第9話 男子(前編)
世界が変わってしまったあの日から、数ヶ月の時が経過した。
全人類に共通して降りかかったこの「変化」は、地球全体をパニックに陥れ、人々の生活に大打撃を与えた。魔物による直接的な被害だけでなく、経済活動への影響もまた甚大だった為だ。
その為当初は、人類が滅亡するのでは、とさえ言われていた。
だがこんな異常にも、経験を重ねるにつれて徐々に人々は慣れていった。
日常的に起こる戦いに順応し、あるいは感覚を麻痺させて――変化を受け入れた人々は以前の生活を取り戻しつつある。魔物への対処方法も体系化され、被害は減少傾向にあった。個人差こそあれ、今や混乱は落ち着いたと言えるだろう。
そして、世界の変化に比べればささやかではあるが、個人個人の身の回りにも変化はあった。
例えばこの少年も、喜ばしい変化のあった一人である。
「うおーい、初馬ぁ~。今日もイチャイチャして羨ましいな~」
「それいつまで言うんだよ辰也」
「そりゃいつまでも祝福するさ。なんたって親友がやっと幸せを掴んだんだからな」
「それならわざわざ目立つようにしなくてもいいだろ」
「悪いな。オレはこのやり方しか知らねーんだ」
「なんだよ、その言い訳。ホラ、洋子ちゃんからも言ってやってよ」
「……うん。私も静かにしてくれると嬉しいかな……」
とある高校、昼時の学食。
ちょっかいをかけてくる友人に対し、やや童顔の少年――初馬が文句を言う。ただしその顔には不満よりも照れ臭さが勝っていた。
その理由は、対面に座り困ったように、そして恥ずかしそうに笑うショートカットの少女――洋子。最近できたばかりの初馬の恋人である。
彼には春が訪れていた。
相手は同じ高校に通う同級生。とはいえ、最近までは顔見知り程度の単なるクラスメイトだった。
急接近したきっかけはエンカウント。助けられたお礼がしたいと交流が始まり、だんだんと仲良くなり、そして今に至る。
俗にエン恋(エンカウントによって始まった恋愛)と呼ばれるパターンの典型だと言えるだろう。
学生で賑わう学食。二人が着いた席には、辰也が去った後にも多くの人物がやってきては話しかけてきた。
「先輩。この前は手伝ってくれて助かりました。またなんかあったら頼んでいいですか?」
「おいおい。あんま色ボケてんなよ。レギュラーの座は俺が貰っちまうぜ?」
「オラ、後輩の癖に彼女作った罪を早く清算しろよ。その子に友達を紹介するよう言ってくれ」
話しかけてきた相手は後輩から先輩まで幅広くいた。
初馬はその全てに、嫌な顔をする事はあっても丁寧に対応していく。食事よりも喋る為に口を多く使う、騒々しい昼食となっていた。
多様な来訪が落ち着いた頃、洋子はからかうように言った。
「ハツ君、大人気だね。嫉妬しちゃうなあ」
「いやいや人気なんて。俺はただ、いじられキャラなだけだよ」
「もう、また言ってる。自分を悪く言わないでよ。そんなに私を見る目のない女にしたいの?」
「ごめんごめん。俺には嫉妬されるくらいの人気がある。これでいいかな?」
「うん。それなら、よしっ」
そう言う洋子の顔は、どこか誇らしげな笑顔だった。勉強も部活もそこそこの実力しかない初馬にも自信を持たせてくれる、そんな輝かしい笑顔。
決して枯らしてはいけない可憐な花のよう。
本当に自分には勿体無いくらいの相手だと、初馬はそう思っていた。
「今日も練習キツかったなー。洋子ちゃんの方はどうだった?」
「うん。テニス部もね、今年は地区大会突破するぞー、って部長が張り切ってるよ。おかけで疲れちゃった」
「じゃあどっかに寄って食べてこうか。俺が奢るよ」
「うーん。それじゃあ、お言葉に甘えちゃおっかな」
薄暗い、夕暮れの街。通行人がまばらにいる通りで、控え目な、しかし弾んだ声が生まれていく。
授業も部活も終わり、初馬と洋子は二人一緒に下校していた。両者が笑い合う、実に幸せそうなカップルである。
事実初馬は幸せを感じていた。
ただ隣を歩き、会話を交わす。これだけでも楽しく、満ち足りた気分になる。
けれど――
ふと、思ってしまうのだ。
大して取り柄のない自分が、こんなにもいい思いをしていいのかと。
「……ねえ、洋子ちゃん。本当に俺で良かったの?」
「え? なにが?」
「だから、付き合うのが俺で」
昼間のやり取りは頭にあったが、衝動的に言ってしまった。
だから、隣を見て初めて後悔する。
洋子は不満そうに頬をふくらませていた。初馬は可愛いと思ってしまったが、明らかに怒っているのだ。
「もう、まだ信用してくれてないの? 自分を低くしようとするのは初馬君の悪い癖だよ」
「でも、洋子ちゃんは可愛いし、性格も良いし、俺じゃ釣り合わないよ」
「あーあ、こんなに言っても信用してくれないのかー。私の方はちゃんとカッコいいって知ってるのになー」
洋子は空を見上げ、拗ねているような口調で言った。本当にそこまで評価してくれているらしい。
かっこいいところとは、きっかけとなったエンカウントの事だろう。即座に当たりをつけ、それでも自嘲気味に返答する。
「まあ……あの時はね。生き死にがかかってたら必死にもなるから。あと、吊り橋効果とかもあるし」
「……やっぱり分かってない。そういうところだけじゃないんだけどな……」
「へ? じゃあどういうところ?」
「何回も言ってるよ。私が知ってる、ハツ君のかっこいいところはね――」
彼女が笑顔で語るその話は、強制的に中断され最後まで聞く事ができなかった。
エンカウントが発生し、初馬と洋子は魔界へと移動した。黒い空にドロドロした汚い色の地面。最早見慣れた景色である。
近くを歩いていた人々も一緒だ。若者の三人グループと四十代頃の男性。初馬達を入れて、全員で六人。全員がファンタジーな格好へと変化していた。
話の続きも気になるが、当然後回しである。
鎧姿の初馬は女騎士めいた姿となった洋子へ、緊張をほぐすように優しく話しかける。
「話の続きはこれが終わった後だね。戻ったらちゃんと聞かせてよ」
「うん……まずは勝たないと、ね」
頷いた洋子を見ると、表情を引き締めて前を向く。
そこにいるのは小柄で醜い容貌をした、人型の魔物。ファンタジーにおいてはゴブリンと呼ばれるような見た目だ。粗雑な石斧を構えている。
当然の話だが、武器を所持する魔物はそうでない魔物より手強い。いつも以上に警戒が必要な相手だ。
だから初馬は味方全員へ向けて叫ぶ。
「皆さん、まずは俺が行きます! 様子を見て援護に入って下さい!」
同行者との連携、助け合いはエンカウント時における常識である。一人で闇雲に突っ込んでは、勝てるものも勝てない。初対面の人間との連携は難しいものだが、この時期まで生き残っていればある程度は自然に身に付く技術でもある。
初馬は長剣を前に掲げ、盾のようにして進む。様子見、防御を優先にした構えだ。
少し離れて戦斧を持った若者の一人と太刀を構える男性、更に離れて洋子と残り二人の若者が続く。全員が初馬の提案に乗ってくれたらしい。
仲間内で揉めても危険が増すだけ。特に代替案がなければ、積極的な者に従うのがセオリーである。
そして戦闘が始まる。
魔物はジグザグに走ってきた。
素早い動作での撹乱か。目で追うのがやっとで剣先を定められない。
その隙に、魔物は急激に方向転換。初馬の懐へ飛び込み、石斧を振るってきた。速度の乗った、重い攻撃だ。
防御も回避も間に合わず、初馬は鎧の薄い脇腹を抉られる。走る激痛。初手は相手に取られてしまった。
それでも、ただではやられない。
痛みの中、脇腹に食い込んだ石斧を左手で掴んだ。ガッシリと強く握り、同時に叫ぶ。
「よし! 皆さん、お願いします!」
初馬の意図は即座に伝わった。
武器の使えなくなったゴブリンを、若者の戦斧と男性の太刀が狙う。挟み撃ち。重い刃が空気が唸らせる。
しかし、それが生んだのは空振りという結果。
「ぎゃっ!」
若者の悲鳴があがる。
魔物が石斧を手放し、跳躍。若者の腕を爪で引き裂いたのだ。
非常に身軽で素早い。おまけに爪もまた恐ろしい凶器。武器がなくとも厄介だった。
「今助けます!」
初馬は石斧から手を離し、両手で剣を叩きつける。
しかし寸前で気づかれ、浅く斬っただけに終わる。これではダメージも期待できない。
だが、注意は引けた。
ギロリ。振り返った魔物と目が合った。狂暴な光に一瞬怯むも、すぐに振り払う。
魔物は若者が落とした戦斧を拾って投げてきた。
反応し、剣でガード。重い衝撃を受けるも踏みとどまり、速やかに反撃へ移ろうとする。
が、斧投げは囮。
魔物は身を低くし、足元を通り過ぎていった。しかも、ただ通り過ぎただけではない。
「うあっ!」
足には深々と傷が刻まれていた。一応繋がってはいるが、今にも千切れそうな状態。力が入らず、立ち上がれない。
しかも、それどころではなかった。
「ハツ君!」
うずくまる初馬を見た洋子が駆け寄ってきて、そのせいで魔物は次の標的を彼女に定めたのだ。
武器である鋭い爪を構え、迫っていく。
このままでは危ない。守りたい女子も守れなくて、何が男か。何が彼氏か。
「……うぅ、あああぁっ!」
気力を振り絞り、片足と剣を支えに立ち上がる。一歩一歩、無理矢理にでも進んでいく。
それで間に合うはずもないのだが。
無情にも洋子と魔物との距離は近づいていく。焦りが増し、恐怖心に駆られる。
もう、今にも爪が届く間合い。その地点で――
魔物はつんのめり、バランスを崩した。疾走の速度が緩む。
若者の一人がナイフを投げ、足に当てたのだ。
絶妙な援護。初馬はホッとし、この隙に追いつこうと無茶を続ける。
その足が、思わず止まった。
初馬は見たからだ。
洋子の顔を。か弱い女の子の表情ではなく、覚悟を決めた人間のそれを。
そして風が巻き起こる。
洋子が打撃用の武器――メイスをテニスラケットのように振り抜いた。綺麗なフォームによる、力の入ったスイングだった。
鈍い打撃音、それに落下音が続く。
魔界の大地へ、仰向けに倒れる魔物。洋子の打撃がクリーンヒットしたのか、立ち上がろうとする動きは緩慢だった。
その為、追撃も容易い。
投げナイフと矢が続けざまに刺さる。そこへ更に、男性が駆け寄って太刀で胴体を貫いた。
それがトドメの一撃となった。魔物退治はこれで完了である。
だが、初馬には苦い思いが残ってしまった。
エンカウントは終わった。
一緒に巻き込まれていた通行人達は互いに頭を下げ合う。これはエンカウントから生還した際のマナーである。そしてその後、エンカウントの直前にしていた行動を再開させていく。
しかし初馬はその場から動こうとしなかった。
自分が命を落とす一歩手前だったが、それ以上に自分では洋子を救えなかったからだ。
全員無事だったならそれでいいはずなのに、素直に喜ぶ事が出来ない。
「ごめん、洋子ちゃん……」
「え? そんな、別に謝らなくてもいいよ。それより初馬君は大丈夫? 顔色悪いよ?」
問う洋子は心からの心配を覗かせていた。
その表情に初馬の胸がズキリと痛む。守るどころか、逆に心配させる始末。情けない。
今にも泣きそうな顔で、初馬は声を絞り出す。
「でも、洋子ちゃん、俺……」
続きは出てこない。そもそも、何を言おうとしたのかさえ分からない。
口はパクパクと開閉するだけ、目は忙しく泳ぐ。うつむき、再び立ち尽くす。
その間、洋子はじっと待っていた。優しい、人を落ち着かせるような微笑を伴って。
しかし、それを見た初馬の精神はむしろ更に乱れてしまう。まともに顔を合わせていられない。
そして、実行してしまったのは最悪の選択。
「あっ、ハツ君!?」
いたたまれなくなった初馬はその場から逃げ出してしまったのだった
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