第6話 敗北者
「ぐっ、うぅ……まさか、こんな魔物が出てくるとは……!」
見ているだけで気分が滅入るような景色の魔界に、私の声が広がる。いい年した大の男が出すにしては非常に情けない声だった。
その声音が表すのは、諦め。そして絶望の感情。
「駄目だ……勝てない……」
私はうつむき、力の緩んだ手から武器を落とす。激しく音を立てたそれを拾う気力も湧かない。
戦意が完全に萎えてしまっていた。
休日の昼下がり、自宅で家族と共にくつろいでいた時に発生した今回のエンカウント。
あの「異変」の日から既に一月以上が経っており、私も今までに日数と同じ程の「戦い」を経験している。初めはともかく、慣れてきた今では戦いへの躊躇は無い。
だが、ここまで勝てないと思ったのは初めてだった。
私とて妻子がいる身。家族を必ず守ろうという思いは強く、実際に今までそうしてきた。自宅にいる時に起これば、私が身を盾にして魔物の攻撃を引き受けていたのだ。
中年だろうと体を張って戦えるのだと、誇りすら持っていた。
そうして培ってきた自信が、今回呆気なく崩れてしまった。
夫としても父親としても失格だろう。家族を護れなくて、なにが大黒柱か。
だが、そうと分かっていても、沈んだ戦意が火を取り戻す事はない。私は最早、敗北を認めた単なる負け犬と成り果てている。
こう思ってしまうだけの理由が、今回現れた魔物にはあった。
うつむけていた顔をゆっくり上げ、もう一度その魔物を見る。
そこにいたのはやはり、勝つどころか攻撃すらもできない存在だった。
「こんな可愛い生き物、傷つけられる訳がない……っ!」
今回現れた魔物、そのマスコットめいた容姿は私の心をピンポイントで撃ち抜いていたのだ。
丸く小さな体を覆う、思わず撫でたくなるような白くてフワフワの体毛。庇護欲を刺激するつぶらな瞳。鼓膜に柔らかく触る鳴き声。
牙は長く大きく、凶器となり得る鋭さもあるが、そこもまた愛くるしい。
まさに非現実的な可愛らしさ。
動物が好きで犬猫兎ハムスターと飼っている私にとって、この魔物は充分に愛玩動物であった。
そういう訳でしばし眺めるだけで楽しんでいたのだが、ここで展開が動く。
向こうの方から近寄ってきたのだ。
これは願ったり叶ったり。私は快く迎え入れようと、両手を広げて待つ。
「つっ!?」
すると直後、素早く跳ねた魔物に牙で腕を噛みつかれた。とてつもない激痛をもたらす、立派な攻撃。
やはり魔物なのだと再確認させられた。
流石にこれはマズい。近くでまじまじと見られる上に撫でられるチャンスではあるが、そうも言えない程マズい。
落とした剣を拾い、可愛い魔物へつきたてるべく構える。
構えた……が、そのまま動かせない。腕はプルプルと震えるばかり。
今この時抱いていた思いを、私は素直に言葉へと乗せて叫ぶ。
「駄目だっ! やっぱり、私には出来ない……っ!」
と、その時。
突然、可愛い魔物が腕の中から消えた。
「ほおぅんっ!?」
ビックリし過ぎて変な声が出てしまったが、それはともかく、慌てて辺りを探す。
すると簡単に見つけられた。
大地に横たわった小さな体に矢が刺さっているのを。
それを呆然と見ていると、更に何本も突き刺さった。立て続けの容赦ない射撃。
無惨な姿になった魔物はもう動かない。
魔物は倒れたのだ。
その事実が何を意味するのか。それが頭に染み渡る前に、私はただただ衝動に任せて叫んだ。
「な……なんて事をっ!」
「ちょっとあなた~。少し、いいかしら?」
おっとりと話しかけてきたのは妻だった。今まで失念していたが、そう言えば一緒に巻き込まれていた。
笑顔の妻。ただし目だけはちっとも笑っていない妻。
彼女はもう必要のないはずの弓矢を何故か構えており、背後にはどす黒いオーラすら見えた。
私は寒気がし、高ぶっていた感情も急速に冷却された。一言の声も出せない。
そしてそんな私に、妻は震えを呼び起こす低い声で「確認」をしてくる。
「あなたはずっと魔物を押さえてくれてたのよね? こんな時にふざけてた訳じゃないわよね? ねえ。そこのところ……どうなのかしら?」
圧倒的な迫力によって自分の立場を悟った私は、速やかに土下座を敢行したのだった。
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