第15話 父子
四角いテーブルと三脚の椅子、テレビや食器棚が揃う、カウンターキッチンと繋がったリビング。そこそこ整った綺麗な空間。
本来ならここは家族がくつろぐ場所なのだろうし、事実そういった思い出が幾つもある。だが、今のこの空間はとてもくつろげる雰囲気ではなかった。
オレが熱い感情の命じるまま、荒々しい怒号を響かせていたからだ。
「これは一体どういう事だよ、親父!?」
「…………」
「黙ってんじゃねえ! 何とか言ってみろよ、この糞親父が!」
いくら問いただしても煽っても、対面に座る親父は何も言わない。元々いかつい顔を更に難しくして沈黙を貫いている。
そんな態度にイラつき、オレはテーブルを強く叩いた。そのせいで上に乗っている化粧道具の容器が倒れる。
テーブルの上には化粧品の他にも女物の服があった。それらは全て物置に隠されていたものだ。
母さんはもう、この世にいない。オレは一人っ子で姉も妹もいない。
そうである以上、これらは親父が何処かの知らない女と関わりのある証拠だった。
ここ最近、妙に親父から避けられていると思い、不審に感じていた。それで少し探りを入れた結果がこれだ。
オレの親父への評価は一気に最低まで下落した。親子だと認めたくない程度にまで。
密会が事実だとしても、今なら浮気ではない。そういう意味では責められないだろう。
それに、気持ちは理解出来ない訳ではない。失った存在の代わりを求めるのは自然な事だ。
ただ――
「切り替えが早すぎるんじゃねえか? まさか母さんが生きてた時からじゃねえだろうな!?」
「……違う。それは違うんだ」
「んなもん信用できっかよ!」
説得力のない声を聞いたオレは再びテーブルを激しく叩いた。化粧道具が床に落ちて、大きな音を立てる。
母さんが病死したのはたった三ヶ月前。
いつかは再婚の話もありだろうが、今はまだ早すぎる。事実、オレの方は気持ちの整理が全くついていないのだ。
行動は信じられないし、感情が理解できない。
自分自身が母さんに苦労をかけた自覚はある。それでも、憎んでも恨んでもいなかった。気恥ずかしいが、家族愛ならオレにもあったのだ。
残った親子二人、そこは同じだと思っていたのに。一方的な思い込みだったのか。
これは到底許せない裏切りに他ならない。
いや、それだけでは済まない。
今回の疑惑から、ある推測が導き出されてしまった。
もしかしたら母さんはこの事に気づいていて、そのせいで体調を崩したのでは……。
嫌な想像は膨らむ。膨らみ続ける。
同時に怒りの感情もまた大きくなっていく。苛立ちが爆発する限界まで。
遂にオレは立ち上がると、身を乗り出し親父の胸ぐらを掴んで吼える。
「アンタは母さんの事をどう思っ――」
核心を突く問いかけだったのだが、それは強引に中断させられてしまった。
理不尽極まりない不思議な力によって。
一瞬の浮遊感の後、オレは暗い色に溢れた気味の悪い場所に移動していた。
そこは魔界。エンカウントの発生である。
親父にとっては好都合だろうが、オレにとってはただの邪魔でしかない。怒りを吐き出すように強く舌打ちをした。
「チッ、話は後だな……」
一旦親父の件を脇に置き、戦闘の心構えをする。
あの異変からは二ヶ月程度が経った。今では変化した当時より慣れてきているが、油断すれば危ない事に変わりはないのだ。
それに親父との共闘は初めてで、しかもさっきの今で連携なんて出来る訳ない。
ここでのオレは、よく分からない獣の毛皮らしきものを着て無骨な棍棒を持った姿になっていた。まるで山賊である。
エンカウントの際に身に付けている装備は人それぞれ。自分では選べず、勝手に決められている。いつかテレビでやっていた話では、性格や特技や趣味などの要因で決まるのではと推測されているらしい。
確かにオレは多少乱暴者かもしれない。
だからといって、こんな格好はイメージが悪い。これで人から避けられたらいい迷惑だ。
全く、人をイライラさせる事だらけ。
せめて
そう思い、倒すべき魔物を探して視線を動かす。
そして、それを見つけた。
「なほぁっ……!?」
オレはその瞬間、驚愕の声を漏らした。驚きのあまり自分のものとは思えない声になっていた。
いや、単なる驚きでは済まない。
それは、オレに絶大な精神的ショックを与えた。
体が硬直し、思考も鈍くなる。体内に重石が突然生まれたように錯覚してしまった。とてもマトモに戦闘できる状態ではない。
これは危険地帯での致命的な失態だ。早く冷静さを取り戻さなければ命に関わる。
ただ、そうと分かっていても、無理なものは無理だった。
体と頭は鈍くて重いまま、身動きすらままならなかった。更には喉が渇きを覚え、かすれた声しか出せない。
「ああ……」
脳の機能がゆっくりと活動を復活させていく中で、オレは全てを理解してしまった。
自分が見つけた物の意味を。
認識の甘さを。
そしてこの世界には、決して勝てず逃げられもしない現実がある事を。
今まで信じてきたものは、世界のほんの一部分でしかなかったのだ。
オレは立ち尽くしたまま、視線を固定している。
見たくもないのに、目を離せない。逸らせない。義務であるかのように凝視し続ける。
言葉を失うしかない存在が、そこにいた。
ヒラヒラしたフリル付きの豪華なワンピース。その上に重なった、丸みを帯びた薄いピンク色の鎧。キラキラとした装飾が施されている杖。
それらを着飾るのは、見知ったいかつい顔。
オレを絶望に突き落としたものの正体は――女物の服装を着た親父だった。
「あれ全部、自分用だったのかよ……っ!」
知りたくなかった真実により、オレは膝から崩れ落ちる。
予想よりも残酷な現実により、オレは虚しく地面を掴む。
世の中には知らない方が幸せな事もある。
そんな言葉を心の底から実感した。最悪のド底辺まで気分は落ち込んでしまった。
「……なあ、親父。それは、何かの間違い……なんだよな?」
頭の中が盛大に混乱する中、オレは細くて弱々しい希望にすがる。今ならワラだろうと蜘蛛の糸だろうと、喜んで飛びつくつもりだった。
しかし、親父は否定も言い訳もしなかった。
それどころか、おかしな事を言い始める始末だ。
「一つ。誤解しないでほしい。光騎士姫エルエイナへの憧れは確かにあったが、母さんへの愛も本物だったんだ……」
「いきなり何を言い始めてんだ!?」
オレが罵声を浴びせても、親父は気にせずブツブツと語り続けていた。聞いた事のない単語ばっかり聞こえてくるが、なんとなく意味は分かる。その内容はどうやら母さんとの思い出話らしかった。不倫は完全に誤解で、お互いに趣味の合うおしどり夫婦、それはいいのだが急展開についていけない。あと親の馴れ初めなんて聞きたくない。
頭が理解を拒む。既にオレの情報処理能力をオーバーしているのだ。ここにきて新事実なんて到底受け入れられない。
とりあえず誤解だったなら、いいのか?
いいか?
いい、とするしかないのか?
その一方、親父は完全に開き直っていた。
あんな着る人が着れば映えるだろうが当然本人には似合っていない衣装で、テンション高く魔物へと突撃していく。
「さあ、行くぞ息子よ! あの魔物を討ち果たし、我が家に帰るのだっ!」
「ああもう、どうにでもなれえ!!」
オレもヤケクソ気味に突進し、ほとんど八つ当たりで豚人間みたいな魔物を攻撃していく。
なんとか騎士姫と共闘しながらの絶叫は、黒々とした空へとよく響いたのだった。
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