第16話 臆病者(前編)

「ねぇねぇ、くるみぃ。最近好きな人できたでしょぉ?」

「えー、分かっちゃう?」

「分かるよそりゃー。時々乙女の顔してるもーん。で、誰誰? 教えてー?」

「えー、やだよぉー」

「いいじゃーん。そんな事言わないで教えてよー」

「うーん。じゃあ、仕方ないかなー」

「お、よく決意してくれた! で、誰なの?」

「……頼樹君」

「え゛!? ……あの、ちょっ、ごめん。聞き間違えたかもしんない。もう一回言ってくれる?」

「だからぁ、縁戸頼樹ふちどらいき君」

「ええぇ!? やっぱりあのヘタレェ? なんで!? 前はチャラくて好みじゃないって言ってたじゃん!」

「前は前。今は好きになったの」

「いや、前の方が絶対良かったでしょ!? 今なんてエンカウント起きたら、遠くで震えてるだけのヘタレだよ!?」

「それだよ、それ!」

「え? 何がそれ?」

「だから、ああしてガクガク震えてる姿ってさぁ、小動物みたいでスッゴくカワイくない!?」

「……はあ?」

「カワイイというかもう……母性本能なのかな? 守ってあげなきゃ、私がついてなきゃ、って気分にならない?」

「ううん、ならない」

「もうアレ見ちゃうとね、今までのチャラかったのが背伸びしたオマセな男の子にしか思えないの! 余計カワイイでしょ!?」

「うぅええぇ……アンタってそういう趣味だったの……?」

「頼樹君で目覚めました。これからは愛に生きます」

「はあ!? いや、止めなよ! 今からそんなんじゃ、将来が絶対悲惨な事になるって! 幸せになれないって!」

「ごめん。もう決めたの。私は愛しい人と生きたいの。だからあの人の所へ行きます」

「まっ、待って! 考え直して! お願いだから戻ってきてよ、くるみぃぃぃぃ!!」






 全世界を巻き込んだ異変から数ヶ月。

 日常に戦いが組み込まれた、以前と大きく変わった生活にも人々は慣れてきていた。

 ただ、一口に生活が変わったと言っても、その形は人により様々である。中には滅多にいない特殊な変化を経験した人物もいた。


 その一人が縁戸頼樹という少年である。

 以前の彼はその容姿から女子に人気があり、毎日のように遊んでいた。学校でも上位のグループに属し、人から憧れと嫉妬を受ける日々を送っていたのだ。


 ただし、そんな充実した生活は、異変の日を境に一変した。

 エンカウントという生命の危機を前にしても、頼樹はどうしても魔物と戦う事が出来なかったのだ。

 この変化した世界でそれは致命傷だ。戦わなくても許されるのは、せいぜいが小学生まで。例え小心者であっても、高校生ならば戦うべきだというのが常識となっている。

 初めは戦えなくても、ある程度場数を踏めば耐性がつくか吹っ切れるかして戦えるようになる人間は多い。死への恐怖がそうさせるのだろう。

 だが、頼樹は死にたくないからといって戦える事が信じられない。彼にとっては意思でどうにかなる問題ではなかったのだ。


 ただ、頼樹の考えや事情はどうあれ、他人の考えは単純で残酷なもの。

 彼がエンカウントの際役立たずになる件が発覚すると、周囲の人間の態度は冷たくなってしまった。それも男子女子問わずにだ。


『触らないで下さい』

『お前みてーのと同類扱いされたくねーんだわ』


 女子から相手にされる事もなくなり、仲良くしていた男子の友人達も全員掌を返した。

 頼樹も初めは戦おうとする演技をしていたが、話が広まると開き直って最初から全力で逃げるようになった。

 そのせいで余計冷遇に拍車がかかる。学校中から馬鹿にされ、だんだん居場所も無くなっていった。最下層まで落ちていた。辛く虚しい日々を過ごしていた。


 だが、そんな日々はもう終わった。

 戦いになると臆病になってしまう彼にも、とうとう理解者が現れたのだ。


「今日も楽しかったねー、頼樹君」

「うん、くるみさえいれば何処で何をしてても楽しいよ。君が楽しんでくれたなら俺も嬉しいし」

「もう、そんな事言ってー。恥ずかしいよー」

「そう言われても事実なんだから仕方ないよ」


 頼樹が言えば、隣に座る少女は照れた笑いを浮かべた。ほんのりと赤らむ頬と浮かぶえくぼが可愛らしい。

 休日のデートからの帰り、電車内でのやり取りである。


『今の君が好きです。私に守らせて下さい』


 そう言われて付き合い始めた彼女の名は、くるみといった。

 頼樹にとっては彼女こそが、理不尽な扱いから救ってくれた天使にも思える存在だ。魔界での醜態を気にもせず好いてくれている。

 告白されるまでくるみの事は知らなかったが、今では頼樹も彼女に好意を持っていた。

 彼女にはそれだけの美点がある。

 くるみは一つの欠点があっても、それだけで人を切り捨てていない。人の意見に左右されない、確かな己の価値観を持った人物だ。

 と、頼樹はくるみをそう評価している。


 この日のデート中にもエンカウントはあった。

 そして、例によって彼は戦わずに震えており、先陣を切って槍を振るうくるみに助けられていたのだ。

 「女子に守られるなんて」と人は言うが、それが悪い事だというのが彼には納得出来ない。

 あんな異常な世界では、男も女もない。戦える強い人間が戦えない弱い人間を守るのが正しい形だと思っている。


 それに戦闘は任せきりとはいえ、ちゃんと感謝はしているし他の部分で恩は返している。だから問題はないはずだ。


「あの時はありがとう。今日も助かったよ」

「ふふふー。そんなのいいのに。私が好きでやったんだから」

「いやいや、いくら感謝しても足りないよ。君は俺を守ってくれる唯一の存在だからね。強いし可愛いし、本当に最高の女の子だよ」

「そんな、誉めすぎだよー。うん、私の方こそありがとうねー」


 優しく肯定され、笑顔で受け入れられ、頼樹は満たされた気分になった。異変より前、無条件でチヤホヤされていた時には感じなかった温かい気持ちだ。


 だが、そんな気持ちに反して彼の顔は固くなっていた。

 その原因は現在進行形でくるみがしている行動であった。


「……ところでさ、その手はもしかして子供扱いしてる?」

「えー? そんな事ないよー?」


 頼樹の疑惑を、くるみは満面の笑顔でやんわりと否定した。そしてそのまま彼の顔を固くさせた行動を続けている。

 彼女の手は頼樹の頭を優しく撫でていたのだ。まるで母親が幼い子供を誉めるように。


 天使たる彼女にも、ただ一つ時々おかしな点があった。扱いが今までの女子とは違うのだ。

 具体的に言えば、大した事でもないのに過剰に誉めたり、事ある毎に頭を撫でてきたり。まるで子供にするような対応をしてくるのである。およそ男子高校生相手にするものでない。

 そういう事をされる度、頼樹は猛烈に恥ずかしい思いをしているのだが、守られている手前強く止められていなかった。


 ただ、馬鹿にしている雰囲気はなく、真っ直ぐな好意が感じられる。なので彼女なりの独特なスキンシップなのだろう。

 と、頼樹はそう信じている。


 が、あまり深くつつきたくはなかったので、話を次のデートの予定に移す。


「ああ、そうだ。俺、来週も予定空いてるんだよね。くるみも暇なら何処か行こうか?」

「あ、それなら映画はどう? 見たいと思ってたのが来週から始まるの」

「ん……いや、映画館は……」


 くるみの提案に対し、頼樹は渋い顔で言い淀んだ。うっすらと汗さえ浮かぶ。

 無論、彼唯一の弱点を警戒しての事だった。


 人が多いと、エンカウントが起きた際の危険性が高まる。確率はそれほど高くないものの、強大な魔物が現れる場合があるのだ。

 エンカウントに巻き込まれた人数により、魔物の強さの上限が決まる。世界中のあらゆる国が集め蓄積したデータから判明した事実であった。

 故に、世間にその情報が知れ渡ってからしばらくは、混雑する人気スポットは避けられていた。そもそも外出自体が減っていたのだ。

 ただやはり、時間の経過と共に客足は戻りつつある。

 その戻った客は、大きく分けて二種類。リスクを理解した上で覚悟を持って選択したか、楽観視して能天気に選択したか。

 前者はともかく、後者が実際に大物と出くわした時にどうなるか。とても信用出来ない。

 特に、真っ先に自分を戦力から外している彼にとっては。


 頼樹の表情からその意を汲んでくれたくるみは、優しく言葉をかけてくる。


「不安? やっぱり他の空いてそうな所がいいかな?」

「でも、くるみは行きたいんだろう? だったら行くよ。俺が我慢すればいいだけなんだから」

「……もう……カッコつけちゃって!」

「うあっ! 待って、流石にこんな所でそれは!」


 頼樹は大声を張り出して慌てる。くるみが彼の頭を強引に引き寄せ、胸に抱き抱えようとしてきたからだ。何かが琴線に触れたのか、やたらと興奮している。

 これだけ目立つ騒動。当然のように電車内の視線が集まった。ヒソヒソと話し声が聞こえてきた。

 それでも止まらないくるみ。頼樹はしばらくの間、羞恥心に耐えているしかなかった。


 それから数分後。

 他の乗客に厳しく注意されてやっと落ち着いたくるみを連れ、頼樹はホームに降りた。シュンとしているところからすると、一応反省はしているらしい。

 そして並んで駅を出て、別れ際。

 気分の落ち着いたくるみは女神のような、慈しみに溢れた微笑みを頼樹に見せてきた。


「大丈夫。心配しないでもいいよ。どんな時でも、私が守ってあげるからね」


 くるみの深く包み込むような声と言葉により、頼樹は心から安心する。

 次回のデートでのエンカウントの件もそうだが、それだけではない。


 他人は「勇気を出せ」と言うが、そんな必要はない。このまま、今の生き方でいい。

 たった一つの欠点だけで人を切り捨てるような人間の言葉なんて、放っておけばいいのだ、と。








「はっ……はあっ……そんな……そんなっ!」


 荒い息と焦燥感に彩られた声が、不気味な景色の魔界に消えていく。

 その主、頼樹はブニブニとした気持ち悪い感触の岩に隠れていた。必死な形相で体を障害物に押し付ける最中だった。


 前回から一週間後の映画館デート中にエンカウントが起きたのである。

 それだけならば何も問題はなかった。彼女が守ってくれただろうから。

 ただし、この時ばかりは事情が違っていた。


 今回現れたのは、マンモスめいた見た目の巨大な魔物。危惧されていた、強大な敵だ。

 それが、大勢のグッタリした人間を足元に転がしていたのだ。

 全滅。かろうじて息はあるようだが、誰もが身動きもままならない状態だった。

 その中には、守ってくれるはずのくるみも含まれている。天使の笑顔もなく、女神の微笑もなく、生気を失った顔で横たわっていた。


 彼女や他の人々の容態が心配であるし、不安でもある。

 しかし、頼樹にはそれにも勝る恐怖があった。自身の目で見た光景の意味を理解し、彼は頭を抱えて恐れおののく。


「うひゃわあぁ……うわあぁぁぁぁぁっ!」


 最早戦力になる人間は、頼樹ただ一人。生きて帰りたければ、くるみを救いたければ、自分自身が戦うしかないのだ。


 彼には絶望に等しい試練が与えられていた。

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