case4-3 『死神の姉』
派手さとは無縁な質素な造りの建物の中で、大勢の人々が忙しなく歩き回っていた。目まぐるしく動く者たちの発する風に無数の書類が宙を舞い、床に落ちて、踏みつけにされていた。
ここはエッラ・ブルネッリの喪失により混乱を極めるブルネッリ商会事務所。
エッラはブルネッリ商会で数々の部署を統括していたため、彼女が亡くなった現在、商会の機能不全寸前に陥っていた。
しかし、事務所はとある少女の訪問で水を打ったように静まり返った。
緩やかな曲線を描く金髪、知性的な金色の瞳。
小柄で華奢な体躯が纏う高貴で気品溢れる雰囲気は、周りを萎縮させるには十分過ぎる。
「会長はいる? いなくても今すぐに呼んで」
「ちょ、ちょっと! いきなり入って来て、しかも会長を出せって……。今、商会が存続の瀬戸際なんですよ。イタズラならご遠慮願います」
額に汗を滲ませながら苦言を呈する社員をマナは鋭い眼光で黙らせる。
「いいから会長を呼びなさい。マナ・ムエルテが来たって言えば大陸の果てからでも飛んでくるから」
訝しげな表情で社員は事務所の奥へと消えて行く。
マナが仁王立ちしてから数分後、社員は顔を真っ青にしながら戻って来た。その後ろには白い髪を丁寧に撫でつけ、白い髭を蓄えた紳士的な老人の姿があった。
老人はマナの前に立ち、深々と頭を下げる。
「お会いできて光栄です、ムエルテ辺境伯」
「挨拶は結構。それより、いくつか聞きたいことがあるわ」
「では、会長室へ」
「それと、そこの常識知らず。ここ数年の帳簿持って来て」
先ほどの社員に命令を下した後、会長の後に続いて会長室へ。
応接用のソファーに腰掛けて、マナは貫禄たっぷりに脚を組む。
「良いソファーね。今度買い換える時はこれにしようかしら」
「ありがとうございます。その時は是非ブルネッリ商会を」
「前向きに考えておくわ」
その後、今回の件を掻い摘んで会長に伝える。
全てを聴き終えた会長は溜め息を吐いて頭を撫でる。
「申し訳ありません、私の娘が辺境伯を内輪のゴタゴタに巻き込んでしまったようで」
「気にしなくて良いわ。それよりエッラが抜けた穴は大きそうね」
「はい……。素晴らしい才覚の持ち主でした。エッラが加わってからは業績はみるみる伸びていきました。本当に惜しいことをした。悔やんでも悔やみきれません」
「そうでしょうね。ところでニンファの方はどうなの?」
ニンファの名を出されて、会長の表情は露骨に曇った。
商売人としては致命的ね、とマナは内心で呟く。
「アレは……正直扱いに困っています。エッラの頼みで仕事に関わられていましたが……」
言い淀んでいると、社員が資料を持って会長室へ入って来た。
マナはその資料を引ったくり、凄まじい速度で目を通す。見終えると資料をテーブルに投げ捨て、
「ある支部だけ随分と業績が悪化しているけど、ここの担当はニンファね」
「お察しの通りです」
「よくこんなになるまで任せていたわね。大方エッラの口添えでしょうけど」
会長は厳かに頷く。
マナは金髪の毛先をいじりながら、会長の表情と仕草をつぶさに観察する。
──やっぱり、元凶はここね。
「先に言っておくわ。ご愁傷さま、娘二人を失って。ブルネッリ商会は帝国の発展に必要だと私は考えているわ。だから、できる限りの支援はしたいと思うわ」
「あの、ニンファはまだ生きていますが」
ソファーから立ち上がって、マナは酷く冷めた瞳で会長を見下す。
「──姉を裏切った妹が生きてられると思っているの?」
×××
ブルネッリ商会を後にしたマナはしばらく街を歩いてから、唐突に足を止めて、不機嫌そうに後ろを振り返る。
「さっきからずっと尾けてるけど、何か用でもあるのかしら?」
真後ろに立っていたのは薄汚い服に身を包んだ少年──恐らくはストリートチルドレンだ。
彼を見てマナは人目を無視して頭を抱えそうになる。
辺境伯として領地を統治する者として、ストリートチルドレンやホームレスなどと言った貧富の差によって引き起こる社会問題は悩みの種でもあった。
「姉ちゃんさ、エッラ姉ちゃんのこと調べてんだろ?」
「そうよ」
「オレも情報持ってんだ。きっと良い情報だから買ってくれよ」
少年はニヤリと笑い、手を伸ばす。
「良い情報です、はいそうですか買います、なんて簡単にいくと思うの? そんなので釣れるのは馬鹿だけよ。買って欲しいなら、その情報がどれほど価値があるか証明しなさいよ」
「ネチネチ言ってないでとっとと買ってくれればいいのによ。これだから貴族ってのは嫌いなんだ」
「なんか言った?」
聞こえていたのにあえて聞くあたり、マナの性格が捻じ曲がっているのを克明に表している。
睨みつけられた少年は慌てて首を横に振った。
「いいや、何も言ってない。姉ちゃん、話聞いているの大人だけだろ?」
「まぁ、言われればそうね」
「大人っての大半が嘘つきだ。姉ちゃんが話を聞いた奴らはもれなく嘘をついているぜ。でも、オレは嘘を言わない。その情報を言ったところで困ることは一つもないからな」
少年の言っていることは正しい。
確かに聞き込みをした住人たちは何かを隠していた。
隠し事の検討はすでについているのだが、あくまでもマナの推測の域だ。
立証のために少年の持つ情報を買うか否かを天秤にかけ、
「いいわ。貴方の言い値で買うわ」
「へへ、毎度あり」
マナから受け取った情報料を薄汚い服の中に突っ込んで、持ち合わせている情報を開示し始める。
「ここ最近大人たちの様子がどうもおかしかったんだ。妙に浮き足立っているっていうか、夜中にこそこそ集まって何かしている感じだったんだ。んで、俺は後をつけて行ったんだよ。そしたら、大人たちが雁首揃えて墓場にいてよ、しかもスコップとか持って。集団墓荒らしなんて聞いたことないぜ」
「なるほどね」
「あと、街を怪しいヤツがうろついてるな」
「怪しい奴……それはいつ頃から?」
「多分エッラ姉ちゃんが死んでからだな」
少年のもたらした情報は思った以上に、否、完璧に近い形でマナの推測を立証した。
マナは欲しい情報をピンポイントで与えてくれた少年に、感謝の笑みを浮かべ、
「貴方は事件解決に大きく貢献したわ。誇って良いわ」
そう言って、マナは自前のハンカチを少年に差し出した。
「細やかなお礼よ。大事に持ってなさい」
「ハンカチなんて貰ってもなー」
「価値は今に分かるわ。ところでエッラとは知り合いだったの?」
「ああ。なんか知らないけど、ずいぶんと世話焼いてくれたんだ」
「そう。…………現状から抜け出したいならブルネッリ商会に行くと良いわ」
それだけ伝えて、マナはエマとの集合場所へ向かった。
×××
「──貴方、エッラさんを殺しましたね?」
その一言を突きつけられ、ニンファの笑みが固まり、そして崩れていった。
仮面の下に隠れていた素顔。
それを見たエマはニンファを黒だと確信した。
「待ってくださる? 姉の死因は病死ですわ。それがなぜ殺しだなんて」
「病死にしては随分と綺麗な死体だったそうですよ、まるで眠っているみたいだ、と」
「それは……急性心不全だったので」
苦しい言い訳ですね、と内心で思いつつ、エマは質問を続ける。
「そうですか。そういえばエッラさんの死体処理に相当熱を入れていたようですね。それはなぜですか?」
「自慢の姉ですわ。せめて綺麗なまま眠らせてあげたかったんですの。それの何が悪くて?」
「それが親愛なら問題はありません。ですが、貴女の場合には悪意があります」
ニンファはエマから目を背けた。
高価な指輪がつけられた拳は固く握られ、高級な服装に包み装飾品に彩られた身体は小刻みに震えていた。
エマは続ける。
「ここからは私の想像、いえ妄想だと聞いてください。貴女は何らかの方法──恐らく毒か何かでしょう──で外傷が残らないように殺しました。そしてチャールズさんに徹底した防腐処理を依頼。実はですね、これと似たようなケースを何度か担当したことがあるんですよ」
「………………」
「で、このケースに例外なく関与している人物がいるんですよ。カルム・ヴェーフェルス──闇の商人にして死霊術師です。さて、死の商人と死体。この点を繋げて見えてくる答えは──」
エマは心底不愉快そうに答えを紡ぐ。
「──死体の売買。恐らくは死体愛好家にでも売るんでしょうね。私も死体は好きですよ。ですが自然の摂理に逆らって死体を我が物顔で弄ぶ人間を見ると……殺したくなります」
本気の殺意にニンファの顔が真っ青になり、少しでも気を抜けば失神してしまいそうになる。
取り乱したエマは気持ちを落ち着かせて、
「失礼、話を戻しましょう。動機は何でしょうね? 劣等感とかですか? 優秀な姉と比較される気持ちはよく分かりますよ。お姉様は頭おかしいくらいに優秀ですから、私も昔は随分と比較されましたよ。そんな姉を殺して、死体を辱める──復讐としては十分……」
「もうやめて下さい!」
怒号を張り上げて、ニンファはエマの言葉を遮った。
怒りと焦燥感に苛まれた顔は、化粧が崩れ落ちて派手さはどこかに消えてしまった。
「私は姉を尊敬しています! 死してなお辱めるなんて鬼畜の所業ですわ! そんなことは絶対に致しません! これ以上愚弄するならいくらエマ様でも許しませんわ!」
肩で息をして、髪を乱すニンファを見つめ、エマは申し訳なさそうに首を横に振る。
「すいません、どうやら私の妄想が過ぎたようです。でも良かったです」
「良かった?」
「はい。チャールズさんから聞いたんですが、エッラさんの死体にはとある術式が組み込まれていたみたいです。その術式というのが、自らを殺した相手を死後に報復するという恐ろしい代物だったんですよ。どういう理由でエッラさんが術式を組み込んだかは分かりませんが……。死体が消えたのも術式のせいかと思っていたのですが杞憂だったようですね」
「あ……そ、そう……」
動揺しているニンファを一瞥してから、エマはぴょんと跳ねて立ち上がる。
「では、引き続きエッラさん捜索をします。数々の無礼申し訳ありませんでした」
×××
メインクーンでも有名なレストラン。
シックな雰囲気の店内は、霧に包まれたこの街にと合わさって独特の世界観を生み出していた。
対面に座り、料理を楽しむ美人姉妹。
このレストランこそマナが指定した集合場所だ。
「お姉様、いつの間に予約を?」
「さぁ、覚えてないわ。それよりニンファから何か聞けた?」
「はい。色々と聞けました。それと餌を撒いておきました」
「じゃあ、今夜中に解決するわね」
マナの表情が緩む。それはまるで、殺戮を楽しむエマが見せるモノと瓜二つの狂気的な笑みだった。
ただし、彼女がその笑みを見せるのは状況を完璧に把握し、完全に支配下に置き、全てがマナの思い通りに進んでいる時だ。
つまり、事態は今夜中に収束する。──必ずだ。
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