髪、美しい容姿、肢体は貫頭衣のみで覆われている。
彼女は瞑目したまま、マナを見る。
『ご機嫌麗しゅうございます、マナ様。どうぞ何なりと御命令を』
マナのみが行使出来る窮極の錬金術──『
術式が組まれた宝石を心臓部として、使い魔を創造。周りの物質を肉体構成に利用するので、場所問わず創造が可能という破格の性能。
だが、創造の際は緻密で複雑な計算が必要なため、一般の魔術師や錬金術師では創り出すのはほぼ不可能である。
マナの類稀なる錬金術の才能と卓越した頭脳だからこそ行使することが出来ている。
そして、生み出された彼女は三体のうちの一体──その名は『ヘル』。
「自分が死んだことにも気付かずに現世をうろついている者を然るべき場所に送りなさい」
『かしこまりました』
ヘルがゆっくりと手を前へと突き出す。──刹那、淡い光が亡者たちを包み込む。
すると、亡者たちから煙が噴き上がり、次々と倒れていく。
──浄化。
その単語が最も相応しいと思える光景だった。
理から外れた者を優しく断罪し、穢れを祓う。──まさに神話の世界の再現だ。
浄化の光が止んだ後に残ったのは無害な塵のみ。
『命令を完遂。次なる御命令を何なりと』
「待機よ」
『かしこまりました』
マナは穴を覗き込む。
その中には土で見るも無残に薄汚れたニンファの姿があった。
「マ、マナ様、助けてくださいませんか?」
「嫌よ」
「──っ!? マ、マナ様?」
絶句するニンファに対して、マナの視線は絶対零度のように冷たい。
「残念だけど、貴女はもう呪われてるわ。亡者に傷でも負わされたんでしょうね」
ニンファは自分の腕や脚を見て、小さな悲鳴をあげた。
彼女の身体はドス黒い何かに侵食されており、血の気がみるみるうちに無くなっていく。
「いや、いや! なんで私がこんな目に合うんですの!? マナ様お願いしますわ、助けてください!!」
涙を流しながら懇願するニンファだが、マナの心には一切響いていない。
「さっきの全て聞いていたわ。貴女がエッラを殺したのね」
「そ、それは……」
「貴女が汚く、穢らわしく、惨たらしく死んでいく理由を教えてあげるわ」
マナは汚物を見るような瞳で、ニンファを睨みつけた。
「妹という存在がこの世で最も愛さなければいけない姉をその手で殺したからよ」
「…………は?」
「妹は姉を愛するべきなのよ。そうすれば万事上手くいくのだから。でもニンファ、貴女はそれとは全く逆のことを、姉を憎悪し、裏切り、殺した。当然の結果ね」
「………………」
「でも、私は慈悲深いから貴女が亡者になる前に殺してあげるわ。嫌でしょ? 醜い姿で彷徨うのは」
「え? ちょっと、本気で殺す気なの? 嘘でしょ? ねぇ、嘘って言えよ!!」
マナは、ヘルに穴の中を見るように命令を出す。
それから、
「神経毒を散布して。範囲は穴の中のみよ」
『かしこまりました』
命令を受諾したヘルは、たんぽぽの綿毛を飛ばすように優しく息を吹いた。
しかし、吹かれたのは人間を殺すには十分過ぎる量の毒だ。
さっそく症状が出始め、ニンファは迫る死に恐怖しながら血の涙を流していた。
「助けて! お願い助けて! ごめんなさい! 全部私が悪かったです! ごめんなさいぃぃぃ!!」
マナの表情は全く変わらなかった。
「エマと話した時にその言葉が出ていればこんな結末にはならなかったのに。全て遅過ぎよ。死ぬその瞬間までエッラを、姉を裏切ったことを後悔し、懺悔しなさい」
冷酷な瞳に灯る感情は、軽蔑と嫌悪、そして僅かばかりの憐れみがあった。
×××
一つの決着が着いたちょうどその頃、エマとカルムの戦闘は最高潮に達していた。
エマを取り囲むのは骸骨の群れだ。筋肉も神経も存在しないというのに、それらは軽やかに動き、即席の武器を振るう。
しかし、いくら雑兵が集まろうとエマにとっては無にも等しい。
大鎌を地面に突き立てて、持つ手を軸にしながら回転。遠心力を利用して全方位に殺戮の氷槍を放つ。
防御力が皆無の骸骨たちは氷槍に貫かれて、呆気なく消滅してしまう。
その光景にカルムは両手を大きく広げ、恍惚の笑みを浮かべた。
「素晴らしい! なんて美しい身のこなしなんだ! 一流のポールダンサーすら驚愕するだろうな!」
「本職の人に失礼なので、その口を今すぐ閉じて死んで下さい」
「殺意剥き出しの苦言、幼くなっても健在……実に良い!」
舌打ちをしつつ、エマは大鎌を踏み台にして跳躍。
量産される骸骨の背後で意気揚々としている黒尽くめの青年を視界に捉える。
「死の冒瀆者が……肉片一つ残さずに消えろ」
手のひらに莫大な魔力が顕現し、蠢き、新たな姿を形成していく。
創造されたのは一本槍。
エマは嫌悪塗れの殺意を込めて、カルムめがけて投擲。
幼女の細腕から放たれたとは思えない凄まじい速度で、槍は空を切り裂く。
「────っ」
槍はカルムの心臓を穿ち、首から下を吹き飛ばす。細切れになった内臓や肉片が墓石に飛び散り、鮮血が地面を染め上げる。
勢い収まらない槍は大地に突き刺さり、その余波は凄まじく霊園そのものが壊滅的状態に陥った。
「……………………」
エマは腑に落ちない様子で立ち尽くしていると、土埃を払いながらマナがやってきた。その眉間には信じられないほど深い皺が刻まれていた。
「ねぇ、エマ。どうして一人捕らえるだけなのに霊園を壊滅させる必要があるのかしら? というか肉片すら残っていないのはどういうこと?」
「いや……これに関しては私情が入っていたので。でも、いつもは違うんですよ」
「これ以上言い訳したら、ヘルの毒をお見舞いするわよ」
ゾッとしてエマはマナの後ろを恐る恐る見る。そこには貫頭衣姿の瞑目の美女が微動だにせずに直立していた。
『ご機嫌麗しゅうございます、エマ様』
「ど、どうも。お姉様、わざわざ『アングルボザ』を使ったんですか? しかも、ヘルを……一歩間違えれば街が全滅しますよ」
「私がそんなミスを犯すと思う? まぁ、確かに使う必要は無かった……私情が入っていたのは私も一緒のようね」
ひと段落ついて、力を抜こうとした二人。
だが、その途端に声が聞こえた。
「ははははははは! 良い、実に良い殺意だった!」
気づくと、カルムが五体満足の状態でエマを破顔しながら見つめていた。
完全に殺したはずの青年が生きていることに驚いたのは、殺したエマではなくマナだった。
「な、なんでどういうこと……?」
「恐らくは死霊術でしょう。すでに五、六回は殺しているんですよ、あの人」
「不死身って……アンタと同類じゃない」
「一緒にしないで下さい、不愉快です」
エマはカルムを睨みつける。
カルムは瞳から薄暗い輝きを放ち、口を横に引き裂いた。
「商談はご破算。だが、エマ・ムエルテ、我が愛はそれ以上の悦びを与えてくれた! 今回はそれで良しとしよう!」
エマが大鎌で首を刈り取るよりも先に、カルムは夜霧の中へと消えてしまった。
嫌悪する敵を取り逃したことにエマは拗ねたように頬を膨らませた。
×××
馬車の中は不規則に揺れていた。
硬い長椅子に深く腰掛け、腕を組んで瞳を閉じていたマナが面白くなさそうに息を吐いて、
「ここの舗装工事はどうなっているのかしら。早急に対処しないといけないわね、落ち着いて寝れないわ」
不満を漏らして、金色の瞳をエマに向けた。
「ところで、ニンファがカルム・ヴェーフェルスと接触させるように仕込んだ餌は何だったの?」
「エッラさんの死体に報復術式が組まれていた、と」
「ふん、魔術の素養が少しでもあれば陳腐な嘘だって分かったのに。どこまでも憐れね」
小馬鹿にしたようにマナは鼻を鳴らし、窓の外を眺め始めた。
対面に座っていたエマは、数分の間思案してから、意を決して問いを投げる。
「今回の件、どこまで知っていたんですか?」
違和感はいくつもあった。
マナは死体を一切探そうともせずに聞き込みを優先し、霊園での一件が終わってから、あっさりと死体を見付け出したのだ。死体を掘り出しに加担した一人の家の倉庫に丁寧に安置されていた。
加えてメモ。
書かれていた内容は、レストランの場所、『気付くのが遅すぎよ』の一言。
レストランの予約は店員から聞いたら数日前から取られていたらしい。
エマの質問に対して、マナは悪辣な笑みを浮かべ、
「言ったでしょ、姉を蔑ろにした罪がどれほど重いか教えてあげるって」
「エッラさんが亡くなった時点で、ここまで読んでいたわけですか。お姉様は予知能力者か何かなんですか?」
「逆に読めないのが疑問ね」
これだから天才は、と思いながらエマは肩をすくめた。
マナは馬車の窓から過ぎ行く景色を眺め、
「一つ予想外だったとすれば──」
小さな笑みを浮かべて呟く。
「──ハンカチ」
「家紋が刺繍されていたヤツですか?」
「ええ、それを未来に投資したわ」
×××
その後、エッラ・ブルネッリ、ニンファ・ブルネッリの亡骸は然るべき場所に埋葬された。
エッラは穏やかな顔をしていたが、ニンファの顔は苦痛に歪み、絶望しているかのようだった。
大きな損害を出したブルネッリ商会はこのまま沈んで行くかと思われたが、辺境伯の支援と一人の少年の雇用により立て直すどころか、急成長を遂げた。
後に少年は社長に就任した際にこう述べた。
「私の最も敬愛する人物はマナ・ムエルテ辺境伯です。彼女は私とブルネッリ商会の恩人です」
そして、彼のスーツの胸元にはいつも同じハンカチが入っていた。
そのハンカチのことを聞かれると、彼は心底嬉しそうに話を始めるのだった。
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