case2-2 『バタフライ』



 騒ぎを聞きつけてノノとクレイグがやって来たのと、ベネデットが飛び起きたのはほぼ同時だった。


「な、ななななんだコイツ!」

「どう見ても暗殺者ですよ。しかも、中々の大物ときました! これは楽しくなってきましたよ!」


 状況と全く噛み合わないテンションのエマは、ベッドで震えているベネデットの首根っこを掴み、クレイグの方へと投げ捨てた。

 ベネデットを何とかキャッチしたクレイグは、ゆっくりと起き上がる暗殺者の姿を目の当たりにして、顔が引きつった。


「まさか、カチェリーナ・ボイツェヴァか?」


 艶やかな髪を赤いリボンで結んだ、麗しい美貌をしたスレンダーな女性。だが、目の焦点は合っていなく、不気味で悍ましい印象を受ける。まるで、悪意と狂気が具現化しているようだ。


「だ、誰だよそれ?」

「仮にもマフィアなら暗殺者のことくらい勉強しておきたまえ。コードネーム──『バタフライ』。殺した相手の腸を蝶々結びにすることから付いた異名だ。各国でも危険人物として注視されている異常者だ」


 顔を真っ青にするベネデット。

 エマが守ってくれなかったら、自分の内臓が狂人のおもちゃにされていたと思うと背筋が凍りついた。


「おいおい、嘘だろ……。つか、バタフライって何なんだよ」

「どこかの国の言葉で蝶って意味です。それより、そのうるさい口を閉じていてくれませんか?」


 エマとカチェリーナは互いに笑みを浮かべる。

 友好的な笑みの裏には明らかな殺意があり、これからお茶を片手に談笑でもしようか、という雰囲気ではない。


「エマ・ムエルテ、エマ・ムエルテちゃん。想像よりずっと可愛くて嬉しいなぁ。その可愛い顔は自分の腑を見たら、どんな風に歪むのかなぁ?」

「カチェリーナ・ボイツェヴァさん。信じられないくらい可愛い声してますね。その声が死の直前でどんな断末魔を奏でてくれるか……あぁ、今から楽しみでしょうがないです」


 舌舐めずりするカチェリーナ。

 紅潮した頬を落ちないように手で押さえて悦に浸るエマ。


 狂人と狂人。

 二人の間にこれ以上の言葉は要らない。

 一方はナイフを拾い上げ、もう一方は得物を持たず軽く構える。


 暫しの静寂。


 沈黙を破ったのはカチェリーナだった。


 たった一歩で間合いを詰め、ナイフを何の躊躇いも無くエマの喉元に突き刺そうとする。

 人間を殺すことに抵抗が微塵もないようだ。


 疾風の一撃を素早くしゃがんで躱したエマは、その流れで足払いを繰り出す。

 一連の動作は非常に滑らかで一切の無駄がない。彼女が自身の肉体を完璧に制御している動かぬ証拠だ。


 足払いをもろに受けたカチェリーナは体勢を大きく崩す。しかし、彼女は立て直すどころか倒れる勢いを利用して、ナイフを突き立てる。


「あはぁ!」


 鋭利な先端はエマを突き刺す……ことはなく、床を傷つけた。


 ナイフの側面に写るエマの横顔は微かに綻んでいた。

 エマは覆い被さっているカチェリーナの腹部を蹴り上げる。靴底に柔らかい内臓の感触が伝わり、やがて離れていく。


 痛みに一瞬だけ顔を歪ませて、カチェリーナはエマから距離を置いた。蹴られた箇所を押さえながら、満面の笑みを貼り付けた。


「エマちゃん、強いねぇ。噂通りで嬉しいなぁ。でもさぁ、疑問があるんだよねぇ」

「私に答えられる事なら答えますよ」

「ありがとねぇ。なんで、得物を使わないのぉ? エマちゃんは大鎌を使うって聞いたんだけどぉ。もしかして、舐めたりしてるぅ?」


 エマは小さく笑って、肩をすくめた。

 それからクレイグの方をチラリと見る。


「舐めてませんよ。貴女のような人に舐めてかかるほど慢心してません。ただ、この家を壊すなと言われているんですよ。仮に壊してしまったら請求はムエルテ家に行くんです。そうなると少々厄介なことになるので」

「厄介なことねぇ。どんな厄介なことになるのぉ?」

「現当主であるお姉様が怒り狂います」


 『死神』と呼ばれる少女が何を気にしているのかと思ったら、単に姉が怒るだけときた。

 きょとんとしてから、沸々と湧いてくる感情に身を任せてカチェリーナは笑い出した。


「あははははっ。そっか、そうなんだぁ。やっぱりエマちゃん可愛いねぇ。でもねぇ、私はエマちゃんと本気で楽しみたいなぁ」


 すると、カチェリーナは服の中に両手を突っ込んで何かを取り出した。

 それは人の拳くらいの丸い物体だった。それが両手から溢れる程の数。

 エマは代物の正体に気が付き、ノノたちに声を上げる。


「手榴弾です! 早く逃げ──」

「どっかーん」


 カチェリーナは口でピンを抜き、一気に手榴弾を落とした。

 その数秒後に耳を穿つような轟音と肌を焼くような熱風が吹き荒れた。


「──っ」


 エマは己の魔力を具現化して、ノノたちを包み込む。魔力を緩衝材として行使し、少しでもノノたちが喰らう衝撃を緩和させるためだ。


 三人を連れて、廊下の窓を破って外へ飛び出す。

 エマは道路に転がるようにして着地。

 ダメージを負いながらも魔力の制御は忘れることはなくノノたちを安全に着地させた。


「はぁ、はぁ……し、死ぬかと思った……」


 家の前の道路で膝をついて、生きていることを確認するベネデット。動悸が止まらず、妙な浮遊感に包まれていた。


 道路には家の破片が散らばっている。中には煙を上げている物もあった。

 セーフティーハウスとして機能していた家の二階は吹き飛び、随分と見晴らしが良くなってしまった。しかも、燃え出しているのでそのうち原型がなくなるだろう。


「皆さん、怪我はありませんか?」

「ああ、おかげ助かった」

「エマ様、ご無事ですか!?」


 濡羽色の髪は爆風で乱れ、可愛らしい顔には汚れやすり傷が出来ていた。見ると腕の辺りには破片のいくつかが突き刺さり、血が滴り落ちている。外套もところどころ破け、見るも無惨な状態だ。


「こんなに……待ってください、すぐに治しますから」

「ノノちゃん、治療は後でお願いします。まだ、彼女は生きていますから」


 どうやって爆発を回避したのかは不明だが、カチェリーナは五体満足でエマたちの前に立っていた。


「あはぁ、家が無くなっちゃったねぇ」

「えぇ、そうですね。全焼確定ですよ。…………ふざけたことをしてくれました」

「でもぉ、これでエマちゃんは本気になってくれるでしょぉ?」

「あぁ……もうっ!!」


 相当頭に来ているようでエマは両手で髪を掻き乱して、八つ当たりするが如く脚で地面を踏み付ける。


 瞬間、カチェリーナの足元から無数の刃が咲き狂った。


「──っ??」


 刃はきめ細やかな肌をズタズタに斬り裂き、鮮血の化粧を施す。いつくかの刃は皮膚を、筋肉を、神経を、骨を貫く。


 カチェリーナの姿は剣山に生けられた花を彷彿とさせた。


 動くことすら叶わない暗殺者へ、不愉快極まりない様子でエマが一歩、また一歩近づく。その手には魔力によって形成された大鎌を握っていた。


「ほら、これが見たかったんですよね? そのために家を全焼させたんですから、これの斬れ味の良さに存分に喘いでくださいよ!」

「あはぁ、楽しみだなぁ。今から自分の腑を見れると思うとぉ」


 死への恐怖は無く、純粋な好奇心だけがカチェリーナの瞳に爛々と輝いていた。

 ご期待通りに腑を見せてあげようと大鎌を振りかざすエマを制止する声が聞こえた。


「待ってくれ、ミスムエルテ」

「……どうかしましたか? クレイグさん」

「彼女には複数の容疑がかけられている。出来ることなら逮捕し、然るべき手順で裁きたい」


 せっかく殺せると思ったところに、水を差されたエマのやる気は完全に萎んでしまった。


「分かりました。彼女はそちらに任せます」


 まぁ、任せたところですぐに逃がしてしまうだろう、とエマは思った。

 実際のところカチェリーナは護送中、刑務所、裁判所──どこであろうと逃亡を成功させた経歴の持ち主だ。


「あれぇ? エマちゃん、殺してくれないのぉ?」


 無数の刃が突き刺さっているのにも関わらず、ヘラヘラと喋るカチェリーナを無視して、エマはノノの胸に飛び込む。


 昔から怒りや悲しみなどの負の感情に呑まれている時、ノノの胸に顔を埋めると気持ちが落ち着いた。

 きっとノノの体質のおかげかもしれない。


「むうぅ~、ノノちゃん」

「よしよし、お疲れ様です。エマ様」


 エマの抱いている感情を察して、ノノは優しく抱きしめて頭を撫で続けた。


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