第10話 男子(後編)

 高校の昼休み。それは学校生活を賑やかにする、憩いのひとときである。

 だがそんな時間にも関わらず、一人の少年が寂しく狭い部屋で焼きそばパンを食べていた。暗い顔で、黙々と。

 寂しげというより、重苦しい雰囲気が漂っている。


 それを無理矢理打ち破るように、突然ぶしつけに声がかけられた。


「おーおー、こんなトコにいたのか。つー事は、やっぱ部室をピカピカにしてたのは初馬だったんだな。なにお前、マネージャーに転向でもすんの?」

「げ、辰也……」


 友人である辰也の登場に、寂しい食事中だった初馬は表情を強ばらせた。マズいところを見つかってしまったという焦りの顔だ。


 初馬が食事をしていたこの場所は野球部の部室。壁も床も、野球用具から備品まで綺麗に手入れされていた。

 辰也の言う通りこれは初馬の仕業である。あの一件から数日、彼は洋子と顔を合わせないよう避けており、昼休みにはここに隠れていた。この時間に部室を使う人間はここの野球部にはおらず、都合が良いのである。そして部員とはいえ、勝手に使わせてもらう負い目からいつも以上に掃除していたのだった。


 初馬の隠れ家を暴いた辰也は後ろ手に扉を閉めて中に入ってくる。そして単刀直入に切り出した。


「で、洋子ちゃんと何があったんだ?」

「……別に、何もないよ」

「嘘つけ。あんだけあからさまに避けてたら誰でも分かるわ」

「……そっか、そんなにバレバレだったのか。でも、悪い辰也。一人にしてくれ」


 初馬は沈んだ顔で拒絶した。

 心ここにあらずといった様子。話しかけ辛く、近寄り難い。言葉より雰囲気でこそ、己の意思を主張していた。

 これは自分自身が悩んで答えを出すべき問題だから放っておいてくれ、と。


 ただし、当の拒絶された辰也には全く効果がなかったらしい。


「やーなこった。お前がそんなだとクラスも部も空気悪くなんだろーが。さっさと復活してくれねーと皆が困んだよ」

「……ああ……そうか。悪い」


 言われて、ようやく気づく。洋子以外にも多くの人に心配をかけていたのだ。どれだけ視野が狭くなっていたのやら。

 やっぱり自分は駄目な人間だ。

 自嘲し、猛省。その上で前を向く。

 潔く恥を捨て、大人しく友人に頼る事にした。


「教えてくれ。自分の彼女も守れない男なんて、やっぱり彼氏失格だよな?」

「そりゃ彼女から逃げ回ってるような女々しい男は彼氏失格だろーよ。さっさと会ってこいや」

「う……いや、それは分かってるんだよ俺も。だから、急いで考えてる訳で」

「へー。んなもん会ってから考えれば?」

「おい、何か投げやり……って、ちょっと待て! そっちから聞いといて何してるんだよ!?」


 初馬は声をあらげて抗議した。

 無理もない。真剣に相談しようとしていたのに、辰也の方はスマートフォンをいじっていたのだ。真面目に話す気があるように見えなかった。

 彼はそのまま、興味がありませんといった調子で喋る。


「うるっせーな。痴話喧嘩の理由なんて知ったこっちゃねーんだよ。どうせお前が悪いんだから謝り倒せ。それで解決だろが」

「……そんな、簡単な話じゃないんだよ……」

「いーや、そんなのはお前の思い込みだね。十年以上お前と腐れ縁やってきたオレが言うんだから間違いない」

「……なんでそんな事――っ!」


 初馬は反論しようとするも、最後まで言えなかった。バタン、と勢いよく扉が開いてビックリしたからだ。

 弾かれたように、外光が射しこむ入り口を見る。そして再び驚いた。

 そこにいた乱入者の正体は、見慣れた人影だったからだ。


「え? 洋子ちゃん……?」


 初馬は驚きで言葉に詰まる。持ったままだった焼きそばパンも床に落としてしまった。

 だが、それ以上に大袈裟な反応をしたのは辰也の方だった。


「あぁれぇー? おっかしいなあー。どうして洋子ちゃんがここにぃー?」

「……辰也……お前」

「これじゃあ、おれはおじゃまだなー。あとはわかいふたりにまかせるぜー」


 初馬が訝しげな視線を向けるも、辰也は全く動じなかった。白々しい小芝居を置き土産に残し、逃げるように部室を出ていく。

 言いたい事は山程あったが、追いかけている場合ではない。


 辰也と入れ替わりに、洋子が部室へと入ってきたのだ。

 数日振りの、二人きり。

 流石にもう逃げられない。覚悟を決めて、正面から向き合う。


 その覚悟が、洋子の一言目で早速折られてしまった。


「ねえ、もう会ってくれないの?」


 洋子の寂しげな目が、悲しげな声が、初馬の心にグサリと突き刺さる。

 深く深く、実感。自らの誤った選択のせいで、彼女を傷つけてしまっていたのだと。

 後悔が群れをなして押し寄せる。心中はすぐに罪悪感で満ちてしまった。


「ごめん」


 謝罪の言葉は自然に出てきた。辰也のアドバイスとは無関係の、本心からの謝罪だ。

 しかし、洋子は納得してくれない。むしろ彼女は、声に含める悲しみの度合いを大きくしていた。


「謝らないでよ。私が聞きたいのはそんな事じゃないんだよ。会えないのならせめて理由ぐらい言ってよ」

「会えない訳じゃないんだ。悪いのは全部俺なんだよ」

「悪いならちゃんとそれを説明してよ。それとも、私の事嫌いになったの?」


 純粋な問いかけが迫る。追ってくる。洋子の瞳は不安げに揺れ、迷子の子供のようにも見えた。

 そんな彼女の顔に見つめられたら、申し訳なさで胸が苦しくなる。ただそれと同時に、捨てられない未練が、本心が僅かに顔を出した。

 様々な感情と思いが複雑に混ざりあい、洋子以上に不安げな顔つきで初馬は語る。


「……俺だって、会うのが嫌な訳じゃないんだ。だけど、洋子ちゃんにはもっと良い人がいるよ」

「勝手に決めつけないでよ。どうしてそう自分を卑下するの?」

「だって、洋子ちゃんを守れなかったし……唯一の取り柄も無くなった俺に、君と付き合う資格なんて、ないんだよ……」

「守る? 資格? ねえ、なんなのそれ?」


 いつの間にか、洋子の声には剣呑な響きが混ざっていた。原因となる感情は怒りというより、苛立ちに近い。

 変化を感じた初馬が顔を上げたところ、凄まじい衝撃が叩きつけられた。


「そんな事、どうでもいいっ!!」


 室内に反響する大きな声。初馬の全身と沈んだ空気を、大きく揺さぶる。電気が走ったような感覚だった。

 その後に静寂が訪れても、意味を理解できない初馬はポカンとするばかりだ。


「え……?」

「わからない? だからね。私は、エンカウントなんてどうでもいい、って言ってるの!」


 再びの衝撃。今度は普通の声量でありながら、先程以上によく響いた。スルリと脳に浸透する。

 今度は理解した初馬が、そのせいでポカンとする中、洋子は一度荒くなっていた息を整える。

 それから頬を赤らめ、恥ずかしそうに語り始めた。


「私がハツ君を好きになったのはね、魔物から守ってくれたからじゃないんだよ。それよりずっと前から……人がやりたがらない事を進んでやるような、そんな優しいところを見て好きになったんだよ。優しいって誉めるとハツ君はそんなの普通だって言うけど、ハツ君の普通は普通じゃないんだよ。だから、好きになったの」


 真っ直ぐな好意を、初馬は口を挟まず、大人しく聞いていた。呆気にとられていた事もあるか、聞かなければならないとも感じていたのだ。

 彼に見守られながら、洋子の告白は続く。


「でもね、なかなか話しかけられなくて、ずっと見てるだけだったの。そんな時にあったのが、あのエンカウント。その時はね、チャンスだって思ったの。お礼よりも、そんな事ばっかり考えてたんだよ。……私はね、そういう汚い人間なの。幻滅した?」


 照れながらも最後まで言い切ったそれが、洋子の本心。不都合な部分までをもさらけだした、真実の告白。


 それを受け取り終えた初馬は沈黙していた。

 頭の中では様々な考えが巡り、渦巻く。洋子の言葉の意味を突き詰める事に、脳のほとんどを活用していたのだ。


『人がやりたがらない事を進んでやるような、そんな優しいところを見て好きになったんだよ』

『お前がそんなだとクラスも部も空気悪くなんだろーが』

『そんなに私を見る目のない女にしたいの?』

『先輩。この前は手伝ってくれて助かりました。またなんかあったら頼んでいいですか?』

『私の方はちゃんとカッコいいって知ってるのになー』

『いーや。そんなのはお前の思い込みだね』

『エンカウントなんてどうでもいい、って言ってるの!』


 今まで聞いてきた多くの言葉が再生され、それぞれに重なり合う。初馬の芯へとぶつかり、彼の勘違いを正していく。


 やがて、一つの結論に至った。


「ああ……俺は、馬鹿だなぁ……」


 初馬は数日の間迷い、悩み、苦しみ続けていた。それを言い訳に逃げ続けていた。

 けれど、なんのことはない。

 問題は全て、大きすぎる劣等感が作り出していただけ。

 最初から素直に誉め言葉を受け入れていれば、それでよかったのだ。


「馬鹿で、ごめん」

「……そうだよ。……本当に、そうだよ。でもね、そこがハツ君のいいところなんだよ」

「ははっ。それ、あんまり誉められてる気がしないなあ。洋子ちゃんって、そんな事言う子だったんだね」

「そうだよ。私はそんな人間なの。幻滅した?」


 冗談めかし、洋子は笑った。

 悲しそうでもなく、苛立ってもいない、輝かしい笑顔になっていた。日常的な幸せの象徴ともいえる、健気に咲く花のような表情に。


 それを見た初馬には、内から湧きあがる思いがあった。以前からあったが以前よりも強くなったそれを、言葉に乗せる。


「ううん、しないよ。そんな人間でも……いや、そんな洋子ちゃんが、俺も――」


 そして、視界が切り替わった。






 折角のいいところだったのに、初馬達は不快な景色に突き落とされた。勿論邪魔をしたのはエンカウントである。

 そんな状況で現れた魔物は、奇しくもゴブリン。以前の個体より小柄な上に素手であるが、否応にもあの出来事を連想させた。


 無意識に表情を険しくさせ、初馬は勇ましく一歩前に出る。


「まずは俺が……」


 だが、ほぼ反射的に言いかけたその言葉を、意識して止める。

 代わりに、バチン、と両手で頬を叩いた。赤い痕が残る程強く。これは同じ間違いを繰り返そうとした自分への罰。


 俺が守る。

 そんな台詞は思い上がりだ。

 この世界では男も女もなく、全員が平等で対等なのだから。彼が守りたい彼女は、ただ守られるだけの弱い存在ではないのだから。


 だから初馬は、戦いの場には似合わない優しい顔で隣を見る。大切な存在へと、穏やかに語りかける。


「洋子ちゃん。そんなに強くもないし、気まずくなったら逃げ出すような俺でもよければ……一緒に、頑張ってくれないかな?」

「うん。しつこいし、重いし、あんな風に怒鳴っちゃうような私でもよければ……二人で、頑張ろうか」


 暗色しかない魔界に映える、頬を赤らめた二つの笑顔。

 それらはどこまでも明るく、そして希望と互いへの思いやりに満ちていた。


 目前に立ちはだかる障害へ、二人は並んで立ち向かっていく。

 この日この時から始まり、そして、これからも。

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