case4.死神の姉

case4-1 『辺境伯』



 その日は透き通るほど綺麗な青空が広がっていた。

 無限に広がる青の中を様々な形をした雲がゆったりと流れていく。

 穏やかな風は心地良く、気温も暑過ぎず寒過ぎず丁度良い。


 こんな日はハンモックに揺られながら昼寝したい、と思うエマは残念ながらハンモックの上にはいなかった。


 エマとノノはとある屋敷の敷地内を──エマだけが──重い足取りで歩いていた。


 降り注ぐ日差しを浴びて、背伸びをするかのように咲き誇る色鮮やかな花々や木々。

 心を安らかにする庭園は、一つ一つが完璧に手入れが行き届いていた。

 これを見て、人は芸術だと絶賛するかもしれない。

 だが、エマからすれば、この庭園は落ち着けない酷く窮屈な場所だ。


「当主の性格が反映され過ぎているんですよね」


 先日の一件から数日経ってもなお幼女化したままのエマ。発する声はいつもより高めで、舌ったらずだ。

 彼女の歩幅に合わせて歩いていたノノは庭園を見渡しながら苦笑する。


「まあまあ、エマ様」

「というか、あの人は私がこうなると呼び出しますよね」

「きっと心配しているのかと思いますよ。幼いエマ様もとっても可愛いですが、そうなってしまうのは我が身が裂かれるよりも苦しくて……悲しいです」


 白縹しろはなだの瞳にうっすらと涙を浮かべるノノに対して、エマは申し訳なさを感じた。

 とはいえ、これから会いに行く人物は、ノノのようにエマのことを思い、涙を浮かべるような人間ではない。


 屋敷に近づくごとに、懐かしさが二人の心を刺激する。

 ここは、エマとノノにとって馴染みの深い場所。

 エマの実家、ムエルテ邸だ。



×××



 ムエルテ家の爵位は辺境伯。

 帝国と王国の国境付近を含む広大な領地を統括しているため、強大な権限も与えられている。


 そして、現在ムエルテ家の当主として君臨し辣腕を振るうのが、エマの姉であるマナ・ムエルテである。


 エマとノノが屋敷に入ると、マナは待ち構えていたかのように階段の上から二人を見下ろしていた。


 金色の艶やかな髪は絹のような滑らかさを持ち、緩い曲線を描き肩まで伸びている。

 透き通ったきめ細かい白い肌。

 小柄で華奢な身体が纏う雰囲気は高貴で気品に満ちていた。とても整った顔立ちをしており、特に目を引くのは金色の輝く知性的な瞳だ。


 姉妹ともあってマナとエマの顔立ちはよく似ている。

 貴族界では美人姉妹ともっぱらの評判だ。

 ただ、妹の方に関しては性格や気質に難があり、変わり者が大好きな第三皇女のお気に入りということもあって、好んで交流してくる者は殆どいなかった。


 幼くなったエマを見つめ、マナは口の端を緩める。


「今度は誰に殺されたのかしら?」

「相変わらず元気そうで何よりです、お姉様」

「お久しぶりです、マナ様」


 マナの発言を無視して、エマは会釈をする。

 ノノも丁寧に頭を下げた。


「元気? ええ、そうね。凄く元気よ。身に覚えのない請求書が届かなければもっと元気になれるわ」


 笑顔の奥に激しい怒りを感じて、エマは反射的にマナから顔を逸らす。

 ゆっくり一段ずつ階段を降りてくるマナ。比例して怒りの色が濃くなり、息苦しさがエマとノノを襲う。

 やがて、二人と同じ目線に立ったマナは、金色の瞳に激しい怒りを灯し、冷たく問い掛けた。


「ねぇ、エマ。どうして請求書がこんなに沢山来るのか教えてくれない?」

「それは……その……依頼で否応無く戦闘になった時に、周りの物を破損させてしまったりして」

「破損、ね。私が見た請求書には一戸建てが全焼って書いてあったのだけど?」

「…………」


 エマは内心で、己の欲望を満たすためだけに大量の手榴弾をばら撒きセーフハウスを破壊した暗殺者に舌打ちをした。


「いい加減にしなさいよ! アンタが面倒を起こすとしわ寄せが全部、私のところに来るの! 昔からそう! アンタは私にずっと迷惑ばかりかけて! 本当に……本当に嫌い!!」


 怒髪天を突く勢いでまくし立てるマナに、エマは何も言うことが出来ない。

 彼女の言っていることはもれなく事実。

 反論の余地なんて一切ない。

 ついでに、反論や言い訳をしたら火に油を注ぐだけなので、エマは嵐が去るのをひたすら黙って待つ。


 それからしばらく経って。

 散々怒鳴り散らして、やっと落ち着き始めたマナが睨みつけながら言う。


「何よさっきから黙って。言いたいことがあるなら言ってみなさいよ」


 迷惑かけている自覚はある。

 なんやかんや言っても事後処理をしてくれるマナに対して、エマは素直な気持ちを述べておくことにした。


「お姉様が私を嫌うのは仕方ありません。それでも、私はどんな時でも助けてくれるお姉様が大好きです。愛してます」

「……っ。妹が姉のことを愛してるなんて当然のことじゃない」


 きめ細やかな白い肌をほんのり赤めながら、マナは組んでいた腕を解いてエマを指差す。


「因みに聞くけど、アンタは私を一番愛してるわよね?」

「いえ、一番はノノちゃんです」

「エ、エマ様!?」


 突然の一番宣言にノノは顔を真っ赤にしつつ、嬉しさと気まずさを混ぜ合わせた複雑な気持ちになる。


 ここは嘘でもマナを一番と言った方が穏便に済んだかもしれないが、咄嗟のことでエマは本音を漏らしてしまった。

 その結果、マナは涙目になりながら怒り心頭に発する。


「私じゃなくて、ノノが一番なんて信じられない! ただのスケベメイドの分際で、よくも私のエマを奪ったわね!」

「も、申し訳ございません!」

「謝ったわね! 自覚あるのね、スケベメイド!」

「い、いえ、そういう訳ではなくて……」

「スケベメイドは否定しないんですね」


 大嫌いなエマを奪われたことが心底頭に来たマナは、柔らかそうな金髪を両手で掻き乱し、エマを凄まじい眼力で睨みつけた。


「エマ、姉を蔑ろにした罪がどれほど重いか教えてあげるわ」



×××



 辺境伯領に存在する街の一つであるメインクーン。

 そこは、どういう訳か街全体が霧に包まれている。霧が晴れることは一年に数回あるかないか。

 そのせいもあって街に漂う雰囲気は限りなく陰鬱だった。

 居るだけで生きる気力を失わせそうな地に、エマは降り立った。

 街を見渡していると、馬車から降りようとしているマナが言う。


「薄暗くて、静まり返って、活気がない、まさに死の街。屈折した性格と陰湿な嗜好を持つエマと相性が良さそうでしょう?」

「あと血と絶望の匂いがあれば完璧ですね」

「本当に最低ね。こんなのが妹なんて最高に不愉快」


 吐き捨てるように呟いたマナ。エマを写す瞳には最上級の嫌悪が浮かんでいた。


「不愉快と言えば、私の神経を逆撫でするような気配を感じるのですが」

「あら、それは良かったわね。行くわよ」


 すぐに気持ちを切り替えて、マナは歩き始めた。

 エマもその後を追っていく。幼くなった現在の体躯だと小走りでやっとマナと並走出来るようになる。


「それで、私をここに連れてきた理由は?」

「今日、私は依頼で来たの。アンタは助手よ」

「依頼? お姉様が?」


 辺境伯としての激務に追われているはずのマナが、一個人の依頼のためにわざわざ足を運んでいることに、エマは疑問を感じずにはいられなかった。


「先輩の妹が頼って来たのよ。それなりに交流のあった方の妹からの依頼を無視するのは薄情過ぎるわ。それに、私の領土で起こったことをたまには書類の上ではなくて直に見たかったの」

「好感度上げと暇潰しって訳ですか」


 マナの綺麗な横顔は肯定も否定もしなかった。

 これ以上、深く聞くつもりがなかったエマは別のことを話題にあげた。


「ところで、なんでノノちゃんを置いてきたんですか?」


 今回、ノノはムエルテ邸にてお留守番をさせられている。

 マナがエマ以外は要らないと、屋敷待機を命じたのだ。


「メイドたちはノノと会えるのを楽しみにしてたから。ノノだって、同僚たちと積もる話があると思ったのよ。雇い主なりの配慮よ」


 というのが表向きの理由。

 本当の理由はエマを独占したいだけだ。

 僅かでも独占欲が満たされるなら、と思いエマはノノとしばしの別れを承諾したという訳である。


「面倒臭いお姉様ですね」


 苦笑しながらエマは小さく呟いた。

 マナのことは好きなので、一緒に行動するのをエマは楽しんでいる。


 それに、こうして二人でいると昔を思い出す。

『死神』になる前の、ただのエマ・ムエルテだった時のことを。


 胸に灯る懐かしさを感じながら、エマはマナと依頼主の元へと向かった。



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