case1-4 『愛しのホムンクルス』


 まるで糸人形のような動きで、男は掌を勢いよく地面に叩きつけた。

 すると、地面が激しく隆起して、意思を持ったかのようにエマへと襲いかかった。


 重力を感じさせない身軽な動きでエマは、地面の反逆を難なく躱す。


 滞空の僅かな時間で、エマは数本の鋭利な氷柱を創造。


 男目掛けて一斉投擲を行う。


 空を切り裂く勢いの氷柱。


 一本でも突き刺さば人体に致命傷を与えるであろう、儚くも美しい凶器。


 凍える絶望を受け止めるが如く、男は自身の目の前に分厚い土の壁を作り上げた。


 衝突。


 鼓膜を震わせる轟音と共に、土煙と氷の破片がその場に吹き荒れた。


「…………」


 己が身に宿る魔力を世界に干渉させ、超常現象を引き起こす神秘──魔術を初めて目にしたオルコットは、絵本の世界に迷い込んだ気分に陥った。

 華麗に着地を決めたエマは、面白くなさそうに巨大な鎌を肩に担いだ。


「小手調べのつもりだったんですが、思ったより脆かったみたいですね」


 その目先には、氷柱の一撃を喰らったため右半身が吹き飛んだ男が辛うじて立っていた。

 不思議なことに男の肉体からは一滴たりとも血が流れていない。


「ジャマヲ………スルナァァァ──!!!」


 男は残った左手にナイフを持ち、愚直な特攻を仕掛ける。

 哀れと言わんばかりに溜め息を零して、エマは大鎌を振るった。

 その瞬間に、男の左腕が切り離され虚しく地面に落下した。


「ア、アァァ……」


 男は呆気なく膝から崩れ落ちて、無様にのたうち回るのを見下ろしていたエマの表情は酷く冷やかだった。

 危険性は無いと判断して、ノノとオルコットを手招きで呼んだ。


「コイツは何なんだ?」

「この人自体は遺体です。肝心の犯人は遺体を器として使っていたんです」

「い、遺体? ダメだ、全く理解が追いつかない」


 頭を抱えるオルコット。

 すると、男はノイズ混じりの声で、命を吐き出すように呟いた。


「チガ、ウ……タダ、ナカマガ……ホシカッタ……」

「仲間?」


 男が咳き込み始めた。

 身体の中にある異物を体外に出そうとするような激しい咳。

 やがて、男の口から黒い小さな何かが出てきた。

 それは、最初のうちはもがいていたが、やがて動かなくなり塵となって消滅してしまった。


 正体を察したノノは口を閉ざし、目の前で起こったことが現実とは受け入れることが出来ないオルコットは、呆然と立ち尽くす。

 そして、エマは憐れみに満ちた声で呟いた。


「貴方は外の世界に出るべきではなかった。ただ、フラスコの中で夢を見ていればよかったんです。──永遠に醒めない夢を」





 世界を包んでいた暗闇は、東から昇ってきた太陽によって彼方へと消え去った。

 ラグドールの入口で、朝陽に照らされるエマたちはオルコットと別れの挨拶を交わしていた。


「今回はありがとう。とても助かったし、色々な経験が出来た」

「こちらこそありがとうございました。事件の早期解決は、オルコットさんの卓越した調査能力があったからです」

「確かにエマ様の言う通りです。あの短時間で多くの情報を集めるのは凄いと思います!」


 美少女二人に褒めちぎられて、オルコットは照れながら後頭部をさする。


「いやー、そう言われると」

「もし、機会があれば私たちとまた一緒に調査して貰えますか?」


 質問されたオルコットは、一瞬たりとも迷わずにこう言った。


「ああ、もちろんだ!」

「それを聞いて安心しました。では、また会う日を楽しみしていますよ」

「ありがとうございました、オルコットさん」


 エマとノノは一礼してからラグドールを後にした。





 数日後。

 魔導図書館の屋上にはエマとユニの姿があった。

 手すりにもたれかかり、ユニは口から紫煙をくゆらせる。


「それにしても、イヴは将来有望だよ」

「へぇ、そんなに優秀なんですか?」

「天才、と言ってもお釣りが来るね。まぁ、クロウリーの血筋となれば納得もいくもんよ」


 隠蔽魔術を行使したのはやはりイヴだった。

 彼女には飛び抜けた魔術の才があり、それはユニをも驚愕させる程。

 実はエイムズ夫人の血筋を遡ると帝国でも随一と謳われた魔術師クロウリーに行き当たる。彼の才能は密かに子孫へと受け継がれていたのだ。


 イヴの才能に将来性を感じたユニは、彼女を弟子として引き取ることに。

 両親は他界し、親戚もいなかったイヴにとってはまさに渡りに船の話だったろう。


「弟子を取るなんて、貴女らしくないですけどね」

「最高品質の原石があったら誰でも磨くでしょ? それにイヴなら至れるかもしれない……『魔神』に」

「あの子なら魔術を極め神の領域に踏み入れると?」


 口の端に煙草を咥えながらユニは、好奇心に瞳を輝かせる。


「可能性は十分ね」

「貴女は目指さないんですか? 魔神とやらに」

「残念ながらわたしはどこまで行っても秀才止まりよ。だから、至るんじゃなくて造ることにしたの。わたしの知識と技術で『魔神』すら凌駕する最強の『魔神』をね」


 中途半端に残っている煙草を手すりで消す。立ち込める煙を指に纏わせながら、ユニは錬金術師然とした笑みをベンチに座っているエマに向けた。


「ね? 最高に興奮するでしょ?」

「さぁ? 私にはよく分かりません」

「言うと思った。ところで、アンタが殺した死体を器代わりにしていたヤツ。それ本当にホムンクルスだった訳?」


 エマは渋い表情で濡羽色の髪を指で弄る。


「絶対とは言い切れませんが。貴女が造ったホムンクルスとは大分違いましたけど」

「ふぅん。そう」

「……彼は、今どこにいるんですか?」


 答えるのを嫌がるように、ユニは空を見上げた。


「さぁね、もう死んでるじゃない?」

「そうですか」


 きっと、彼女は可愛がっていたペットが逃げ出して落ち込んでる少女のような顔をしているだろうな、とエマは思い、それ以上の質問はしなかった。

 しばらく無言の時間が続いた後、ユニがおもむろに口を開いた。


「問題。人体錬成のスペシャリストは?」

「錬金術への造詣は深くないので」

「ブッブー、答えは女──正確には母親となった女。用意する素材は男だけ。それだけで女は人間を作ることが出来てしまう。あらゆる材料を集めて、知識を蓄えた錬金術師がその生涯をかけても達成出来ない偉業。それを大した知識を持たないで本能で成功させるんだもの。本当、生命の神秘って感じよねぇ」


 皮肉にも取れるユニの言い方に、少しばかり頬が緩んでしまう。

 意見についてはエマも概ね同意である。

 いくら人間が知恵を絞ったところで、自然が生み出した神秘には叶わないのかもしれない。


「なら、貴女も子ども作ってみたらどうですか? 生命の神秘を体感出来ますよ」

「それも一興かも、相手がいたらね。それよりアンタこそどうなの?」


 思わずエマは吹き出して、自分だけに聞こえるように呟いた。


「命に死を与える私が命を生み出す? それこそ悪い冗談ですよ」


 二本目の煙草に火をつけて、ユニはエマの身体をボーッと眺める。


「にしてもアンタ、悲しいくらいに幼児体形ね。本当に十代なの?」

「もう、うるさいですね。お色気担当はノノちゃんなんですから、私はいいんです」


 頬を膨らませて拗ねるエマを見て、ユニはからころと笑い、旨そうに煙草を吸った。

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