誰か助けてください

 夏希なつきの両親は、娘が眠っている病室に戻った。

 夜空の下、私は病院の外にあるベンチに座っていた。

 街路灯の限られた明かりをもとに、代わりのピアノ伴奏者がいないか探した。手当たり次第に電話をかけたし、メールも送った。でも反応がなかったり、無理だと断られてしまった。

 握りしめていたスマートフォンを、静かに横に置く。

「諦めないって誓ったばかりだけど、もうくじけそう……」

 元々、音楽関係の知り合いが多い方ではないので、残念な結果が出るのも早かった。

 気落ちするように視線が徐々に下がっていき、最後は溜息が漏れる。

「いかんいかん。弱気になってる」

 すぅーっと鼻から空気を吸う。背筋が微かに反って、風船のように腹を大きく膨らませる。上から下まで、夏の夜の空気で満ちた。

 ぎゅっと目を瞑り、

「えいっえいっ、おー」

 声に合わせて両頬を叩き、意味のない掛け声。そんなに下を向きたくなるなら、いっその事上を向いてやれと天を仰いだ。

 頭上には夜の濃藍こいあいが広がっていた。

 薄い雲が、白い月を隠す。

 その雲の合間には光る星達。しかしそれは、目を凝らすと漸く見える儚い光で、か弱く見えた。まるで現状を打破する為に足掻あがく私のようにも思えた。

「ピアノ伴奏者、どこかにいないかなぁ」

 一際目立つ、青い光と赤い光。

 点滅するその光は、夜空のキャンバスに線を引く筆のように、左から右へと横断していく。雲の中に入っては消え、抜けては光る。

「あの光、なんだっけ」

 最近、誰かに教えてもらった気がする。

「あ、福岡ふくおかくんだ」

 彼と飛行機を見たんだ。

 七夕の日、彼が校門で待っててくれて、一緒に夜空を眺めながら帰ったんだっけ。

 そういえば音楽室で練習している時、一回、部活ノートを取りに福岡ふくおかくんが来たことがあった。夏希なつきからそれを受け取ったということは、福岡ふくおかくんは吹奏楽部の部員である可能性が高い。

 そして吹奏楽部に所属する部員はピアノ経験者が多かったりする。もしかしたらピアノを弾けるかもしれない。

 見えてきた希望。でも——

福岡ふくおかくんに連絡先を消してって、自分から言っちゃったもんな」

 こんなことになるくらいなら言わなければよかった。本当に過去の自分を殴ってやりたい。もうちょっと考えて話をしようよ、自分。迷惑だよな。

 ぼーっと、褐色かっしょくの空を眺める。

 肌を撫でる、ほんのり冷たい風。

「はぁー」

 気が重い。健康診断の結果を聞く前のような重さだ。体に悪いところがあったら嫌だなぁ、みたいな。

「んー、嫌だなぁ。怖いなぁ」

 電話をかけるのが怖い。

 自分が困って、都合が良い時に連絡をすることで、身勝手だと怒らせたくない。既に関わる価値のない人間だと思われて、無視されたくない。

 スマートフォンに登録した、数少ない知人に断られ続け、どん底に落ちた。その上、福岡ふくおかくんまで電話に出てもらえなかったら……断られたら……その時はもう希望の欠片もない。

 だからなかなか勇気が出ない。でも、このままではダメだ。

 気分を変えようと、トートバッグからペットボトルを取り出した。それを一口飲む。

「……味がしない」

 一体なにを買ったのだろうとラベルを見た。

 外灯の光に照らされて見える文字は、正午の紅茶。甘いミルクティーのはずなのに、甘さを感じず、水を飲んでいるようだった。

 それから半分ほど飲んでから、福岡ふくおかくんの連絡先を画面に出す。

「はあぁぁぁぁ」

 淀んだ空気を吐くように、溜息を吐きながら首を垂らした。

 頭では痛い程理解している。なにかをしないと変わらない。このままコンサートを中止にできない。その為には、不確定なことでも掴みにいかなければならない。


 ドクンドクンドクン


 緊張感が高まり、心臓が高鳴る。

 人の繋がりが打開策に繋がればいい。そう思って、目をギュッと瞑り、深呼吸を繰り返す。

 ただでさえない勇気を振り絞る。


 ドクンドクンドクン


 鼓動に合わせるように震える指先が、液晶をタッチした。

 電話の呼び出し音が鳴る。

「ひゃっ」

 その音で驚き、声が漏れた。

 本当に電話が掛かると思っていなかった。着信拒否をされているのではないかと、内心では考えていたから。

 電話の呼び出し音は続く。

 緊張で思わず口呼吸になる。ヒューヒューと空気の出入りする音がした。落ち着かせようと、その呼吸をできるだけ長くする。

「……出ない」

 電話に出ないかな。やっぱり。

 そろそろ諦めよう。そう思って、スマートフォンを耳から離した時だった。

『…………眞野まのさん?』

 今も変わらず優しい声色に、時が止まったような錯覚がした。

 嬉しい。ありがとう。でも、どうして。

 慌ててスマートフォンを耳に当てた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る