case2-4 『死のワルツを貴方と』



 大きく見開いた金色の瞳には、ウォルトの拳銃から放たれた弾丸が映っていた。

 虚を突かれ反応が遅れたエマに回避する余裕もない。

 眉間を撃ち抜かれ、脳漿を撒き散らしながら絶命する己の姿を想い描く。

 が、想像は現実にはならなかった。


 銃弾はエマを嫌ったかのように逸れて、時計塔にめり込んだ。


「…………」


 微かな違和感を覚えるが、考えを巡らせる暇は与えてくれない。


 翼が生えているかのように軽やかに着地したウォルトが至近距離で再度銃口を向けた。


 頭で考えるよりも先にエマの身体は、バック転をしながらウォルトの握っていた拳銃を蹴り上げる。


 その流れで距離を置くエマ。

 時計塔から転がり落ちて、ミヌエットの街中に消えていった拳銃に多少の喪失感を抱えるウォルト。


「悪いが加減は無しだ。少女だろうが、手負いだろうが相手は『死神』。舐めてるとこっちが天使と会う羽目になる」

「一つ訂正させて下さい。流石に貴方相手に手負いの状態で戦うのは分が悪いので──」


 エマの全身に痛々しく刻まれた銃創や傷口から煙が上がり始める。細胞が異常な活性化を起こしたかのように、あらゆる傷がみるみるうちに治癒していく。

 ものの数十秒でエマは完治に至った。


「こりぁ、驚いた。何でもアリか?」

「何でもって訳では無いですが。今のは奥の手、切り札ですよ」


 今、エマが行ったのは再生魔術だ。肉体の再生という恩恵と引き換えに莫大な魔力を消費する、まさに切り札と呼べる魔術だ。

 円環の盾アイギスや再生魔術などの『禁忌魔術』の連続行使は久し振りのことなので、エマは高揚感に満ち足りた笑みで口元を歪める。


「さぁ、愉しい愉しい時間の始まりです。私と死のワルツを踊りましょう」


 手に持っていた双剣の一本が、溢れ出す魔力に飲み込まれて形を変貌させる。

 それは、死神を象徴する大鎌。

 『死神』の異名を持つエマには最も似合う武器だ。


出鱈目でたらめでも機嫌を損ねないでくれよ」


 ウォルトは脱力したような構えで、エマが動き出すのを待った。どこか貴婦人をワルツに誘う紳士を連想させる。

 誘いに乗ったエマは踏み込み、一瞬にしてウォルトとの距離を縮めた。

 真一文字に振るわれた大鎌は、ある程度の実力者や手練れでは振るわれたことすら認識出来ない速度を誇っていた。


「──おっと」


 獣に近い勘の鋭さ、それとも卓越した動体視力かは不明だが、必殺の一振りをウォルトは後ろに下がり回避に成功する。

 息つく暇も与えずに命を刈り取る攻撃をエマは繰り返す。

 ウォルトはことごとく躱し、挙げ句には携帯していたサブウェポンの自動式拳銃で、大鎌の一撃を受け止めた。


 刃と鉄が交わり、耳障りな金属音が二人の耳朶を震わせる。

 エマはあっさり大鎌を離して軽く跳ねる。


「はぁ!」


 身長の差を埋めたところで、ウォルトの顔面へと蹴りを放つ。

 凄まじい反応速度で、しなる脚線と己の顔面の間に自身の右腕を差し込むウォルト。

 衝撃がウォルトの右腕を貫く。

 華奢な身体から繰り出されたとは思えない重く鋭い蹴り。

 軋む骨の痛みに顔を歪めつつ、


「もう少し可愛げのあるステップだとありがたいんだがな」


 ウォルトは拳銃をしまい直ぐに反撃に移る。

 互いの拳が、肘が、膝が、脚が激しくぶつかり合い、攻守が目まぐるしく変化する。


 複数の格闘技を独自に組み合わせた戦闘スタイル。

 ウォルトの長身から飛び出す打撃や脚技は、その一つ一つが速く、そして重い。

 自衛のため、敵を倒すために練り上げられた肉体は、それ自体が恐るべき武器になる。

 常軌を逸脱した身体能力で足りない技術を補うエマとでは肉弾戦の熟練度が段違いだ。


「……ぐっ」


 地力の差が徐々に現れ、エマの顔に汗が滲み始めた。

 しばらくすると、呼吸が乱れ、肩で息をし始める。


 圧倒的な力を持つエマだがいくつか弱点がある。

 その一つが体力の低さだ。


 圧倒的な力を有するが故に大概の戦闘は短期決戦で片がついてしまう。

 だから、長期戦を想定していないのだ。


「とあるお姫様には制限時間があった。時間が過ぎると魔女にかけられた魔術が解けるんだ。どうやら、お前さんは魔術はかけられてはいないが、制限時間があったみたいだな」

「最初から、体力切れを見越していた訳ですかっ」


 苦い表情を浮かべながら、エマはウォルトから距離を取ると同時に魔力を操作する。

 カチェリーナを戦闘不能にした刃の華がウォルトに手向けられる。

 先読みをしていたのか、ウォルトは刃の華を回避して、手慣れた動作で拳銃を取り出して三回連続で発砲した。


 エマは屈んで銃弾を躱し、落ちていた大鎌を引き寄せて掴み、ウォルトの懐へと駆ける。

 戦闘がこれ以上続けば窮地に陥るのは必至。──エマは勝負を賭けることにしたのだ。


 詰まる距離。

 凄まじい速度で飛ぶ弾丸。

 弾丸を斬り落とす大鎌。

 真っ二つになった弾丸と空になった薬莢が地面に落ちていく。

 駆けながらエマは心底愉しそうな表情を見せて笑い出す。


「ここまで追い詰められたのは久方ぶりですよ! 貴方の断末魔がどんなのかを想像すると……ん、んはぁ……興奮で身体が火照ってしまいます! 殺します? 殺しちゃいますよ!? 殺しちゃいますから!」


 全身の神経が快楽に毒されたかのように悦に入るエマ──その瞳は死の色を纏っていた。


「死の舞踏会は終いにさせてもらうぜ」


 狙いを定めた一撃はエマの握っていた大鎌を弾き飛ばす。大鎌は宙を舞ってウォルトの一つ目の拳銃と同じ末路を辿る。

 新たに大鎌を創造しようとするエマ。

 それよりも早く、ウォルトは隠し持っていたナイフをエマへ投擲する。


「──っ!」


 寸前で避けるも、エマの頬には一筋の赤い線が刻まれ鮮血が滴る。

 体勢を崩して転ぶエマは殺気を感じる。──その方向へ、掌を伸ばす。圧縮された魔力は一度解放されたら、人間一人をいとも簡単に消し炭に出来るレベルだ。

 しかし、エマには魔力を解放することが出来ない。


「はぁ……はぁ、はぁ……」

「…………」


 ウォルトの構えた拳銃の銃口はエマの眉間に据えられていた。

 離れていた二人の距離は無くなり、互いにチェックメイトをかけられ身動き一つ出来ない。


「引き金を引いてもいいんですよ」

「無益な殺生はしない主義だ。……それに、この勝負は俺たちの勝ちだ」

「それはどういう意味ですか?」

「耳を澄ませてみな。街の寝息が聞こえるぜ」

「銃声が止んでいる」


 戦闘に集中し過ぎて、周りの音の変化に気付かなかったが確かに銃声は鳴り止んでいた。

 攻撃が止んだということは、目標を逃がしたか、消したかのどちらかだ。

 最悪の結果を脳裏に描き、エマは悔しそうに目を伏せた。


 その表情を見ながら、ウォルトは拳銃を懐にしまい、代わりに煙草を取り出して口に咥えた。



「安心してくれ、俺の相棒が上手くやってくれた。──今頃ベネデットは裁判所だ」


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