第7話 抵抗者
「お嬢様、それでは失礼します」
「ええ。今日もお疲れ様」
別れの挨拶をした家政婦さんは恭しい一礼をすると、スッと部屋から出ていく。
それを
いくら私の方が人間として格上であっても、表面上は対等に接する為だ。私には常に
私は某大企業の経営者の一人娘。
生まれに恵まれ、育ちに恵まれ、自身の才能にも恵まれた。
今は有数の進学校でもトップの成績を誇り、生徒会長を務めている。学友も多く、皆から褒め讃えられてもいた。
そう、私はそこらの有象無象とは違う、選ばれた存在。
今までずっと、苦労も不自由もなく羨望の眼差しを受け続ける人生を歩んできた。そしてこの人生は、これからも更なる発展を遂げていく。
それが確定された未来だと、私は信じていた。
「あら?」
ふと気がつくと、私は地面も空もドロドロとした、気色の悪い場所にいた。五感全てが不快感を訴えてくる空間。
あの異変から何度も訪れたここは、見間違えようもなく魔界だった。
私の覚えている記憶は、寝室でベッドに入ったところまで。となれば、睡眠中にエンカウントが発生したらしい。
人の都合を省みない理不尽な呼びつけだ。おまけに文句を言うべき相手は、あの日以来何の音沙汰も無い。なんとも面倒で不愉快な世界になってしまったものである。
ただ……一つだけ、この場所にも誉めるべき美点があった。
それは私の「戦士の姿」。
周囲の景色に比べると、それは正に対照的だった。
きらびやかなドレスめいた衣装の上から輝かしい光沢の鎧を纏った豪華な装束。それに、細やかな装飾の施された美しい細身の剣。王侯貴族が身に付けるに相応しい品々。
この世界での私は、そんな装備品というより美術品か芸術品と呼ぶべき品々を身に付けていた。まさしく人の上に立つ者に相応しい姿だ。
とはいえこれは、実用的かと言えば疑問が残るような代物ではあった。
ただ、それでも問題はない。
害獣退治なんていう汚れ仕事は、私のするような仕事ではないのだから。
「ちょっと。誰か早く来てくださる?」
見たところ近くには使用人が誰もいなかったので、周囲へ呼びかける。
しかし、返事はいつまでもない。声は不快に湿った空気に消えていく。
数十秒程度待ったところで、ある可能性に気がつく。
「もしかして……今回は、私一人?」
今は夜中。そして直前まで寝室にいた。
家政婦さんは基本的に通い。
両親の寝室とも距離があった。
一つずつ確認し、やはり一人なのだろうと結論づけた。
こんな経験は初めてだが、確率を考えるとむしろ今まで無かった方が不思議なくらいか。
「仕方がないですわね」
使用人に任せるのは諦める。
屋敷では彼らに任せてきたし、学校でも私を慕う学友が率先して戦ってくれていた。
だから私にとってはこれが初陣となる。遂に華麗な武具を使う時が来たという事だ。
戦いは初めてとはいえ、普通の人間にも出来ているのだから、当然私にだって出来るだろう。
心に余裕を持って魔物と対峙する。
それは人間の子供程の大きさをしたイモムシのような生き物だった。今まで見てきた中でも小型の部類に入る。エンカウントの規模が小さいが故の結果か。
初めて勝利する相手にしては少々格が足りないくらいだ。
私に求められるのは単純な勝利ではない。選ばれた側の人間たるもの、戦いすらも美しくあらねば。
相手の攻撃を華麗にかわし、一撃で決める。これが理想。
その為に体をピンと伸ばし、綺麗な姿勢を保つ。細剣を美しく構えた。
……のだが、早速出鼻をくじかれてしまう。
「ひっ!」
不覚にも怯えた私は、お世辞にも美しくない悲鳴をあげてしまった。
改めてまじまじと見た魔物の姿は、非常に醜く気味が悪かったからだ。
イモムシに似てはいるが、明らかな異形。ギザギザの歯が生える口から奇妙な液体が垂れてもいた。生理的な嫌悪感が内側から吹き出してくる。
一旦呼吸を落ち着けた私は引き続きその場に留まっていた。
決して臆した訳ではない。
初めの狙い通りに、後の先、紙一重でかわしてのカウンターを狙っているのだ。
やはりこれが美しい戦い方ではないだろうか。
ジリジリジリジリ。ゆっくりゆっくりと魔物は近付いてくる。
徐々に高まっていく緊張感で息が苦しい。イモムシの癖にこの私を焦らしているのか。生意気な。
そんな考え事をしていると、一瞬にして場面は静から動へ切り替わった。
間合いに入ったからか、魔物は突然私に飛びついてきたのだ。見た目からの予想よりもジャンプ力は高く、顔の辺りに迫ってくる。
その攻撃をよく見て、見極めようと思っていた私は、
「……きゃわあっ!」
魔物の顔が届くかなり手前で、ほとんど倒れるようにして避けた。完全に無意識の、反射的な行動。
ベチャッと地面に着いて、体も装備も汚れる。少々の不愉快な思いが更なる追い打ちとなった。
初めてだから。たまたま失敗。次の機会がある。
そう言い聞かせ、気を取り直して起き上がる。
「ひゃわっ!」
しかし、再びの突撃により、またも地面に転がされた。
重なる屈辱。
許しがたい魔物をキツく睨む。次こそは必ずと思いを込めて。
だがしかし、私はその後も失敗を繰り返した。
魔物が飛びかかってくる度に、華麗とはとても言えない動きで転がり、情けない悲鳴をあげて逃げ回る。
細剣を構えて、構えるだけで終わる。斬る事も突く事も出来ない。
避けて、逃げて、転がって――
「……っあああぁぁ!」
とうとう逃げ切れずに、仰向けに倒れていた私はふくらはぎの辺りに噛みつかれてしまった。
痛い。今まで感じた事が無いくらい痛い。泣きたいし、逃げ出したい。
剣は途中で落としてしまったので、振り払えもしない。激痛は延々と続く。
けれど、すぐにそんな事はどうでもよくなってしまった。
痛みを感じる余裕もないくらいに、頭には疑問の嵐が駆け巡っていたからだ。
どうして?
どうしてこうなった?
どうして勝てないでいる?
この私は完璧なはずなのに、戦いすらも簡単にこなせるはずなのに――
なのに、どうして勝てないのか?
答えが頭に浮かぶ。
認めたくないその答えが、脳裏にちらつく。
弱いからか。単純に、私が弱いせいなのか。
ずっと他者の影に隠れ、前に出れば怯えてばかり。高校生にもなって、まるで子供のよう。
疑問に加え、自己否定が脳内を埋め尽くす。自身の生み出したそれらの言葉に打ちのめされる。
これが、緊急事態において晒けだされた私の本当の姿。完璧とは程遠い、弱者の姿。
不安、それ以上の絶望がよぎる。
こんなみじめな場所で、成功が約束されていた人生を終えてしまうのか。
勿論悔しさはあるが、仕方ない。
醜く足掻くより、美しく散ろう。
全てを諦めた私は、体の力を抜いた。
そこで、ふと思う。
これでは、私が使用人にも学友にも虫にも負ける、下等な存在だという事になりはしないか、と。
本当は一人では何も出来ない、有象無象にも劣る存在だという事になりはしないか、と。
……まあ、それが事実なら、やはり仕方ないか。
仕方ない。
そう、それが事実なら。
私が弱者だというそれが、偽りの無い事実だとしたら。
――そんな、事実、
「認められる訳っ、ありませんわ!」
気がつくと私は、はしたなく大声をあげていた。なりふり構わず叫んでいた。
大声に反応したのか、魔物も顔をこちらに向けていた。
そして一拍遅れで私自身が驚く。自分の中に、こんな熱い衝動があったなんて、と。
それだけ、どうしてもあの結論は認めたくなかったのだ。
だから否定したくて、駄々をこねるように叫んだのだ。
負けず嫌い。
今まで知る機会はなかったが、これが私の本音、私の本性だったらしい。
だったら、私がするべき事は一つ。
それを受け入れ、必死に抵抗する事を決意した。
「いい加減にっ、離しなさいっ!」
剣は無いので倒れたまま、噛まれていない方の足を魔物へと突き出した。何度も何度も。無様に不格好に、ただただ乱暴に蹴りつける。
そうして魔物の口が足から離れると、その隙に慌てて逃げた。情けなく四つん這いで移動し、落としていた自らの武器を拾う。
そこから先は、意地の勝負。
恐怖心もこだわりも吹っ切れた私は戦い方を変えていた。
出来もしない華麗な戦闘なんて諦め、とにかく剣を振り回す。へっぴり腰の上に滅茶苦茶。当たっても浅く切るだけ。
単調な動きは、まるで子供の喧嘩。
その上、噛まれた足の怪我は気合いと根性で我慢していたし、衣装の汚れや損傷は既に気にしなくなっていた。
美。華麗。優雅。
それらの言葉から果てしなく遠い野蛮な振る舞い。今までの私なら忌み嫌うであろう行動だ。
けれど、何故だか気分は晴れやかだった。
「っ!」
私は反射的に息を呑む。
魔物が初めの時と同じ、いきなり飛びかかる攻撃を仕掛けてきたからだ。
けれど、負けない。
今度こそ、負けない。
不思議と動きがスローモーションになった世界で、私は飛びついてきた敵をしっかりと見る。目を背けず見る。見極める。
そして怯えて逃げ出したりはせずに、自分の意思でその場に伏せた。
イモムシは丸めた背中の上を通りすぎていく。今回は不格好でも、余裕を持って避けられた。
そこですかさず、体勢を反転。着地して背面を晒す魔物に視線を向ける。
これなら素人でも外さない距離。大きく大きく息を吸い込む。
「やああああぁぁぁっ!!」
景気づけの叫びをあげながら、魔物の背面に思いきり細剣を突き刺した。
想像よりずっと呆気なく、深々と刺さる。重い手応えをズシリと感じた。
抵抗し、暴れる魔物。
細剣が抜けないよう、私は両手でガッシリと押さえる。そのまま体ごと倒れ、貫通した剣先を地面に縫いつけた。
それでも魔物は暴れていたが、しばらくすると体から力が抜けた。ようやく倒せたらしい。
私もまた力が抜けて剣を落とし、その場にへたりこむ。そのまま呆然と、荒い呼吸だけを繰り返していた。
泥臭いながらも手にした、初めての勝利。
その暁として、私の身に付けていた「美術品」には汚れや傷があちこちにつき、立派な「装備品」らしくなっていた。
「お嬢様。おはようございます」
「ええ。おはようございます」
一夜明け、翌日。
私が身だしなみを整えている最中にやってきた家政婦さんが、驚きに目を見開いた。
理由は察しがつく。
やはり違いが分かるのだろう。今の挨拶が無感情の演技ではないのだと。心境の変化があったのだと。
そんな彼女に、私は優しく追いうちをかけた。
「いつも……ありがとうございます」
私が感情を込めて言ったその言葉に、家政婦さんは口を大きく開けて驚いた。コミカルな表情で信じられないとアピールしている。
いくらなんでも大袈裟ではないかと思ったけれど、失礼だとは思わなかった。それどころか清々しい気分ですらある。
身だしなみを整える為の鏡には、完璧な作り笑いではなく、生まれ変わったような明るい笑顔が映っていた。
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