case2.殺戮遊戯

case2-1 『ミヌエットの凶行』



 どんな世界にも裏は存在する。

 帝国においてもそれは例外ではない。



×××



 帝国の西部に位置するミヌエット。


 そこに居を構えている酒場。

 仕事で疲れた身体にアルコールを流し込み歓喜の声をあげる男たち。

 一人カウンターで酒を嗜む女性はどこか艶やかな雰囲気が漂っている。

 目的は様々だが、誰もが酒を飲みに来るのが酒場だ。


 しかし、とあるテーブルに座る男二人は酒を一滴も飲まずに膝を向かい合わせていた。


 その片方、男は煙草を咥えながらテーブルに置かれた書類に目を落とす。

 無造作に生えた灰色の髪。

 やる気のなさそうな、だがその奥には獣の如き獰猛さを孕んだ瞳。スッと通った鼻筋──とても端整な顔立ち。

 その長身はシックなスーツをだらしなく着こなし、大人の色気を醸し出していた。


「こりゃ、随分と愉快な依頼だな」

「そう言うなよ、ウォルトさん。今回はファミリーの存続がかかっているんだ」

「なるほど……だから、一人始末するのに何人も使うわけか」


 仲介役の男は肩を竦める。


「上も切羽詰まってるってことだ」

「これだけの高額報酬は願ったり叶ったりだが、どうにも腑に落ちないな。イかれたリボンちゃんに、銃をおもちゃのように振り回す似非魔術師──役者は十分に揃っている。その上、役者不足の俺にまで話を持ちかけるってのはどうもな」


 やる気のない視線が男を射抜く。

 何か裏があるなら洗いざらい全部話せ。さもないと……、と言われているようで男は背筋が冷たくなった。


「全く、ウォルトさんには敵わないな」


 男は懐からもう一枚書類を取り出して、テーブルの上に置いた。

 どうやら何者かのプロフィールのようだ。

 写真を見て、ウォルトは眉を顰める。


「この、えらく可愛いお嬢ちゃんがどうしたんだ?」


「可愛いのは外面だけだ。エマ・ムエルテ──『死神』の異名を持つ正真正銘の化物だ。それが相手側についた。役者どころか軍隊が何個あっても足りない」


「死神か。天使の方がしっくりくるな」


「天使? 冗談じゃない。数年前に起こったサイベリアン紛争のことを覚えているか?」


「反政府組織の過激派がサイベリアンで武力蜂起したのが始まりだったか。確か紛争が始まって二ヶ月足らずで過激派が壊滅的被害を被って早期終結したって話だったよな」


 男は首を横に振って指を三本立てる。

 指先は恐怖からか、はたまた興奮からかは分からないが微かに震えていた。


「実質三日だ。エマ・ムエルテがサイベリアンに投入されてからたった三日で過激派は壊滅状態に陥ったんだ。これは現地にいた奴から聞いたんだが、エマ・ムエルテは鉛の雨が降る中を駆け抜けて、過激派の本陣に単独で突っ込んで殺戮の限りを尽くしたらしい。それで、聞こえるらしいんだ断末魔に紛れて、女の狂ったような笑い声が」


「下手なホラーより怖い話だ」


 シニカルな笑みを零すウォルト。

 帝国の『死神』の噂は聞いたことがあったが、それが実在しており、正体が幼気な少女となれば笑うしかない。


「頼むウォルトさん! アンタは自分を役不足と思っているようだが、そんなことは絶対にない! 『死神』に対抗出来るのはアンタだけだと思っている!」


 頭をテーブルに押し付けるが如く頭を下げる男。状況は相当切迫しているようだ。

 『死神』に対抗出来る?

 冗談じゃない。

 三日で組織を壊滅させる化物と何を対抗すればいいのか、全くもって謎だ。

 しかし、エマ・ムエルテという少女には興味が湧いていないと言うと嘘になる。

 報酬金も破格となれば──。


 紫煙を吐き出し、煙草を灰皿に押し付けたウォルトは席を立つ。


「死神と踊れるなんざ滅多にない機会だ。いいぜ、その舞踏会の誘い受けてやる」



×××



 ミヌエットの閑静な住宅地。

 整列したように建つ一軒家の一つに、エマとノノは居た。

 ちょうどいい広さのリビングには、エマたちを除いて二人の男が居る。


 一人は、筋骨隆々の坊主頭の男。

 一人は、金色の髪をした細身の男。


 その内、金髪の男だけがソファーに座って、落ち着かない様子で意味もなく部屋を見渡す。彼の顔色は悪く、汗の粒が額に浮き出ていた。


「もう少し、リラックスしたらどうですか?」

「命狙われてるっていうのにリラックス出来るわけねぇだろ! このクソガキ!」


 悲鳴にも似た声で、エマに噛み付く金髪の男。

 彼の名はベネデット。

 ミヌエットで幅を利かせているロヴィーナファミリーの構成員の一人だ。


 明日、彼はロヴィーナファミリーが関与している複数の犯罪の裁判に証人として出廷することになっている。


 当然ファミリー側はベネデットを裏切り者として出廷前に暗殺しようと企むだろう。

 それを阻止するために三人はここに居る。


 筋骨隆々の男はクレイグ・オルグレン。

 ミヌエットの刑事だ。


 エマたちはミヌエット市長の依頼を受けて、はるばる辺境の地からやってきた。

 市長としては裁判で是が非でも有罪を勝ち取りたいらしい。一つでも犯罪が立証出来れば、後は芋づる式に犯罪が露見する。そうすれば強大な力を持ったロヴィーナファミリーに致命打を与えることが出来るからだ。


「けど、エマ様が乗り気になるなんて珍しいですね」


 扇情的な肢体をメイド服で着飾る白縹しろはなだ髪の少女──ノノは不思議そうに言う。

 基本的に依頼は面倒くさがって嫌がるエマだが、今回はいつもと様子が違う。


「今回はマフィアも本気で来るでしょう。となれば流血沙汰は確実……これは久々に楽しめそうだと思ったので」

「楽しめる!? これをゲームかなんかと思ってんのかよ! 俺は下手したら死ぬかもしれないんだぞ!」


 唾を飛ばしながら怒鳴る男に対して、エマは顔を顰めて耳を塞ぐ。


「ったく、うるさい人ですね。そんなに怖いならいっそのこと死にますか? 楽になりますよ?」

「はぁ!?」

「ミス、ムエルテ。今の発言は看過出来るものではない」


 クレイグがエマに詰め寄る。

 一歩動いただけで床が軋む音が聞こえた。まるで、熊のような迫力が彼にはあった。


「もちろん冗談ですよ。さっきからその人がノノちゃんをイヤらしい視線で舐めるように見てたのが癪に触ったので、少しからかっただけです」

「──っ。い、いや、俺はそんな目で見てない! それは、ちょっとは仲良く出来たらとは思っていたけど……」

「私の大切なエマ様をクソガキと呼んだ貴方とは絶対に仲良く出来ませんので、ご了承下さい」


 エマを抱き締めながら丁寧な口調で言うノノだが、余程腹に据えかねているようだ。その証拠に形の良い眉が吊り上っている。

 断固拒絶の意を示され、ベネデットは大きく肩を落とした。


「…………」


 保護対象は口の利き方もなっていない若造。

 帝国の『死神』を派遣したと言われて来てみれば、虫すら殺せなさそうな少女とメイド服の少女が二人。

 貧乏くじを引いてしまったな、とクレイグは内心で己の運のなさを嘆いた。



×××



 草木も眠りにつく深い夜。

 静まり返った住宅地に聞こえるのは寂しげな風の音。

 それに加えて一つの足音。軽く跳ねる足音はどこか楽しげで、奏でている本人は上機嫌なのは見なくても分かる。


 彼女はある家の前で立ち止まり、口角を僅かに上げる。──次の瞬間、勢いよく跳躍して屋根に飛び乗った。


 着地した目の前には窓があった。というより、この窓めがけて跳んだのだから無ければ困る。

 なるべく音を立てないように窓を開けて、彼女は難なく家屋の中に侵入した。


 部屋には先客がいる。ベッドで寝息を立てている金髪の男──彼女の標的だ。


 懐から銀色に輝く得物を取り出す。

 彼女はこれから自分がしようとしている行為を想像しただけで、脳内麻薬が噴き出しそうになる。


 間抜けな面をして寝ているコイツの腹にナイフを思い切り突き刺す。

 その後はどうしようか。

 縦に裂こうか、横に裂こうか。

 前回は縦だったから、横に裂こう。

 痛みで目を白黒させるコイツの前で、腑を丁寧に取り出して見せてあげよう。

 自分の腑を見る機会なんて早々に無いのだから、じっくり見せてあげよう。

 その時の私はきっと絶頂寸前までに高まっている。

 最後に腸を引き摺り出して、蝶々結びにして──絶頂に達する。


 血が沸騰したかのように身体が熱くなり、興奮でナイフを握る左手が震え出した。

 我慢できなくなり、彼女はナイフを持った左手を大きく振り上げた。

 突如、衝撃が左腕を突き抜けた。


「──っ!?」


 何が起きたか理解できない彼女は固まったまま。

 そこに、さらに衝撃。

 今度は身体に受けて、彼女は壁に叩きつけられて床に倒れ込む。


「ほら、やっぱり来ましたよ。ん? これはこれは、最高に愉快な来客ですよ!」


 舌ったらずで幼さが残る声。そちらの方に顔を向けると、居たのは少女だ。

 濡羽色の柔らかそうな髪、暗闇の中でも輝く金色の瞳。小柄で華奢な肢体は白を基調とした服の上に漆黒の外套を羽織っていた。


 その姿を見た瞬間、彼女は心臓を握られているような錯覚にとらわれ、呼吸するのも忘れかけた。

 濃厚な死の雰囲気──否、死そのものと対面しているような絶望感。

 だが、彼女は破顔した。


「あはぁ、最高の夜になりそう」


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