case3-4 『復讐は闇に消え』



「──そろそろ来ると思ってました」


 ノックもせずに部屋に入って来たミルクティー色の美女──オリヴィアと白縹しろはなだ色のメイド──ノノ。

 彼女たちを、屋敷の主である老人──エッカルト・バルテンは、酷く穏やかな声色で歓迎した。

 エッカルトの視線が来客の人数を数える。


「どうやら、彼女は死神と邂逅したようじゃ」


 呟く言葉には期待と悲しみが含まれていた。孫のように感じていた少女の暗い願望の成就と死神に屠られる結末を描いているのだろう。


 オリヴィアが執務机を挟んで、エッカルトと対峙する。

 視界に捉えたもの全てを跪かせそうな、覇気に満ちた眼光が大富豪の老人を射抜く。


「何か言い残すことはあれば、聞いてやる」

「一つだけ、お願いしたいのです」

「赦す。申してみよ」


 エッカルトはシワだらけの顔を、窓際に置いてある椅子に座る人形へと向けた。


『パイモン』。


 老人の憎悪と屈辱の記憶を閉じ込める美しき人形。


「儂の死後、あれを処分してほしいのです」

「不許可じゃ」


 エッカルトの最期の願いを冷たく拒絶するオリヴィア。

 彼女はパイモンに優雅な足さばきで近付き、優しく肩に触れた。


「帝国の唾棄すべき醜悪、この人形はそれを雄弁に語っておる。妾は皇族として、人形の声に真摯に耳を傾ける義務がある。故に、処分なぞ断じて認めんぞ」


 大きく目を見開いて、エッカルトは第三皇女を凝視する。

 ふと、エッカルトの口元に笑みが浮かぶ。とても穏やかで、安心したような笑みだ。


「『パイモン』は貴女に献上します」

「しかと受け取った」


 そして、オリヴィアはエッカルトの方へ身体を向けて、見下ろしながら指を指す。


「妾に対する蛮行の数々、度し難いものだが……学ぶこともあった。故にエッカルト・バルテン、貴様に安らかな死を与えてやる。──『眠るように逝け』」

「……なんたる慈悲。第三皇女オリヴィア・シャルベール様。貴女様に殺される儂は……なんて……幸せ…………」


 死の宣告から数十秒も経たないうちに、エッカルトの瞳は虚ろになる。

 車椅子の背にもたれかかる。

 全身の力が抜けていくように、動きが緩慢になっていく。

 やがて、まぶたがゆっくりと下がっていき──。

 その安らかな死顔には苦痛の色は一切なく、ただただ穏やかなものだった。


「オリヴィア様」

「なんじゃ」


 一部始終を見届けたノノがオリヴィアに問いを投げた。


「エッカルトさんは、本当に幸せだったのでしょうか?」


 復讐は成し遂げることが出来て、第三皇女の手によって人生の幕を下ろした。

 彼にとって満足の行く終わり方だったのかもしれない。

 だが、ノノが質問しているのは今日以前のことだ。

 復讐という暗い生き甲斐のために、全てを捧げた彼の人生は幸せと呼べるのだろうか、と。

 オリヴィアは答える。


「幸福の価値なぞ人それぞれじゃ。考えるだけ愚かというものよ」



×××



 落ちた場所は、踏み心地の良い絨毯が敷き詰められていた。

 品の良いテーブルと一人掛けのソファーがいくつも置いてあり、暖炉が設置されていた。


 どうやら、ここは談話室のようだ。

 お茶をしながら談笑する空間も、今現在は殺意が飛び交う戦場と化している。


 エマはテーブルを盾にして、外套を羽織る長身から射られる矢から身を守っていた。

 二階から受け身をせずに落ちたエマは、運の悪いことに右腕を折ってしまった。

 左肩に空いた風穴のせいで、左腕も殆ど動かせない。


「頭がボーッとしますね……」


 先の黒服の女性との戦いの時に血を流し過ぎたようで、エマの思考能力、判断能力は普段に比べて明らかに鈍くなっていた。


「とにかく両腕を治さないと、始まりません」


 エマが再生魔術を行使しようとした、ちょうどその時。

 一本三つ編みの少女が、がら空きだったテーブルの横側からエマに近付く。

 その瞳には膨らんだ憎悪と果てなき殺意が孕んでいた。


「肉片一つ残さずに殺してやる!」


 ロアは小さな銀色の筒をエマに投げ、


「──────、────」


 酷く凍えた口調で詠唱を紡ぐ。

 すると、銀色の筒が内側から輝き出す。


「──なっ」


 輝きは止まることを知らず、やがて弾けた。

 青白い衝撃が談話室を破壊していく。絨毯を焼き、テーブルやソファーを燃やし、窓ガラスにヒビが入る。


 衝撃をもろに受けたエマ。白を基調とした衣服はあちこち焼け焦げ、雪のような白い肌には痛々しい火傷が刻まれる。


 それでも、意識はまだあった。

 爆発の瞬間、咄嗟に後ろに跳んだことでエマは瀕死の重傷を回避できたのだ。


 しかし、後ろへの跳躍は読まれていた。

 それか、あらかじめロアはこれを誘っていたのかもしれない。


 エマの跳んだタイミングで、魔力を纏った一撃が放たれる。


 空中で体勢を立て直せないエマの腹部に矢が深々と突き刺さった。


 矢は勢いよく壁を貫き、死神を縫い付けた。


 さらに駄目押しで、矢がエマに刻まれた。両腕と両手、完全に縫い付けられた姿は残酷な標本のようだった。

 全身くまなく襲う激痛に、愛らしい顔を歪めるエマ。金色に輝く瞳は仄かに潤んでいた。


「苦しめ、もっと苦しめ! エマ・ムエルテ!」


 はりつけになって苦痛に呻くエマを、よく見るためにロアはフードを外す。

 怒号は破壊の余韻が残る談話室に響き渡った。


「恨まれる、ようなことは、散々してます、けど……貴女とは、初対面だと……思うんですよね」

「お前は知らなくても、ロアは知ってる。お前はパパとママを殺した」


 外套の長身がエマに向けて弓を構える。

 キツく張られた弦は限界まで引き絞られ、矢には今まで以上の魔力が込められていた。

 エマは迫る死を心地良く感じながら、冷たい笑みを零す。


「まったく……見当がつきませんね」

「────ッ!! 死んで償え! エマ・ムエルテェェェェ──────!!!」


 憎悪の咆哮の直後、殺意の一矢が空を裂く。

 その矢は一寸の狂いもなくエマの心臓を穿つ。

 絶句する時間も与えない。

 肉体の死を数秒遅れて理解し、エマの身体が小刻みな痙攣の後に大きく跳ねた。


 大量の鮮血で壁を汚すエマの亡骸を眺め、ロアの顔には達成感で満ち溢れていた。

 鼓動が激しく高鳴り、死神を殺した事実が徐々に現実味を帯びていく。

 胸に手を添えて、呼吸を整えながらロアは呟く。


「パパ、ママ。仇は…………」

「取ったと思われたら、大変申し訳ないんですが」

「──なっ!?」


 もう二度と聞くことがないと思っていた声が聞こえて、ロアは勢いよく後ろに全身を向けた。

 舌ったらずな声は、一つのソファーから聞こえていた。

 人影がある。

 その人影はソファーから軽やかに立ち上がり、ロアに向き合った。


 そこにいたのは幼い女の子だった。

 緩やかな曲線を描いて肩まで伸びる濡羽色の髪。

 見る者を捉えて離さない金色に輝く大きな瞳、鼻筋の通った小さな鼻、桃色の唇。

 雪のような白い肌。

 まるで天使のような美しさだ。


 彼女は特徴からしてエマ・ムエルテに違いない。

 しかし、先までのエマよりどう見ても幼い。

 状況が理解できないロアは、幼いエマを睨みつける。


「どうなっている? お前は誰だ?」

「私はエマ・ムエルテですよ」

「ふざけるな! お前はたった今、ロアが殺した!」


 ロアはエマの亡骸を確認する。

 だが、そこには黒い霧のような何かが揺らめいているだけだった。黒い霧は薄れていき、やがて完全に消滅してしまった。


 絶句するロアは、幼い女の子に顔を向けた。

 幼い子が絶対に見せないであろう、悪辣な笑みを幼いエマは浮かべながら言う。


「ええ、私は貴女に殺されました。久しぶりだったので少し焦りましたよ」

「何を言っている……? 殺したのに生きているなんて、そんなのありえない」

「ですが、私はこうして生きています。まぁ、ちょっと幼くなってしまいましたが。これ、元に戻るまで結構時間かかるんですよ?」


 新たに創造された服を触りながら、恐ろしく軽い口調で言うエマ。

 殺しても死なない、という衝撃の事実を目の当たりにしてロアの背筋が凍りつく。


 しかし、すぐに憎悪の炎を心に燃やしロアは構える。

 ロアの動きに合わせて、外套の長身も弓を構えた。

 エマは幼くなった身体の動きを確認しながら、外套の長身に視線を向けた。


「にしても、ソロモンシリーズを扱う人形遣いが居たとは驚きです。並みの人形遣いじゃまともに動かせないと聞きます。それを本物の人間のように……もしかして、ソロモンの直系の弟子だったりします?」

「黙れ黙れ黙れ──!! 生き返るなら完全に死ぬまで殺してやる!」

「それは素晴らしいですね! ですが、もう魔力が底を尽きかけていますよね?」

「…………」


 図星を突かれて、ロアは奥歯を噛みしめる。

 矢に込められていた魔力は全てロアのものだ。

 エマを殺すために、一矢一矢に相当な量の魔力を費やしていたため、ロアはガス欠寸前だった。

 人形を操る魔力の糸を編むので精一杯だ。


「それでも殺るというなら、相手になりましょう。確実に貴女は死ぬと思いますが」


 状況を冷静に判断したロアは、


「必ず殺す! パパとママが受けた苦痛以上のモノを与えて殺す!」


 窓ガラスを破って、闇の中へと消えていった。

 完全に気配が消えたことを確認したエマは、その場にぺたんと座り込んだ。

 頬を真っ赤に染めて、うっとりと呟く。


「はぁ……なんて素敵な殺意。悶え死にしそうです」



×××



 翌日、朝刊の一面を飾ったのはエッカルト・バルテンの屋敷で起こった悲劇だった。

 だが、事件解決に貢献した三人と関係者一人の情報は朝刊から完全に消えていた。──ソロモンシリーズの一体、『パイモン』の行方も。



×××



 一夜明けて、エマとノノはオリヴィアの自室にいた。

 嫌味にならない派手さと上品さがある家具は、オリヴィアお抱えの家具職人が全て作っているため統一感がある。


「あの、帰りたいんですけど」


 不機嫌な声色でエマが今最もしたいことを口にした。


「不許可じゃ」


 あっさりと拒絶するオリヴィアの声色はエマとは対照的だった。

 彼女は高級なソファーに座っている。

 その膝の上には幼くなったエマが乗せられていた。

 後ろから抱きしめられ、頭の上にオリヴィアの豊満な胸が置かれているエマは心底不愉快そうだ。

 その光景を対面に座っているノノが羨ましそうに見つめている。


「この形の貴様は格別に愛いのう」

「物凄く鬱陶しいんですけど」

「聞くに耐えぬ戯言も今なら可愛らしいものじゃ」

「…………」


 エマが幼くなるとオリヴィアが心行くまで愛でるのは、恒例行事となっていた。

 そのことをすっかり忘れていたエマは、今更ながら殺されたことを後悔していた。


「エマ様をここまで追い詰めるなんて。凄い人形遣いですね」


 ダメージを負っていたことを差し引いても、ロアの戦略と猛攻はエマを殺すまで至った。

 彼女の実力は確かな代物なのは、エマの死が証明している。


「私が彼女の両親を殺したらしいんですよ。でも、子持ちの夫婦なんて殺した覚えが無いんですよね」

「逆恨みの可能性もありそうですね」

「気になるなら調べてみるがよい。ソロモンシリーズを操る人形遣いとは、興味が惹かれる故、報告は必ず妾に伝えろ」

「はいはい。ところで、あの人形は皇帝陛下に渡さなくていいんですか?」

「あれは妾の所有物よ。老骨なぞに渡すわけがなかろう」


 傲岸不遜に言い放ち、オリヴィアは窓際に座らせてある人形に視線を向けた。


 射し込む優しい陽光を浴びながら『パイモン』は、窓の外に広がる帝都の美しい街並みを眺めていた。



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