第8話 乙女

 窓から夕日がさしこむ、学校の教室。

 薄暗く物寂しいその場所に、私達はいる。時刻は既に放課後だけど、とある用事の為にまだ教室に残っていた。

 なのに私はなかなか用事を果たせず、モジモジと体を動かしてばかりいる。

 その原因は、目の前にいる彼だった。


「えっと……用件は、まだ言えないのかな?」

「あ、そのっ……ごめんなさい、頼樹君。呼び出したのは私の方なのに……」

「ああ、別にゆっくりでいいよ。女の子の為ならいくらでも待てるから」


 縁戸頼樹ふちどらいき君。言動から少し軽薄な印象を受けるが、優しくて気配りができる好人物。そして芸能人みたいなイケメン。

 彼は、私がずっと憧れていた人だ。

 この時間にこの場所に呼び出した目的は、勿論一つ。愛の告白である。


「何か大事な用件なんだろう? 無理して急がずに、落ち着いてから言った方がいいよ」


 穏やかに語りかけられ、緊張していた私もようやく落ち着いてきた。


 でも、代わりに顔が火照ってくるのを感じる。胸の中で気持ちが膨れあがっていくのを感じる。

 おかげで自分の気持ちを再確認できた。

 とうとう私は意を決し、思いを告げようと口を開く。


「私……」


 その瞬間。

 思わぬところから邪魔が入り、私の気分は一気に深海の域まで沈められてしまった。






 周囲から机や椅子は無くなり、代わりに一面おかしな色の景色があった。その辺には奇妙にねじくれた上に腐ってるような木が生える。綺麗な茜色だった空が、今や不気味な曇り空。

 薄暗くともロマンチックな雰囲気のあった教室が、より暗く居心地の悪い環境へと変わってしまった。

 そして学校の制服を着ていた私も、革鎧に細身の剣と盾を携えたファンタジーな格好になっている。

 エンカウントの発生だった。


 何もこんなタイミングでなくてもいいのに。

 もう嘆くしかない、絶望的な不運。落ち込んで当然のアクシデントだろう。

 ただ、見方を変えれば幸運と言えるかもしれない。

 命がかかった、頼樹君との共同作業。吊り橋効果でよりお近づきになる事があるかもしれない。

 こんな時に不謹慎だと分かってはいるが、これぐらいの役得があってもいいのではなかろうか。


「ごめん。心苦しいけど、前は君に任せてもいいかな」

「あっ。うん。その方がいいみたいだね」


 頼樹君が話しかけてきたので、考え事を止めて彼の提案を快く承諾した。

 男子と女子の役割としては逆かもしれないけど、仕方ない。

 私は剣と盾を持っているが、頼樹君の武器はクロスボウだったからだ。


 エンカウント時の装備は人それぞれ自動的に決まる。

 趣味や特技に性格など、様々な要因で決定されていると推測されている。ただし、あくまで推測の域は出ていないらしい。

 まあ、どのみち判明したところでどうにも出来ないから理由なんてどうでもいいんだけど。

 とにかく装備は自分の意思で決められない事だけはハッキリしている。

 なのでこればっかりは大人しく受け入れるしかないのだ。


 前に出ようとした私へ、頼樹君は笑顔で声をかけてくれる。


「頑張って」

「うん、任せて!」


 振り返って返事をすると、明るい気分で前を向く。にやける口元が抑えられなかった。


 対するは猫のような魔物。とはいっても可愛げは全然なく、大きさはライオン程もあった。牙をむき、低い唸りをあげている。

 戦いは何度も経験していても、未だに怖い。

 それでも元の場所に戻る為に、そして頼樹君に告白する為に、貰った勇気で恐怖を覆い隠して挑む。


 左手の盾を前にし、半身の姿勢を取る。何回も戦いを乗り越えていく内に自然と身に付いてしまった構えだ。

 盾で確実に攻撃を受け止め、隙を見つけた時だけ剣を突き出す。地道でコツコツ的な、安全を最優先にした戦い方を私は身に付けていた。


 だから当然、先手は魔物の方だった。

 真っ向から俊敏な動きで距離を縮め、鋭利な爪を振るう。素早く力強い一撃。

 当たれば痛いじゃ済まないその攻撃を私は防ぎ、避ける。だけど低い位置から迫ってくるのでやりにくい。なんとか身を守る事で精一杯だ。

 だから無理はしない。

 相手が五回爪を振るう間に一回だけ反撃。そんなスローペースで少しずつ戦いを進めていく。


「あれ?」


 パターン化してきた戦いの途中、私は素で首をかしげた。

 魔物がいきなり大きく距離を取ったからだ。

 行動の変化を不思議に思う私。意味は分からなくとも、とりあえず盾を構えて様子見しておく事にした。


 ただ、その答えは求めるまでもなく割りとすぐに発表された。それも実に単純なもの。

 巨大な猫は勢いよく助走をつけ、頭から豪快に突っ込んできたのだった。


「ううっ……きゃあっ!」


 重い突撃。

 盾で受けても体当たりの勢いを受け止めきれず、後ろへ吹っ飛んで転がる。

 何度も体を打ったが、これぐらいは慣れっこ。この後が怖いので、痛くてもすぐに立ち上がる。


 だが、覚悟していた追撃はなかった。

 魔物の狙いは違っていたのだ。

 私が見たのは、今まで戦っていた私を無視して頼樹君の方へと向かっていく巨大な猫の姿だった。


「頼樹君!」


 反射的に甲高く叫び、目線であとを追いかける。

 怪我は大したレベルじゃないけど、後ろに通した以上は私の失態だ。今から追いかけたところで魔物と頼樹君が接触する方が先。

 汚名返上できたとしても、悔しい思いは当分消えないだろう。


 ただ、私の精神状態はともかく、戦闘自体の心配はそんなにしていなかった。

 何故なら後ろにいるのは、あの頼樹君。彼なら格好良く仕留めてくれるに違いない。

 そんな期待があったのだ。

 私が見る先には、緊張した面持ちもカッコいい頼樹君。やっぱり期待を抱かせてくれる頼もしさがある。

 どんどん近づいていく魔物。

 迫りゆく接敵の時。


 そして、クロスボウを構える彼は向かってきた魔物に対して、



「ううぅあっひゃあああぁあああぁぁぁああああぁぁあ!!」


 背中を向けて全速力で逃げていった。


「………………はい?」


 クロスボウも投げ捨てて、初めから完全な無抵抗。私が追いつくまで時間を稼ぐ為とか、有利な間合いを保つ為とか、そんな理由もない単純な逃走だった。

 ねじくれた木へ必死によじ上り、魔物に吠えられている。幹に体当たりされる度に震えた声で喚き散らす。

 直前の予想とはかけ離れた光景が展開されていた。


「…………」


 そんな姿を見ていた私の中で、何かが変わった。

 戦いで熱くなっていた心と体が冷えていく。表情筋の力が弱くなっているのを感じる。世界が静かになっていく。

 そうして完全に感情が無になった、凪いだ海のような頭で、淡々と思う。


 あ、これってチャンスじゃない?


 魔物は狙いやすそうな獲物に集中しているせいか、私にはもう無関心な様子。

 おかげであとは簡単だった。

 静かな動きでコッソリと吠える魔物に近づいていき、その無防備な後ろ姿へと剣を振り下ろす。


 それだけでもう、今回のエンカウントは幕を閉じた。








「ありがとう。君のおかげで助かったよ。流石だね」


 景色は戻り、再び夕暮れの教室。

 彼は何事もなかったかのように笑顔で手を差し出してくる。

 思わず見とれてしまう、爽やかで魅力的な笑顔。数多くの女子の心を虜にしたものだった。

 勿論それには私も含まれていて、この笑顔を独占できるのならどんな苦労も惜しまなかっただろう。


 ただしそれは、


「すいません。触らないで下さい」


 ついさっきまでの話。


 パシッ。と、私は差し出された手を叩く。

 意識的にした事ではないが、発した声は冷たくなっていた。恐らくは目付きも冷たくなっているだろう。

 明確な拒絶。

 心変わりをした理由は今更言うまでもない。


 もっとも、頼樹コイツの方は理解出来なかったらしいけど。

 コイツは私の態度が真逆へ変化した事に、呆けた顔で困惑している。


「え? あれ? どうしたの? さっきまでは告白の流れだったよね?」

「いや、『うあっひゃあ』とかないですから。全力で逃げるとかないですから。そんなヘタレで腰抜けとかありえないですから。そもそもよく考えたら、私が戦ってる時も全然援護してくれませんでしたよね? 全部任せるつもりだったんですか? そんな事で恥ずかしいと思わないんですか?」


 私の口から悪意ある言葉が濁流のように飛び出してくる。こんな事言いたくはないのに、どうしても止められなかった。それだけショックが大きいのだろうが。

 頼樹コイツ頼樹コイツで、言われ放題なのに何も言い返せないで口をパクパクさせるばかり。予想外の事態に対応出来ないのはこちらでも同じようだ。

 実に残念な現実。株の降下が留まるところを知らない。

 ただ、コイツは既に、少し前まで好きだった人。今はもう、特に何も思わなかった。


「それじゃあ、失礼します」


 私は情けない男を一人残し、毅然とした姿勢でその場を去っていったのだった。

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