case3-3 『殺意の一矢』



 二階のとある部屋。

 最低限の家具と数点の調度品が置かれた、この部屋は大富豪──エッカルト・バルテンの自室としては余りにも質素だった。


 エッカルトは大きく深呼吸をして車椅子の背もたれに身体を預けた。

 皺だらけの顔には達成感と興奮が刻まれている。

 人生の全てを賭けた復讐が成就したのだ。

 枯れ果てた肉体が熱を帯びているのが分かる。


「儂は満足した。次はお前さんの番じゃ」


 独り言のようにエッカルトが呟いた。


 すると、部屋の影が僅かに動いたかと思うと人影が現れた。

 暗めの茶髪を一本三つ編みにして、透き通った真っ白な肌と長いまつ毛に縁取られた大きな瞳が特徴的な少女だ。

 美しい顔立ちだが、それを世界に晒すのを拒絶するかのようにフードを深く被っていた。


 そして、彼女の隣にはこれまたフードを被った者がいる。かなりの長身で体格を見る限り男だ。


「虐殺して満足とか本当に気持ち悪い。でも、場を用意してくれたことには感謝している。ありがとう、お爺さん」


 刺々しい口調だが、エッカルトはさして反応しない。

 彼は既にこの口調に慣れてしまった。

 彼女と組んでから数ヶ月も経っているからだろう。


「しかし、相手は『死神』エマ・ムエルテ。先程、彼女の戦っている姿を少しだけ見たが……もはや人間の領域から逸脱している」

「だから? そんなの百も承知しているから」

「儂は心配しているんだ。ロアが殺されるんじゃないかと」


 利害関係の一致で組んでいただけだが、エッカルトは少女──ロアと過ごしていくうちに情が移ってしまった。


 きっと孫がいればこんな感じだったんだろう、と思わない日は無かった。

 そんな彼女が無謀な戦いに赴くのを出来るのなら止めたかった。


「ロアのことより自分を心配したら? 第三皇女あの女がここに来れば、お爺さん確実に殺される」

「だろうな。だが、儂はここに残る。元より復讐を終えたら死ぬつもりだったからの。第三皇女様に介錯されるなんてある意味誉れ高い」


 頬を緩め本心を隠さずに言うエッカルトに、ロアは舌打ちして、嫌悪を剥き出しにした口調で、


「死を美化するのはやめて。死にあるのは絶望だけだよ」


 心臓を剥き出しにしたような重みがある台詞に、エッカルトは車椅子の肘掛けを握り、優しい表情でロアに語りかけた。


「──君の人生に幸多きことを願う」


 言葉を受け取ったロアは、無言でフードの男と部屋を出る。

 廊下をゆっくりと踏みしめながら、ロアは自分にだけ聞こえるように呟いた。


「──エマ・ムエルテ。この手で必ず殺す」



×××



 二階の廊下では二人の女が繰り広げていた。


 縦横無尽に攻撃を繰り出すエマ。

 重力を全く感じさせない躍動感ある動きは、運動神経が良いなどというレベルではない。

 己の身体を神経一本に至るまで完全にコントロールしているようだ。


 攻撃を受け止めるのは黒服の女性。

 エマの動きを完璧に追えている訳ではないが、これまで積み上げてきた経験を活かし予測を立てて対処する。


「ぐっ、重い……」

「どうしました!? このままだと腕の骨が砕けちゃいますよ!?」


 脅しとかではないのは、エマの拳が脚が証明している。

 防戦一方の状態が続けば、黒服の女性の両腕は砕けて満足な抵抗もできずに殺されてしまうのは明白。


 肉弾戦は諦めた黒服の女性は後ろに下がり、懐から武器を取り出した。

 それはナイフだ。

 黒服の女性は無数のナイフを扇のように構え、エマめがけて投擲とうてき

 正確なコントロールで投げられたナイフは、まるで引き寄せられるようにエマへと向かった。


 エマはナイフを脚を使って全てを弾く。

 ナイフが床や天井、柱に深く突き刺さる。

 黒服の女性は予想の範囲内と言った態度で、再度ナイフを投げた。

 投擲と撃墜が何度も繰り返される。


「千日手でもする気ですか!? ですが、私はそれに付き合ってあげるほど優しくありませんよ!」


 ナイフを弾いた勢いで、エマは距離を詰めようと駆ける。

 しかし、次の瞬間に奇妙なことが起きた。

 エマの動きが止まり、頬からは赤い雫がこぼれ落ちた。

 ノノは大きく目を見開いて驚き、オリヴィアは微かに頬を緩ませた。

 黒服の女性は息を整えて、


「化物相手に正攻法で挑むのは自殺行為。なら、ここは人間らしく文明の力に頼ることにしたわ」

「こんな幼気な女の子を化物扱いはどうかと思いますよ?」


 軽口を叩くエマ。

 その場から動こうとしないのを見て、ノノは疑問を抱く。

 メイドの心中を察したオリヴィアは、戯曲の内容を語るかのように優雅にトリックの種明かしをした。


「エマの周りをよく見ろ愚鈍。蜘蛛の巣が如きに張り巡らされているわ──死神を捕らえる鋼の糸が」


 言われてノノは目を凝らしながらエマの周りを見る。

 それは明かりに照らされて細い銀色の輝きを放っていた。エマを搦めとるかのように、銀色の輝きは空中を走っている。


「ワイヤーですかっ。なるほど……ナイフにワイヤーをあらかじめつけていたんですね」

「いかにも。それに気づかない憐れな死神は、自らを拘束する巣を丁寧に作っておった訳じゃ。なんとも滑稽な話よの」


 エマが弾いたナイフは、壁や床、天井に深々と突き刺さっていて、引き抜くのは相当な労力が必要そうだ。

 黒服の女性はナイフをエマに向けた。


「大人しく投降しなさい」

「それは、あのお爺さんの性癖に付き合って死ねってことですか? もちろん、お断りします」

「どうせ動けないんだから、遅かれ早かれここで終わりよ、化物」


 勝利の愉悦に頬を緩めた黒服の女性。

 一見すれば、エマは詰みの状態だ。

 ワイヤーの籠に捕らえられ身動きが取れない。

 無闇に動こうとすればエマの柔肌に無数のワイヤーが襲い掛かり八つ裂きになる。


「残念ながら、終わるのは貴女の方ですよ?」


 黒服の女性が浸っていた勝利の愉悦を踏みにじるように、エマは残酷に破顔した。

 そして、一歩踏み出す。

 一歩。

 また、一歩。

 進むごとにワイヤーはエマに喰い込み、やがて柔肌を切り裂き鮮血が滴り始める。


「そ、そんな……」


 恐怖に慄く黒服の女性。

 これまで、このナイフとワイヤーで数々の敵を屠ってきた。

 どんな屈強な男だろうと雁字搦めにしてしまえば、無用なリスクを取らずに降伏してきた。

 中には今のエマのように自傷覚悟で迫ってくる者も居たが、結局は八つ裂きの苦痛に耐えられずに途中で止まるのが当たり前だった。


 だが、この死神はどうだ。

 止まる様子がない。

 痛みに顔を歪ませるどころか、頬を紅潮させて心底楽しそうに向かってくるではないか。


 違う。

 痛みに興奮しているのではない。

 黒服の女性を殺す──命を奪えることへの高揚感だ。

 ただ、その一点のみで全身を襲う痛みを無視して、死神は死を携えて這い寄って来ている。

 小さな破裂音が聞こえた。

 頑強なワイヤーがエマの進撃に耐えきれずに切れてしまったのだ。


「────っ」


 絶句する黒服の女性。

 その一瞬の隙を突いて、エマは黒服の女性に触れた。

 鮮血に彩られた艶やかな笑みで、葬送の言葉を述べた。


「楽しい趣向でしたよ。──さようなら」


 エマの小さな手を起点に黒服の女性の身体が氷結していく。それはやがて全身を包み込み、人間の発する熱という熱を奪い去り、絶対零度の氷像を完成させた。


 戦闘が終了したことを空気が報せると、ノノは一目散にエマの元に駆け寄ろうとする。

 しかし、ノノはエマの元に辿り着くことは叶わなかった。

 殺気を感じて、オリヴィアがノノの首根っこを掴み、自分の方へ引き戻したからだ。


 次の瞬間、エマの左肩に風穴が開いた。


「──なっ」


 戦闘終了後の気の緩みもあって、エマは呆気に取られてしまう。


 神経を引き千切りかねない殺意がエマへと襲い掛かる。


 その正体はフードを深くかぶった一本三つ編みの少女──ロア。

 彼女と並走する長身が弓を構えていた。そのやじりには凄まじい魔力が込められていた。


 左肩に風穴を空けた正体は、それだとエマは確信する。


「エマ・ムエルテェェェェ────ッ!!!」


 二つの外套が飛び、矢が射られた。

 矢は空気を裂きながら進み、エマの足元に。

 魔力の込められた矢の威力は想像を超えて、床を破壊してしまう。

 足場が崩落し、エマは重力に従って落下していく。


「エマ様! エマ様──っ!」


 足場の崩落から免れたノノは、瓦礫と共に落ちていくエマに無意味に手を伸ばすことしか出来なかった。


 そんなメイドに一切の関心を寄せずに、ロアはエマの後を追って、崩落の中に自ら飛び込んでいった。



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