case2-3 『鉛の雨』



 カチェリーナ・ボイツェヴァ襲撃から数時間が経過し、現在エマたちは裁判所へ向かう馬車の中に居た。


 クレイグの隣に座っているベネデットの顔色は真っ青で、冷や汗が頬を濡らしていた。彼はカチェリーナの件からずっとこの調子で、見ていると不憫に思えて仕方ない。

 しかし、死の恐怖に晒されても証人として出廷することを辞退する旨は一切言わなかった。

 クレイグは彼の勇敢さを感じて、最初の印象に少しの修正を加えた。


 一方、ベネデットの正面に座るエマは先程から己の髪を弄りながら思案に耽っていた。

 何か考えているエマ様も素敵です、とエマの横顔をうっとりしながら眺めるノノ、その視線に気が付いたエマは、


「もう、どこも痛みませんよ」


 負った傷はノノの治癒魔術によって完治している。

 それでも気にしてくれているのか、と思いエマはノノの優しさに感謝するが、残念ながら思い違いだ。


「ミスムエルテ、何か気になることでもあるのか?」


 エマの態度に疑問を持っていたクレイグが質問する。


「少し気になることが」

「気になるって何がだよ?」

「ベネデットさんの寝室の窓、あそこはきちんと施錠しました。ノノちゃんと戸締りしていたので間違いありません」

「それがどうしたんだよ?」

「カチェリーナさんは普通に窓を開けて侵入してきました。普通に窓を開けて、です」


 エマの抱いていた違和感に気づいたノノとクレイグは、思わず唸り声を漏らした。それは考えようによっては馬車の中が疑心に包まれる可能性があった。


「誰かがワザと窓の施錠を外しておいた、ということか? 私たちの中に」

「可能性としては。しかし、私とノノちゃんには動機がありません。ロヴィーナファミリーなんて昨日初めて聞きましたし、保護対象を故意に危険に晒すことは絶対にしません」

「じゃ、じゃあ、アンタかよ!」


 ベネデットは震える指でクレイグを指す。

 悪い冗談だ、と言わんばかりにクレイグは大きく溜め息を吐いた。


「マフィアと癒着している刑事はいるが私は違う」

「そんな言葉信じられるかよ」

「クレイグさんは違います。仮にそうだとしたら昨日の時点で殺しています」


 淡々と述べるエマの言葉に、クレイグは背中に嫌な汗をかいた。

 本当に裏切り者だったら、彼の寿命は昨日で尽きていた。

 彼女の言葉に冗談という成分は微塵もない、殺すと言ったら必ず殺す。エマ・ムエルテはそういう危険性を孕んでいる。──どこまでも悍ましい少女だ。


「恐らくは敵側の工作員がセーフハウスに忍び込んだのでしょう。私やノノちゃんの索敵を潜り抜ける程の隠密能力……これは相当に厄介です」

「厄介なのは暗殺者の方だろ! まだいるかもしれないんだぞ!」

「いえ、真の敵は工作員の方です。彼ないし彼女は姿を見せずして我々を追い込み、暗殺者に有利な戦局に持ち込もうとしています。工作員を叩かないと…………」


 言い切る瞬間に、馬車が危険な光に包まれる。

 雷が落ちたような轟音と喉を灼くような熱が噴き上がり、馬車を炎の顎が噛み砕き、破片の一部が火を纏って街中に降り注ぐ。

 突如として起こった爆発に街の人々は阿鼻叫喚し、蜘蛛の子を散らすようにその場を去って行く。


「──と、まぁ、こういうことになるんですよね」


 馬車の残骸から無傷で出てきたエマは、肩をすくめた。

 他の面子も次々と馬車から出てくるが、傷を負った者は一人もいない。

 爆発の中心にいたというのに無傷──もはや、奇跡の所業だ。


「はぁ、はぁ……なんで生きてんだ? 俺」

「保険で展開していた円環の盾アイギスが功を奏しました」

「ア、アイギス?」


 よく見ると、エマを中心に無数の魔法陣がベネデットを護るように展開されている。

 魔術の知識が乏しいクレイグとベネデットには分からないが、魔術に造詣が深い者が見たら卒倒モノの代物だ。


「絶対守護聖壁──円環の盾アイギス。エマ様の唯一にして最強の防御魔術です」

「燃費が凄まじく悪いのが難点ですけどね。……あぁ、これはまた一本取られましたね」


 エマは街を見渡して、感心したように呟いた。

 先の爆発もこのための布石。

 気付いたノノたちも、その光景に絶句した。

 エマたちを四方八方に取り囲む人々──その誰もが虚ろな瞳をして、両手には鈍い輝きを放つ機械仕掛けの武器──拳銃を携えていた。


 次の瞬間、弾丸が一斉にエマたちへと降り注ぐ。

 前方は馬車を、その他は円環の盾アイギスで防いでいるが、この状態では一歩たりとも動くことが出来ない。

 舌打ちをしつつ、クレイグはホルスターから拳銃を取り出す。


「裁判所までもう少しだっていうのに!」

「開廷まで時間がありません! エマ様、このままでは!」

「見たところ、撃っているのは素人ばかり……催眠か幻術の類いで操っているのでしょう。だとしたら、どこかに術者がいるはずです」


 エマは軽く首を動かし深呼吸を繰り返す。具現化した魔力に脳内のイメージを投影する。干渉された魔力は蠢き、形を創造していく──刀身も形もそっくり同じ二本の剣だ。


「私が陽動役を引き受けます。何とか隙を作りますから、その間に裁判所に向かってください」


 一瞬躊躇うも、ノノは表情を引き締めて、


「分かりました。エマ様、どうかご無事で」

「ノノちゃんも」


 馬車の陰から飛び出すエマ。

 待っていたと言わんばかりに銃口がエマの方へ向き、弾丸が次々と発砲される。

 その一発一発が死を運んでくる──そう思うと、エマの頬は無意識に緩む。


 弾丸を回避し、双剣で真っ二つに斬り裂きながらエマは跳躍する。目視した敵──操られている人々──全員が握っている銃に向けて魔術を行使する。

 軽く振るった右腕の軌道に合わせて、凍てつく風が吹いたと思ったら、銃がみるみるうちに氷結していく。たった一撃で何十丁もの凶器の機能を凍結させた。


「──っ」


 しかし、代償として左肩に一発、側頭部を弾丸が掠める。


 体勢を崩しつつも屋根の上に着地するエマ。


 だが、場所が悪い。


 一糸乱れずに整列していた物言わぬ人形と化した一般人が、無感情に拳銃をエマに向かって乱射し始めた。


 硝煙の匂いと落下する薬莢の音色。


 鮮血を撒き散らしながら、エマは武器を凍結させて無力化する。


 鉛の雨は止まらずに降り続け、堪らずエマは屋根から飛び降りて路地へと走る。


 それでも、凶弾はエマを屠らんと飛来してきた。


「随分な統率力ですね。やはり術者を叩かないと駄目ですか。しかし……」


 頬を伝う鮮血を舌で舐め取りながら、エマは思考を巡らせる。


「銃の扱いに長けたのが一人いますね」


 左肩の銃創に意識を向ける。

 この弾丸だけはどこからの攻撃か分からなかった。

 完全に索敵、意識の外からの攻撃だ。

 となると、可能性として高いのは、


「──狙撃。自分は王様気取りで高みの見物ですか」


 この狙撃手が術者と当たりをつけて、エマはこの場を見渡せる高い建物を探し……そして、時計塔を見つけた。

 エマは時計塔に術師が居ると賭け、屋根に飛び上がり一気に走り出す。

 皮膚や筋肉を抉る鉛の嵐を無視して時計塔の真下に辿り着き、重力を感じさせない動きで塔を登った。

 展望台に辿り着くと、果たして狙撃銃を構えた者が身を隠すように外套を深く被っていた。


「なかなか面白い催し物でしたよ。さぁ、その御尊顔を拝ませてもらいましょうか!」


 外套目掛けて剣を投擲。

 剣は外套に深々と突き刺さるも、件の人物は悲鳴の一つも上げない。

 不審に思ったエマは近付いて外套を剥ぎ取った。


「なっ」


 それは丸められた毛布だった。

 数秒の思考停止の後にエマは自分が嵌められたことを理解し、すぐにノノたちの元に戻ろうとするが──。

 どこからか気配を感じて臨戦態勢を整える。


「…………」


 神経を研ぎ澄ませ、気配の次なる動きを予測しようとする。

 だが、それよりも早く気配が動いた。

 エマが咄嗟に上を見ると、灰色の髪をした長身の男は自動式拳銃を構えて降って来た。

 男の纏う圧倒的な闘気にエマは全身が一気に粟立つのを感じた。


 ──私はこの男性を知っている。


 以前、どこかの報告書で見たことがあった。

 随分とふざけた異名だったので、よく覚えていたのだ。

 その異名は──、


「『不死の灰かぶり』──ウォルト・クルシェノヴァ!」


「踊るのは苦手だが付き合ってくれるか?」


 刹那、銃口が火を噴いた。




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